窪田順生氏は「日本人は自分たちの醜い部分をしっかりと見つめる勇気が必要なのではないか。」と述べていて、これは一見マトを得た見解のように見えるのだが
ちょっと良く考えて欲しい
果たしてヘイトスピーチに狂乱しているバカは、自分達の行動が「醜い」と認識しているのだろうか?
醜いか、美しいのかは主観的感想の域を出ないので、これを基準にしても合理的な見解には辿りつくことが出来ないのである
こうした間違いというのは別に窪田氏に特有のものではなくて、文科系の人達全般に見られるものである
問題の着眼点においてはオイラも同意見なんだけども、マトメの部分での見解が結局観念論で終わってしまっていて、残念ながら論理的分析や対策にまで言及出来ていないというのが残念でならない
「日本人特有の現象」であるかのようにも述べているが、差別やイジメというのはヒト全般に見られるものでもあるので、「傾向性として日本人が強い」という程度だと見るべきであろう
民族性とか組織体質なんてものがどうして出来上がってしまうのかと言えば、これはひとえに無意識だからである
虐待が連鎖するのは、それが無意識だからであり。成育環境下で植え付けられた価値観に何ら主体的疑問も持たずに鵜呑みにし、その場限りの気分感情だけで行動が決定してしまっているからこそ、何の問題意識も働かないバカが出来上がるのである
バカが出来上がる根本原因というのは、ヒトという種の生物に先天的に組み込まれた社会形成習性にある
多数他者や権威とみなした相手に何の疑問も持たずに盲目的に服従迎合してしまうのは、盲目的に服従迎合することによって統率的協調性を発揮することが、生存価にとって有利だったという生物進化上の結果に過ぎない
あらゆる暴走性は、盲目性によって作り出されるものであり。東電福島第一原発の津波に対する脆弱性放置も、日大アメフト部の反則行為も、イジメもヘイトスピーチも毒ガステロも全ては盲目性が原因である
洗脳の基本は盲目性である
疑うことをしなくなることで洗脳は成立する
ヒトという種の生物は、好きな相手の言うことを信じたがり、逆に嫌いな相手の言うことは頭ごなしに否定しようとする習性があるため。結果的に自律的な「考え」をしなくなる性質がある
これは要するに思考が幼稚だからなのだが、その原因というのは、そもそも自発的自律的に物事を深く検証した経験がほとんどないからである
何も考えたことのないバカというのは、何も考えたことのないバカに育てられたからであり。バカは連鎖するのである
異様な卑屈さを発揮するバカというのが時折いるのだが。「卑屈」とは何かすらも自律的には認識する能力がないのでバカが一切治らない
マトモな人ならヘイトスピーチに狂乱しているバカは「醜い」と主観的に感じることが出来るかも知れないが、こうした主観はバカには一切通用しない
「バカ」と一言で述べても、「学習障害」の類とは全く別の次元の話であり。むしろテロリストや通り魔の類の方が学力偏差値が高い傾向が見られるので、学力偏差値は人間としての知能の高さとは無関係でもある 一応 念のため
むしろ、学力偏差値は高い癖に他人に対して順位序列に固執したりする卑屈さこそが、学力偏差値の高さへの異常執着を促したために学力偏差値だけは妙に高いという構造もある
バカがバカたる所以とは、自律的に物事を論理検証しないからなのだが
そもそも自律の源となるはずの自発性や主体性を全く育まれていない哀れな成育環境下で育ったために、自律的な論理検証自体を「出来ない」のである
バカがバカなのは、言うなれば本人の責任ではないとも言えるのだ
シエラレオネのゲリラに育てられた少年が、妊婦の胎児が男か女かを賭けて妊婦の腹を切り裂くなどという残虐行為を平気で行えるようになるのは、そういう環境下で育ったからに他ならない
日大アメフト部員による反則行為に同情する人は多いが、それは部員の環境が詳しく報道されたからであり。それなくしてただ反則行為だけが報道されていれば、障害事件で片付けられる話であろう
相模原障害者施設やまゆり園虐殺事件の植松聖を死刑にしたところで、植松のように自律的な論理検証性が全く働かないバカがいなくなる論理的根拠は何もない
