書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

コチドリ

2022年05月31日 19時42分11秒 | 写真

岩渕水門の近くで聞き慣れない鳴き声がしたので写真に撮ってみた

ググってみたら「コチドリ」らしい

 

道路脇に消防車

赤色灯もないし 「東京消防庁」とも書いてないけど

どう見たって消防車

しかも川崎ナンバー

なぜ?

 

 

Ende;

 

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山本芳久 東京大学大学院総合文化研究科教授

2022年05月31日 15時17分29秒 | 意識論関連

アリストテレスのニコマコス倫理学では「友愛が善」などと主張しているが

暴走族同士でいくら仲良くなっても善にはならない

ニコマコス倫理学というのは 論拠が全てアリストテレス個人の主観的感想「○○と思われる」ばかりであり

論理客観的論証の形をなしていない

「倫理にゆらぎがある」だのといったあやふやで根拠の乏しい話を「哲学」的真理であるかのように錯覚するのは頭が悪すぎる

東大大学院でこんなあやふやな話を高額な授業料を徴収して教えているというのは 社会に対する冒涜である

哲学界というのは おしなべて批判精神が乏しく 古典的著書をただ漫然と教えているだけであって 内容の精査などが全くされておらず

故にイマヌエル:カントの「純粋理性批判」のようなオカルトファンタジーまでもが「哲学書」として扱われ しかも「近代哲学の最高峰」とまで形容されているという トンデモナイ大失態をやらかしているのである

そんなことだからマルクス:ガブリエルだの養老孟司の嘘やデマすらも見抜けないのであって 東京大学はほとんど痴呆状態であり オウム真理教幹部を輩出した失態に対する反省が全く見られない

 

科学や哲学というものは 客観的根拠に基づいた真理(本当のこと)を見極め 峻別するためのものであって

気分が良くなるような都合の良い身勝手な解釈をして安心満足して思考停止に陥るためのものではない

本来哲学というものは「科学の帝王」であり 生物学における遺伝的進化に対する「典型的な間違い」をも指摘すべき立場にありながら 未だにバカ「哲学者」共は理解すらしておらず 未だに「○○のために進化を選んだ」だの「進化は賢い」などという非科学的オカルトの蔓延を傍観放置しているのである

これは社会に対する背徳行為であり 即刻山本芳久のような無能なバカは更迭すべきである

 

 

Ende;

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盲目という快楽

2022年05月31日 11時46分51秒 | 意識論関連

子は親に対して盲目性を持っている

哺乳類の子供の多くは親なくしては生き延びることができないため 自ずと親を盲目的に信頼し頼る先天的習性を持つ個体種への収斂進化が促されている

子供は それが合理的かどうかに関わらず 親に対する盲目的信頼をしておけば安心する本能的習性を持っているから盲目的信頼をするのであって こうした本能習性というものは「親に対して盲目的信頼をしなかった個体が生き延びられずに淘汰された結果」的な収斂進化であると言える

イヌやニホンザルなどの「社会性(封建的序列社会形成習性)」を持った哺乳類の場合 血縁続柄を超えて集団組織の内部の特定個体に対して盲目的服従対象の転移が生じ これが「群れのボス」に対する盲目的信頼や服従行動として統率的協調行動も促すようになる

 

生物学的な「社会性」を持たない動物の場合 「怖い」相手からは単純に逃げようとするが 「社会性」を持った動物の場合には集団の中で「自分よりも上」と見なした相手に対して 腹などの急所を向けて服従することを提示することがある

こうした行動は 「親」に対する行動が群れの中での順位序列が「上」と見なした相手にも行われているのであり イヌは怖い相手に服従することで集団の序列順位が決定し 統率的協調行動が促されるようにもなる

イヌは別に合理性に基づいて順位序列を作っているわけではなく 群れの中で順位序列を形成していることに安心感を持つ習性があるために順位序列が結果的に形成されているに過ぎず イヌ個体が「考えて」統率的協調行動をするために順位序列を形成しているわけではない

イヌが「自分よりも上」と見なした飼い主に対する盲目的服従性というものは尋常ではなく 異常な興奮まで伴うものであり まるで薬物中毒の如く飼い主に媚びへつらうこともある

 

ヒトの左側頭葉の一部に 強力な磁気刺激を与えると 「神を感じる」と言われている

「神」だと感じているということは それが「快楽」だから「神」だと感じるのであって 嫌悪感であれば「神」だとは感じないはずである

ヒトもまた 自分よりも順位序列が「上」と見なした相手に対する盲目性を持っており 血縁続柄に依らず「安心して盲目的信頼をしておける対象」として「権威」に対する盲目性を発揮するようにもなる

ヒトは権威だと見なした「自分よりも順位序列が上」の相手を盲目的信頼しておくことで 気分的に安心満足する「甘え」を持っており これによって統率協調性も発揮することにより「大きな力」も発揮することが可能となり ヒトの祖先は環境資源の奪い合い競争においても勝ち抜くことが可能となったのである

しかし これはあくまで本能習性によって促される無意識な行動バイアスに過ぎないため 合理的目的の有無に関わらず発揮されることもしばしばあり 子供や海上自衛隊や企業内部におけるイジメにおいても発揮される原因ともなる

日本大学における組織腐敗においても 田中英寿理事長をトップとする封建的順位序列が形成され続けた原因も 「自分よりも上」と見なした相手に対する「畏れ」の感情が働いていたために 盲目的服従迎合性が働き 組織腐敗を長年傍観放置する大きな要因ともなったのである

「怖い相手には逆らいたくない」と同時に 「怖い相手に服従」することによって統率的協調行動が促され 恐怖によって形成される順位序列は群れの統率者の主観的気分や個人的好き嫌いだけで差別排除の対象も決定してしまい 何の合理性もない差別や不公平が組織集団内部に蔓延してしまうのである

ヒトはそもそも先天的に平等が嫌いなのである

主観的に「怖い」相手に媚びへつらい 盲目的に服従し 組織の利益を優先することによって 自律的な社会的責任判断すらも放棄するようになる

暴力的で「怖い」集団に対しては ヒトは逆らうことが嫌なので 暴力を旨とした集団には逆らわなくなる傾向が強く だからこそ自律判断の難しい子供においてはイジメはほとんど必ず生じるようになるのである

先天的な本能習性として 統率的協調行動をすることにより 暴力的差別を旨とした集団への迎合や同調こそが 主観的に安心で満足感を得られるものなのである

「人間」としては卑屈で卑劣な暴力的差別というものは 「ヒト」という種の生物としては中毒的快楽によって促される本能習性でもあり だからこそSNS上では根拠のない誹謗中傷や差別が蔓延し 卑劣な独裁国家も後を絶たないのである

 

イヌ科の動物は 配偶交配による変異が大きく イヌは品種改良をするとネコよりも非常に多くのバリエーションを拡大することが可能である

ロシアにおけるキツネの人工繁殖実験では 数世代で様々な見た目や性格のキツネが発生するのだが 実際の野生環境下においてはキツネは見た目も性格もほとんど同じものしか見ることができない

キツネが繁殖において見た目や性格といった遺伝的性質をコントロールできるわけもなく 本当は見た目も性格も様々な個体が産まれてきてしまうのだが 群れに馴染めない個体は群れから差別排除されることで見た目や性格が一定に保たれているために 自然界ではバリエーションの拡大が見られないのである

イヌ科の動物は一度に数匹の子供を産み 生涯ではたくさんの子供を産んでいるにも関わらず そのほとんどは死んでしまうことで 本来天敵のほとんどいない環境においても個体数が一定に保たれているのであり それはイヌ科の動物の群れの中での民族浄化バイアスが働くことによって個体数の安定化が促され 生態系とのバランスも取られているのである

 

先程も述べたが ヒトは先天的に平等が嫌いである

ヒトが同質性を求めたがる習性によって差別排除が促されてしまうのも ヒトが平等を忌み嫌い 少数異端を差別排除することが先天的に安心満足感を得られる先天的本能習性として組み込まれているからである

こうした行動習性というものは 現代社会においては何の合理性も持たないが 先天的本能習性というものは祖先の生息環境に依存した淘汰圧力の「結果」であって 合理的「目的」とは相容れないものであるとしても選択することはできないのである

