書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

雑記。

2012年09月24日 16時20分22秒 | 日記

○交感神経と副交感神経。

 自転車で高速走行していると、呼吸が荒くなって交感神経優位になるため、運転が乱暴になる傾向がある。

 深呼吸をしたりすることで副交感神経を刺激することで、気分的な「荒さ」を抑えることができるらしい。

 荒川河川敷とかで暴走しているロードレーサーは深呼吸したり、カルシウムをちゃんと摂取するなど、気分的な暴走を抑える工夫をしてください。

 それが出来なきゃサルと一緒です。




○金魚。

 金魚と一緒に泳ぎたかったからって、学校のプールに金魚を放してはいけませんね。

 結局女子中学生の悪戯だったそうです。大騒ぎになっちゃったけど、なんだかかわいい悪戯ですね。

 魚と一緒に泳げる商業プールっていうのは衛生上難しいんだろうな。ネオンテトラとかミドリフグと泳げたら楽しいんだろうけどね。プール内部側面に照明が設置されていてもキレイだろうな。

 プールの壁や底が水槽っていうのは出来そうだけど、一緒に泳いでる感は出ないだろうな。

 無菌養殖した魚なら一緒に泳げるのかな、でもカルキ殺菌剤で死んじゃったらかわいそうだし。

 やっぱり南国の海で泳いで下さい。


○LTEの通信状態。

 KDDIがLTEの通信状態を、ストップウォッチ使って調査しているよ。

 通信状態の情報をGPS位置情報と連携させたアプリをこさえておいて、TSUTAYAポイント引き換えとか、通信費用割引でユーザーに使ってもらえば人件費が抑えられるだろうに。

 意外と木偶の坊が多いんだなKDDI。(毒。)



○2355金曜夜更かしワークショップ

 1~20の数字の中から読み上げなかった数字を当てるには、読み上げた数字を全て足しておいて1~20を全て足した値(210)から引けば導き出せる。

 でも、おいらは暗算が苦手。(T_T)


 そういえば、様々なコインから一枚どのコインを取り出したのかわかるっていう手品も、精密な秤を仕込んでおけば出来るね。

 手品っていうのも一種の科学的思考を促すのに使えそうなので、学校教科に組み込めば良いんだ。

 小学生の割り算の成績が下がったって大騒ぎしているけど、30代の働き盛りのビジネスマンがどれだけ割り算が出来るんだろうね。正直どうでも良いよ。

 世間的な成功と現状での学力成績にも統計的相関はないと思うし、そもそも割り算が出来ても自律的に社会的責任判断が出来ないなら社会人として糞の役にも立たない。

 論理的には優先順位の低いことを、文系大衆的強迫観念で大騒ぎするのはバカげている。そこに大局的「考え」が伴わないからなんだけどね。



○電動化。

 サイドブレーキのかけ損ねで起こる事故って、結構昔からちょくちょくあるような気がする。

 運転席に人が乗っていない状態では動き出さないように出来ないのかね。どうでも良いところは電動化したがるけど、安全に関わる部分の自動化が最優先でしょ。

 少なくとも停車している場所の傾斜を検出して、どの程度動き出しやすいのかを運転者に表示するだけでも注意喚起にはなると思う。


Ende;
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繰り返す。

2012年09月24日 16時17分20秒 | 意識論関連



 またクレーン横転事故が発生した。

 以前から指摘されていた原因として、土木建築業者間の力関係によって安全性が蔑ろにされていることが原因であると言われている。

 こうした力関係というものは、動物本能的な社会形成習性の結果的順位決定観念によるものであり、体育会系集団に見られる規範意識的な服従迎合性に無意識に流された結果である。

 合理的根拠のない「集団の掟」に対し、無批判に迎合してしまう無意識性や無責任性と、自律的な社会的責任判断が伴わないことが原因なのである。

 ヒトという種の生物は、他人と自分との順位関係を決定しておかないと不安に陥る習性があり、これによって結果的に統率的協調行動を促すことになるのだが、これは予め服従対象の選択に意識的目的が伴わなければ結果的統率者の気分感情だけで統率協調行動に陥ることになる。

 子供のイジメなども、こうした本能的な統率協調行動の結果であり。これが本質的人間性である自律的な社会的責任判断能力を喪失させる最大の原因であることを、早急に周知認識する必要性がある。さもなくばあらゆる「人災」は構造原理的に減ることはない。

 他人にばかり自律的な社会的責任判断を求めるばかりで、自分自身が自律的な社会的責任判断をしないというわけにはいかないのである。それはもはや自律のない「子供の論理」であり「甘え」に過ぎない。