規模の大きさだけで分類したがるのが文科系の観念だが、当然ながらこの観念には論理的根拠が何もなく、シエラレオネであろうが日本であろうがナチス政権下のドイツであろうが、残虐行為を実行しているヒトの頭の悪さの根本原因は同じである
「同調圧力に屈する」かどうか以前の問題として、そもそも同調圧力そのもを強要するバカの頭の悪さを治さないことには差別やイジメの根本治療にはつながらないだろう
◇
「剛力叩き」に限らず、タレントのプライバシーを暴くことで視聴率や発行部数を目的とした報道は、タレントの立場からは一種のハラスメントであることに違いはない
公然とマスコミがハラスメント行為を行っていたのでは、それこそ意識の低い無意識なバカ達が調子に乗って差別やイジメを助長してしまうことにもつながる
一方では「かわいいね。」の一言がハラスメントだ何だと騒ぎ立てておきながら、芸能人に対してだけは特別にハラスメントが許されるという支離滅裂なことをマスコミは平気でする
そっから変えていかないと、恐らく何にも変わらないんじゃないかとオラは思う
さっきも書いたけどさ、事象の規模が違っても原因そのものまで違うわけじゃないんだよね
だから「ハインリッヒの法則」に基づいて考えなきゃいけない
些細に見えるハラスメントが、ホロコースト(大量虐殺)とつながっているんだよね
窪田氏の記事では、「謝罪に追い込まれた」事例が幾つか挙げられているんだけど、謝らなくて良いことまで面倒臭いから安易に謝っておくのも無責任なんだけどね
以前に、人質事件か何かで報道記者の腕章を警察に貸したことをNHKが報道したら、脊髄反射で「人命を優先したとは言え倫理的に問題がありました。」とか謝っちゃった新聞社があったけど。「人命を優先しない倫理。」なんぞありゃしないからな! 何でもかんでもとりあえず謝っておくという慣習もやめた方が良いよ
それこそ同調圧力に屈しているだけじゃんか
他にも言いたいこたいっぱいあるけど、飯の支度があるのでまた今度
窪田順生氏の記事 -yahoo!news
Ende;
ちょっと良く考えて欲しい
果たしてヘイトスピーチに狂乱しているバカは、自分達の行動が「醜い」と認識しているのだろうか?
醜いか、美しいのかは主観的感想の域を出ないので、これを基準にしても合理的な見解には辿りつくことが出来ないのである
こうした間違いというのは別に窪田氏に特有のものではなくて、文科系の人達全般に見られるものである
問題の着眼点においてはオイラも同意見なんだけども、マトメの部分での見解が結局観念論で終わってしまっていて、残念ながら論理的分析や対策にまで言及出来ていないというのが残念でならない
「日本人特有の現象」であるかのようにも述べているが、差別やイジメというのはヒト全般に見られるものでもあるので、「傾向性として日本人が強い」という程度だと見るべきであろう
民族性とか組織体質なんてものがどうして出来上がってしまうのかと言えば、これはひとえに無意識だからである
虐待が連鎖するのは、それが無意識だからであり。成育環境下で植え付けられた価値観に何ら主体的疑問も持たずに鵜呑みにし、その場限りの気分感情だけで行動が決定してしまっているからこそ、何の問題意識も働かないバカが出来上がるのである
バカが出来上がる根本原因というのは、ヒトという種の生物に先天的に組み込まれた社会形成習性にある
多数他者や権威とみなした相手に何の疑問も持たずに盲目的に服従迎合してしまうのは、盲目的に服従迎合することによって統率的協調性を発揮することが、生存価にとって有利だったという生物進化上の結果に過ぎない
あらゆる暴走性は、盲目性によって作り出されるものであり。東電福島第一原発の津波に対する脆弱性放置も、日大アメフト部の反則行為も、イジメもヘイトスピーチも毒ガステロも全ては盲目性が原因である
洗脳の基本は盲目性である
疑うことをしなくなることで洗脳は成立する
ヒトという種の生物は、好きな相手の言うことを信じたがり、逆に嫌いな相手の言うことは頭ごなしに否定しようとする習性があるため。結果的に自律的な「考え」をしなくなる性質がある
