書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○New FD35㎜ F2.0。

2017年01月31日 15時09分30秒 | 写真
10群11枚構成

キヤノンAPS-Cセンサーで使用すると56㎜相当の画角になる

先ずは全体

絞り開放だと周辺光量不足が目立つんだけど、一段絞ればわからなくなる

次に画面中央部拡大画像

f2


f2.8


f4


f5.6


f8


f11


f16


f22


f5.6かf8辺りが一番鮮明になるのかな

低周波のコントラスト感は少しゆるいんだけど、意外とマクロ50㎜よか高周波の解像感はある

◇追記:いや、50㎜と見較べてみたらそんなことはなかった



あとNew FD80-200㎜ F4Lでも試写してみたんだけど、今日は北風が凄くてブレまくっちゃって、陽炎まで出ちゃってどうにもならなかった

200㎜望遠端 f4開放 画面中央部ピクセル等倍





Ende;
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○行方不明。

2017年01月30日 20時15分51秒 | 日記
黒井マヤ的なものを作ろうとこねくり回しているんだけど

いじればいじる程わけわからなくなってくる

目許の表情が違うのかな


あと弘中綾香的なものもこさえてる

これも何だかわからんw

わからん時は放置するのが一番

そのうちわかるかも知れないし

わからないかも知れない


Ende;
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○実写。

2017年01月30日 13時57分20秒 | 写真
gooブログの仕様で18メガピクセルの画像をそのまま載せられないので画面中央部分をピクセル等倍で掲載するね

使用したレンズは New マクロFD50㎜ F3.5

まずは全体像


絞り開放 f3.5


f4.5


f5.6半


f8半


f11半


開放から一段絞ると少し画質が改善するように見える

けどf8半くらいまで画質の変化はほとんどわからなくて、f11半まで絞ると何となくボンヤリしてくる


画像全体


f3.5


f4.5


f5.6半


f8半
画像の数字は間違い

f11半


人工物でも傾向に違いはなさそうで、f5.6くらいが画質のピークらしい

今回はレンズの生の性能を検証してみたくてシャープネスをoffにして撮影してみた

35㎜フルサイズ用レンズをキヤノンAPS-Cでクロップしているにも関わらず絞り開放では周辺光量不足が見られた

なので、絞り開放でピント合わせをした後に2段程絞り込んでからシャッタースピードを決めて撮るという使い方になるんだと思う

また、夜景の撮影では街路灯などの強い光が画面対角線上あたりに緑色のゴーストとなって現れるなど、やっぱりアナログ世代のレンズらしい欠陥も見つかった

撮影したのが1月30日で、季節外れな暖かく湿度の高い日だったために、一層コントラストの低い画像になってしまったのだけど、まあまあ悪くない組み合わせだと思う



Ende;
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○マウントアダプター改造計画発動。

2017年01月29日 15時05分59秒 | 日記
デジタルホビーのFDーEOS EF-Mマウントアダプターを注文したら、「お届けが半年先になりそう」との旨メールが来て、流石にそこまで待てないのでキャンセルして、ケンコーで販売しているTマウントーEOS EF-Mマウントの変換アダプターを購入して改造計画を発動

ケンコーのマウントアダプターはアルミ系材料を機械加工した美麗な仕上がりで、切削面は虹が出る程なので、精度的には信頼性が高そうで、これで¥3,000ちょっとというのはかなりお買い得感ある

Tマウント側とEF-Mマウント側は2.6㎜のイモネジ3本をマイナスの精密ドライバーで締め付けるようになっている

これはTマウントがネジ込み式であるため、回転角度調整のためのものだと思うが、ネジを締めない状態だと結構ガタつく

でもTマウント側パーツは今回不要なのでネジを全部緩めて取り外しておく



んで、今度はFDレンズマウントも入手しなくちゃならなくて、新宿の中古カメラ屋をハシゴして「中古カメラ市場」でCanon T-50のジャンク品(税込み¥1,620-)を買ってきた

よくよく考えたらマウントアダプターも新宿のヨドバシで買えばよかったんだ

まあいいや

「中古カメラボックス」にCanon FT-bが中古で¥1,080-ってのもあったんだけど、あんまりマウントの状態が良くなさそうだったので避けた

「マップカメラ」の場合、ジャンクも含めてネット上に全て掲載されているそうで、ネット上に載っていない場合には在庫はないとのこと

東口にも2軒(三共とアルプス)あるんだけど、あまりに寒かったので足を伸ばす気が失せてしまった。西新宿ってビル風スゲーのよ

買ってきたT-50は埃だらけだったんだけど、ウエットティッシュで拭いたら意外と状態が良くて、電池ボックスのフタ側端子が液漏れとおぼしき腐食はあったものの、これも拭き取ってアルカリ電池を入れたら一応動いた

ただ、ダストキャップも何もない状態で剥き出し埃まみれで陳列されていたので、ミラー精度が低下してキチンとピントが合わせられない可能性はあるかも

とは言え、一応動くカメラから部品を取ってしまうというのは、何とも忍びないのだけれど。まあ、仕方ないね。EOS M10の生贄として有り難く分解させていただきます 南無阿弥陀仏…

あと意外だったのはファインダーアイピースが無傷だったので、これは手持ちのT-70のそのまま使えたこと

今のところマウント部品を取った以上の分解はしてないんだけど、ペンタプリズムを取りだしたら綺麗かも。まそれは後でのお楽しみ




さて、マウントアダプターの工作に移ります

キヤノンFDマウントのフランジバックは42㎜で

キヤノンEF-Mマウントのフランジバックは18㎜なので

その差は24㎜

アダプターのEF-Mマウントパーツの厚みがフランジ面から20㎜なので、4㎜延長した先にFDレンズのフランジ面がくれば良いことになる

FDマウントのカメラ側の外爪部品の厚みは5.5㎜なので、単にネジ穴的なものを設けてくっつけても既に1.5㎜のアンダーインフィニティになるのと。そもそも取り付け穴自体がアダプターの外周からはみ出し気味なので、直接ネジ穴をあけて取り付けることが出来ない

となると厚さ2㎜のアルミ板的なものをはさんで接続するなどの必要があるので、EF-Mマウントパーツの前面を3.5㎜削り取る必要がある

大変…(T_T)

アダプターの断面厚みが5.5㎜くらいあるので1㎜削るのに2時間くらいかかった

スウェーデン製のヤスリでガリガリ削ったんだけど、丸一日潰れた

体中痛い…

若干調整に手間取って0.05㎜くらい削り過ぎた

削り過ぎならプラスチックフィルム的なものをガスケット状に挟めばなんとかなるので、肝心なのはむしろマウント面との平行が保たれていること

次に挟み込むアルミ板の寸法を検討してたら、FDマウントのネジ穴の間隔が何かおかしい

よーく見たら、上側(切り欠きのある方)の二つのネジ穴が下側の二つのネジ穴よか間隔が広いことに気がついた

つまり、ネジ穴の位置は対角線上ではないので、現物合わせでネジ穴を決める必要がある

気がつかなかったら寸法がとっちらかっていたかも知れない

Fig:


上側のネジの間隔は45㎜で、下側は40㎜だった

FDマウント部品のネジはM2なので、Φ1.6㎜の下穴をあけてM2のタップでネジ山を切ったんだけど、厚さ2㎜のアルミ板では強度が足りなくて、ちょっと締めすぎたらネジ山が崩れてしまった