「平等が嫌い」という時点で ヒトという種の生物には先天的な人間性などなく むしろ非人間性こそが先天的に組み込まれているのであって 山極寿一やリチャード:ドーキンスら生物学者が提唱する「先天的人間性」などというものは 大衆をヌカ喜びさせるだけの非科学的デマでしかないのである

 

ヒトは神の名の下に差別排除を行う

ヒトは平等があまりに嫌いなために 自分達と同じ神を信じない異教徒や無神論者を「自分よりも序列が下」だと見なして民族浄化を行う先天的な人間性としての欠陥が存在しているためである

本当の有神論者であれば 神の代行として暴力的懲罰や差別排除はしないはずなのだが エセ有神論者というのは本当は神の存在など全く信用していないために 何もしてくれない神の代行として差別排除を統率協調的に行い満足しようとするのである

それは「人間の神」ではなく 「イヌ野獣の神」でしかないのだが 自分の頭で物事の真偽を見極める能力のないバカだと暴力的差別を旨とした「イヌ野獣の神」への盲目的服従によって動物本能的満足を求めるようになるのである

ナチスによるユダヤ人大量虐殺や 旧日本軍による特攻や イスラム教原理主義者による自爆テロというものも 優生学の神や天皇やイスラムの神の名を借りた「イヌ野獣の神」への盲目的忠誠忠実さによるものであり 真実を見極められない頭の悪さ 認識の甘さに起因する「間違い」なのである

そもそも遺伝的進化というものは自然現象に過ぎず 自然現象を万能の神として盲目的に崇めるゾロアスター教によって優生学が科学とすり替えられたのであり 膨大な淘汰圧力を伴う遺伝的進化をヒトに適用しようとする発想そのものが科学を逸脱したオカルトなのである

 

ヒトは 自分の主観的「感覚」こそが 自分の意識の主体や本質だと「感じ」ているが そう「感じ」ていることそのものが主観的「感覚」に過ぎず そこに錯覚が混入する可能性を自覚していないからこそ 自己客観的な論理検証というものをしなくなるのである

ヒトは所詮動物であり 主観的好き嫌い(情動)が行動選択の主体であることにおいては 他の動物とほぼ一緒である

だが ヒトには論理客観的に物事を検証し 考え 本当に求めているものとは何かという目的意識に基づいた理性による行動選択「も」可能であり 社会安全性や公平性といった人道に基づいた目的意識的行動選択「も」可能ではある

目的意識的行動選択「も」可能ではあるものの そのためには自発的思考 自律的判断選択能力というものが必要不可欠である

何も考えないバカであれば 先天的本能習性のままにしか行動判断ができず 嘘やデマや間違いを真理だと勘違い錯覚したまま行動すれば 間違った行動に陥るのは必然というものである

 

 


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イヌ野獣の神

2022年05月30日 20時58分04秒 | 意識論関連

実証不能の神なんぞを信じて一切疑わない者というのは 「信じたい自分」の主観的感覚を絶対だと思っている傲慢さがあるもんだから 自己客観性というものが全然なくて すぐ怒り出すので面倒臭い

「神を信じている」んじゃなくて 「神を信じている自分のことを盲目的に信じている」だけなので 本当は実証不能の神なんか信じてないもんだから すぐに神の代行として暴力的懲罰による最終解決に走ろうとする

やれ「不可知論者」だの「多くの人は実証不能の神なくしては生きられない」だのと エセ有神論者のご機嫌を損ねないようにするためのはぐらかしの屁理屈ならいくらでも出てくるんだが

本当に神を信じているならいちいちヒステリー起こさなくても良いだろうと思うのだが 主観的に気に入らない相手を攻撃することを正当化してすぐに暴力的解決に暴走しようとする

もし本当に神が存在するというのであれば 悪いことをする奴はヒトがいちいち神の代行で懲罰を加えなくても 神が悪人は罰してくれるんだから「暴力で解決」する必要なんかないはずなんだが

エセ有神論者ってのは本当は神なんぞ信用してないもんだから ヒステリックに自分で神の代行をしようとする

「神が偉い」んじゃなくて 「神を信じている自分が偉い」と思っている

神の威を借りて 自分が異教徒や無神論者よりも偉いと思っている

それはもう 暴力団に所属していることで「俺様はヤクザだぞ 怖いんだぞ 俺様はお前らよりも偉いんだぞ」って言っているバカと一緒

神という自分よりも「上」とみなした対象に媚へつらい畏れ 恐怖によって盲目的に忖度服従することによって 自分達と同じ神を信じていない相手を「下」とみなして差別する

しかも集団統率的協調行動で攻撃する

それはもう「人間としての神」じゃなくて 「イヌ野獣の神」でしかないのだが 何せ自分の主観的感覚として全能感に溺れているために自己客観性というものが全然働かない

ロシア正教徒でありながらウクライナ侵攻を正当化しようとする

日本でも天皇を神と崇めながら中国侵攻に熱狂したことがある

古代から中世近代に至るまで暴力と侵略の歴史であり これはヒトという種の生物の先天的本能習性として 環境資源の奪い合い競争が本能として組み込まれているからである

民族国籍に依らず 大多数の衆愚は実証不能の神を盲目的に信奉することによって 他人に多大な迷惑をかけるものなのである

 

「多くの人は 実証不能の神なくしては生きられない程弱いもの」などという話も 所詮は「キリスト教ビジネス利権者の生活のため」のはぐらかしに過ぎない

本当は誰も強くも弱くもないし 誰も永遠に生きられるわけでもない

弱者を気取って被害者面しておけば特別扱いしてもらえると思っているから「生きられない程弱いもの」などと決めつけているだけであって 客観的根拠や統計的根拠があるわけではない

本当は神がいようといまいと「死ぬ程弱く」なんぞありゃしないのであって 実証不能の神の威を借りておけば「強く」なったような感覚に陥って満足できるだけの話に過ぎない

 

フリードリヒ:ニーチェは 実証不能の神の代わりに 科学的根拠のない「超人」なんぞを提示して気分的な安心満足感を提供しているに過ぎない

ヒトは主観的に満足すると 問題意識も喪失して何も考えなくなる

ニーチェの言っている内容には 根拠がなかったり 基準の曖昧な決めつけばかりであるが 読み手が都合良く勝手なこじつけが可能であるために 衆愚人気があるに過ぎない

ゾロアスター教の神なんぞというものは超自然的な絶対的存在であって これが遺伝的進化万能論と結合すると優生学などというオカルトが科学的論証のように扱われるようになってしまうのである

 

ヒトの意識を超越した 実証不能の謎の力学によって 「ヒトが正しい方向へと無意識に導かれるのではないか」という妄想錯覚がヒトにはある

私にはないが

それは 子供が親大人達の言うことを盲目的に信用しておくことの安心感が 大人になって本来自分自身で物事の真偽を判断しなければならない責任があるにも関わらず これを放棄し 謎の「無意識的誘導によって自動的に人間性が発揮されるはずだ」という願望だけが暴走しているだけの話に過ぎない

どんなに強く「信じたい」と主観的に「思った」ところで 「信じて良い」ことの論拠にはならない

「信じたい」のは主観であって 本当に「信じても良い」かどうかは自分の頭で考え 責任を持って論理客観的に判断しなければならない

 

「不可知論者」などというはぐらかしも 「ボクちんバカなのでわかりませーん」とトボケているだけであって 本当は実証不能の神が役に立たないことは知っているのである

ただ 「無神論者だ」と言うと エセ有神論者の観念上では「神がいないなら何をしても許される無法者」みたいに勘違いされて拒絶反応が激しいもんだから 不可知論者だとはぐらかしているだけの話に過ぎない

神がいようといまいと 神が許そうが許すまいが 社会安全性や公平性を基準にしなければ人間性もスッタクレもあったものではない

神にいくら祈っても信じても 温室効果ガス削減にも 戦争や犯罪の撲滅にもならないのである

祈ったり信じたりしておけば 主観的には安心満足なのかも知れないが その主観的安心満足のために論理客観的真理を求めなくなることこそが 「人道」に対する冒涜なのである

自分が信じている「神」が 本当に人道に基づいた「人間としての神」なのか それとも身勝手な主観的満足感を得るためだけの「イヌ野獣の神」なのか それを見極めるのは自己客観性である

 

