イモテマリオヤネコ 芋手鞠親猫
イテヤマモリオネコ 痛て山盛り御猫
テマネオヤコイモリ 手招親子イモリ
テオリネコヤマイモ 手織猫山芋
オモリコマネテイヤ 錘こまねて嫌
コモリオマネテイヤ 子守を真似て嫌
イヤマテコモリオネ 嫌待て子守尾根
イリオモテヤマネコ 西表山猫
脳がヲヤヂ化してて こんなんばっかり思いつくのよね。
Ende;
イテヤマモリオネコ 痛て山盛り御猫
テマネオヤコイモリ 手招親子イモリ
テオリネコヤマイモ 手織猫山芋
オモリコマネテイヤ 錘こまねて嫌
コモリオマネテイヤ 子守を真似て嫌
イヤマテコモリオネ 嫌待て子守尾根
イリオモテヤマネコ 西表山猫
脳がヲヤヂ化してて こんなんばっかり思いつくのよね。
Ende;
ヒトや動物のご機嫌取りを「人間性」だとか「心」だなどと勘違いしている大衆観念に溺れているからこそ、本当の人間性や心というものが何なのかを認識出来ず、結果的に社会安全性が蔑ろにされてしまうのである。
伊勢崎賢治のようにゲリラのボスを副大統領にするといったご機嫌取りによって、その場限りに紛争を終結させることも可能ではあろうが。それはその場しのぎの対応でしかなく、紛争そのものの原因究明や再発防止策には全くつながらないのである。
京大学長がゴリラを仲良くなっても、ヒトの危険性の原因究明や再発防止には全くつながらないのだが。論理的理解の出来ない大衆マスコミは、安易に霊長類の研究からヒトの安全性が立証されれば人間性というものが発揮出来るようにでもなるという、ほとんど意味不明な妄想に安心満足しているに過ぎない。
ウマのご機嫌取りをすることで、ウマにとって何の得にもならない行動をさせても、それは人間性の論証には一切ならない。
ヒトのご機嫌取りによって、アカの他人に大金を振り込ませる詐欺が出来ても、そんなものは人間性の論証にはならないのと一緒である。
メンタリズムなどの意識誘導を、金儲けなどのその場限りの利己的利益に結び付けることは可能であっても。それは「ゲリラを副大統領にする。」といった、その場しのぎな対策にしか利用することは出来ない。
ヒトの多くは自分の気分が良くなるような短絡的で安易な話をする相手を好む傾向があるが、個人の主観的好き嫌いが人間性の論証には全くならない。
東電経営者にしてみれば、目先の金儲けを優先して原発の危険性を放置してくれる相手を好むのであろうが、そんな主観的好みがどうして人間性の論証になると言うのであろうか。
詐欺師にとって主観的に好まれることが人間性の論証だとでも言うのであろうか。
それは、どんなヒトにとっても同じことであって。個人の主観的好き嫌いは人間性の論証には全くならないのである。
大衆迎合的なご機嫌取りやメンタリズムというのは、ヒトの先天的本能習性を利用した詐欺にも用いられる「手口」、「手法」、「コツ」の類でしかなく、それは徹頭徹尾「結果」しか導き出されるだけであり。 どんなに主観的に好きになっても、人間性の論証にはならない。
先天的本能習性の「結果」だけからは、人間としても「目的」は導き出されないのである。
むしろ、「結果」に過ぎない個人の主観的好き嫌いを短絡的に人間性や心だと思い込むことこそが、自己の主観を絶対的な価値観か何かと錯覚妄想している傲慢さである。
それはあたかも自分を神か何かの絶対的存在と勘違いしているようなものであり。その傲慢さこそが論理的思考を停止させ、社会安全性や持続可能性といったものへの配慮(意識)を喪失させるのである。
ヒトの多くは目先の多数派に迎合して人気取りさえ出来ていれば、人間としての優秀さか何かと錯覚妄想するのであろうが。そうした妄想錯覚こそがナチズムや帝国主義の傍観放置の原因となるのである。
その頭の悪さこそが、ヒトという種の生物の危険性であり。その頭の悪さというのは先天的な本能習性の「結果」に他ならない。
◇追加::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