仕方ないのでナットで裏から締め込む

アルミ板をマウントアダプター側に取り付けるにもM2のビスで留めたんだけど、やっぱりアルミなのでネジ山が脆弱そうなので、下穴を深さ10㎜近くまであけてから長さ8㎜の皿ビスで締め込んだ

ネジの長さって、鍋頭だとネジ部分だけを長さとして表記しているんだけど。皿頭だと頭も含めての長さ表記になっていたので、注意が必要



フランジ間の長さはノギスで測って24㎜ 残念ながらマイクロメーターは20㎜までしか測れないので、0.05㎜以下の誤差については不明

アダプターの削り過ぎは多分アルミ板の厚み誤差か、若しくはドリルやタップのメクれか何かでチャラになったらしい

これで一応改造アダプターが完成したのでEOS M10のバッテリーを充電、ランプが緑色になるまでやることがなくなったのでこんな記事書いてみたりしている

一応ネット上の情報ではEOS-Mマウントのフランジバックは18㎜で、FDマウントのフランジバックは42㎜と書いてあったので、フランジバック間は24㎜ピッタリで良いはずなんだけど

実際に撮影してみるまではわからない

次回は実写記事となる予定

結末や果たして…

Fig:

FDレンズの場合、本来は絞り込み機構が必要なんだけど、実はマクロレンズだけは絞り込みレバーロック機構が内蔵されているので、必要ないのです




○今回のマウントアダプター改造計画の費用

ケンコーEOS-M Tマウントアダプター ¥3,370

キヤノン T-50(中古) ¥1,620

100×300 t:2 アルミ板 ¥490

M2 ビスナットセット ¥105

計 ¥5,585

今回購入したのはこれだけなんだけど、実際にはM2のタップとか1.6㎜のドリルとかピンバイスとかスウェーデン製のヤスリとかノギスとかもろもろ持ってたのでこの金額でおさまっている

結局価格的には安くはなかったんだけど、半年待ちは回避出来たし、アルミの端材はパワーLEDの放熱板とかにも使えるし、まいっかって感じ

Ende;
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○オカルト進化生物学。

2017年01月23日 15時32分52秒 | 意識論関連
○客観的事実は存在するのか

有限の脳と認識能力しか持たないヒトが、絶対的100%の客観的事実認知をすることは原理的に不可能であることは確かである

しかし、論理的根拠に基づいた科学的立証というものは、客観性をより100%に近付けることによって、より普遍性や確実性を高めることが出来るのであって。「全てが主観に過ぎない」というのは暴論である

たとえ100%でなくても、99.99999999%の信頼性があれば、余程の例外でもない限り確実性が高いのは確かである

科学というのは100%ではない、何でもかんでも短絡的に100%であると決め付け、それ以外の可能性を全く思考から排除してしまうことの方が危険なのである

宗教とかイデオロギーというのは、その内部で100%に陥りがちである

判りやすいポンコツ脳の典型として、矢追純一の思考パタンが挙げられる

矢追純一は、空中に何かが浮遊しているかのように見える映像の類を見せると、何でもかんでもとりあえず「宇宙人が地球に観測に来ている。」ことに決め付けてしまう

写真に多少なりとも詳しい人であれば、明らかに単なるレンズの内部反射に起因するゴーストや、安いズームレンズにありがちな変則的な瞳形状に起因する菱形のデフォーカス(ピント外れ)形状に過ぎない画像であっても、矢追は短絡的に全て「宇宙人だ。」とこじつける

これは、最初に「空中に浮いているように見える何かの全ては宇宙人の乗り物である。」という観念だけが先行した思い込みに基づいた判断であるため、その他の可能性についての検証が全てなかったことになってしまうのである

こうした思い込みというのは、進化生物学者のほとんど全員が「進化の全ては常に絶対に正しい結果にしか至らない。」という観念に基づいた論証しかしたがらないのと同じである

実際には遺伝子変異のほとんどは遺伝病の原因にこそなれ、何らかの進化に寄与することは極めて稀である

生物の遺伝的進化というものがどのような過程によって発生するのかについて考えるのには、耐性菌の発生を例に挙げると理解しやすいかも知れない

ある菌に殺菌効果のある抗生物質を人体に投与した場合、その菌にとって人体は極限環境であると言える

抗生物質というのは、湿疹などの異常な副作用でも起きない限りは処方された分は最後まで飲み切るよう指示されるわけだが、それによってほとんどの場合耐性菌が発生する前に絶滅させることが出来るからである

しかし、菌が減ったことによる症状緩和に安心して、処方された抗生物質を途中でやめてしまったりすると、菌の中には突然変異によって耐性を持った菌が発生し、その耐性菌だけを残して耐性を持つことの出来なかった全ての菌が死滅することになる

絶滅死滅しない程度の適度な極限環境でのみ、進化は成功するのであって、わずかでも淘汰圧力が大き過ぎれば絶滅してしまうという、極めてギャンブル性の高い結果が遺伝的進化なのである

しかし、耐性獲得のための突然変異というものは、そのほとんどは生存には適することは出来ず、死滅するのであって、大量の「失敗」の果てに偶発的に死なずに済む変異と耐性の両方を持った個体の発生過程というものは、極めて非効率で合理性のない「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たることもある。」的なカオスの果ての偶発的「結果」でしかない

菌類というのは世代交代サイクルが非常に速いため、ヒトなどの生物の進化速度とは大きく異なるものであり、短期間に耐性を獲得したとしても、その過程や構造自体に合理性が存在しないことに違いなどない



梅やピラカンサの未成熟果実には青酸毒があるのだが、進化生物学者の多くは、「未成熟果実が鳥に食べられても、繁殖に適することが出来ないために、植物自らが未成熟果実を食べられることのないよう進化した。」などという理屈を平気で言い出す

植物には、自分の果実が鳥に食べられることで繁殖できるかどうかを判断認識して選択する脳などの器官など存在せず、そもそも自身の遺伝子を都合良く書き換える能力など、ヒト以外の生物には存在しておらず、「自ら進化することを選択した。」などという話の全ては非科学的な妄想錯覚でしかない

偶発的変異によって、未成熟果実に青酸毒がある個体が発生した結果、その方がより生存に適していた結果として淘汰圧力が働いたとは言えるものの、この淘汰には植物個体の意識的目的行動選択が介在する余地は一切存在しない



個体による意識的目的選択が介在しないのに、どうして生存に適した個体が遺るのか?(←愚問)

自然淘汰による進化というのは、必ずしも生存に適する保証などなく。絶滅しているケースも無数にあるはずなのだが、何せ既に絶滅してしまっているために証拠がほとんど残らない

「死人に口なし」である

結果的に生存に適した個体が遺るのは、結果的に残った個体は生存していたという結果であって。生存は個体にとっても、それ以外の何者にとっても目的ではない

結果的に生存しているものを生物と分類しているのであって、生物の目的が生存なのではない

この基本的定理を理解していない生物学者があまりに多過ぎることが、生物進化に対する理論構造を破綻させており。故に数理工学系研究者の多くが「生物学はわけがわからない。」と称して論理検証すらしないため、生物学だけが理化学系学部の中で非科学的オカルト状態が放置されているのである

分類というのは思考のための手段であって、手段自体が目的になってしまうのもヒトという種の生物の脳の欠陥(錯覚)の一つである

その結果がフランシス:ゴルトンの優生学への論理反証が黙殺隠蔽され、「結果的に生き残ったものが絶対的正義(その内部において100%)である。」という実証不能の観念に基づいた野蛮行為が後を絶たないのである