 ヒトの多くは自分が過去に下した選択の全てが自分自身の意識的選択によって行われているものであると「信じておきたい。」習性がある。そのため過去に下した自分自身の選択を事後正当化しておくための取り繕いや言い逃れには反射的に頭が良く働くのだが、自分の判断の誤りには意識が働かないことになるのである。これがヒトという種の生物が本能的にバカになる構造である。

 どんなに言い逃れや取り繕いに頭を高速回転させても、それは単なる反射的「思い込み」にしかならない。だから論理的「考え」が失われることになるのである。



NHKニュース←記事が削除されたらしくてエラーする。

Ende;
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どぜう。

2012年09月24日 16時12分42秒 | 意識論関連

○整合性。

 どぜう政権に限らず日本政府というのは政策に整合性が欠如している。尖閣対応に関しても、都知事や国民の多数決に流される形で唐突に国有化を密室で決定したり。米軍の強弁に丸め込まれる形でオスプレイの飛行を容認してしまったり。

 政策というのはその場限りに国民や同盟国の顔色を窺うことではなく、相手国との対話も含めて理性的対応をすべきであって。何となく「時代の流れ」に無意識に流されることが暴走へと陥る最も危険なものなのである。

 中国政府も反日というウケ狙いで国民の感情を掌握し政権を獲得しようとするのもバカげているが、日本政府も政権維持を目的にしているからその場限りのウケ狙いしか出来なくなってしまうのである。

 反日暴動に関しては、暴動という暴力に突っ走った無責任な一部の中国人の責任ではあるのだが。オスプレイに関しては明らかに米軍の強弁に押し切られる形で丸め込まれている。たまたま中国との関係が悪化したからといって、恐怖心で米軍に迎合してしまうという主体性の欠落こそが、唐突で一貫性のない無責任な対応になってしまうのである。こうしたその場限りの無責任対応というのはオウム真理教教祖の意思決定と全く同じものであり、戦前の日本同様に非常に危険なものなのである。

 民主党にせよ自民党にせよ、権力を掌握することを目的としているからこそ、合理性のないその場限りのウケ狙いで政策が決定してしまうことが問題なのである。論理整合性に基づく一貫性がないからこそ「嘘」になるのであって、マニュフェストが全く守られないのも、その場限りのウケ狙いで並べただけに過ぎないからである。

 「責任を持つ」というのは、「何か問題が起きたら辞職すれば良い。」というような短絡的なものではなく。キチンと合理的根拠に基づいた一貫性のある対応を取ることである。その場限りに中国政府の顔色を窺ったり、日本国民の顔色を窺ったりと一貫性がないから対外的にも信用を失うのであり。日本国民から見ても何がしたいのかさっぱりわからない。

 その場限りに目先のウケ狙いで物事を決定するというのは、オウム真理教教祖の意思決定原理と同じである。

 合理性というのは、「その場限りに一面的な利益を優先すること」ではない。こうした根本的な文系観念の錯覚をしている限り、本質的な合理性追求には全く結び付かないのである。「国益を優先すること=合理性」などと勘違いしていれば本質的な合理性は全く追求されることはない。

 その場限りにあちこちの顔色を窺っているから無責任な対応になるのであって、これは最初から主体的な意思が欠落しているからである。

 本論では「本質的な合理性の追求こそが人間性である。」とは言っているが、都合の良いように捩曲げられては意味がなくなる。経済性を優先して原発を推進することを合理性だと言い張るのも、国益の優先を合理性だと勘違いするのも、これらは本質的な合理性というものを論理的に理解しないまま、言葉を断片的に勝手に引用し、自分達にとって都合の良いように捩曲げて解釈しているからである。こういった文系大衆的解釈をしているから論理的理解が全くすすまないのである。

 政府が唐突に尖閣諸島の「買い取り」に踏み切ったのは、明らかに都知事や国民のご機嫌取りである。都知事が主張していたヤギの駆除などの環境保全や漁船港の整備だけなら、中国政府のメンツを潰してまで国有化する必要性はなかったはずである。もちろん「メンツ」というのも「ご機嫌取り」ではあろうし、国有化することの違法性もないのだが、散々上陸許可も出さなかったのに唐突に「買い取り」を言い出すというのは、何をしたいのかが全く見えてこない。こうした意思決定の不透明さというのは政府に主体的な意思がないことの「結果」である。中国政府から見ても突然の方針転換によって軍国主義が復活したと錯覚されても仕方がない。