先天的な本能習性といったものは結果でしかないわけですよ。 しかし人間としての社会性とか倫理といったものは、自律的に論理検証するという本質的な意識のみが導き出せるものであって、先天的な本能習性からは構造原理的に立証することは不可能なんですよ。
結果と目的を厳密に区別しないということは、人間としての社会的責任の放棄に該当するわけです。
大衆観念的には、その場限りのご機嫌取りを人間性か何かと勘違いしているようですが。その実証不能の観念こそが社会的な責任を放棄する原因であり、ヒトの危険性の一端なのです。
Ende;
伊勢崎賢治のようにゲリラのボスを副大統領にするといったご機嫌取りによって、その場限りに紛争を終結させることも可能ではあろうが。それはその場しのぎの対応でしかなく、紛争そのものの原因究明や再発防止策には全くつながらないのである。
京大学長がゴリラを仲良くなっても、ヒトの危険性の原因究明や再発防止には全くつながらないのだが。論理的理解の出来ない大衆マスコミは、安易に霊長類の研究からヒトの安全性が立証されれば人間性というものが発揮出来るようにでもなるという、ほとんど意味不明な妄想に安心満足しているに過ぎない。
ウマのご機嫌取りをすることで、ウマにとって何の得にもならない行動をさせても、それは人間性の論証には一切ならない。
ヒトのご機嫌取りによって、アカの他人に大金を振り込ませる詐欺が出来ても、そんなものは人間性の論証にはならないのと一緒である。
メンタリズムなどの意識誘導を、金儲けなどのその場限りの利己的利益に結び付けることは可能であっても。それは「ゲリラを副大統領にする。」といった、その場しのぎな対策にしか利用することは出来ない。
ヒトの多くは自分の気分が良くなるような短絡的で安易な話をする相手を好む傾向があるが、個人の主観的好き嫌いが人間性の論証には全くならない。
東電経営者にしてみれば、目先の金儲けを優先して原発の危険性を放置してくれる相手を好むのであろうが、そんな主観的好みがどうして人間性の論証になると言うのであろうか。
詐欺師にとって主観的に好まれることが人間性の論証だとでも言うのであろうか。
それは、どんなヒトにとっても同じことであって。個人の主観的好き嫌いは人間性の論証には全くならないのである。
大衆迎合的なご機嫌取りやメンタリズムというのは、ヒトの先天的本能習性を利用した詐欺にも用いられる「手口」、「手法」、「コツ」の類でしかなく、それは徹頭徹尾「結果」しか導き出されるだけであり。 どんなに主観的に好きになっても、人間性の論証にはならない。
先天的本能習性の「結果」だけからは、人間としても「目的」は導き出されないのである。
むしろ、「結果」に過ぎない個人の主観的好き嫌いを短絡的に人間性や心だと思い込むことこそが、自己の主観を絶対的な価値観か何かと錯覚妄想している傲慢さである。
それはあたかも自分を神か何かの絶対的存在と勘違いしているようなものであり。その傲慢さこそが論理的思考を停止させ、社会安全性や持続可能性といったものへの配慮(意識)を喪失させるのである。
ヒトの多くは目先の多数派に迎合して人気取りさえ出来ていれば、人間としての優秀さか何かと錯覚妄想するのであろうが。そうした妄想錯覚こそがナチズムや帝国主義の傍観放置の原因となるのである。
その頭の悪さこそが、ヒトという種の生物の危険性であり。その頭の悪さというのは先天的な本能習性の「結果」に他ならない。
◇追加::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
先天的な本能習性といったものは結果でしかないわけですよ。 しかし人間としての社会性とか倫理といったものは、自律的に論理検証するという本質的な意識のみが導き出せるものであって、先天的な本能習性からは構造原理的に立証することは不可能なんですよ。
結果と目的を厳密に区別しないということは、人間としての社会的責任の放棄に該当するわけです。