相模原の障害者虐殺事件の原因の一つは、京都大学生物学部の松沢哲郎らによる構造原理的に不可能な立証方法の予測に対して文化功労賞を与えるなどというキチガイじみた社会的(多数決)評価が傍観放置されているからである

科学は本来多数決ではなく、論理的に正しいかどうかが基準であって。多数大衆の人気取りを科学に持ち込むのは根本的に大間違いであり、社会安全性を行う損なう極めて大きな要因なのである

自然淘汰などという過酷で野蛮で確実性のない進化過程を人間社会に適応すること自体、極めて危険な非人道的行為であり。経済学における「見えざる神の手」同様、科学的な合理的根拠を伴わない「神話」であり、「実証不能の観念」であることを認識していないから、ヒトという種の生物は暴力的解決への依存(中毒)が治らないのである





Ende;
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○特典の期限。

2017年01月21日 13時05分40秒 | 日記
キヤノンイメージゲートウェイの新規入会特典として、超初心者向け撮り方ガイドページへの案内がメールで届いたんだけど

このメールから3週間以上リンクから入らないと二回目以降の案内すら届かなくなるんだそうだ

どうなの、こういう時限つき特典って

人によっては入会してから暫く忙しくて見れなかったりする場合もあると思うのに

キヤノンの方から一方的に特典解除する必要ってあんのかしら

おいらの場合は別に超初心者ではないので、どうでも良い話ではあるんだけど

そもそもミラーレス買ったのに一眼レフのファインダー視度補正機構の使い方説明されてもわけわからんし


メールぐらいタダだし、どうせ自動なんだから何度でも期限なしで送りゃ良いじゃねぇのかと思うけどな

一年くらいの期限ならまだしも、3週間って短くね?

なんか高飛車殿様商売な印象を持ってしまうよ





キャッシュバックの書類は1月12日には郵送したはずなのに20日になってキヤノンから応募書類が来てない旨のメールが来た

※本メールは、ステップ1・2を完了いただいており、ステップ3の応募書類が事務局にて 確認できていないお客様へご連絡させていただいております。

単純に応募が多過ぎて捌き切れずに確認できていないだけならいいんだが

こういうキャンペーンの類ってキヤノンが自社で事務局担当するんじゃなくて、大抵の場合電通とかの外部に委託していることがままある

電通は今高橋まつりさんの過重労働自殺問題に起因する人手不足で捌ききれなくて確認できていないだけなのかも

それとも郵便事故とか?

ああ 本当に3000円戻ってくるのかな

戻って来なかったら経費390円と作業が全部無駄になっちゃうよ

不安…




Ende;
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○文明規模は人間性の論証ではない。

2017年01月20日 23時40分18秒 | 意識論関連
「感じることこそ意識なのです。」 科学哲学者 ペンティ:ハイコネン

「感覚と感情こそが意識の本質である」という話は、論理的分析の帰結ではなく、単なる先天的でアプリオリな錯覚に過ぎず。全然論理的根拠が伴っていない

大衆観念的には個人的主観に過ぎない感覚こそが意識の本質であるという錯覚妄想は、むしろバカが陥る簡単な帰結に過ぎない

ヘイトスピーチで怒鳴り散らしている男は、主観的感覚にのみ依って先天的シーケンスのままに行動しているに過ぎず。こんな行動が「高度な意識」であるなどという話には全くならない

要するに、ハイコネンは論理検証の出来ない凡人に過ぎず。科学哲学者として無能である

現在の文科系学部なんていうのは、こんなポンコツばっかりだからね

だから東大から一掃されたのよ




協調的な統率行動によって、個体では得られないような能力を獲得したからといって、こうした能力の拡大というものが常に正しい結果を導くわけではなく。

単純に能力が拡大して文明が肥大したことが人間性の論証にはならない

文明の肥大化は原発暴走のような事態をも招くものであり、文明が肥大したことを短絡的に人間性の論証か何かと錯覚するのは凡人の観念でしかない

そもそも戦争なんていうのは、ヒトの協調的な統率行動の産物であり、強大な破壊力を発揮出来るからといって、これが人間性の証明になど一切ならない

能力の大きさや規模が人間性の論証になるわけではない

集団組織的に規模の大きな能力を獲得しさえすれば人間性の論証になるわけではなく、人間性というのは自律的な社会的責任判断選択ができるかどうかの問題であって、温室効果ガスの排出量を抑制出来ない現代社会そのもに価値があるわけではない





「言語こそが文明の根幹」

文明においては言語は大きな役割を果たしていることに異論はないが、文明でありさえすれば人間性が証明されたわけではないことは既に述べたつもりである

文科系大衆の多くは、ヒトという種の生物が集団組織的統率行動によって、個体では獲得することが困難な能力を獲得したことこそが人間性やヒトの絶対的優位性か何かだと勘違い錯覚妄想するのだが

それはヒトという生物の性質の論証にはなっても、それが短絡的に人間性の論証になるわけではない

人間性を伴わず、社会持続可能性や安全性への配慮が働かない集団組織が、経常利益などの特定の能力をどんなに発揮しても、社会を食い物にして破綻に導くだけであり。暴走でしかない

言語であっても能力の一つに過ぎず、言語さえ話せれば人間性が発揮できるわけではなく、詐欺もオカルトも言語によって作り出されるものであり、これもまた文明の一面なのである

文明規模の大小で人間性(人間としての価値)が決定するわけではなく、重要なのは文明という力の規模を制御する人間性の方にある

社会持続可能性や安全性が担保出来ないのでは、如何なる大きな力も破綻への暴走にしか至らないからである



Ende;
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○ラジコンの潜在需要って掘り起こせないのかな。

2017年01月20日 17時24分03秒 | 日記
このブログの閲覧数のトップが常にラジコンカーシャーシの記事なのよね

もうかなり昔の情報なのに、相変わらず閲覧数トップなのって、よっぽど情報に乏しいからなんじゃなかろうか

何だかんだ言って、本当はラジコンやりたい人ってスゲーいっぱいいるんじゃね?

んまあ走らせるところが少ないっていうのもあるんだろうけども

もしかすると潜在需要がスゲーあって、掘り起こしが充分に出来てないだけなんじゃないのかな




ラジコンカーの操作性って、車体そのものの性質以前に、送信機の操作性がやたら悪くて操縦しづらいっていうのがある

まず、アクセル/ブレーキのトリガーのストロークが小さ過ぎて、アクセルの微調整が出来なくて壁に激突する

本物の自動車の場合、アクセルってそれなりのストロークがあるし、踏み込みの重さもそれなりにあるんだけど。ラジコンの送信機のアクセルトリガーっていうのはニュートラル(中立:前にも後ろにも動かない状態)に戻すためのバネしかつけられていないために、アクセルトリガーの抵抗感がほとんどなくて。これが操作上直感的でないので、初心者はみんな壁に激突させて車を壊しちゃう

だけど、みんな「ラジコンってそういうものだ。」っていう思い込みがあって、誰もこの操作性の悪さに言及すらせず、操作性の悪い送信機を努力辛抱根性でなんとかしようとしかしない

これはラジコン送信機(プロポ)のメーカーの企業努力が足りてないんだと思うよ




初心者が陥りがちな失敗として、アクセルトリガーを操作するときに、送信機全体を動かしてしまうために。ハンドルを動かすつもりがないのに、送信機本体が動いてしまって結果的に意図しないハンドル操作になってしまっていることがある

何せ操作中は車体の方を見ているわけで、手元の送信機がどうなっているのかなんて見えてないから、単に自分の操作が下手くそだから車が意図しない方向に走って行っちゃうんだと勘違いしている場合がある