 都知事と中国政府との「板挟み」による気分的バイアスによる密室決定ではなく、統合的に見れば相手国との調整も充分に行えたはずである。台風などの天候悪化による漁船避難施設であれば、緊急時には国籍に関わらず利用できるはずのものであり、環境保全であれば国籍に関わらず各国の研究機関とも共同で研究しても良かったはずである。

 何にせよ、「相手が恐いから、丸め込まれておく。」だとか、「政権を維持したいから集団内部に迎合する。」といった、その場限りの気分的行動バイアスによる対応こそが、合理性ある責任判断を狂わせ、外見上の一貫性をも喪失させる原因なのである。

 暴動の有無に関わらず、恐いか安心かといった気分的バイアスによって、その場限りの対応をすることこそが対外的にも不透明さを醸し出すのであり。主体性がないからウケ狙いに走り、その場限りの対応に陥るのである。

 石原都知事のように、合理性はなくとも言っていることに一貫性があれば問題を指摘することも議論することも可能であるが、政府内閣のように密室で勝手に決定されてしまえば決定が実行されるまで何も指摘出来ない。それが国民の国政への関心を喪失させる最も大きな原因なのではないかと思う。これはどの政党が政権を取っても同じ結果である。

 現在の中国政府というものも、明らかに国民の気分的バイアスを利用した統率によって政権体制の維持を目的としており。これは戦前の日本やナチス政権下のドイツと同じ構造である。暴動に関しては中国政府の無意識的カルト性によるものであり、他国が言えるのはその構造的脆弱性だけであり、中国国民の意識次第である。

 あらゆる組織集団における不透明性というものは、体制維持という組織の利益を優先してしまう結果であり。これは原発の危険性放置でも問題とされたものである。生物学界が「ヒトという種の生物」における危険性をなかったことにしているのも、生物学界の体制維持を目的としているからであり。これを放置しておけば体制維持のためのウケ狙い政策も放置されることになるのは必然である。

 南紗諸島問題も含めて中国政府による見境のない領有権主張を放置すべきではないが、短絡的に国益を優先するべきでもない。あくまで統合的視点に立脚し、アジア全体、国際社会全体の持続可能性や安全性を優先すべきであって、都知事によるナショナリズムを用いたウケ狙いに安易に迎合したのは政権維持を目的としているからであろう。だからこそ「都知事に買われるのを回避したかった。」などという意味不明な取り繕いをしなくてはならなくなるのである。

 日本も中国も精神的な「甘え」が酷すぎる。その精神的な「甘え」こそが社会安全性の最大の敵なのである。それは国籍や民族の問題ではなく、個人の自律の問題なのである。

 往々にしてバカ程声が大きい傾向がある。その大きさだの強さに無意識に流されるべきではない。


Ende;
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右寄りというわけではないですが。

2012年09月24日 16時10分47秒 | 意識論関連



 尖閣問題で「都知事が悪い、賠償しろ。」とかって意見があるけど、これはちょっと合理性がない。

 反日暴動で日本企業が破壊略奪されたのは都知事が悪いんじゃなくて、暴動を起こした理性の欠落した一部の中国人が悪いんであって。相手が暴力的だからって国際法上認められた主張をしたことが悪いというのは、理論的におかしな話です。

 暴力団排除のステッカーを貼っていたから拳銃弾を打ち込まれたからといって、暴力団排除を主張した個人を悪者扱いするのはおかしいでしょ。それと同じですよ。

 いかなる理由であれ、暴力で解決しようとすることは許されることではありません。もし力の大きさだけで物事が決定することが許されるのであれば、南京大虐殺だって重慶無差別爆撃だって正しいってことになっちゃうんですから、そんなバカな話が許されるわけないんですよ。どんな結果になったとしても暴力に屈して道理を曲げるべきではありません。

 石原都知事は高速増殖炉を賛美したり、やたらとオリンピックに執着したり、日の丸君が代を強要したりとおかしなところは少なからずありますけど、尖閣買い取りにおいては責任はないと思います。若干、答を急ぎ過ぎた感じはありますが、むしろ、都知事や国民の顔色に流され中国政府からの要望を無視する、政策に一貫性のない「どぜう」内閣の方が軽率。

 ヒステリックに暴力的最終解決で気分的に満足しようとする理性の欠落した一部のヒトの暴力性が問題なのであって、自律的に社会的責任判断をしなくなるような教育に原因があるのです。そしてそれは中国に限ったことではなくて、どこの国であろうと見られるものなのです。中華系の学校に放火したバカで軽率な日本人だっているんですから。