大衆観念的には、その場限りのご機嫌取りを人間性か何かと勘違いしているようですが。その実証不能の観念こそが社会的な責任を放棄する原因であり、ヒトの危険性の一端なのです。
Ende;
生物の遺伝的に組み込まれた先天的な本能習性というのは目的のために意識的に選択したものではない。
にも関わらず進化生物学者達は先天的本能習性から人間性を伴った社会性や倫理といった人間としての意識的目的行動を立証可能だと強弁し続けている。
相手が京大学長だろうと誰だろうと、論理的に根拠のない嘘を主張している以上、科学者としては無能なのである。
おそらく、こうした進化生物学の嘘というのは京大に限ったことではなく、世界中の進化生物学者達が共謀して論理検証の出来ない大衆マスコミという多数派を利用して現状の体制維持のために嘘の屋上屋を重ねているのであろう。
ゴリラのご機嫌取りが出来たからといって、それがヒトという種の生物の危険性回避に役立つわけではない。
それはヒトという種の生物のご機嫌取りが出来ても詐欺や金儲けにしか利用することが出来ないのと同じことであって、イヌのご機嫌取りで芸を仕込む程度の意味しかないのである。
例えば残虐な過激派組織の構成員のご機嫌取りが出来たとしても、その構成員がなぜ残虐な行動をするようになったのかという原因究明にはつながらないのである。
ご機嫌取りという行動自体は先天的本能習性に則った「結果」しか導き出すことは出来ず、ご機嫌取り自体が無意識を利用しているだけであって、ヒトの本質的意識の喪失の解明にはつながらない。
ヒトという種の生物のご機嫌取りが得意な者は少なくないが、彼らは相手の無意識な本能習性を利用して誘導しているに過ぎず、それは本質的意識である自律的論理検証性を全く必要としないばかりか、むしろ「無意識に誘導されているという客観的事実」を自覚していないからこそ誘導可能なのであって。ヒトの本質的意識である自律的論理検証性を無視した徹頭徹尾無意識性の話にしかならない。
無意識がもたらすあらゆる「結果」の陳列によって、文科系大衆マスコミにぬかよろこびをさせても。それは科学的には何の意味もない詐欺ペテンの類でしかないのである。
大衆マスコミの多くは、ゴリラのご機嫌取りが出来ればヒトの危険性の解明か何かにつながると勘違いすることも簡単なのかも知れないが。それはとんでもない大間違いであり、大嘘でしかない。
過激な暴力者のご機嫌取りが出来ても、それは暴力性の正当化にはなっても、暴力性の原因究明にはならず。当人達の本質的意識の欠落原因については何の言及も出来ないのである。
先天的本能習性という無意識がもたらす行動の「結果」には何の保証も存在しない。そこには意識的目的行動選択が構造原理的に存在していないからである。
ゴリラであれヒトであれ、ご機嫌取りというのは「結果」の陳列にしかならない。それは無意識性の陳列枚挙であって、そこから意識的な目的行動選択性というものを論ずることは出来ないのである。
ヒトという種の生物であったとしても、本質的意識が必ず働くわけではない。人間としての本質的意識というのは先天的な本能習性から逃れるためのものであって、本能習性という無意識がもたらすあらゆる「結果」に対して無為無策に流されないようにするからこそ意識であり目的行動選択なのである。
にも関わらず、先天的本能習性がもたらす「結果」から「人間性や倫理が立証可能だ。」などという非科学的嘘によって多数の大衆マスコミは満足し、何ら問題だとすら思わないから、進化生物学の組織腐敗が放置され続けているのであろう。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
目的と結果の混同は進化生物学上の「社会性」を、あたかも人間性を伴った社会性であるかのような錯覚を招き。人間としての社会性や倫理を先天的本能習性によって立証することが論理的には不可能であるにも関わらず、それが可能であるかのように妄想錯覚していれば気分的に安心満足感が得られるため、その満足感によって思考停止に陥り、ヒトという種の生物の危険性への対策が全く進まなくなるのである。