対策としては送信機の底をお腹にくっつけて固定し、アクセルトリガーを操作しても送信機全体が動かないよう操作するなどの方法がある




次に陥りがちな失敗は、車体が自分から遠ざかっている時と、車体が自分の方に向かって来る時とでハンドル操作の向きが逆になっているのを直感的に把握出来ずに、訳のわからぬ方向に車が進んでしまうことがある

これはもう慣れるしかないラジコンの基礎ではあるんだけど、実は頭の中で自分が車に乗っかっていることを想定してハンドルを切ろうとするから起きることなので、あくまで旋回方向を決めているだけだっていう認識を持つことで、かなり操作性が改善したりする

もう少し具体的に説明すると、送信機のハンドルを上に水平になるように持って、右旋回をさせる時には右に、左旋回をさせる時には左にハンドルを切るという認識を持てば、たとえ車体が自分の方に向かって来てもハンドル操作にまごつくことはなくなるはずなのよね

もう少し説明すると、車体が自分から遠ざかる時にはハンドルの上側を意識して、車体が自分に向かってくる時にはハンドルの手前側を意識すれば良い

そうすると、どんな方向に車体が向いていても、ハンドルの「車体が向いている方向」を意識することで、自分が切りたい方向にハンドル操作が出来るようになるのよ

え、出来ないって? それは残念でした 後は努力辛抱根性で何とかしてください



Ende;
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○ヒトに必要なのは遺伝的進化ではなく、意識改革による社会進化である。

2017年01月20日 15時24分51秒 | 意識論関連
いちいち先天的性質が環境変化に適応してたんじゃ、その都度先天的に適応していない個体が大量に死ななきゃいけない

遺伝的進化というのは、自然淘汰という過酷な大量死の果てに偶発的に生き遺ることで生ずるものであって。進化過程自体は非常に非効率で確実性の低いものなのである

自然淘汰というものは、必ずしも適応出来る個体が発生する確証なんかなくて、単純に誰も適応できずに絶滅するケースも無数にある

しかし、ヒトの場合は寒さに対して衣服を着用するなどの合理的工夫をすることで、先天的な進化を必要とせずに生き残ることが出来るようになったわけで、ヒトという種の生物においては遺伝的進化はもはや必要のないものなのである

ところが生物学者や大衆の大多数は、進化というものが努力辛抱根性的精神論さえ発揮しておけば、自動的に都合良く発生してくれるという非科学的妄想観念を本気にしている

こういった非科学的妄想を生物学界が否定せずに、大衆人気取りのために迎合した論証を続けているからこそ、「戦争で人類が進化する。」的なわけのわからぬ事を言い出す天然オカルトちゃんが後を絶たない

テロとか暴力で人類救済だの進化だのが起きると思っているからこそ、ISILとかオウム真理教みたいなオカルト暴走集団が出てくるのであって

「ヒヤリ、ハッと」事象の段階で徹底的に潰しておかないから不条理な暴力がなくならないのよ

もういい加減文科系学部と同様に進化生物学者達は全員更迭しなきゃダメなんじゃね?

優生学に対する論理反証をこれ以上黙殺するのって、充分犯罪だろ






NHK Eテレの高校講座(地学)でプルガトリウスの話をしとったのよ
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○暴走の原因は「神話」にある。

2017年01月19日 13時31分06秒 | 意識論関連
「株主の利益を最大に」的な話というのは、アダム:スミスの「見えざる神の手」神話に基づいた妄想なので、こんなことを言い出すバカは無視すべきである

若者の労働力を安く買い叩いてまで株主の利益を最大にしても、企業としての社会的役割である社会持続可能性や安全性に貢献することにはならない

たとえ株主出資者であろうとも、社会持続可能性や安全性までをも犠牲にしてまで利益追求をして良い理由などない

アダム:スミスが論じた「欲望」というものは、そこに人間性としての自律的論理検証性に基づいた選択が介在していなければ、単なる目先の奪い合いにしかならず。結局企業としての社会的役割というものを喪失して、目先の利益追求にのみ暴走してしまうことになるのである

単に現状経営が安定しているとしても、社会を食い物にしているのであれば、その末路は社会環境もろとも大絶滅にまで至ってしまうことになる

もし、ダーウィンの進化論的進化の過程を踏めば自動的に環境調和性が組み込まれると言うのであれば、それは大絶滅を偶発的に免れた社会にのみ得られる偶然の産物でしかない

進化論によって説明される環境調和性というものは、膨大な失敗による累々たる屍の果てに偶発的かつ暫定的に得られる調和性に過ぎず。僅かでも環境条件に変化があれば簡単に崩壊する可能性をも持った、極めて脆弱な暫定的バランスの上に成り立つ「結果」でしかないのである

しかし、ヒトはこうした自然界のカオスの結果でしかない偶然に頼ることなく、自発的に環境調和できるよう自律選択可能性を持っている

社会持続可能性や安全性といったものを、意識的な「目的」として選択してこそ、野蛮な自然淘汰に頼らず選択することが出来るのである

こうした自律的選択可能性こそが、人間としての知能なのであって。何も自分では考えず、ただアダム:スミスや糞経済学者の言いなりになっているのであれば、ただのバカでしかなく、バカの集団がバカげた結末に致るのは必然に過ぎない

経済活動に関わる一人一人の意識に人間性や倫理が伴ってこそ、初めて「見えざる神」は現れるのであって。人間性のない野蛮なサルの奪い合いにそんな都合の良い結末は用意されていないのである

証券取引などにおいても、取引者の大半に自律的な人間性が伴っており、且つ誰がどのような取引の仕方をしているかが明確に判るようになっていれば、社会にとって害を成すような取引をする相手を市場から排除することも可能なのである

フィクションというものには二つの種類があり。相互信頼性の上に成り立つ「約束事」と、単なる大衆観念的妄想によってでっちあげられた「神話」や妄想の類は全く別のものである。

この区別がつかないから、あらゆる暴走性に歯止めが効かないのである




東京農大の太田光明は 「かつてネコはネズミなどの害獣を退治することでヒトから必要とされていたが、現代社会ではいわば失業したため、ネコがヒトに対して鳴くことでヒトに好かれるよう努力している」と述べていた

ネコがヒトに対して鳴く個体が増えたのは、ヒトに対して鳴く個体への淘汰圧力が働くことによる結果であって、ネコ自身の努力によってヒトに向かって鳴くようになったわけではない

進化というのは先天的性質に対して環境的淘汰圧力の結果でしか起こらないものであり、個体自身の努力とは無関係であることは論理的には当たり前の話である

このように論理的理解の出来ていない生物学者があまりに多過ぎており、生物進化についての検証があまりにお粗末過ぎる

個体の努力では遺伝的要素を選択することなど構造原理的に有り得ないのだが、論理的理解の出来ない文科系大衆観念者達というのはこれを理解しようとすらしない

そもそも遺伝的要因というものは、個体が自ら目的のために努力して獲得できるようなものではなく。あくまで偶発的に生存に適した個体種だけが結果的に「死ななかった」結果として遺されたものに過ぎず。そもそもネコごときがヒトに養われることを目的とした行動選択自体を合理的に選択するわけもないのである

生物学者達は生物進化というものを買い被り過ぎである

都合の良い結果だけを集めてきて、あたかも自然淘汰による進化こそが万能だと妄想するのはオカルトでしかなく、科学者としてポンコツ過ぎて話にならない

Ende;
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○進化生物学上の立証というものは、人間性とは無関係である。