 ナチスもポルポトもソマリアもシエラレオネも、挙げたらキリがありませんけど民族国籍といった分子生物学的には意味のない分類で物事を判断すべきではないのです。

 優生学みたいに「どこの国の民族が劣っているのか。」という問題ではなくて、国籍民族に関わらずバカというのは少なからずいて、その原因と対策を立てることこそが重要なのです。

 何かトラブルが発生すると、特定個人を非難して気分的に満足しようとするヒトが多いですけど、それこそがバカなんだってことを認識してもらわないと困ります。それこそが危機管理能力を阻害する最大の原因だからです。

 中国内部でも反日暴動自体を非難している人はいて、決して中国人の全てがヒステリックで暴力的キチガイなわけではありません。南京大虐殺や重慶無差別爆撃をやらかした民族だからといって日本人の全てが暴力的なキチガイではないことや、広島長崎に大量破壊兵器を投下したアメリカ人の全てが無差別殺人者ではないことや、600万人のユダヤ人を死体に変換したドイツ人の全てが精神異常者ではないのと同じです。

 時代とか空気に流されることなく、個人が自律的に社会的責任判断を下すという、本質的な人間性を持つことこそが最も重要なことであって。目先の多数に迎合する形で時代や空気に流されてしまう自律のなさこそが「ヒト」という種の生物が持つ危険性であることを認識すべきです。

 イジメだの暴動といった集団暴力が止められないのは、自律的に理性的判断をする人が集団内部に少ないからに他なりません。

 とは言っても、一部のイスラム教徒のように暴動のさなかに一人で暴徒を説得するような危険な行為もやめて欲しいんですけどね。それは確かに人間として正しい行動ではありますが、理性的に暴力を抑制しようというのであれば、もっと合理的で安全な持続可能性のある方法論を選択するべきです。

 それがたとえ「微力」であるとしても、「無力」ではないのですから、諦めて自分の「微力」を放棄するという気分的満足に溺れず、地味で地道な積み重ねを忘れるべきではありません。

 「力の大きさ=正しい」という短絡的な観念を放棄することが、先ずは大切なんだと思います。「勝てそうな戦争なら、やった方が得。」なんていうヤクザみたいな価値観で物事を判断すべきではないのです。


Ende;
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看板。

2012年09月20日 17時09分17秒 | 日記

NTT東京グループ駅伝大会

十月十三日(土)九時から十三時まで

この荒川河川敷右岸道路で表記の駅伝大会を開催いたします。
約一千二百名の選手が参加します。
安全で円滑な大会運営に、皆様のご協力をお願いいたします。

駅伝区間 北区野球場前から浮間一丁目先まで

問い合わせ先:03-6220-9933
東日本大震災復興支援チャリティー駅伝大会事務局
株式会社 トリプルエイ


っつう看板が荒川河川敷にあた。

Ende;
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スパイラル。

2012年09月20日 17時02分32秒 | 意識論関連

○スパイラル。

 規範意識というものは、「悪いことをすると、権威者から罰を受けるから恐い。」という恐怖心を用いた他律強制的な精神的抑圧である。

 恐怖心による行動抑制ということは、気分によって行動が決定していること自体には何ら変わりはなく、その場限りに服従迎合対象が転移してしまえば、環境依存的に「適応」する形で行動に論理的一貫性が失われることにもなるのである。

 暴走族を検挙すると、警官に対しては従順で外見上「素直」であるかのように見えるのも。その場限りに服従するだけの従順性を発揮しているだけであって、自律的な社会的責任判断は一切行うことはなく、その場限りに気分的安心を求めて服従対象を転移させることによって、何度も暴走行為を繰り返すのである。

 規範意識という他律強制的抑圧を行っておけば、外見上は従順で統率的行動をさせることは簡単である。ヒトという生物の本能的な社会形成習性を利用しておけば従順性を発揮させることは非常に簡単だからである。

 しかし、他律強制的な抑圧を用いた規範意識というものは、そもそもが「恐い」という気分を用いた行動誘導に過ぎず、個人による自律的な社会的責任判断は養われることは原理的になく。その場限りに気分的に安心できる服従対象を安易に転移させることしか出来なくなるのである。

 中国の反日暴動集団が毛沢東などのカリスマ指導者を取り上げているというのは、要するに個人に自律的な社会的責任判断をする意思が全くないことの表れであり。気分的に権威に服従することを拒絶する場合には多数派の感情論に服従迎合対象の転移が生ずるのである。無論この場合の多数派の感情論には、誰にも自律的な論理検証判断は伴わず、ソーシャルメディアを用いた扇動にも簡単に誘導されてしまうのである。