私は神の存在は信じていないが 人道に基づいた「人間としての理想」の姿がどういうものなのかは見極め識別したいとは思っている

強くもなければ 弱くもない 安心か不安かもどうでもよろしい それらは全て私の個人的主観に過ぎないからだ

ただ 社会持続可能性や安全性 公平中立性が担保されない社会を求めないだけである

 

 


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撮影ブースの自作

2022年05月30日 16時38分39秒 | 日記

週間わたしのおにいちゃん

窓に乳白ポリエチレン袋を2枚重ねにして貼り付け(異方性があるので向きを変えるのがミソ)

周囲をポテチ袋の貼り合わせで作った反射材で覆って撮影

光源が面光源であれば周囲はギラギラの反射フィルムでも柔らかい光になる

タブレットのカメラでもキレイに撮れるかなと思ったが やっぱ11,800円のAndroidタブレットでは無理ゲーだった

そもそもオートフォーカスとかじゃないからピントがズレている気がするし 露出もあんま調節できない


 ◇


S&W M386

ホルスターは4インチ用なんだけど

銃そのものは2.5インチ(だったと思う)

拳銃で銃身長いのって 何か嫌いなのよね

いや もちろんプラスチック製のオモチャだけどね

 


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意識を超越した潜在知能

2022年05月30日 11時48分37秒 | 意識論関連

ヒトに限らず 動物というのは基本的に情動バイアスによって行動が決定する

気分が良くなるように行動が促されるのが基本であり 論理客観的真実かどうかは優先されない

だからこそヒトの多くは実証不能の謎の観念を簡単に鵜呑みにし 他人に多大な迷惑をかけてしまうのである

 

ヒトの多くは ヒトという種の生物でさえあれば自動的自然に人間性が発揮されるものだと勝手に妄想している

なぜならば そう「思って」おけば安心満足で気分が良いからだ

ヒトは 先天的には自分の頭で物事を論理客観的に考え 何が真実なのかを自律的に判別しようとはしないものであり 自分の感覚(直感など)のままに判断していれば 常に正しい判断になるものだと主観的には「思って」いるのである

ヒトの多くが実証不能の謎の神の存在を信じたがるのも 「実証不能の神を信じたい」という先天的欲求が先行し 論理客観的に実在するかどうかの判断は優先しないからである

 

「ヒトの多くは実証不能の神なくしては生きられない程弱いもの」などという話は養老孟司や遠藤秀紀がキリスト教系神学校で教師から教え込まれがちであるが 実際には実証不能の神の存在が客観的に立証されなくても死ぬ人などおらず キリスト教をビジネスとしている神学校の教師特有の都合の良いはぐらかしに過ぎない

現実には実証不能の神の名のもとに殺し合いが行われていることの方が圧倒的に多く 

実証不能の神を信じているような人程 プーチンやトランプのような「強い」為政者も信じ込むポピュリストでもある

論理客観性がないのだから そりゃポピュリズムになるのは必然というものである

ポピュリズム 大衆迎合というものは 要するに「ヒト」という種の生物における先天的な快楽のバイアスに則った人気取りであり 多数のヒトが気分の良くなる話 安心する話をしておけば ヒトの大半はそれが論理客観的合理性を伴った真実かどうかは 先天的には興味がないのである

 


「意識的に自分で考えて判断しなくても 無意識によって正しい判断が促されるのではないか」という主旨のことを能町みね子が言っていたことがある

「潜在知」などという言葉もある

これらはヒトには先天的に人間性が組み込まれていて 自分で意識的に考えて行動選択をしなくても 気分感情のままに行動しておけば自動的自然に正しい結果に導かれるかのような根拠のない妄想に基づくものであるが

こうした妄想を信じ込んでいた方が 主観的には安心満足感が得られるために ヒトの多くは自分の頭で物事を論理客観的に考え 判断することをしたがらないのである

自分の考えを超越した 実証不能の謎の知能が ヒトには先天的に組み込まれていて 進化的に正しい行動しか促されることのないようにヒトは進化しているとでも思っておきたいようなのである

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における「理性を超越(逸脱)した謎の悟性」だの 「純粋統覚」だの「絶対に知覚することのできない叡智界」などという荒唐無稽なオカルトファンタジー妄想話を あたかも論理客観的根拠のある真理の論証に基づいた「哲学」であるかのように 多くのヒトが錯覚するのも それが「信じたい話」だからであって 主観的に安心満足感が得られるから信じているだけなのである

 

論理客観的に物事を判断できる者にとっては こうした荒唐無稽なオカルトを信じているヒトは極めて少数派で 大部分のヒトは自分と同じように実証不能な謎の観念など信じていないものだと 感覚的には「思って」いるものだが

これは 論理客観的に物事を判断している者だけの「直感」的感覚に過ぎず ヒトの大部分は「科学を信じている」にも関わらず 現実には「学術的権威肩書を盲目的に信奉している」だけであって 決して自分の頭で真偽の判定などしていないのである

 

ヒトは先天的には多数や「多数によって承認された権威」の言うことを盲目的に信用し 多数派に迎合同調しておけば主観的にも安心満足感が得られるというバイアス(偏り)があるため 自分の頭で物事を考え判断しようとはしたがらないものなのである

そもそもヒトは 産まれてくれば初期的には必ず「子」であるため 先天的に「親」を盲目的に信頼し 依存し 服従する習性がある

これが血縁続柄を超えて集団の中における「上」と見なした権威などの対象への盲目的服従「パターナリズム」として発揮され ヒトの多くは権威肩書への盲目性を発揮することで封建的順位序列に基づいた差別や理不尽な過当競争にも陥るようになるのである

イヌが異常なまでに飼い主に媚へつらうのは イヌにとって飼い主が神も同様だからである

ヒトであっても 子供のうちは親が神同然であり たとえ虐待するような親であっても 親から引き離されることには恐怖を感じてしまうものでもある

神とは 要するに子供が親を求める本能的行動バイアスが作り出した妄想なのである

自分で物事を判断し 自律的に社会的責任判断選択などしなくても 権威肩書を持った他人任せにしておけば あらゆる責任判断も権威肩書に丸投げできるものだと そう「思って」おけば安心であるため 「信じたい話」として信じようとするだけであって それが本当に人間として正しい判断であるかどうかすらも 自分では考えたくはないのである

 

ヒトは暴力的な相手には逆らいたくないものである

多くの他人が暴力者に迎合し 忖度していれば 自分だけが暴力者に反逆することに対しての「恥ずかしさ(恐怖)」を抱き

暴力的権威によって形成される集団に同調し属しておくことで 組織体制への「適応」することは 生存や「繁殖の継続」においては有利に働くため 進化的には暴力者に服従する卑屈な習性を持った個体への収斂進化が促されているのである

だから日本大学のような組織腐敗が起きるのである

これは珍しいことではなく 「会議」と称して取引先や上司など他人の陰口を言い合って差別を共有し 仲間意識を満たして満足している企業がほとんどである

アリさんマークの引越社による経営取締役達の異常な社員差別も ヒトの先天的な順位序列による差別をしたがる行動バイアスによるものであり 子供じみたイジメが企業内や海上自衛隊で蔓延するのも 無意識な情動バイアスによって導かれた結果である

 

イヌの服従性を利用すれば 介助などに有効利用することも可能ではあるが これはあくまで訓練次第である

イヌの「直感」的行動バイアスとして ヒトにとって都合の良い行動を採るように訓練すれば介助犬として有効利用も可能であるが 「直感」という主観的感覚は 学習される「正解データ」に依存するものであり ヒトにとって都合の良い行動をするように訓練せずに イヌだけで集団を形成させておけば野犬の群れになるだけである

イヌは自然界においては凶暴な「野犬の群れ」にしかならない

イヌというのは先天的に凶暴な「野犬の群れ」を形成することによって獲物を統率協調的に捕獲し 自然界における弱肉強食の生存競争に勝ち抜くことができるのである

遺伝的進化というものは あくまで過酷な自然環境下における弱肉強食の生存競争による淘汰圧力によって収斂が引き起こされるのであって 人間社会に生存競争による遺伝的進化を持ち込むというのは「脳が壊れている」としか言いようがない

 

山極寿一は「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などと称して大衆から人気を集めているが 京都大学学長を務めたことがあるからといって 言っている内容に科学的根拠が伴う保証にはならない