2017年01月18日 14時46分44秒 | 意識論関連
進化生物学者の中には、現在の食物連鎖のピラミッドのような環境調和性というものが、自然淘汰とは別の何らかの力学が働いて生じているというバカげたことを言い出す奴が後を絶たない

天文学における惑星同士の軌道干渉がなくなったという結果については、互いに軌道が干渉するような天体が長い期間に渡って徹底的に淘汰された結果であることを、当たり前の常識として認識しているのだが

進化生物学者達の多くは、こうした環境調和性というものが自然淘汰とは別の力学が存在していて、自動的に必ず調和の方向性に向かうかのような幻想神話を本気にしているオカルト野郎が多すぎる

現在の生物相における環境調和性というものは、長い生物史における度重なる大絶滅などの不調和の繰り返しの果てに偶発的に外見上調和しているように見えているだけであって、過去の生物史の中においては、天体の軌道干渉のような大絶滅カオス状態が何度も発生し、その中で偶発的に環境調和するような個体種の生物相に淘汰された一面的結果だけを取り上げて、あたかも全ての生物が常に環境調和の方向性を予め持っているかのような錯覚を抱いているに過ぎない

例えば、食物連鎖のピラミッドにおける肉食動物が、その下位にある草食動物などを食い尽くすような繁殖力と狂暴性を兼ね備えてしまった場合。環境を食い尽くして環境ごと自滅するという淘汰圧力が働くことで、自ずから環境調和するような繁殖力と狂暴性のバランスがとれた肉食動物しか生き残ることが出来なかったために、現在の生物相のような調和性が形作られたのであり。個体の生存というのは環境と不可分なものであって、結果的に生き遺った生物種が環境調和性も兼ね備えているのは当たり前の話であって、自然淘汰圧力とは別の構造や力学が働いたわけでも何でもない

生物学者の多くというのは、論理的に物事を考えることの出来ない文科系大衆観念者があまりに多く。オーガニック幻想のように自然由来の出来事の全ては人知を超えた進化生物学の神のようなものの意思が働くことで、自動的に常に全てが正しい方向へと自動的に進化するものであるという妄想神話を本気にしている

進化というのは、生存の結果である。それ以上の何の力学も働いてはいない

生存とはいっても、あくまで現在生存しているだけの話であって、未来永劫常に全ての生物種が環境調和性や、それこそ持続可能性や安全性を求めるような人間性までをも先天的に獲得できるわけではなく。あくまで今現在の生物相において暫定的に調和安定しているに過ぎないのである

従って、ヒトという種の生物が、長い間の世代交代を経たからといって、自動的に先天的な人間性を常に発揮可能な習性が組み込まれるというメカニズム力学が働くわけではない

一面的に多数派迎合性や、服従による権威統率の結果としての役割分担などの「社会形成習性」は組み込まれてはいると言えるとしても。こんな先天的で無意識条件反射的行動だけで人間性や倫理が立証できるわけがないのである

左脳優位なヒトというのは、極めて一面的な現象結果だけを根拠に全てを説明しようとする傾向があり。また、左脳優位なヒトほど言語による意識誘導(誘導されている時点で既に無意識なのだが)に流されやすいために、科学的論理検証よりも気分的納得感覚だけで簡単に思考停止に陥り、科学的探求を一切行わなくなってしまう性質がある

人間性というものは、自律的な論理検証による行動選択によって発揮されるものであって。先天的な行動バイアスに過ぎない行動習性で立証可能なものでは構造原理的にない

ヒトなどの生物に見られる習性としての「社会性」というものは、役割分担や権威統率などによって個体単体では行うことの難しい能力を発揮することは出来ても。こうした能力というものには方向性がなく、あくまで先天的な行動バイアスに過ぎないために、ISILやオウム真理教のようなカルト暴力集団の形成において働くこともしばしばある

こうした先天的な社会形成習性というものには自律がなく、あくまで環境依存的な行動バイアスの結果しか至ることがなく。こうした無意識な習性や行動バイアスこそが自律的な社会的責任判断選択を阻害し、むしろ人間性から遠ざかる原因としてしか働くことはない

神話や幻想にとり憑かれ、ありもしない立証方法に執着している現在の進化生物学界というのは、充分にオカルト集団であり、理論科学としての社会的役割を全く果しておらず、税金の無駄遣いにしかなっていない

一人の互換不能な人間性というものは、先天的な行動習性などの遺伝的要素によって自動的に発揮されるようなものではなく。あくまで自律的な論理検証に基づいた社会的責任行動によって発揮されるものであり、氏でも育ちでもなく、自覚や意識によって発揮されるものなのである

こうした人間性や倫理というものが、単なる生存の結果に過ぎない進化(変化変異)によって説明できるわけがないのであって。「行動習性から、人間としての社会性が立証できるかも知れない。」などという論理的に不可能な仮説を立てている時点で、科学者としては無能ポンコツとしか言えないのである

人間性や倫理というものが、ヒトという種の生物における淘汰圧力として働くメカニズム構造は存在せず。むしろ組織に迎合して自律的な社会的責任判断選択などしない方が、組織集団の内部においては生存価に適しているのであり。生存のためなら人間性や倫理は放棄するような先天的行動習性を持った個体種へとしか淘汰圧力は働かないのである

イジメや差別によって、一体何人の罪のない個体が殺されたら、ヒトという種の生物には人間性や倫理が組み込まれるというのであろうか。そもそもそんな淘汰圧力自体が存在しない以上、先天的な行動習性だけではイジメは増えることはあっても減ることはないのである





高橋みなみ氏に苦言となるかも知れないが、行動宣言などというのはイジメに対する問題意識のある人の中における自己満足(お花畑)にしかなっておらず。論理的な原因究明や対策にはほとんどつながっていない

川崎市近辺の中高生達が殺し合いにまで至る程の暴力性を発揮しているのだが、一つの殺人事件にまで発展する背景には、無数の暴力事件が存在していると考えるべきであり。ヒトという種の生物がどのようなメカニズムによって暴力的集団組織として統率行動を発揮するように至るのか、その構造原理について検証し、原因究明を再発防止策に生かすべきなのである

軍隊というのは、兵役訓練という環境によってヒトに殺人暴力を行うように洗脳する制度である

ヒトという種の生物は、その先天的な社会形成習性の中の一つである権威服従性を利用することによって、自律的な社会的責任判断選択を放棄し、「上」からの命令に機械条件反射的に服従することによって、戦争などというバカげた行為をもさせることが可能なのである

こうした習性というのは、別に軍隊でなくても先天的習性である以上、自然と発揮してしまうものであり。中高生が勝手に暴力組織集団を形成して、勝手に自滅の道を歩んでしまうことも珍しいことではない

文明以前の自然環境下においては、こうした組織的暴力性というものが生存価に適していた可能性は充分にあり。むしろ組織的暴力を発揮するといった「社会形成習性」を持った個体種へと淘汰圧力が働いた結果として、ヒトは野蛮な戦争を何度も繰り返すのである

頭の悪い左脳優位なバカの場合、このように「先天的に暴力的であるならば、もはや暴力をなくすことは不可能である。」などと短絡的帰結に至って、一切の対策を放棄して満足するであろう

バカというのは満足によって生ずる思考停止を意味するのであり、先天的な学習障害などとは全く別のものである

ヒトという種の生物は、自律的な理性(論理検証性)によって、自らの先天的行動習性という無意識に流されることない行動選択可能性を持っている(厳密に言えば、先天的な学習障害などの疾患がなければ。)