 為政者の視点からすれば、人工的権威を用いて統率服従させておけば気分的には安心を得ることが可能であろうが、それは論理的な安全性には全くならず。むしろ個人が自律的に社会的責任を誰も取らない無責任な集団を作り出すだけなのである。

 東京電力における危険性放置というものも、規範意識という気分的迎合による服従対象の転移によって生じたものであり。個人に自律的な社会的責任判断というものが欠落することによってあらゆる「人災」は生ずるのである。



 ヒトの多くは、自分や自分が所属する集団の行動選択に対し、事後正当化することによって、自分自身の頭の悪さを意識から外そうとする習性がある。

 「そこには意味があったんだ、そう思わなきゃ、やってられないじゃぁありませんか。」などという気分的バイアスが生ずる原因というのは。自分は常に意識的行動選択をしているものであるという錯覚が働いているからであり、意識の全てが自分自身の論理的判断によるものであると勘違いしているからである。現実にはヒトの意識の9割以上は無意識的条件反射であり、論理検証的な自律判断を介さないのである。

 自己の頭の悪さを認識したがらないからこそ、頭の悪さが治らないのであり、「したがらない」という気分感情こそがバカの源なのである。

 規範意識という気分感情を利用した服従迎合性の行動学習をすることによって、個人から自律的な論理検証による社会的責任判断は失われ。気分感情による事後正当化の屁理屈のでっちあげにしか頭が働かなくなるのである。



 多数民衆は権威に対して気分的安心を求め、権威は多数民衆からの盲目的信頼を求めることによって、権威は権力という利益を獲得し、多数民衆は盲目的信頼による責任放棄という気分的安心満足を獲得するという、無意識な相互の統率スパイラルが生じることによって誰にも目的意識のない統率的暴走という洗脳状態が発生することに陥るのである。

 オウム真理教の教祖が、何の目的もなくその場限りに命令を下していたのも、権威性を維持することだけが目的であったためであり、多数信者幹部達のご機嫌取りとして「敵」をでっちあげて攻撃することによる体制維持にしか興味意識が働いていなかったからである。

 子供のイジメ同様に、多数の統率的協調性を獲得するためには、特定の排除差別対象を決定しておいてヒステリックな最終解決に暴走させておいた方が簡単なのである。

 暴走族の「敵」とは、現状社会である。確かに現状社会というものは絶対的に正しいものであるとは言えないが、だからといってヒステリックに暴力的行動をしておけば現状社会の問題が解決するわけではないという論理的思考判断が欠落しているからこそ、気分感情だけで行動が決定してしまうから「暴走族」なのである。規範意識などという観念的解決策に依存し、個人の自律的論理検証判断を全く育まない現在の日本の教育というものは、構造原理的に無差別暴力者を大量生産しているようなものであり、極めて非合理的なものなのである。

 反日暴動の理性化が困難なのも、そもそもが中国政府自体が民衆を強権によって抑圧していたことによる、個人の自律の欠落が根底にある。これを中国だけの問題であると場当たり的に考えるのは大間違いであり、ヒトという種の生物全般において普遍的傾向性の問題として認識する必要性があるのだ。

 そもそも中世以前においては世界全体が暴力による統率支配をしていたのであり、人種民族国籍に関わらずあらゆるヒト全般においてカルト的な無意識暴走は生ずる可能性を持っていると考えるべきである。

 ヒトの多くは「自分だけは大丈夫」だと思い込んでいれば気分的には安心で、その気分的安心を優先してしまうから自分の頭の悪さを認識しなくなるのである。気分的安心を優先しなくなるようにするためには、自発的な論理的思考による検証性を育むための、本質的な自発的純粋行為を見つけられるように育てる必要性がある。統合的な論理検証性というものは本質的な自発性が伴わなければ構造原理的に発揮されないものであり、「エサ」に対するその場限りの論理的思考能力だけ刷り込み学習させても意味がないのである。

 実際に集団的な暴走破綻が生じてからではもはや手遅れなのである。暴走破綻が実際に起こらなければ気分的には安心していることが出来るであろうが、こうした気分的安心こそが危機意識を失わせる最大の原因なのである。