原発の危険性を傍観放置した東京電力社員達や 日大の組織腐敗を傍観放置した職員達 プーチン政権に服従迎合している政権幹部達に「先天的な人間性」が存在していると言えるであろうか

「先天的な人間性」が存在していることにしておけば あたかも自分という「ヒト」が先天的に優秀で 自動的に人間性に基づいた行動選択へと無意識に導かれるかのように妄想しておけば満足だから「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという論理的根拠のない話で満足し 「信じたい話」として信じているだけであって 本当は誰も科学的根拠など興味はないのである

 

ヒトは所詮動物であり 先天的には主観的に気分が良くなるようにしか行動選択が促されることはない

衆人環視下では善人を装うが 腐敗組織内部では封建的順位序列競争に邁進し 他人を蹴落とすことしか考えなくなる ヒトとは先天的にそういうものなのである

Microsoft社のTwitterAIが SNS上の数多くのヘイトスピーチを「正解データ」として学習してしまう程に差別は蔓延しているのであり これは同時に統計的事実でもある

それでも「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという話を信じこもうとするのは 「脳が壊れている」としか言いようがない

 

人間性というものは 何が真実なのかを判別する能力が必要であり 「本当の目的」を忘れて目先の快楽や満足ばかりを追及しているから人間性を欠いた身勝手な実証不能の観念を振り回すようになるのである

社会安全性や持続可能性 公平性や中立性といったものも それが本当に安全性にとって最も合理的なのかどうか 公平中立性にとって合理性があるのかどうかの見分けがつかなければ人間性としては機能しない

司法ビジネス利権者達にとっては 判決だけが目的であって 司法判決というものが社会安全性や 本当の社会的公平性や中立性において合理性があるかどうかは「知ったことではない」のである

通り魔を死刑にしたら「解決」であり 「なぜ通り魔などという何の合理性もない行動を採るようになったのか」についての徹底した原因究明や再発防止策など 司法ビジネス利権者にとっては制度上「儲け」にならないから興味も持たないのである

通り魔が暴力で解決しようとするのも ヒトの大半が「司法判決で解決」だとみなすのも 結局は主観的気分による満足に基づくものであって 論理客観的に合理性を伴った社会安全性に基づく判断ではないことに違いはないのである

「テロを準備したら刑罰だ」などという法律も 結局は「テロで解決だ」と思っているテロリストと 発想の短絡性そのものは同じものであって その短絡性そのものに合理性がないことには誰も気づかないのは 端的にいって何も考えない「バカ」だからである

テロを準備していたら それは確かに危険ではあるから身柄を拘束するなどの処置は必要だが 罰を与えても「なぜテロで解決だと思っているのか」についての原因究明には全くならない

そもそも「罰(判決)で解決」という判断の短絡性を棚上げにしておいて 「テロ(暴力的懲罰)で解決」というテロリストの短絡性に言及することはできないのである

 

軍隊のような服従統率や「規範意識」に対して 大衆マスコミの大半は「社会性」や「人間性」であると主観的には思って安心しているようだが

規範や規則に対する盲目的服従性というものは 極めて機械的な手続きに過ぎず 「薪ストーブの灰を肥料として販売したら犯罪」になってしまうような運用も可能なのであり

軍隊というものは戦争のようなバカげた行為であっても為政者にとって便利に使える非合理なものでもある

日大アメフト部による違反行為も 指導者による威圧的命令に対する盲目性が促したものであって 服従統率というものには人間性など存在せず むしろ盲目的服従や順位序列による差別や迫害の原因にしかならないのである

それでもヒトは 神や権威に盲目的に服従することを求めるものである

それは 先天的本能として求めているからであって 主観的な満足安心が優先しているからであり 権威に服従していれば判断責任は権威に丸投げできるという安心感も伴うからである

それは 小さな子供が親に叱られるかどうかでしか行動判断が出来ないのと同じであり こうした「甘え」こそがヒトの先天的無責任性や非人間性というものの原因となっているのである

能町みね子のように 「意識的に何かを判断しなくても 無意識な知能のようなものが働いて 正しい結果へと導かれる」などという主旨の発言をしだすのも 自分で物事を判断するという責任意識を放棄し 権威や神や遺伝的進化にでも行動責任を丸投げしておいても構わないという無責任な盲目性を発揮しておけば 主観的に安心満足感が得られるからであって 当然ながら論理客観的にそれが正しいことの根拠なんぞありはしないのである

 

SNS上でヒトの多くがヘイトスピーチに邁進したがるのは 他人をバッシングしておけば自分の方が優位に立てたかのような「感覚」が得られるからであり 差別や序列を勝手に作り出すことでしか自己肯定の方法を知らない憐れなバカによる身勝手な正義の振り回しに過ぎない

 

ヒトという種の生物 それは自分も含めたあらゆるヒトという種の
「動物」であり 遺伝的進化によってヒトにまでは進化したものの 現代社会を形成することによって自然界の過酷な生存競争から逃れ 安全で公平な社会を求めること「も」ヒトには可能となったが

同時に祖先の生息環境によって組み込まれた生存競争(殺し合い)への行動バイアス「も」存在しているのである

断片的な利他的行動だけを都合良く抽出してきて「先天的人間性」などと称して主観的に安心満足するのは簡単であろうが それはヒトの先天的なあらゆる人間としての欠陥を無視した都合の良い「こじつけ」でしかないのである

遺伝的進化による現存生物種や生態系の恒常安定性というものは あくまで過去の進化の過程における膨大な淘汰圧力によって 恒常安定性を獲得した生物種や生態系への収斂結果に過ぎず 環境が変われば簡単に絶滅したり異常繁殖して結局は生態系ごと死滅に至ったりするものでもある

ある程度のホメオスタシスの原理は働くとしても それはあくまで特定環境変化の範囲内においてのみ働くものであって あらゆる環境変化に対応できるようなものではなく 許容範囲を超えた環境変化は生態系を著しく破壊し 元通りに恒常安定性を獲得するまでは再び幾度もの「失敗」を繰り返さなければならないのである

遺伝的進化というものは あくまで恒常安定性を獲得できなかった変異個体の全てが死滅することで 恒常安定性を獲得した個体種への収斂進化が促されるのであって 淘汰圧力という死滅なくして進化など起きないのであり 大手町の医師が言うような「死んだら困る」から「環境に適応した変異だけがどんどん起こる」などという「後天的に都合の良い進化」しか促されるようなものでは断じてない

 

ヒトは既に地球環境を喰い尽くさんばかりの異常繁殖に至っているのであり ウイルスにとっての生息環境(宿主)としては 別に何人死のうが豊富な生息環境の中では共存進化する淘汰圧力など働く必要性すらないのである

風呂場のカビは いくら掃除してもヒトとは共生進化など起きないし ゴキブリはいくら駆除しても猛毒のボツリヌス菌を媒介してしまう性質がなくなるわけではない

ウイルスは異常繁殖した生物の数を「整理」する役割や働きがある

それは別に目的があって役割や働きがあるのではなく 生態系の進化の過程において生態系の恒常安定性に役に立ったから その役割や働きを持ったウイルスが遺ったのであって 異常繁殖したヒトの数を「正常な数」に「整理」するまで弱毒共生進化は生じない

それがヒトにとって後天的に「都合が悪い」としても 後天的「都合」は遺伝的進化には影響を及ぼさないのである

実際の自然界においては赤潮ウイルスは赤潮を解消するまで赤潮プランクトンを死滅させ続けるのである

 

遺伝的進化によって バクテリアがヒトにまで進化したからといって ヒトという種の生物がヒトを超越した実証不能の謎の超人にまで進化するわけでもなければ

遺伝的進化によって無意識に人間性が発揮されるような都合の良い進化が「終わって」いるかのように妄想するのは それがヒトにとっては安心で「信じたい話」だからに過ぎない

ヒトは現代社会を作ることによって 過酷な生存競争から逃れたのであって 生存競争による淘汰圧力から逃れた以上は遺伝的進化が促されることはない

つまり 遺伝的進化というものは ヒトにまで進化を促した時点で それ以上の人間性のようなものまで作り出してくれるような都合の良いものではなく むしろ祖先の生息環境における過酷な資源の奪い合い競争の名残りとしての習性によって ヒトは順位序列による差別や迫害 懲罰などの暴力によってのみ「解決」だと錯覚する「人間としての欠陥品」なのである