可能でありながらやらないというのは、単なる無責任であり、人間性の放棄に他ならない

「先天的な行動習性によって、人間としての社会性が立証可能かも知れない。」などというオカルト進化生物学者達の妄想錯覚に何の疑問も持たないお花畑で満足している頭の悪さこそが、地球の裏側で赤ん坊が燃やされる事態を止めることが出来なくしているという自覚を持たなくてはならない

地球のこっち側でも、川崎の学生の命が失われているのであり、決して対岸の火事ではないのである

先天的行動習性や本能というものは、自律的な社会的責任判断選択を放棄しても構わない理由になど一切ならないのである

進化生物学上の結果でしかない先天的な本能習性というものは、それによって人間としての自律的行動選択不可能の証明になどならない

行動習性や本能というのは「結果」であり、無意識な行動バイアス(傾向性)以上の意味など持っておらず。イジメや差別暴力をなくすという、意識的「目的」のための合理的行動選択に対して、何ら制限となる理屈は存在していないのである

それを何を勘違いしているのか知らないが、進化生物学上の行動習性さえ立証できれば全てが決定してしまうかのように錯覚している人が多すぎる。

現在の進化生物学上の立証というのは、ヒト以外の動物における傾向性の立証でしかなく。これによって人類の未来が決定してしまうような権限や証明か何かだと勘違いしてはいけない

それは先天的本能習性として人間性が立証することが不可能であるが、個人の意識によって人間性を発揮することが可能であることを意味するのであり。人間性というのは進化生物学とは無関係な領域であり、進化生物学上の立証で満足することも、絶望することも科学的には無意味なのである

ヒトという種の生物の先天的な行動習性や本能という「結果」がどのようなものであるのかに関わらず、自律的に社会的責任判断行動選択可能性がある以上、その可能性を行使することこそが人間性なのであり。その場限りの満足も絶望も先天的な習性の結果に過ぎず、人間性とは無関係なのである



我々の祖先がどのような経緯によって生存したのかは、もはや知る手だてはほとんどない。現在の犯罪ですら証拠が見つからなければ立証不可能であり、どのような悪どい手段によって「生存」という結果に至ったのか、わかったものではない

終戦後の焼け野原では、他人に危害を加えてでも生き残らなければ死んでしまう。戦後の闇市では燃料用アルコールを水で薄めてお茶で色をつけた偽造酒によって、失明した人もたくさんいたそうである。こうした過酷な「生存」競争の結果として生き残れたからといって、そこに人間性が宿るような淘汰圧力が存在していないことは明らかである

終戦後でなくても川崎の学生達にも、人間性が宿るような淘汰圧力など存在しておらず、一見平穏に見える日本社会全体においても、貧富格差が拡大するようなメカニズムによって、人間性など発揮しない企業やヒトへと淘汰圧力が働いているからこそ、貧富格差は一向に解消する構造力学は存在していない

そこに貧富格差を解消するための制度や仕組みといったものを新しく作り出すのは理性である

その場限りの気分的な「可哀相」などという憐れみでは、社会構造的欠陥の解消にはならないのである

高橋みなみ氏達が行っている行動宣言の類も、所詮はその場限りの憐れみで満足しているに過ぎず、イジメ問題の根源的原因究明にも、効果的で具体性のある再発防止策にもつながっていない

それが、むしろ残念で仕方がないのである



Ende;
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○オーガニック超人。

2017年01月18日 00時01分16秒 | 意識論関連
地球のヒトより高度な知能を持った太陽系外生物がいた場合

文科系大衆の多くは「侵略される」だとか「絶滅させられる」なんて言い出すんだが、こうした野蛮な発想自体が地球のヒトの発想であって、地球のヒトより高度な知能を持った生物が侵略だの略奪だのといった欲望のままの行動をするとは限らない

地球のヒトが脅えているのは、ヒト自身の野蛮性ゆえの勝手な妄想であって。地球のヒトのように暴力威圧で物事を解決しようとしたり、自分の惑星の環境維持すら出来ない頭の悪さ故に、太陽系外知的生命体の方が接触を控えていると考えるべきであろう



ヒトは、ヒトという種の生物種というものが生物進化によって自動的に人間性や倫理的行動バイアスが組み込まれた優秀な生物に進化するなどという、論理的根拠のない妄想錯覚を抱いており

フランシス:ゴルトンが提唱した優生学に基づき、生存に適した個体種への淘汰圧力によって、あたかも自動的に優秀な生物へと自動的勝手に進化が起きると妄想して安心したがる

ゾロアスター教が提唱する「超人」妄想などというのも、その場限りに安心満足して、自ら論理検証することを放棄させる危険性を持っているのである

生物進化というものは、淘汰圧力の結果的に生存に適した個体種への進化の結果であり。生存さえしていれば嘘つきだろうが暴力的だろうが死にさえしなければ淘汰を免れることができるのである

チンパンジーの眼球に白目がないのは、視線を他の個体に読まれず、隠しごとに適した個体種への淘汰圧力の結果である

生物習性的な社会形成性というものは、特に個体が他の個体や集団全体にとって利益になるような行動習性だけに淘汰が働くメカニズムがあるわけではなく。あくまで結果的に死にさえしなければ、適度に暴力的で嘘つきな個体種への淘汰が働いても構わないのである

ニーチェの言うような「超ヒト」とは、どのようなものであろうか

ヒトという種の生物には先天的にイジメや差別をする傾向が存在するが、こうした淘汰圧力の結果によって「進化」したヒトというのは、イジメや差別をしなくなるようなメカニズムは存在せず、むしろ積極的に加害者になるか、被害者にならないよう狡猾に傍観できるような性質を持った個体種への淘汰進化へと働くだけである

そんな「超ヒト」が、自律的な社会的責任判断選択を行うような倫理や人間性を先天的に備えていると言えるであろうか?

生物進化というものは、常に都合の良い方向性だけを持っているわけではなく。自らの性質ゆえに絶滅破綻への方向性へと淘汰圧力が働き絶滅に至ったとしても、何らおかしくはないし、問題にもならない。

個体種の一つや二つ、一億や100億くらい絶滅しても、進化生物学の神にとっては何の問題でもないからだ

特定の個体種の進化の果てが絶滅であっても、進化生物学上誰も困らないのである

それが進化生物学上の進化というものの正体である

しかし、文科系大衆の大多数は、進化というものが常に絶対に正しく生存に適した性質が自動的に組み込まれるような万能なものであるかのように妄想錯覚しているのである

天然由来の成分や素材でありさえすれば、常に絶対的に無害で健康にとって有益だというオーガニック幻想というものがあるが、こうした自然の結果に任せておけば、何でも自動的に安全で正しい結果へと自動的に導かれるかのような「神話」を鵜呑みにする性質があり。生物進化というものに対しても同様に論理的根拠のない盲目的信頼を抱いているのである

人間性というものの本質とは、自律的な社会的責任選択判断であり。他人の顔色をうかがうだけで自律のない他律的な行動習性とは全く別のものであり。これは先天的な遺伝的行動習性という「結果」によって発揮されるものではなく、あくまで自律的な論理検証性によって選択される「目的」意識によってのみ発揮されるものなのである

本質的な人間性であるところの自律的な社会的責任判断選択行動というものは、ヒトの先天的な社会形成習性の中においては、必ずしも生存に有利に働くわけではなく、むしろ不利に働く場合の方が圧倒的に多い

