ケンブリッジ入試の論理思考テスト
リンゴ以外のフルーツは2個
バナナ以外のフルーツは2個
サクランボ以外のフルーツは2個
フルーツは合計いくつでしょうか?
この種の問題が40分間に20問出題されるという
だが 残念ながらこの種の「論理思考テスト」でどんなに良い成績を獲得しても現実における間違いや嘘を見抜けるわけではない
なぜなら 予め答えが用意された問題には成績評価という「抽象化された脳への報酬」が用意されているが 現実における嘘や間違いには一切何の報酬も用意されていないためである
イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における「理性を超越した悟性」だの「純粋統覚」だの「人間は叡智界に属している」などといった話に何の根拠も証拠もないカントの勝手な決めつけに過ぎない話に誰も指摘できないのも このためである
フリードリヒ:ニーチェの「名言」の類のほとんど全てがニーチェの主観的感想に過ぎないことにも誰も気付かず
進化生物学において「進化は選べない」ことや「進化に目的はない」ことに基づけば「生存戦略」という概念が根源的に間違っているのであり これも誰一人として指摘していないのである
ケンブリッジ大学でどんなに成績優秀で卒業していても これら科学や哲学上の重大な誤謬には誰も指摘できない
松丸亮吾はこの種の問題が得意なようだが 何一つ現実社会の嘘や間違いを指摘したことはない
文章的に理解が難解なこの種の問題というのは 過去に経験値があれば短時間で解くことができるのであって 短時間で解いたからといって未経験の嘘や間違いに気付けるわけではない
養老孟司の著作が一切何の役にも立たないことにも誰も気付くことはなかったが これも予め「世の中の著作の何が嘘や間違いなのか発見しなさい」といった命題には評価成績という「抽象化された脳への報酬」が一切用意されていないからであり
むしろ「東京大学名誉教授」という肩書に畏れを主観的に「感じ」ることによって 疑うことに対する恐怖心や罪悪感が優先することで誰も疑うことなく 養老の著作を読んで「自分は頭が良くなった」などと倒錯するバカしかいないのである
マイケル:サンデルの「トロッコ問題」に倫理的意味が一切存在していないことにもハーバードの偏差値の高いだけのバカ学生の全員は誰も気付かず むしろ「人気」を集めていたという盲目洗脳状態に陥っていたのである
ヒトは自分の脳に「報酬」が用意されていなければ 自発的には一切何も論理検証などしないバカなのである
それ故 リベラルアーツと称してイマヌエル:カントだのフリードリヒ:ニーチェだのを教え込まれれば その内容に根拠や証拠が一切存在していない事実には誰も気付かず むしろ成績という「抽象化された脳への報酬」欲しさに鵜呑みにするのである
「大学で教えていることなら 全て正しいはずだ」という観念によって 学力偏差値が高いだけのバカ学生共は一切何の疑いも持たずにカントやニーチェや進化生物学における「生存戦略」といった嘘や間違いに気付かず 一切指摘できないのである
ジーン:シャープ(1928~2018)は独裁政権の要因として以下を挙げている
○習慣
○制裁への恐れ
○道徳
○自己利益
○支配者との心理的一体感
○無関心
○不服従への自信の欠如
まず言えるのは 独裁政権の要因としての「道徳」とは何の意味があるのか
「たかし君は優しい気持ちになりました」といった主観的な「道徳」の授業でイジメがなくなる統計的立証もなければ 犯罪が減る根拠も証拠もなく むしろ論理思考を撹乱し独裁支配であろうが何だろうが唯々諾々と忠誠忠実さを発揮する盲目な洗脳者を大量生産してしまう大きな要因ともなっているのである
主観的に「正しいと思った」からといって それが論理客観的に正しいかどうかを「考え」なくなるからバカになるのである
「考え」ない奴を「バカ」というのである
ジーン:シャープが見落としていたのは ヒトという種の生物の先天的な認知的に重大な欠陥によって ヒトは自分が主観的に「信じたい」相手に唯々諾々と服従忖度しその多数の迎合同調によって自己の盲目性を誰もが認識しようとしなくなる「習性」が存在していることである
なぜ「支配者との心理的一体感」をヒトが持つのかと言えば それこそが先天的に安心で満足だからである 主観的に安心満足してしまえば自己客観的に自分の行動選択を検証しなくなるのは必然である
たとえ学力偏差値の高い日本大学の職員であろうとも 腐敗した田中英寿理事組織体制であろうとも唯々諾々と服従するのであり 「学力偏差値と知能には相関がない」ことは認知科学的にも立証された話である
東京大学医学部の学生が地下鉄毒ガステロを引き起こしたことを忘れ 学力偏差値の高さを短絡的に「頭が良い」と「解釈」したまま何の疑いも持たないのも ヒトの頭の悪さの一面である
有名大学でも卒業しておけば 学歴を盲信している人事担当者ばかりの企業への就職に有利であろうが そもそも学問というものは就職のためのものではなく 真理(本当のこと)を探求し 嘘や間違いを見抜けなければただのデクノボウに過ぎないのである
何が真理で 何が嘘や間違いなのかを見分けられなければ 当然盲目的洗脳に陥っても何の不思議もない
小川仁志がNHKで「ロッチと子羊」という番組で「お悩み解消」と称して主観的な「悩み」をいくら解消しても そもそも哲学というのは論理客観的に真理(本当のこと)を探求するためのものであって ご都合主義的に解釈をこじつけて主観的「悩み」を解決するためのものではない
こんな番組を「哲学」だと倒錯して教育番組だと称して垂れ流しているというのは受信料を徴収している視聴者国民に対する詐欺ペテンである
Ende;