先天的なハードウェアとしての欠陥があるとしても ヒトには論理客観的に真理を見分ける能力「も」持ち合わせており 後天的にソフトウェア的パッチとして先天的欠陥を補う能力「も」発揮可能性が存在するのである

そのために必要なのは 自分の主観的「感覚」というものが 単なる動物的な行動バイアスという無意識に過ぎないことを理解することである

主観的 情動的に「信じたい話」かどうかではなく 論理客観的に「信じるに価する真実なのかどうか」を識別することが 人間として必要となるのである

嘘やデマと 真実との区別も出来ずに人間性もスッタクレもあったものではないのである

 

 

 

Ende;

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人工流れ星

2022年05月29日 17時20分43秒 | 日記

人工流れ星を作ろうっていう会社があって その衛星まで打ち上げたそうなんだが

装填装置の作動不良で人工流れ星が作れなかったんだとか

そういうのって 東京マルイみたいなエアガン専門の会社とか ベレッタ社みたいな銃火器の会社とかに設計協力してもらった方が良いんじゃないかと思うけど

球体にこだわらずに 短い棒形状にするとか

リボルヴァー式にして確実性を優先するとか

何かあんだろ

 

 

Ende;

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印象操作

2022年05月29日 14時59分42秒 | 意識論関連

脳科学者共がやたらと羽生善治の「直感」ばかりを採り上げたがるのは

あたかも直感などの主観的感覚こそが知能を司るかのような印象操作による意識撹乱・論理撹乱であり

悪質である

科学的論証や発見というものは 必ずしも直感だけで導き出されるようなものではなく むしろ直感に基づいて検証してみたら全く逆の現象が観測されることも珍しくはないのである

真理というもの 客観的事実というものは直感などの感覚とは大きく異なる事実も多く あくまで論理客観的に論証されなくてはならないものなのである

直感的には赤道が超音速で回転してるとは「感じ」ないかも知れないが 一周4万キロの地球が24時間で回転している事実の否定にはならないのである

計算すると時速1,666キロになるが感覚的には誰もそうは「感じ」ないのである

かつては宇宙というものが永遠に不変で 完璧な秩序に支配された定常安定的なものだと「思われ」ていたし

地球を中心として世界が回っているとすら「思われ」ていたのである

そして 今現在においては 遺伝的進化というものが あたかも万能なもので 何でも都合良く進化が選べる「賢い」ものだと本気で「思って」いるバカが大半である

チャールズ:ダーウィンによる自然選択説においては そんな都合良く進化を選べるようなメカニズムもプロセスもなく ただ自然選択による「結果」しかもたらすことはないのである

 

脳科学者というのは 生物学のジャンルの一種であり 進化生物学上の「典型的な間違い」を指摘できなかったバカ脳科学者共が 自身の頭の悪さをはぐらかすために羽生善治の「直感」ばかりを採り上げることで あたかも主観的感覚こそが知能であるかのようにはぐらかし続けているのである

しかも 「自由意志などない」などという荒唐無稽なデマまで流布しているというのは 科学に対する冒涜である

ヒトの意識の大半は無意識な「情動」によって支配されてはいるものの だからといって論理客観的根拠に基づいた目的意識的行動選択(自由意志)の一切が存在しないことの論証にはならない

「殴りたくなったから 殴った」とか 「強姦したくなったから 強姦した」では 到底「人間」や「社会人」としてあり得ないのである

それは犯罪者などの「無意識で無責任なバカの意識」を述べているに過ぎず 「オノレはカブトムシと一緒だから本能習性には逆らえないんだ」などと言っているバカと同じ「寝言」レベルの話でしかない

夢遊病者であれば行動責任が取れなくても致し方あるまいが 寝起きでぼんやりしているわけでも 飲酒で酩酊状態でも 殴られて朦朧としているわけでもないのに 自律的な社会的責任が負えないなどというのは バカという以外何の形容詞も当てはまらないであろう

もしもヒトに一切に自由意志選択能力が存在しないというのであれば 原発事故も含めたあらゆる「人災」は誰も責任を負わなくても構わないということになるのである

そんな荒唐無稽なオカルトを主張している「脳科学者」なんぞ 公的研究費で研究をさせておくべきではない

国民をおちょくり過ぎである

 

そういえば ダンゴムシの研究者が「感覚的にわかってもらえれば」などと称して「ダンゴムシに心がある」などと主張していたこともあるが これもまた科学を逸脱した根拠のない嘘か間違いである

こうしたオカルト観念に基づいたエセ科学に公的研究費を費やしているというのは 社会に対する背徳行為であり 断じて許されるべきものではない

 

マスコミや衆愚は学術権威の肩書の主張でさえあれば どんなに荒唐無稽な話であっても鵜呑みにし NHKを筆頭とするマスコミ各社も内容の責任の全てが主張した研究者に丸投げできるものだと勘違いし 何の反証もせずに平気で垂れ流している

 

原発を暴走させた東電職員達や 組織腐敗を傍観放置した日本大学職員には自由意志がなかったとは言うことが出来るかも知れないが それこそが無意識であり 無責任の根源こそが主観的気分による行動バイアスによって促されたのである

 

ウクライナで野蛮行為を行っているロシア兵も 本人の意志など関係なく 服従しなければ反逆罪として「処分」される恐怖でしか行動が決定することはないのである

上官の命令に逆らえば 上官から嫌がられて何をされるかわからないのが軍隊というものであり 末端の兵隊に責任を負う能力など存在しないのである

 

殺人を旨とした兵隊ならいざ知らず マスコミ職員が学術権威の主張を唯々諾々と鵜呑みにして放送するというのは マスコミの社会的役割というものを放棄した 無意識で無責任な社会に対する冒涜である

 

本人にその自覚はないかも知れないが 自分の主観的「感覚」というものを盲目的に信じ込んでいる傲慢さを自覚すべきである

そうでないなら 日本大学の無責任性も問うことなど出来ないのである

 

 


Ende;

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自分で物事を論理客観的に考えるのが嫌いなバカは進化などの自然現象を賢いと称して盲信するものである

2022年05月29日 11時54分06秒 | 意識論関連

遺伝的進化を「賢い」などと称して あたかも知能というものが自然現象として働くかのように錯覚することも簡単である

遺伝的進化というものは 何かを「考えて」生ずるものではなく ランダムな変異の中から偶発的に環境適応的な個体だけへの収斂が起きた「結果」でしかない

目的意識的に「考え」て進化が起きているわけではないのである

 

遺伝的進化は時に非常に高度な能力を先天的に発揮することもあるが

これは別に「考えて」獲得しているわけではない

変異の中から高度な能力を持った変異個体への収斂が起きた「結果」的な能力に過ぎず 生息環境から受ける強烈な淘汰圧力なしに進化は生じないのである

昆虫などに見られる擬態は 「天敵に食べられないように周囲の環境と見分けがつかない姿を選んだ」のではなく 「周囲の環境と見分けがつきにくい変異個体が天敵から食べられ難かった」ことから促された収斂進化の結果である

自然現象任せにしておけば 無意識に知性のようなものが働いて 自動的に「賢い」選択が得られるかのような妄想を持っている生物学者や脳科学者の方が多いようだが

これは科学を逸脱したオカルトである

何かの能力を進化的に獲得するためには その能力を持たない変異個体に対する淘汰圧力が働かなければ 特定能力を獲得するような進化は促されることはない

もし ヒトが賢く進化するためには バカが片っ端から死んでゆくような淘汰圧力が必要であるが そのような淘汰圧力は現代の人間社会においては存在せず 存在しているとしても放置しておいて良いものでもない

「誰も取り残さない」ことが人間として正しい判断であり 淘汰圧力などというものは現代の人間社会において「あってはならないもの」なのであり 淘汰圧力などという遺伝的進化のプロセスが現代社会において働いて良いわけがない

自然環境下においては「強い者が生き残る」が これはあくまで弱肉強食の殺し合い競争の「結果」であって 人間社会の「目的」とは無関係であり たとえ遺伝的進化がバクテリアをヒトにまで進化させたとしても 遺伝的進化のプロセスを人間社会に持ち込んで良いようなものでは断じてない