これは要するに思考が幼稚だからなのだが、その原因というのは、そもそも自発的自律的に物事を深く検証した経験がほとんどないからである
何も考えたことのないバカというのは、何も考えたことのないバカに育てられたからであり。バカは連鎖するのである
異様な卑屈さを発揮するバカというのが時折いるのだが。「卑屈」とは何かすらも自律的には認識する能力がないのでバカが一切治らない
マトモな人ならヘイトスピーチに狂乱しているバカは「醜い」と主観的に感じることが出来るかも知れないが、こうした主観はバカには一切通用しない
「バカ」と一言で述べても、「学習障害」の類とは全く別の次元の話であり。むしろテロリストや通り魔の類の方が学力偏差値が高い傾向が見られるので、学力偏差値は人間としての知能の高さとは無関係でもある 一応 念のため
むしろ、学力偏差値は高い癖に他人に対して順位序列に固執したりする卑屈さこそが、学力偏差値の高さへの異常執着を促したために学力偏差値だけは妙に高いという構造もある
バカがバカたる所以とは、自律的に物事を論理検証しないからなのだが
そもそも自律の源となるはずの自発性や主体性を全く育まれていない哀れな成育環境下で育ったために、自律的な論理検証自体を「出来ない」のである
バカがバカなのは、言うなれば本人の責任ではないとも言えるのだ
シエラレオネのゲリラに育てられた少年が、妊婦の胎児が男か女かを賭けて妊婦の腹を切り裂くなどという残虐行為を平気で行えるようになるのは、そういう環境下で育ったからに他ならない
日大アメフト部員による反則行為に同情する人は多いが、それは部員の環境が詳しく報道されたからであり。それなくしてただ反則行為だけが報道されていれば、障害事件で片付けられる話であろう
相模原障害者施設やまゆり園虐殺事件の植松聖を死刑にしたところで、植松のように自律的な論理検証性が全く働かないバカがいなくなる論理的根拠は何もない
規模の大きさだけで分類したがるのが文科系の観念だが、当然ながらこの観念には論理的根拠が何もなく、シエラレオネであろうが日本であろうがナチス政権下のドイツであろうが、残虐行為を実行しているヒトの頭の悪さの根本原因は同じである
「同調圧力に屈する」かどうか以前の問題として、そもそも同調圧力そのもを強要するバカの頭の悪さを治さないことには差別やイジメの根本治療にはつながらないだろう
◇
「剛力叩き」に限らず、タレントのプライバシーを暴くことで視聴率や発行部数を目的とした報道は、タレントの立場からは一種のハラスメントであることに違いはない
公然とマスコミがハラスメント行為を行っていたのでは、それこそ意識の低い無意識なバカ達が調子に乗って差別やイジメを助長してしまうことにもつながる
一方では「かわいいね。」の一言がハラスメントだ何だと騒ぎ立てておきながら、芸能人に対してだけは特別にハラスメントが許されるという支離滅裂なことをマスコミは平気でする
そっから変えていかないと、恐らく何にも変わらないんじゃないかとオラは思う
さっきも書いたけどさ、事象の規模が違っても原因そのものまで違うわけじゃないんだよね
だから「ハインリッヒの法則」に基づいて考えなきゃいけない
些細に見えるハラスメントが、ホロコースト(大量虐殺)とつながっているんだよね
窪田氏の記事では、「謝罪に追い込まれた」事例が幾つか挙げられているんだけど、謝らなくて良いことまで面倒臭いから安易に謝っておくのも無責任なんだけどね
以前に、人質事件か何かで報道記者の腕章を警察に貸したことをNHKが報道したら、脊髄反射で「人命を優先したとは言え倫理的に問題がありました。」とか謝っちゃった新聞社があったけど。「人命を優先しない倫理。」なんぞありゃしないからな! 何でもかんでもとりあえず謝っておくという慣習もやめた方が良いよ
それこそ同調圧力に屈しているだけじゃんか
他にも言いたいこたいっぱいあるけど、飯の支度があるのでまた今度
窪田順生氏の記事 -yahoo!news
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