生物やその遺伝的進化というものは生存を目的として選択できるものではない
草食動物が肉食動物からの捕食から逃れるためには逃げ足が速い方が有利であり 結果的に先天的に逃げ足の速い個体への収斂進化が促されることになる
自然界における生存とは あくまで死なずに生き残り環境に適応した結果であり 「死んでいないものを生物と分類している」に過ぎず 「生物の目的は生存」ではないのである
個体の後天的努力や願いや望みや祈りや呪いといったものは遺伝的進化には影響を及ぼすことはなく 逃げ足が速いかどうかは先天的に変異によってランダムに決定しているものであって 個体の意図目的とは無関係な「結果」でしかない
人間社会においては社会持続性や人命安全性は最優先事項ではあるものの それを遺伝的進化という自然現象(結果)と結びつけるのは論理的に大きな間違いである
「絶滅を免れる」ためだけであれば 生産性の低い個体を断種や殺害などで「淘汰」することによってヒトが生産性の高い個体への「進化」が促されることにはなるものの そこに人道的公平性は著しく損なわれることでもある
遺伝的進化という自然現象(結果)を 短絡的に人間社会の存続と結びつけてしまうからこそ 優生学などというオカルト観念が出てきてしまうのであって
「絶滅さえしなければ良い」というバカみたいな短絡的帰結を鵜呑みにしているから「生存戦略」などという非科学的デマの蔓延が傍観放置されてしまっているのである
障害者は社会的には生産性が低いが 障害者が生産性の高い「健常者(完全無欠の絶対的健常者など存在しないのだが)」の生産性に頼ることになるのは必然ではあるものの
それなら障害者を切り捨ててでも生産性を優先する必要性が存在するのであろうか?
むしろ生産性というものは社会的弱者である障害者などを助けるために優先的に用いることの方が より「人道的」であり「人間性」であると言えるのである
遺伝的進化というものには人道性はない
遺伝的進化というのは単なる自然現象であり 結果的に生き残りさえすれば「生物」であり「進化」だからである
草食獣が逃げ足が速くなる進化をするためには 天敵に襲われた際に逃げ足の遅い弱者から喰われてしまうことを容認しなければならない
天敵に襲撃された際にのみ その場の恐怖に駆られて一目散に逃げ出す以外の何の対策もせずに ただひたすら逃げ出すだけであるからこそ 逃げ足の速い個体への収斂進化が促されるのであって 弱者を救済するという人道的擁護は一切しないからこそ遺伝的進化が生じるのである
その結果として 産まれたばかりの逃げ足の遅い個体までもが天敵の餌食となってしまうのである
社会的弱者を淘汰してまで生産性を優先したり遺伝的進化をする必要性とは何であろうか
そうまでしなければ絶滅してしまうとでも言うのであろうか
果たして ヒトという種の生物にどのような遺伝的進化が必要だというのであろうか
社会的弱者を断種や殺害してまで淘汰圧力をかけてまで遺伝的に何を「進化」させようと言うのであろうか
遺伝的進化という「結果」を 短絡的に「目的」や「戦略」にこじつける先天的な頭の悪さが遺伝的進化によって改善するメカニズム構造は存在しないし
そもそも遺伝的進化が促されるためには頭の悪い凡人が片っ端から淘汰され続ける「環境」が必要となるのである
だが 実際には社会的強者が社会的弱者を喰い物にする利己的なバカの行動の方が「生存」には有利なのであり バカへの収斂進化が促されるメカニズムしか働くことはない
それは集団組織における腐敗においても同様であり 腐敗した利己的組織に同調迎合忖度服従し組織腐敗の傍観放置に加担しておいた方が個体の存続においても有利に働くのである
これら利己的な行動選択の全てもまた「生存戦略」の範疇に入るのである
「生きるためには」などと称して個体の生存を最優先することは むしろ社会全体の公平性や平等性を無視し 利己的迷惑行為すらも正当化可能な「屁理屈」でしかない
内部告発などすれば「裏切り者」扱いされ社会的に不利な立場にも陥る以上 自律的な社会的責任判断選択という人間としての行動選択には見返り報酬が伴う保証は何もない
「生き残りさえすれば賢い」という短絡的でバカげた発想を鵜呑みにしている頭の悪さを自覚しなければ 人類は利己的殺し合いから逃れることはできない
「進化は賢い」などという発想は 結果的生存を短絡的に目的であるかのように倒錯しているからこそ出てくる発想であり 凡人(バカ)の考える形式にさしたる違いはないのである
ウイルスには脳などなく 何も「考え」てなどいないが 存続にとって有利な株種への収斂進化が進んでゆくものである
生存という結果に対して合理的収斂進化は促されるが その生存そのものがそもそも「目的」ではなく単なる「結果」でしかないのであって 結果的生存にとって合理的で有利な性質が拡がりやすいのは必然ではあっても「偶然の結果」以上の意味はない
たとえアップルコンピューター社のCEOになったとしても 癌を患って若くして死ぬこともある
そもそも富を利己的に独占することが「経済」ではなく 「世を経て民を救済する」ことが「経済」の真意目的であり アダム:スミスによる「見えざる神の手」などという根拠の乏しいデマを鵜呑みにして「利己的利益さえ追求しておけば社会は良くなる」などという都合の良い「解釈」に主観的に安心満足して何も考えなくなるからバカが治らなくなる
ヒトという種の生物の脳は 「信じたい話」だけを信じようとする先天的な認知上の重大な欠陥が存在しており 主観的に気分が良くなる短絡的でバカみたいな話ばかりを信じようとするものなのである
遺伝的進化における生存という結果を 短絡的に目的にすり替え 「生存戦略」などという非科学的デマを大衆マスコミが何の疑問も持たずに鵜呑みにするのも その方が「自分も含めたヒトは先天的に賢く優秀な存在だ」と勝手に倒錯して安心満足できるからである
「生存戦略」という概念が正当化できるのであれば 先天性疾患で若いうちに亡くなってしまう人なら社会から切り捨てても構わなくなってしまうのである
「生存戦略」という概念を鵜呑みにし 優生学に対する論理反証を理解しないということは 弱者切り捨てを正当化する非人道的発想の傍観放置でもある
それがどれだけ社会的に無責任であるかの自覚が主観的にはないから傍観放置が止まらない
大衆マスコミの大多数は それが重大な問題だという認識はないが 断じて「多数こそが正常」「多数こそが真理」であることの論拠にはならない
ChatGPTなどの人工知能に「生存戦略」概念が正しいのかどうかを訊ねても ネット上の生物学論文の大多数やチャールズ:ダーウィン著「種の起源」にまで記されている以上 機械学習AIはそれを「正解」だとしか認識しないであろう
それはバカ生物学者共や大衆マスコミが「生存戦略」概念を何の論理検証もせずに鵜呑みにしている状態と何ら違いはない
むしろ大多数がバカであるが故にAIもまたバカなのである
ニューラルネットワークを用いた深層学習型人工知能というのは あくまで「生物の脳を模したもの」であって 断じて論理客観的に真偽の検証ができるわけではない
だからこそ生成AIの利用に関しては「必ずしも正しい答えが出てくるわけではない」という利用上の注意が促されているのである
バカは「ググった結果出てきた話の方が正しい」といった短絡的判定解釈をするものだが 「他人の評価をしている者の評価」そのものまでは調べようとはしないものである
世の中の大半はバカであるため 人類はどんなにネットワーク上でつながっていてもバカは治らないのである
社会の大半がバカであるならば バカのままでいた方が主観的には安心で満足だからである
その主観こそが 先天性のバカの源なのである
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