「繁殖の継続」や「生存」そのものを目的とするのであれば もはや「ヒト」という種の生物である必要性すらなくなるのである

「生存」はあくまで生物という「結果」であって 人間としての「目的」ではない

ヒトが殺し合うような社会であるならば それは人間として生き続ける意味がなくなるからである

現存生物種の「生存」とは遺伝的進化の「結果」であって 生存しているものを「生物」と分類しているだけであって 「生存」そのものが人間としての目的になるわけではない

「生存」するに価する社会でなければ 人間として生き続ける「目的」にはならない

戦争だの無差別殺人だのといった非合理な暴力行為というものは 「懲罰で解決」だと見なして原因究明をしなくなるヒトの認知上の重大な欠陥によって 何度も引き起こされているものである

懲罰や暴力によって「解決」だと主観的に思ってしまうのは ヒトの祖先がその生息環境において「死なずに生き残った」行動習性でしかなく 過酷な自然環境下においては 物事を深く考えて行動する暇がないため 目先の情動のままに「死なない選択」としての短絡的情動行動が促されるように大脳辺縁系に組み込まれた本能習性である

通り魔を何人死刑にしても 通り魔事件などという非合理で不条理な犯罪の原因究明にも再発防止にもならない

懲罰というものは自暴自棄な通り魔やテロリストに対しては抑止効果が全くないからであり それでも死刑などの罰を「解決」として見なすのは それが主観的に安心満足感を得られるからに過ぎず その安心感というものは祖先の生息環境によって組み込まれたバイアス(偏り)に過ぎないのである

 

「真剣に」だの「本気で」などといった形容詞が流行しているが 気分的にいくら真剣になったつもりになっても 本気で考えたつもりになっても 主観的な「つもり」は意味がなく あくまで論理客観的根拠に基づいた合理的で実効性のある「考え」でなければ意味を為さない

香港警察やミャンマー政府軍やプーチン政権が人を殺しまくるのは 懲罰的威圧や抑圧こそが唯一絶対的な治安統制の手法であるという実証不能の観念に囚われているからであり 地政学などの要因はほとんど戦争とは無関係である

為政者の主観的安心や恐怖によって人民の生殺与奪が決定してしまっているのであって こうした盲目的な権威への服従忖度迎合同調によって 腐敗した独裁政権体制は作り上げられてしまうのであり プーチン一人でプーチン政権が作られているのではなく プーチンに盲目的に服従しているプーチン政権を構成する多数の個人の無意識性や無責任性によって腐敗した独裁政権組織は作り出されるのである

 

暴力団員というのは 暴力団を主観的に「カッコイイ」と思い 暴力団に属していれば恐怖によって他人を自由にコントロールできるものであるという卑怯な観念に基づき 理不尽な「上」からの命令であっても盲目的に服従するようになるのである

「怖い相手には逆らいたくない」という 主観的情動だけで行動が決定している幼稚な観念に基づき 主観的に「怖い」相手に媚び諂い盲目的に服従することによって 統率協調的に「大きな力」を発揮するという ヒトの先天的本能習性の暴走によって暴力団などという理不尽で非合理な集団組織は形成されるのである

こうしたヒトの先天的盲目性を利用し 権力によって統制しているのが軍隊というものである

軍隊が厳しい訓練を強要するのは 別に「身体を鍛えたら戦争に勝てる」からではなく 上官に対する盲目的服従を「身体に憶え込ませる」ためであって 行動学習的に盲目的服従を「正解データ」として刷り込み学習させるためのものに過ぎない

どんなに身体を鍛えたところで 現代戦争においては戦術的意味はほとんど意味を為さないのである

衛星画像解析から攻撃目標を決め 無人兵器を運用する上において必要なのは その攻撃目標が人であろうが何だろうが上官の命令に従って攻撃する盲目的服従性以外兵隊には必要がないのである

「上官に逆らうと嫌な目に遭う」という情動的刷り込みをすることによって 兵隊は民間人だろうが病院だろうが学校だろうが平気で攻撃できるように「学習」させられているのであって 自分の頭で物事の良し悪しを判断する能力を奪われている盲目的なロボットに過ぎない兵隊に 司法懲罰は意味を為さない

そもそも司法懲罰そのものが 国家権力による懲罰を用いて「法律に逆らうと嫌な目に遭う」という情動的刷り込みに過ぎず 主観的気分による他律的行動抑制に過ぎないことは一緒なのである

人間性というものは「自律」的に社会的責任判断選択をする必要があり 法手続き的な他律では人間性は養われることはないのである

ヒトは所詮動物であり 「嫌な目」には遭いたくないからこそ 腐敗した組織であっても同調迎合忖度服従することで 腐敗組織への「環境適応」をするのである

暴力というのは最も簡単な「嫌な目」に遭わせられる手法であり ヒトは多数による統率協調的暴力には逆らえなくなるために 暴力威圧的集団組織には多くのヒトが同調してしまうことに陥るのである

だが 暴力によって治安統率し 利己的で身勝手な権力を振り回すような理不尽な政治体制に対しては 「人間」としては許せないものでもある そこで理想的な統率服従対象としての「神」を夢想し 公平で平等で安全で持続可能な社会へと導いてくれる盲目的服従対象を求めるようになったのである

イヌやチンパンジーに「神」はない

イヌやチンパンジーは目の前の快楽にしか興味がないからである

暴力的統率者よりも 人間としての理想として神を選択するのはまだしも 単にヒトとして実証不能の「神の存在を求めたがる」ことそのものは ただの本能習性に過ぎない

先天的盲目性へのバイアスを満たすために 実証不能の神を求めたがるからといって 実証不能の神そのものに意味があるわけではない

人間性を欠いた理不尽な暴力によって統率する独裁者からの解放において人間性が伴うのであって 四六時中見張っている神だか変質者への恐怖心で人間性が発揮されるというものではないのである

神だか変質者だかに四六時中見張られている恐怖心による倫理的行動結果というものは 所詮「他律」であって「自律」ではない

死後の世界での評価報酬のために善行を選択しているのでは 結局は「自律」にはなっていないのである

社会安全性や公平性を求めているのは神ではなく ヒトである

わざわざ国連でSDGsの17の目標を掲げなければならないのは ヒトはどうしても社会安全性や公平性よりも 目先の快楽に誘導されて危険で不公平な理不尽で合理性のない行動を採ってしまいがちな習性が存在しているからである

 


ヒトはもう遺伝的進化はしないし 遺伝的進化などしてはいけない

何度も言うが 遺伝的進化というものは淘汰圧力によって大量の死滅を伴わなければ促されることはなく それそのものが人道に反する過酷な自然現象に過ぎないからだ

ヒト以上の何かなど存在しておらず ヒトという種の生物において人間性を持つことが「人間としての目的」なのである

 


ヒトは先天的には自分の頭で論理客観的に「考える」ことが大嫌いで 遺伝的進化などの自然現象任せにしておけば自動的に「正しい結果」へと導かれるかのように勝手に妄想しておけば安心満足する習性がある

天体運行の秩序も 生態系バランスや生物個体の恒常安定性も それはあくまで恒常安定性を先天的に持つことができなかった個体種の大量死滅の結果に過ぎず 過去にどのような経緯や過程を経て現在の秩序や恒常安定性へと「収斂」したのかは 本当は誰も知らないのである

現状の「進化がもたらした結果」だけを見ていれば あたかも進化という自然現象任せにしておけば全てのあらゆる問題は解決するかのように錯覚することも簡単なようであるが それは科学的には何の根拠も伴わぬ都合の良い妄想でしかない

「ヒトの意識の9割が無意識」というのは 主観的気分感情によって促される無意識によって 1割にも満たない論理客観性が支配されてしまっているという意味であり 論理客観的根拠のない嘘や間違いを真実だと錯覚してしまう無意識性こそが ヒトの人間としての先天的欠陥なのである

遺伝的進化というものを万能の願望器であるかのように妄想しているからこそ 「環境に適応した変異がどんどん起こる」などという非科学的観念を学力偏差値が高いはずの医師が言い出し

「環境が激変した時だけ発動する謎の突然変異(田島木綿子)」などという 何の根拠もない勝手な妄想を生物学者が言い出すのも 遺伝的進化というものが万能であるかのような大衆観念に基づいた錯覚に他ならない

「進化は万能だ」「進化は賢い」

そう思っておけば安心満足であるため 「信じたい話」だけを信じようとする「習性」によって その話に論理客観的根拠が伴う真理かどうかは 衆愚や生物学者や哲学者共にはどうでも良く 衆愚マスコミにウケの良い話をしておけば利益になって 人気が得られるだけの話に過ぎない