Ende;
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眩しい。

2012年09月14日 14時55分58秒 | 日記

○自転車の防眩。

 夜中に荒川河川敷を自転車で走っていると、対向してくる自転車のライトが異常に眩しいことがある。パワーLEDだかHIDだかわからないけど、自動車やバイクと違って自転車のライトには対向車への防眩構造になっていない強力なライトが普及したらしくて、非常に眩しくて迷惑な自転車が増えた。

 無灯火も危険だけど、眩しいのもやっぱり危険なので、何とかならないかなと思ってアルミ鏡を用いたミラーボックスをこさえてみた。

 Fig1:

オプトサプライ製の集光レンズ(OSOLRA2015M)だけの場合。


 Fig2:

「Z」字型に光路を折り曲げたタイプ。長さが36㎜で計算上は102㎜の庇をつけたのと同じ防眩効果があり、計算上は11.3°下向きにすればほぼ水平カットになる。光路の折り曲げ方は他にもあるけど、今回は最も小さくなるように設計してみた。


 Fig3:



「4」字型に光路を折り曲げたタイプ。高さが32㎜で計算上は72㎜の庇と同じになる。構造上配光に偏りがあるのでライトが上向きの方が水平カット能力は高い。上向きでもライトが直接見えないようにするには少し工夫が必要かも知れない。幅は30㎜でこさえてあるけど、よく考えたら左右にも鏡を貼れば光源の口径と同じ幅でも充分な配光が出来るはず。


 Fig4:

単純に鏡一枚だけで光路を折り返すっていう手法もある。大きさは小さくならないけど、構造が単純なので軽量に作れるのが利点。結局これが一番合理的かも知れない。反射回数が少ない方が光量損失も少ないし、配光にもムラが出にくい。



 今回こさえたミラーボックスは、口径20㎜のライト用に設計したので、もっと大きなライトに用いる場合は比例して大きくする必要性がある。

 ちなみにアルミ鏡はドイツalanod社のサンプルを用いている。もしかするとアクリル鏡とかでも良いかも知れない。反射率だけならツジデン社製の反射フィルムの方が高いのだけれど、フィルムの場合平面性を保つのが難しいので、配光にムラが出やすいと思う。

 今回あくまで実験段階なので0.2㎜の板を使用したけど、alanodには0.7㎜厚の板や表面精度のもっと高い材料もあるので、本気で作れば二枚以上組み合わせたミラーボックスでも配光ムラは少なく出来るはず。

 今回こさえて意外と影響があったのが、透明スチレン板の光量損失で、光の軸に対して角度がつく程反射や損失が多いことがわかった。なので透明カバーをつけるなら光の軸に対して垂直になるように設計した方が良い。

 ミラーボックスに限らずライト全般に言えることだけど、リケンテクノス株式会社の高親水性フィルムを貼付ければ雨で濡れても光の散乱を減らせるだろうし、汚れや傷もつきにくくなる。これって自動車とかバイク、鉄道や船舶でも応用できるかも知れない。

 でも一番問題なのは、どうやって強固に取り付けるかなんだけどね。自転車っていうのは想像以上に振動や衝撃が凄い。経験上輪ゴムを用いて固定しておくと、衝撃で動いても自動復帰してくれる場合が多い。

 市販の自転車用ライトの固定にベルクロファスナーを用いた形式が結構多いんだけど、ベルクロっていうのは振動や衝撃が長時間かかると緩んでくる性質があるので、突然外れたりすることがある。なので時折締め直した方が安全。



 古いフィルム一眼レフカメラの中にはプラスチックの鏡を用いたペンタプリズム(正確にはペンタミラーだけど)が組み込まれている場合もあるので、ジャンク品から分解して応用できれば軽くて丈夫なものが作れるのかも知れない。ペンタプリズムの場合は「4」字型タイプと同じように光路が90°折り曲げられるので、ライト自体を上向きにするとか、もう一回反射させるなどの工夫が必要になる。昔の35㎜判フィルム一眼レフのペンタプリズムなら幅が36㎜くらいはあるはず。

 本来ならライト自体が防眩構造になっているのが理想なんだけど、これはメーカーさんがその気にならないと難しいので、ユーザーさん達多数がメーカーに要望しないと実現は難しい。多分ミラーボックスだけ商品化しても法的義務化でもされない限り採算は採れないと思う。役所に法的規制を提言しても、眩しいことが原因の事故が多発してからじゃないと通らないだろうし。そもそも対向車に配慮がある人ならライトを下向きにしているはずで、強力なライトを正面に向けているというのは「俺さえ見えてりゃ他人の迷惑なんぞ知ったことじゃねぇ。」という精神的余裕の欠落による意識狭窄に因るものなので、自律的には他人への配慮をするつもりはない。