内部告発者の末路というのは、大抵の場合損をするものである

カルト宗教集団やブラック企業内部において、社会的(人間性における社会性)に正しい選択を行おうとすれば、そんな奴は淘汰か排除の対象でしかない

学級内でイジメを止めるよう意見すれば、むしろイジメの対象にされるのがオチである

だからこそ東芝やオリンパス、三菱自動車などの学力偏差値が高いだけのエリート社員達には、組織腐敗を抑止することが全く出来ないのである

東電福島第一原発の危険性が放置されたメカニズムも同様である

こうした無責任な組織が引き起こした重大事象の結果として、何ら過失のない酪農家などが淘汰されることで、一体ヒトという種の生物がどのような進化(結果)に至るのかといえば

その進化に人間性が組み込まれるメカニズム構造など生物進化には存在しないのであり、正直者が淘汰されることこそあれ、嘘つきや無責任な奴ばかりが生き残ることができるのである。

つまり、ニーチェの言う「超人」だの、ゴルトンの優生学の結果というのは、社会的には無責任な人間性を欠いたヒトへの進化を遂げるだけなのである

むしろ、こうしたバカげた進化論に疑問を一切持たないバカしかいないよう進化(変化)した結果故に、私がいちいち説明してもなを、大半のヒトには問題意識すら働かないのであろう




Ende;
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○マウントアダプター。

2017年01月17日 13時21分49秒 | 日記
EF-Mマウントのカメラに古いNew FDレンズをくっつけるためのレンズマウントアダプターを、どうにか安上がりにできないものかと

いっちゃん安い方法としては、カメラのボディキャップとレンズのリアダストキャップをナントカあれしてくっつけるという方法がある

ただ、両方プラッチック製なので剛性強度の点で若干心配

New FD 80ー200㎜ F4L(確か800g超だったと思う)も使うことを考慮するとちょっと厳しいかも

二つめの方法としては、Tマウントレンズ用のEOS Mマウントアダプターを改造して、キヤノンT50あたりのジャンク品からFDマウントを無理矢理ナントカしてくっつける方法

キポン製 Tマウントアダプター



ケンコー製 Tマウントアダプター


キポン製のものは¥3,000-程で売っていて、T50あたりのジャンク品は千円もしないと思うので、合計4000円以下に抑えられ、一応共に金属製にはなるんだけれど、果してちゃんと改造できるのかどうかが、やってみないとわからないというリスクがある

そもそも改造するのに別途材料費がかかっちゃたりすると意味不明

てな具合に考えてみたんだけども、6000円もせずにデジタルホビー製のFD-EFM変換レンズマウントアダプターが売っているので、普通にこれ買ってみた

ヨドバシカメラが在庫切れだったので 届くのは来週くらいかも



ボディキャップに穴あけてピンホール写真てのもやってみたいかな

Ende;
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○必然的結果。

2017年01月14日 15時30分08秒 | 意識論関連
例えばである

ある学級内でイジメが発生し、何人かの生徒が自殺をしたとする

イジメというのはヒトという種の生物に普遍的に見られる先天的本能習性であるから、通常問題意識を持った大人が介在しなければ殺人事件にまで発展する可能性をも持ったものである

こうした淘汰圧力によって選択された個体というのは、イジメを扇動するような暴力的個体や、それに同調する個体、そして大多数の傍観者であり。この淘汰圧力によって生き残った個体がイジメをなくす方向への先天的本能習性が組み込まれるメカニズムは存在していないばかりか、むしろ暴力性と同調性と傍観性ばかりが「進化」してしまうことになる

進化の全ては生存の「結果」であって、そこに意識的な目的のようなものなど存在していないからである

暴力者やその同調者、傍観者が結果的に生存に適していたからといって、その生存に意味(人間性)があると言えるであろうか

進化生物学者が、「ヒトという種の生物には、先天的に人間性が組み込まれている可能性がある。」などということがよくあるが、先天的本能習性というのは特定環境下においての限定的「結果」でしかなく。環境が異なれば発揮されることのない習性を、どんなにたくさん陳列枚挙しても、そこには人間性の源である「自律的な社会的責任判断選択」が介在していないのである

環境依存的な「結果」だけでは、個体の自律的「目的」行動選択性という人間性を論ずることは構造原理的に不可能なのである

人間性というのはヒトという種の生物の先天的本能習性によって立証できるようなものではなく、あくまで自律的な社会的責任判断選択によってのみ発揮されるものなのである

従って、進化生物学上の先天的本能習性によってヒトという種の生物の人間性を立証することなど、構造原理的に不可能なのである



進化という「結果」の全てが、あたかも全自動で絶対的に正しい本能習性だけが組み込まれるという妄想を、文科系大衆観念的な神話として、多くのヒトは信じて疑うことがない

これは、ある種の「オーガニック幻想」である

天然素材でありさえすれば、絶対に無害で健康的だという妄想錯覚が文科系大衆にはあり

天然鉱物のアスベストが無害だと信じ込まれていたのもそのためであろう

トラフグのテトロドトキシン毒も天然素材である

野生のキノコ類も猛毒を持ったものが多い

天然素材でありさえすれば、何でもかんでも安全で健康的であるわけではないのだが、天然素材信仰的なものが大多数の大衆観念上にはあるのだ




環境(育ち)が悪いのか、それとも先天性が悪いのかという議論をしたがるバカがいなくならないが

ヒトという種の生物というのは先天的には差別主義的で個人的好き嫌いが存在するものであり、差別というのは意識的に抑制しなければ無意識に発揮してしまうものでもある

そして意識的な抑制というものの重要性を、成育環境下で誰も認識していない場合には、発揮されずらい傾向性もある



果して、先天的に狂暴で差別的な個体が発生した場合。死刑などの人為的淘汰圧力を加えておけば、何万年後には狂暴な性質がヒトからなくなるとでも思っているのだろうか?

その淘汰圧力自体が非人間的であるとは思わないのであろうか?



環境要因だけが問題であるというのであれば、その環境自体を一体誰が整備してくれるというのであろうか?



人間性というものは、先天的習性や環境要因だけで論じられるべきものではなく。あくまで個人の自律的な論理検証性に基づいた、本質的な意識によって発揮されるものであって、「育ちか、氏か」だけで決定できるようなものではない

凶悪な集団、例えばかつてのシエラレオネの少年ゲリラ組織や、連合赤軍のような組織の中では、より凶悪で暴力的で多数を恐怖心で扇動できるような個体や、それに迎合的な個体こそが生き残ることが可能である

その結果、先天的に暴力に迎合的な個体への淘汰(先鋭化)が生じてしまうことにもなる

大多数の大衆は、こうした暴力的個体を、刑法懲罰で死刑にしておけば自動的にヒトの暴力性が淘汰されるとでも思っているからこそ、死刑制度を必要だと信じて疑わないのであろう

だが、死刑という遠回しな断種政策自体を凶悪だとは思っていないのであろうか?

犯罪者だけは特別に差別しても良いと思っているのであろうか?