人気という多数は 別に多数によって内容の論理客観的確証が担保されているわけではなく ただの流行に過ぎないのである

養老孟司による「脳化社会」云々の訳のわからぬ論理不明な屁理屈に人気が集まったこともあるが 本当は誰も内容を論理的には理解などしておらず ただ気分的に「自分は頭が良くなった」かのような錯覚に陥って満足していたに過ぎず 集団洗脳状態や軽い集団ヒステリーによる大衆の「流行」でしかなかったのである

こうした詐欺ペテンというものは珍しいものではなく イマヌエル:カントにせよ フリードリヒ:ニーチェにせよ マルティン:ハイデガーやマルクス:ガブリエル 挙げたらキリがない程学術権威を装った詐欺ペテンは蔓延しているのである

フランシス:ゴルトンの優生学の内容が チャールズ:ダーウィンの自然選択説に基づいた「進化的に正しい行動」として正当化されてしまったことが ナチスによる虐殺や断種政策に用いられてしまったのである

未だにロシアのラブロフ外相は「民族国籍に原因がある」と言い出す「老害」である

こうした無知で権威に盲目的な愚者の集団が腐敗組織を作り出し 嘘と暴力による治安統制が行われるようになる最も根源的原因なのである

 

中国とロシアによる軍事訓練に対抗して 米韓による合同軍事演習をするというのは 武力威圧の応酬でしかなく 意味がない

差別主義者にカウンターとして差別主義者を差別しても 結局は差別に過ぎないことに違いはないのと同じである

なぜ差別は迫害をするのか その論理客観的分析をすることが再発防止において最も重要なのであって 軍拡競争や対抗的演習には何の意味もないのである

糞DQNが夜中に家の前で酔っ払って騒いでいれば 金属バットで殴り倒して追い払うことも可能ではあるものの それは世の中に糞DQNが存在している根源的原因究明にも 根本的解決にもならない

他人への迷惑に配慮が出来ないバカというのは どこの国にも民族にも存在するものであり 別にロシアやナチス政権下のドイツだけに見られるようなものではなく ポルポト政権下のカンボジアでも ソマリアでもコンゴでも 世界中どこでも見られるものである

日本大学という学府ですら生じる組織腐敗である以上 これはヒトの先天的で普遍的習性であり こうした「小さな事象」を大多数の衆愚が見逃し傍観しているから ウクライナ侵攻やミャンマー軍事政権といった重大事象への発展への歯止めが効かなくなるのである

 

 


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フラウ・ボウ

2022年05月28日 16時37分35秒 | 日記

フラウ・ボウのプラモ出てきたよ

もはや黄変しかかっているが

台座も黒ではなく スモークグレー

でもこれは値段つけられないな

送料とペイしちまうだろ

 

 

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間違った「正解データ」

2022年05月28日 14時23分14秒 | 意識論関連

直感などの「感覚」というものは あくまで学習する「正解データ」に依存するものである

学習した「正解データ」そのものが間違っていれば 間違ったものに対して安心感を「感じる」ようになる

だから天動説が信じ込まれていた時代には 地動説が「火炙り」などという暴力的拒絶反応をも引き起こしたのである

安心でないものは恐怖を「感じて」しまい ヒトは恐怖を感じると短絡的に暴力で「解決」しようとする動物なのである

ヒトの盲目性というものは 祖先の生息環境によって組み込まれた先天的本能に起因するものであり 盲目性を持った変異個体の遺伝子の方が「拡がりやすかった」という遺伝的進化の「結果」である

ヒトの暴力性においても 過酷な弱肉強食の自然環境下において 祖先が「死なずに済んだ」行動習性として収斂進化が起こったからであり 環境資源の奪い合い競争に勝ち抜く上においては 集団統率的協調行動を促す上において暴力性や盲目性が組み込まれたのである

「勝てば正義」なわけでもなければ 「死なずに生き延びたら優秀」なわけでもない

繁殖も出来ずに病気や事故などで亡くなったとしても それが人間存在としての価値を下げるようなものではない

「勝てば嬉しい」だろうし 「死なずに済めば良かったと思う」だろうが それらは個人の主観的気分に過ぎず 論理客観的に人間としての価値の論証にはならない

「死ぬか生きるかは人生の一大事」とは言うものの それなら「生きるため」なら他人を殺してまで生き続ける人生に人間としての価値があるわけでもなく どんなに生存にとって有利な行動選択をしたとしても永遠に生き続けられるわけでもないのである

人間としての存在において 他人との比較において「勝つ」ことには意味がない

勝ち負けというのは遊びの範疇であって 主観的に「楽しい」と思うだけのものに過ぎず 如何なる価値観に基づいていた「勝利」も人間としての価値にはならない

プーチンがこのまま寿命で死ぬまで生き延びられたとしても それが「人間としての優位性」になど一切ならないし 「勝利」にもならない

多くの他人を思い通りにコントロールし 物質的富や権力を掌握したとしても 自分の情動がコントロールできなければ「自由意志」でも何でもないのである

権力を掌握した「目的」というものが 他人からの評価や報酬であるからこそ社会安全性や公平性というものへの配慮が効かなくなり独裁者に成り下がるのである

 

イヌは哺乳類であり 先天的に「親」に対する「甘え」る習性を持っており

これが集団の中の血縁続柄に拠らない「ボス」へと服従対象の転移が生じ これによって集団統率的協調性を発揮し 獲物の捕獲などにおいては有利に働くことで収斂進化が促された

これが先天的な本能としての社会形成習性であり 統率的協調性を発揮するとは言っても 実際には封建的序列に基づく不公平なものであり 「ボス」に気に入られなければ差別排除の対象となるものでもある

ヒトにおいても こうした習性に違いはなく 頭の悪い暴力団や 学力偏差値が高いだけのテロリストにおける盲目的服従によって「大きな力」を発揮するものでもある

スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験の検証では 「サイバネティクスの観点から」と称して 反社会的暴力集団に対抗する上においての有効性を挙げて正当化しているが 警察も軍隊も統率者に依存した盲目的服従行動しかできないのが現実であり 政府軍や警察組織の有効性というものは一面的にしか機能しないのである

 

ヒトは 強い相手 怖い相手には逆らいたくない習性がある

強い相手には逆らわず むしろ忖度し 媚びへつらい 盲目的に服従することによって集団統率的協調性を発揮し 他の集団との生存競争に勝ち抜ける「大きな力」を発揮できることから 生存や「繁殖の継続」において有利に働いた結果 ヒトは先天的には卑屈で卑怯で身勝手な行動を採るものなのである

先天的には卑怯で身勝手で利己的ではあるものの 利己的であることが人間として社会的に間違っていること「も」認識可能な理性も持っているために 社会安全性や公平性の観点からは主観的に「怖い」相手であっても拒絶すること「も」可能である

 

リチャード:ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読めば 多くの大衆は

遺伝子が利己的で 遺伝的進化の過程で人間性が組み込まれていることにしておけば 自分で物事の真偽の判定もせずに 先天的本能習性のままに何も考えずに行動しておいても 自動的自然に人間として正しい行動が促されるかのような勝手な解釈も可能である

ヒトは一面的であれば利他的行動をすることもあるが 一面的な利他的行動だけでは人間性の論証にはならない

統率協調的行動において 集団内部に対する利他的行動は 集団内部においては利他的ではあっても それが常に人間性として働くわけではない

東京電力福島第一原子力発電所においては 「組織の利益を優先」したからこそ「個人が自律的な社会的責任を負わなかった」のであって 集団統率的協調性による一面的利他行動は人間性においては逆に働く最も根源的原因でもある

ヒトは 自分の頭で物事の真偽を判断せずに 権威などの他人に責任を丸投げし 責任の全ては服従している他人任せにしておいた方が気分的には安心満足なのである

こうした無責任な先天的盲目的服従性を応用したのが軍隊であり だからこそ戦争などというバカげたことにも便利に利用することが可能となるのである

自国軍の軍隊であれば 気分的には安心感を持つのかも知れないが 文民が統制しなければ武力によって自国民にも危害を加えることもある危険な集団でもある

太平洋戦争終結に至るまでの日本軍も ポルポト時代のカンボジア軍も 今のミャンマー政府軍も 懲罰や暴力的威圧によって恐怖で支配することこそが「安全保障」だと勘違いするバカなのである