 まぁいっか。



 たとえ防眩構造になっていても、坂の頂上付近とか、背の低い子供に対しては効果がないので注意が必要。相手から視認できるだけの小さなライトと切り換えられると良いのかも知れない。更に言えば、誰もいなければハイビームに切り換えられると便利だし、どうせならウインカーとか加速度センサーを用いたブレーキランプとか電装系一式パッケージになっていると電源が一括できて便利なんだけどね。

 更に言えばスピードメーターやナビまで一式組み込めないものかね。どうせAndroidOS組み込むならスマホと連携させていろいろ出来ると思うんだけど、これは個人で企画出来るような代物ではないね。




 あ、ちなみに「90°」の「°」の区点コードは 0175 でした。富士通FSKAREN(日本語システム)だと出てこないのよね。

 もう一つ「゜」:0112 っていうのもある。「゛」:0111 が濁点なので、0112 は多分半濁点なんだと思う。

Ende;
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鬼畜日本。(センセーショナルなタイトルだけど、単なるボヤキです。)

2012年09月04日 15時07分21秒 | 日記

 「愛国無罪」なんて、戦時中の日本みたいだね。「鬼畜米英」的に集団内部で共通の「敵」だけを糾弾しておけば本能的な社会形成によって安心満足出来るんだろうね。

 今の中国っていうのは、戦前の日本みたいに強権的な抑圧があるから政府に対して文句を言えないので、鬱憤の矛先を外に向けることで気分的解消をしているんだろうね。

 反日不買デモに加わっている中国人がニコンだのキヤノンのカメラを持っているけど、そういえば中国にはカメラメーカーってないのかな。多分あんまり儲からないんだろうな。カメラっていうのは昔は利益率が維持出来たんだろうけど、今は値下がりが酷いので中国企業が手を出さないんだろう。





 前の投稿時に「サーバーから返事がない」って書いたけど、ツイッターとの連携の不具合に因るものらしいっす。

 結局未だにツイッター連携は出来ないらしい。

Ende;
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有利。

2012年09月04日 15時05分44秒 | 意識論関連



 太平洋戦争の時に反戦を論じた新聞社が多数大衆による不買運動に負けたように、多数大衆がバカならば社会安全性も持続可能性も放棄される。それでもマスコミというのは社会安全性や持続可能性を追求し続けなければならない社会的使命というものがある。世間的成功としての販売部数だの視聴率ばかりを追求するというのはマスコミとしての社会的使命、本質的な社会的要請の放棄に他ならない。

 多数大衆の流行に逆らえば世間的には上手くゆかないこともしばしばあろう。本論に多数人気がないのも同じ理由である。たとえ流行に逆らってでも、社会全体の持続可能性や安全性というものを優先することは、人間においての義務なのである。




 経営学修士課程を取ったからといっても、所詮は企業の経営における世間的成功能力に過ぎない。それは一級建築士の免許を持っていても建築強度偽装をしないことの証明にならないのと同様、社会全体の持続可能性や安全性を優先することの論証には全くならないのである。

 それは人間性の論証とは無関係なのである。

 世間的な成功を「目的」とすることは、社会全体の持続可能性や安全性を二の次にする意識狭窄性を促すことに陥る。多数大衆がバカで、現状世間的に成功することだけが人間としての価値であると勘違いしていれば、統合的視点に立脚した社会全体の持続可能性や安全性が無視されるのは当然の結果である。

 ヒトの多くは目先の利益という、「生体にとって有利と見なされる結果」こそが人間の価値基準であると思うのであろう。こうした目先の「効用」に意識を奪われているから検証範囲の狭窄化に陥り、社会の持続可能性や安全性を見失うことに陥るのである。

 利益を求めるのは本能であり無意識である。どんなに意欲的であろうとも、どんなに渇望していようとも、本能という自己自身による意識的選択を介さない無意識行動に意識を奪われてれば、破綻への暴走に陥るのは当然の結果である。





Ende;
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適応。

2012年09月04日 15時03分07秒 | 意識論関連

○適応。

 環境に適応すると言っても、その場限りの「生体にとって有利」なだけでは本当の意味においての環境適応にはならない。

 本当の意味における環境適応とは、あくまで環境自体との共存なくして個体の生体も維持出来ないものであり。断片的にその場限りの「生体にとって有利」な行動を採りさえすれば環境適応になるわけではない。