チンパンジーなどの行動習性結果から、あたかも人間としての社会性や倫理性が立証出来たかのような嘘を陳列しておけば。大衆マスコミは気分的に安心満足して大衆人気を集めることは簡単であろうが。こうした嘘こそがISILやオウム真理教、ナチズムのようなヒトの野蛮行為の原因究明を阻害し、予防や再発防止対策をも遅らせてしまうのである。
松沢哲郎ら進化生物学者達の多くは、現状の学界体制を維持温存することによって既得権益の保守を目的として大衆マスコミを騙しているのであって。これによってヒトという種の生物の危険性への研究が停滞してしまっているのである。
国会原子力発電所事故調査委員会の畑村洋太郎による検証実験に「コンセンサスが得られない。」などというのも。ヒトという種の生物の危険性を直視することの出来ない大多数の大衆による無責任な傍観放置性が原因であり、松沢哲郎ら進化生物学上の嘘に酔いしれ虜になっており、現実逃避に他ならない。
ヒトという種の生物の危険性を科学的、論理的に検証するためには。既存の刑法懲罰の不毛さにも言及しなければならない。ところが大衆の多くは事故や犯罪が発生すると、短絡的に刑法懲罰だけを「解決」であると錯覚するが。こうした短絡的妄想錯覚こそがヒトという種の生物の危険性の一端でもある。
論理的根拠もなしに「これさえやっておけば解決。」だという短絡的錯覚こそが、あらゆるヒトが引き起こす「人災」の根源的原因であり、ヒトという種の生物における人間性や倫理性の欠如の原因なのである。
ヘイトスピーチに対してカウンターで怒鳴り返そうとすることも、要は犯罪者に懲罰を与えて「解決」だという短絡的情動が促す錯覚であり。その短絡性はヘイトスピーチをやっている者達の短絡性を基本的には同じものである。
ヒトという種の生物は、先天的に短絡的で安易な解決策に走ることで。その場限りに大脳辺縁系を満足させようとする性質がある。 これはヒトに限ったことではなく、むしろ脳を持つ生物に普遍的に見られる習性であり、先天的習性に流されているからこそ、ヒトの大脳新皮質の容量の優位性が失われてしまうのである。
ヒトの大脳新皮質の容量の優位性とは、大脳辺縁系が促す気分感情に短絡的に流されることなく論理的に検証出来ることであって。それこそがヒトが人間足りうる意識の本質なのである。
また、「論理検証性こそが意識である。」と述べると。これまた短絡的に「理性には利己的利益追求の側面がある。」などという短絡的で論理検証性のない解釈をしてみたり。数学のような特定規則上での論理思考だけを理性だと短絡的に思い込むことも大変多い。
「左脳が理性を司る。」という話も、数学計算や言語発話のような特定機能がマッピングされていることに対しての短絡的解釈に他ならない。数学が得意なら原発の危険性を放置しないとか、言語能力が優れているから振り込め詐欺師にはならないといった統計的根拠は全くないばかりか、むしろこれらは反証にしかならない。
数学や詐欺といった特定の規則や原則に則った範囲でしか物事を考えられないことは、理性の本質とは言えないのである。
本当の理性というものは、目先の利己的利益や特定規則への欲求だけに囚われず、あらゆる世界の事象との関連性をも考慮に入れた統合性が必要であり。これはむしろ右脳の機能にこそ宿る性質であると言える。
短絡的帰結で物事を判断する者の多くは左脳優位な場合が多く、数学研究者や経済学者の多くは統合性に欠けることが非常に多い。
「品格」などという定義の曖昧な言葉を用いて文学的表現で人気取りをすることも簡単であろうが、それは何ら論理的解決策にはつながらない大衆迎合的満足に過ぎない。
こうした大衆迎合性、気分的安心満足こそが論理検証性の欠如を招き、社会の安全性や持続可能性への配慮をヒトの脳から奪うのである。