実際にはノルウェーにおける「リゾート刑務所」のように 自主性や主体的意志を尊重した「懲役刑」こそが再犯率を大幅に下げ 社会安全性にとって最も合理的であることは 統計的にも明らかになっているのである

暴力的威圧による「統制」というものは 反感を買うことによって逆効果であり 刑務所での囚人の扱いが暴力的であればあるほど囚人からは自律が失われ 釈放後にすぐにまた犯罪に手を染めてしまうのであって 懲罰的な暴力威圧を唯一絶対的な解決策だと「思う」のは ヒトという種の生物の先天的な認知上の欠陥であり 錯覚に他ならない

 

現代人は 産まれてからずっと現在の司法制度下において 「刑法判決で解決」だと何の疑いも持たずに信じ込んできた

刑罰という懲罰に対する恐怖心によって行動抑圧されておくことこそが 唯一絶対的な治安維持において最も重要なものであるかのように錯覚させられているのである

「直感」などの主観的感覚というものは 学習する「正解データ」に依存するものであり

「刑法判決(国家権力を用いた懲罰)で解決だ」という「常識」の中で育ったヒトにとっては それこそが「正解データ」として気分的安心感をもたらし 何の疑いも持たずに盲目的に信用するようになっているのである

主観的な安心というものは 同時に逆のものに対する恐怖心や拒絶反応も作り出し 天動説の時代には地動説を「火炙り」にするほどの暴力的解決までするのがヒトという種の生物の非合理性というものである

ヒトの非合理性というものは 主観的な「感覚」によって作り出されるものであり 実証不能の観念であっても盲目性によって真理と錯覚するようになるのも主観的「感覚」によって作り出されるものなのである

これこそがヒトの意識の9割を占める「無意識」の正体である

客観的な統計的な証拠や根拠よりも 主観的な気分感覚の方が優先してしまうのは 気分感覚が意識の9割を占めているからであり こうした「習性」というものは そもそもヒトが動物に過ぎないことに起因するものである

ヒトは別に先天的に人間として行動するようには出来ておらず

ヒトであろうと ヒト以外の動物であろうと 大脳辺縁系の構造も形もほとんど一緒なのであり ヒトでありさえすれば人間性が発揮できるような都合の良いものではないのである

 

「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」とでも言っておけば 衆愚マスコミからは人気を得ることは可能であろう

だが それは衆愚マスコミが「自分達ヒトという種の生物は先天的に優秀で 何も考えなくとも自動的自然に人間性を発揮できる完璧な存在だ」といった身勝手な妄想錯覚に溺れて満足しているだけに過ぎない

満足感が提供できれば 人気が得られるのは必然であり 人気が得られたからといって客観的根拠に基づいた科学的論証になるわけではない

 

 

 

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豪雨

2022年05月27日 10時28分14秒 | 日記

雨音が尋常ではない

怖いんですけど…

あまりに雨が凄いので 治水橋の水位情報を見ようとしたんだが

サーバーアクセスの集中か何かで何も来ない

治水橋の水位 -国土交通省荒川河川管理事務所

ダメじゃん

雲の位置が変わらんぞ

 

 

 

 

日没後に雷鳴

 

 

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NHKは放送内容を誰も監査してないのか?

2022年05月27日 09時23分53秒 | 意識論関連

NHKでは「テントウムシは天敵から食べられないように派手な姿を選んだ」

「テントウムシは賢い」

などという説明を未だにしている

遺伝的進化というものは「○○のために進化を選ぶ」ことはできない

たとえチャールズ:ダーウィンがそう説明しているとしても(翻訳の仕方が間違っている場合もある) ダーウィンの自然選択説に基づけば「○○のために進化を選ぶ」ことは原理的に不可能である

自然選択説の内容を理解し 教えられた通りに答えられ 「知って」いるとしても 自然選択説との整合性のない話であっても 教科書にそう書いてさえあれば論理整合性がなくても鵜呑みにする

何が間違いや嘘やデマなのかを 自分の頭で考え 判断する能力がないから 進化生物学上の「典型的な間違い」が一向に訂正周知されないのである

 

遺伝的進化において 主体的に進化を選択可能だと見なすからこそ「進化は賢い」などと形容し 進化こそがあたかも万能だと勝手に錯覚し 「進化のため」にと称して断種や迫害や差別など 優生学に基づいた政策が採られてしまった原因となっているのである

教科書の内容や テレビでの放送内容に間違いが混入しているかどうかを認識するのは「直感」ではない

ボンヤリ読んでいたり 聴いていたのでは 論理整合性の齟齬は気づくことができない

デマや嘘や間違いと 論理客観的根拠に基づいた真実真理との区別がつかないから「バカ」なのである

それは学力偏差値とは無関係でもある

 

 ◇

「アポロニウスの円」の説明で

「平面上の2つの点から 同じ比率の点をつなげると それは必ず円になる」としていたが

比率が1だと直線になるので 「必ず円になる」ってのは嘘になる

せめて注釈くらいつけとけ

 

 

そういやダーウィンの進化論を養老孟司が翻訳したものがあるそうだが 誤訳が酷いことで有名だそうだ

 

Ende;

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死者数

2022年05月26日 22時06分05秒 | 日記

東京都における感染確認者数の累積に対し

死者が何%なのかと計算したら

都内の感染確認者数累計1,529,320

累計死者数4,434

0.2925%とかだった

 

厚生労働省の全国のデータから計算したら

全国の感染確認者数累計8,687,343

累計死者数30,410

0.35%だった

286人の感染確認者に対して死者は1人の割合

 

ワクチン接種後の死亡例の報告について

 対象期間までに、ファイザー社ワクチンについて1,514件(100万回接種あたり7.7件)、武田/モデルナ社ワクチンについて120件(100万回接種あたり2.3件)、アストラゼネカ社ワクチンについて1件(100万回接種あたり8.6件)の報告がありました。これまでの報告と比較して大きな変化はありませんでした。報告例のうち3回目接種後の事例については、ファイザー社ワクチン接種後の86件(100万回接種あたり3.3件)、武田/モデルナ社ワクチン接種後の51件(100万回接種あたり2.7件)でした。現時点において、ワクチンとの因果関係があると結論づけられた事例はなく、3回目接種後の事例を含め、引き続き集団としてのデータを系統的に検討していくこととされました。(厚生労働省サイトより)

 

要するに 接種してなくても一定数死亡例があるため サンプル数が少ないと因果関係が見いだせないということらしい

 

 

令和3年中の交通事故による死者数は、2,636人(前年比-203人、-7.2%)で、5年連続で最少を更新しました。(警察庁サイトより)

 

 

Ende;

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飛行船とか葱とかアカメガシワとか桐(←間違い)とか薔薇とかネコとか

2022年05月26日 20時18分46秒 | 写真

飛行船

埼玉県川口市の辺りを飛行していた

スーパドライ(アサヒ)の広告だった

ちっちゃくて誰も肉眼では見えないと思う

○✕△□○✕△□○✕△□○✕△□○✕△□○✕△□○✕△□○✕△□

随分複雑な屋根だなと思って撮ってみたんだが

これ 何階建てなんだろう

○✕△□○✕△□○✕△□○✕△□○✕△□○✕△□○✕△□○✕△□

アカメガシワかな

コンクリート階段の隙間に生えちゃって 隙間が拡がって堤体に悪影響がありそう

 

そのアカメガシワっぽいものの間からネギ坊主的なものが飛び出している

葱か?

葱なのか?

葱じゃないのか?

葱って勝手に生えるようなもんなのか?

 

荒川堤の外側にが生えてきちゃっていたので

国土交通省荒川河川下流管理事務所に報告したら

後日刈り取られていたのだが

また生えてきている

よく見たらアチコチ生えている

 

以前近所にも桐が生えてきちゃって 何度毟っても生えてきちゃって不死身だったことがある

キリがない

だけど

 ◇訂正:後日通りかかったら芙蓉の花が咲いていた 葉っぱが大きかったので桐だと勘違いしていた

 

 

薔薇

 

黒猫

少しオイラを見慣れたらしく あんまり逃げなくなった

 

 

岩渕赤門

フルサイズへのリンクなのでクリック注意

 

 

Ende;

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