 検証範囲の狭窄化というものは、意識自体の狭窄と同義である。問題に対する自発的な意欲興味感心がないからこそ検証範囲が限定され、検証の途中放棄によってうやむやにされてしまうのである。

 個体の環境適応だけを論ずれば、ナチス政権下において絶滅収容所の吏官になることも。シエラレオネの少年ゲリラに馴染むことも。学校でイジメに加担することも。これらは全てその場限りの「適応」能力である。現代の社会ではゲリラ社会の持続可能性は低いが、近代以前や古代においては封建的統率による暴力を用いた支配は珍しいものではない。それならヒトという種の生物というのは、封建的統率による暴力に服従迎合し、自律的には何も判断しようとしない生物へと「進化」している可能性は非常に高い。日本における子供同士でのイジメが蔓延するのも、先天的に組み込まれた本能由来の「社会性」、社会形成習性の結果として封建的統率による暴力的差別排除として現れていると考えるべきである。

 その場限りの「適応」能力の全てが知能であるとは言えない。その場限りに「生体にとって有利」な行動結果の全てが知能であると言うのであれば、あらゆる暴力も詐欺も知能であると言い張るのと同義である。

 目先の「(個体の)生体にとって有利」な行動だけをしていれば、社会全体における持続可能性や安全性が失われるのは当然である。だからと言って本能習性的な安定性を抽出枚挙しても論理的安全性の保証には全くならない。本能的安定性というのは「概ね」という安定性の傾向しか述べていないからである。

 傾向性の多数抽出枚挙は、文系大衆観念的な安心満足を与えるため、これが統合的論理検証性を喪失させる最も大きな原因であり。生物学や脳科学界というのは文系マスコミと迎合することで現状世間に「適応」することで「世間的に成功」しているだけである。これこそが最も悪質なペテンであることを論理的に認識しなければならない。

 社会全体における持続可能性や安全性というものは、先天的本能の結果に依存している限り「概ね」以上は確保されることはない。より高い持続可能性や安全性を、より広い社会全体において実現するためには、可能な限りの論理検証が不可欠である。気分的に嫌だからといって無視するのであれば、あらゆる社会の問題や「人災」に対して文句をたれる権利はないのである。

 文系大衆観念に迎合すれば、程度だのバランスだのを根拠に、文武両道だの挨拶だの規範意識といった論理的根拠のない表面的安心満足に執着するであろうが、これは意識撹乱、論理検証撹乱以外の何ものでもない。当人はそれで「社会の為」だと錯覚しているのであろうが、こんなものはオウム教団における「人類の救済」と同じ身勝手なマインドセットに過ぎない。





 教育者というのは、本来生徒が社会の中において、持続可能性や安全性を優先した統合的論理検証を自律的に出来るように育てなければならない。

 しかし、どんなに生徒が社会にとって持続可能性や安全性を追求したとしても、それは教育者にとっての目先の利益になるわけではない。教育者にとっての目先の利益とは、生徒の学力成績が上がることであって、偏差値の高い無差別殺人犯が出ようとも、学力さえ上がれば短絡的に教育者の評価報酬につながるのである。

 社会の持続可能性や安全性というものは、自己の責任範囲において地道に構築するものであって、評価報酬といった世間的成功に必ずしも結び付くようなものではない。評価基準や報酬構造自体が間違っていれば、持続可能性や安全性を求めることは世間的排除に遭う可能性も非常に高いからである。

 自律的な社会的責任判断を下すことというのは、必ずしも個体の生体にとって有利な結果を導くものではない。それを「適応能力の欠如」だと、「知能の欠落である」と言うのであれば、社会全体が崩壊に向かう暴走に迎合することも「知能」であると言い張るのと同義である。平たく言えば、シエラレオネの少年ゲリラがゲリラ社会に馴染むことを「知能」であると言っているのと同じである。それならイジメが蔓延している教室でイジメに加担することも「知能」ということになる。

 イジメを止めようとすれば、逆にイジメられる可能性は非常に高い。その場限りの環境下において「生体にとって有利」な選択というものを本能的にしたとしても。それがヒトという種の生物全体における持続可能性や安全性を担保してくれる訳ではない。本能という無意識任せにしておいても子供達は自律的にイジメを止めることは出来ないのである。むしろイジメというものは本能的な世間迎合性による封建的統率協調性によって結果的に発生するものであって、本能こそが社会を崩壊へと導く無意識性暴走へと誘うのである。

 本能というのは快楽と直結していることを忘れるべきではない、無意識的に崩壊へと暴走することは快楽で安心で満足なのである。













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