言うまでもなく、気分的安心満足が促す行動というのは、先天的なバイアスによるものであり。それはヒトという種の生物の先天的本能習性にこそ人間性喪失の原因が存在するということをも意味するのである。
にも関わらず、進化生物学者達が言い張る「先天的本能習性によって人間性や倫理性が立証可能。」などという嘘を鵜呑みにしているというのは、人間としてあまりに無責任であり、もはや犯罪行為にも等しい。
「本をたくさん読め」的な話も未だに時折出てくるが。読んだ書籍に内容を鵜呑みにして満足し、内容を自発的自律的に論理検証しないのであれば、知識の「量」を自慢しているに過ぎない。
知識の「量」を短絡的に知能だと思い込む頭の悪さに認識が働いていないのに、それをどうして知能だと言えるのであろうか。
大衆観念的には知識の「量」を短絡的に知能だと思い込むのであろうが、そんなものには論理的にも認知科学的にも根拠がないのである。
Ende;
にも関わらず進化生物学者達は先天的本能習性から人間性を伴った社会性や倫理といった人間としての意識的目的行動を立証可能だと強弁し続けている。
相手が京大学長だろうと誰だろうと、論理的に根拠のない嘘を主張している以上、科学者としては無能なのである。
おそらく、こうした進化生物学の嘘というのは京大に限ったことではなく、世界中の進化生物学者達が共謀して論理検証の出来ない大衆マスコミという多数派を利用して現状の体制維持のために嘘の屋上屋を重ねているのであろう。
ゴリラのご機嫌取りが出来たからといって、それがヒトという種の生物の危険性回避に役立つわけではない。
それはヒトという種の生物のご機嫌取りが出来ても詐欺や金儲けにしか利用することが出来ないのと同じことであって、イヌのご機嫌取りで芸を仕込む程度の意味しかないのである。
例えば残虐な過激派組織の構成員のご機嫌取りが出来たとしても、その構成員がなぜ残虐な行動をするようになったのかという原因究明にはつながらないのである。
ご機嫌取りという行動自体は先天的本能習性に則った「結果」しか導き出すことは出来ず、ご機嫌取り自体が無意識を利用しているだけであって、ヒトの本質的意識の喪失の解明にはつながらない。
ヒトという種の生物のご機嫌取りが得意な者は少なくないが、彼らは相手の無意識な本能習性を利用して誘導しているに過ぎず、それは本質的意識である自律的論理検証性を全く必要としないばかりか、むしろ「無意識に誘導されているという客観的事実」を自覚していないからこそ誘導可能なのであって。ヒトの本質的意識である自律的論理検証性を無視した徹頭徹尾無意識性の話にしかならない。
無意識がもたらすあらゆる「結果」の陳列によって、文科系大衆マスコミにぬかよろこびをさせても。それは科学的には何の意味もない詐欺ペテンの類でしかないのである。
大衆マスコミの多くは、ゴリラのご機嫌取りが出来ればヒトの危険性の解明か何かにつながると勘違いすることも簡単なのかも知れないが。それはとんでもない大間違いであり、大嘘でしかない。
過激な暴力者のご機嫌取りが出来ても、それは暴力性の正当化にはなっても、暴力性の原因究明にはならず。当人達の本質的意識の欠落原因については何の言及も出来ないのである。
先天的本能習性という無意識がもたらす行動の「結果」には何の保証も存在しない。そこには意識的目的行動選択が構造原理的に存在していないからである。
ゴリラであれヒトであれ、ご機嫌取りというのは「結果」の陳列にしかならない。それは無意識性の陳列枚挙であって、そこから意識的な目的行動選択性というものを論ずることは出来ないのである。
ヒトという種の生物であったとしても、本質的意識が必ず働くわけではない。人間としての本質的意識というのは先天的な本能習性から逃れるためのものであって、本能習性という無意識がもたらすあらゆる「結果」に対して無為無策に流されないようにするからこそ意識であり目的行動選択なのである。