自分達の暴力性や差別主義性だけを正当化しておいて、「差別や暴力がなくならないのは何でだろう。」と嘆いているのは、ほとんど痴呆としか思えないのだが

大多数の大衆は既存の刑法懲罰司法制度こそが唯一絶対的な犯罪抑止力であると信じて疑うことをしない

国家権力による懲罰や死刑という、恐怖心を用いた抑止力というものは、死ぬことをいとわぬ自暴自棄な相手に対しては意味を為さない

自爆テロや通り魔の類に刑法懲罰は無効なのである

ではこれらを抑止するためには何が必要かと言えば、「暴力で解決する。」という大衆的な短絡的発想を、大多数の人が捨てることである

ヒトという種の生物は暴力が大好きである

時代劇が人気なのは刀を振り回して悪漢を退治するからである

ヒーロー物語も勧善懲悪(悪人を懲らしめること)を解決とみなす

「悪漢」という区別(差別)をすることで、一方的に暴力的解決をしても良いものであると、大多数の大衆は思っているからである

しかし、こうした区別(差別)というものは、テロリストや通り魔の行動原理と何ら違いはなく。「悪者には懲罰や死刑を与えてしまえば、全ては解決だ。」という、合理性の全くない、その場限りの気分的安心満足を得るための観念に過ぎない

人生の中で、一度や二度は「こいつ死ねば良いのに。」と思ったことはあるはずである

なかったら多分白痴であろう

もしないと言うのであれば死刑制度の存続を望んだりもしないはずであるから、現状死刑制度廃止反対派が過半数を占める日本においては、大半のヒトが殺意くらい持つことはあることの証明でもある

凶悪事件を起こすような奴であれば、こんな奴は死ねば良いと誰もが思うはずである

その「感覚」自体はヒトという種の生物としては異常ではないが、主観的「感覚」が社会制度に直結しているというのは、その間に理性が完全に抜け落ちていて人間としては異常なのである

悪人と決め付けた相手に暴力を振るうと、自分が正義の鉄鎚を下したと称して満足する習性がヒトにはある

しかし、その気分的満足では、「なぜ自暴自棄なテロや通り魔が発生するのか?。」という原因の究明やテロの再発防止策には一切到達出来ず。その場限りに気分(大脳辺縁系)を満足させるだけである

刑法懲罰を与えて、罪人を懲らしめておけば。刑務所が自動的に善人に仕立て上げてくれるとでも妄想しているのかも知れないが。実際には刑法懲罰というものは再犯抑止にはほとんど効果がなく、強盗殺人で25年服役し出所後数週間で殺人を犯すということも時折見られ。再犯率は40%にも達する合理的根拠のない制度に過ぎないのだが、それ以外(以上)の問題解決策への言及は誰も行うようには出来ていない

こうした非合理性というのは、テロや通り魔の行動と全く同じものである

合理的に問題を解決することをせずに、その場限りに気分的に満足することばかりを優先している点において何の違いもないからだ



ヒトという種の生物の先天的本能習性というものが、あたかも自動的に全て正しい結果をもたらすものであるという観念があるからこそ、ヒトの多くは目先の気分的満足ばかりを優先して合理的解決策を蔑ろにするのである

こうした無責任さに対して、進化生物学界もヒトという種の生物があたかも先天的に人間性を持ち、常に正しい行動を採るように先天的に出来ているかのような非科学的嘘によって大衆人気取りを行うことによって助長しているのである

進化生物学者が嘘によって人気取りをしているから、大衆の多くが騙されていても罪はないと思うのであろうか?

大多数の大衆が騙されているから責任が薄まるとでも思っているのであろうか?

その結果、解決可能な問題が解決されなくても、回避可能な危険性が回避出来なくても、それは個人に責任はないとでも思っているのであろうか?

こうした当事者意識の欠如というのは、東京電力社内における原発の危険性放置の心理的構造と何の違いもないではないか



人間性や倫理というものの根源とは、あくまで自律的な社会的責任判断選択にあるのであって。多数派同調性や傍観主義や権威への責任転嫁こそが人間性の欠落を招く大きな要因となっているのである

自律には育ちも氏もなく、あくまで個人の意識の問題である

本質的な意識としての自律的論理検証性なくして、人間性や倫理を語ることなど構造原理的に不可能であり、それこそ先天的に不可能でもない限りは社会人である限りは本来全員が持たなくてはならないはずのものでもある

進化生物学上の大嘘で満足し、何の疑問も持たずに鵜呑みにすることも。司法懲罰だけが唯一絶対的な犯罪抑止力だと信じ込み、それ以上の何の制度も存在していない現状に何の疑問も持たないことも。これらは自律的判断選択の欠落した無責任な行動であることの自覚が誰にもない

バカの集団が問題解決を出来ないのは当たり前の話である




Ende;
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○キャッシュバックが思った以上に面倒臭い件。

2017年01月12日 19時54分38秒 | 日記
EOS M10買うたった。

んで、最初に製品登録をせにゃならんので

「イメージゲートウェイ」でサーチかけると出てくるサイトのURLが

「https://ptl.imagegateway.net/top」なんだけど、同封されてたパンフレットには「canon.jp/cig」って書いてあって、これをURLとして入力すると

「http://ptl.imagegateway.net/top?id=canonjp」というページに自動転送される

つまり「canon.jp/cig」っていうURLは単なるジャンプページでしかなかったんだけど、個人情報を入力するサイトになるので一文字でもURLが違うと気持ち悪い




まとにかく¥3,000-のキャッシュバックに応募しなきゃならんので製品登録後にキャッシュバック手続きをしたんだけど、Android2.2PCでは必要書類の「印刷する」ボタンを押して出てきたPDFを認識できなくて、仕方なく書類用紙の画像を一枚づつダウンロードしたんだけど、画像をロードしようと一回画像自体表示させると書類用紙のページに戻ることが出来なくて、何度も最初から応募し直すという異常に面倒臭い作業を強いられてしまった。

しかも「書類D」の画像が3分割になっているとか、ページ上では表示されてた二次元バーコードが消えているとか、途中通信が途切れてブラウザごと落ちるとか、ホント面倒臭過ぎて鼻から悪魔が出てきそうになったよ。

 ◇追記:書類ページには登録後に送られてきたメールのリンクから何度でも同じページに入ることができた( ̄□ ̄;)



久方ぶりにMac G4 733Mhzを起動してphotoshopelementでつなげて、サイト上では表示されていた二次元バーコードもスクリーンショットしたものを貼付けて大きさ合わせて、何となく*.jpgに変換して別名保存

 ◇追記:二次元バーコードは単体の*.gifだったよ

うちにはプリンターがないので応募書類のデータをSDカードに入れて近所のコンビニのプリンターに読み込ませたら「書類D」と封筒のPDF以外認識しない…

なぬ

なんだこれ

は! *.pngは認識しないのか!

ああ面倒臭い

再び家に戻って残りの書類もJPGに変換して再度コンビニで出力、保証書と納品書(ヨドバシカメラだけは納品書でも構わないらしい)もコピーして、やっと必要書類が揃った

で、封筒を切って貼って内職作業

製品箱のバーコード部分を切り取るのも結構な手間

キャッシュバックなんだか仕事なんだかわからなくなってきたよ

キャッシュバックに応募するためにかかった諸経費はA4カラーコピーが5枚にモノクロコピーが2枚で¥270-

郵便局に持っていったら郵便切手が¥120-で合計¥390-

なので実質¥2,610-のキャッシュバックということになるんだけど、まるまる半日仕事だったので、得したんだか何だかもうようわからん。

今回はとりあえずキャッシュバックに間に合わせるためにカメラ本体だけ買ったので、実際に撮影するためにはレンズマウントアダプターとか液晶保護フィルムとかSDメモリーカードとかも調達してこないといけないので、今回はこれでおしまい。

でわまた。

◇追記:Canon EOS M10(ボディのみ)の箱の大きさ

W: 220㎜
H: 145㎜
D: 165㎜

Ende;
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