にも関わらず、先天的本能習性がもたらす「結果」から「人間性や倫理が立証可能だ。」などという非科学的嘘によって多数の大衆マスコミは満足し、何ら問題だとすら思わないから、進化生物学の組織腐敗が放置され続けているのであろう。
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目的と結果の混同は進化生物学上の「社会性」を、あたかも人間性を伴った社会性であるかのような錯覚を招き。人間としての社会性や倫理を先天的本能習性によって立証することが論理的には不可能であるにも関わらず、それが可能であるかのように妄想錯覚していれば気分的に安心満足感が得られるため、その満足感によって思考停止に陥り、ヒトという種の生物の危険性への対策が全く進まなくなるのである。
チンパンジーなどの行動習性結果から、あたかも人間としての社会性や倫理性が立証出来たかのような嘘を陳列しておけば。大衆マスコミは気分的に安心満足して大衆人気を集めることは簡単であろうが。こうした嘘こそがISILやオウム真理教、ナチズムのようなヒトの野蛮行為の原因究明を阻害し、予防や再発防止対策をも遅らせてしまうのである。
松沢哲郎ら進化生物学者達の多くは、現状の学界体制を維持温存することによって既得権益の保守を目的として大衆マスコミを騙しているのであって。これによってヒトという種の生物の危険性への研究が停滞してしまっているのである。
国会原子力発電所事故調査委員会の畑村洋太郎による検証実験に「コンセンサスが得られない。」などというのも。ヒトという種の生物の危険性を直視することの出来ない大多数の大衆による無責任な傍観放置性が原因であり、松沢哲郎ら進化生物学上の嘘に酔いしれ虜になっており、現実逃避に他ならない。
ヒトという種の生物の危険性を科学的、論理的に検証するためには。既存の刑法懲罰の不毛さにも言及しなければならない。ところが大衆の多くは事故や犯罪が発生すると、短絡的に刑法懲罰だけを「解決」であると錯覚するが。こうした短絡的妄想錯覚こそがヒトという種の生物の危険性の一端でもある。
論理的根拠もなしに「これさえやっておけば解決。」だという短絡的錯覚こそが、あらゆるヒトが引き起こす「人災」の根源的原因であり、ヒトという種の生物における人間性や倫理性の欠如の原因なのである。
ヘイトスピーチに対してカウンターで怒鳴り返そうとすることも、要は犯罪者に懲罰を与えて「解決」だという短絡的情動が促す錯覚であり。その短絡性はヘイトスピーチをやっている者達の短絡性を基本的には同じものである。
ヒトという種の生物は、先天的に短絡的で安易な解決策に走ることで。その場限りに大脳辺縁系を満足させようとする性質がある。 これはヒトに限ったことではなく、むしろ脳を持つ生物に普遍的に見られる習性であり、先天的習性に流されているからこそ、ヒトの大脳新皮質の容量の優位性が失われてしまうのである。
ヒトの大脳新皮質の容量の優位性とは、大脳辺縁系が促す気分感情に短絡的に流されることなく論理的に検証出来ることであって。それこそがヒトが人間足りうる意識の本質なのである。
また、「論理検証性こそが意識である。」と述べると。これまた短絡的に「理性には利己的利益追求の側面がある。」などという短絡的で論理検証性のない解釈をしてみたり。数学のような特定規則上での論理思考だけを理性だと短絡的に思い込むことも大変多い。
「左脳が理性を司る。」という話も、数学計算や言語発話のような特定機能がマッピングされていることに対しての短絡的解釈に他ならない。数学が得意なら原発の危険性を放置しないとか、言語能力が優れているから振り込め詐欺師にはならないといった統計的根拠は全くないばかりか、むしろこれらは反証にしかならない。
数学や詐欺といった特定の規則や原則に則った範囲でしか物事を考えられないことは、理性の本質とは言えないのである。
本当の理性というものは、目先の利己的利益や特定規則への欲求だけに囚われず、あらゆる世界の事象との関連性をも考慮に入れた統合性が必要であり。これはむしろ右脳の機能にこそ宿る性質であると言える。
短絡的帰結で物事を判断する者の多くは左脳優位な場合が多く、数学研究者や経済学者の多くは統合性に欠けることが非常に多い。
「品格」などという定義の曖昧な言葉を用いて文学的表現で人気取りをすることも簡単であろうが、それは何ら論理的解決策にはつながらない大衆迎合的満足に過ぎない。
こうした大衆迎合性、気分的安心満足こそが論理検証性の欠如を招き、社会の安全性や持続可能性への配慮をヒトの脳から奪うのである。
言うまでもなく、気分的安心満足が促す行動というのは、先天的なバイアスによるものであり。それはヒトという種の生物の先天的本能習性にこそ人間性喪失の原因が存在するということをも意味するのである。
にも関わらず、進化生物学者達が言い張る「先天的本能習性によって人間性や倫理性が立証可能。」などという嘘を鵜呑みにしているというのは、人間としてあまりに無責任であり、もはや犯罪行為にも等しい。
「本をたくさん読め」的な話も未だに時折出てくるが。読んだ書籍に内容を鵜呑みにして満足し、内容を自発的自律的に論理検証しないのであれば、知識の「量」を自慢しているに過ぎない。
知識の「量」を短絡的に知能だと思い込む頭の悪さに認識が働いていないのに、それをどうして知能だと言えるのであろうか。
大衆観念的には知識の「量」を短絡的に知能だと思い込むのであろうが、そんなものには論理的にも認知科学的にも根拠がないのである。
Ende;
igus イグリデュールプラスチックベアリング
イグスカーっていう改造小型車で10万キロ走ったとか。 PTFE:ポリテトラフルオロエチレン フルオロって多分フッ素系。 安いんだったらダンボール自転車に使うなど。
ナックイメージテクノロジー ハイスピードカメラ 貸出もやっているそうだ。
AG-DVX200 パナソニック業務用カムコーダー 5000ドルって60万円くらいかな。
安中特殊硝子製作所 ロッドガラスってカレイドスコープに応用出来ないのかなって前から思っている。
トライテラスパネル LEDってどうしても点光源になりがちなので、拡散板で柔らかな光にしたらよかろと思う。
3Dペンをナカバヤシが量産請け負ったのか?
日刊工業新聞 新製品情報ってネット上だと読みづらい。
らくやきマーカーのインクってインクジェットプリンターで使えないのかしら。
リカシツ 理科実験ガラス器具
住所:〒135-0023 東京都江東区平野1-9-7 深田荘202
タナカ ワークス モデルガン
住所:東京都北区豊島8-15-11 ミツウロコ王子マンション1F *:ここは卸問屋で小売店ではないから個人で行くと迷惑かも。
市川紗椰のウンコピアス。
Ende;
イグスカーっていう改造小型車で10万キロ走ったとか。 PTFE:ポリテトラフルオロエチレン フルオロって多分フッ素系。 安いんだったらダンボール自転車に使うなど。
ナックイメージテクノロジー ハイスピードカメラ 貸出もやっているそうだ。
AG-DVX200 パナソニック業務用カムコーダー 5000ドルって60万円くらいかな。
安中特殊硝子製作所 ロッドガラスってカレイドスコープに応用出来ないのかなって前から思っている。
トライテラスパネル LEDってどうしても点光源になりがちなので、拡散板で柔らかな光にしたらよかろと思う。
3Dペンをナカバヤシが量産請け負ったのか?
日刊工業新聞 新製品情報ってネット上だと読みづらい。
らくやきマーカーのインクってインクジェットプリンターで使えないのかしら。
リカシツ 理科実験ガラス器具
住所:〒135-0023 東京都江東区平野1-9-7 深田荘202
タナカ ワークス モデルガン
住所:東京都北区豊島8-15-11 ミツウロコ王子マンション1F *:ここは卸問屋で小売店ではないから個人で行くと迷惑かも。
市川紗椰のウンコピアス。
Ende;