書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○SONYのチープなヘッドフォン買ってみた。

2016年06月12日 14時22分41秒 | 日記
ヨドバシカメラでヘッドフォンを購入

SONY MDR-XD150

音質は軽い感じなので迫力的なものは一切ないのだけれど 人の声は明瞭で聴き取り易いので普段使いには悪くないと思う

耳の遠くなったウチの爺さんに使わせてみたけど テレビに内蔵しているスピーカーよかずっと聴き取り易いとは言っておった

正直言うとモスキート音も聴こえない50のオヤヂが音質云々を語るのもどうかと思うが加齢ポンコツ耳には丁度良いのかも

本体は軽量なんだけど頭のテッペンがプラスチックのままなので痛い程ではないのだけれど 何となく違和感がある なので100均でスキマテープ的なものを買ってきて貼付けて使っている

50のハゲたオッサンなので頭頂部の毛が薄いからかも (いろいろポンコツだよ)

音を出さずに装着すると周囲の音を拾ってホワイトノイズ的な「ホー」って感じの音が微かに聴こえているのだけれど これはハウジングが薄っぺらいのが原因かも知れない

巻貝を耳に当てるとホワイトノイズ的なものが聴こえるでしょ あんな感じで静かな楽曲だと何となく気になる 遮音性も低いのかな

まぁ安っすいので仕方なかろて

パッドがこの価格帯にしてはデッカイので耳は完全にスッポリ隠れる おいらはメガネをしているので耳を押さえつけるタイプだとメガネのツルが耳に押し付けられて長時間装着していると耳が痛くなっちゃうのでパッドのデッカイのを選んでみたのだ

ケーブルが2mなので32型のテレビで使うには若干短くて 100均で延長ケーブル入手してきた 便利な世の中になったもんです こういう便利さだけは異常に進歩したのよね



あとPanasonic製の安っすいドライヤーも一緒に購入

PANASONIC EH5101

ちっこいのに風量が多くて使い易い

ただ冷風は弱くしか風が出ない仕様

音は若干甲高い感じで夜中窓を開けて使うには気が引けるかも 静音タイプではないけどそんなに耳障りでもない

Ende;
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○欲望。

2016年06月04日 13時27分29秒 | 意識論関連

個人的観念や好き嫌いを他人に押し付けてくる人っていうのがいるけど

そういう人っていうのは そういう育て方しかされてないんじゃないかと思う

そういう育て方をしている親というのも、結局はその親からの連鎖であって、虐待の連鎖同様にこうした連鎖というのは本質的な意識(自律的論理検証性)が働かない程に、無意識条件反射的に行動や思考と直結してしまうような固定観念として刷り込み学習されてしまっているのが問題点

多数派からの同調圧力というのは、それを悪化させることはあっても治る方向には働かない

そもそも同調圧力なんてもん自体が無意識な心理バイアスや思考バイアスなので、自発的/意識的に回避しようとしなければ無意識に流されてしまうものであって、

ややこしいのは、気分感情的な強度程度を短絡的に意識や意志か何かだと勘違い錯覚しているケースは非常に多い。

同調圧力なんてのは強迫観念だから、気分感情的には多数派に同調しないと「恥ずかしい」だとか「不安」なわけだけど。そうした大脳辺縁系が促す気分感情が行動や思考に直結しているから、大多数のヒトは同調圧力に簡単に屈してしまうことになる。

ストーカーのように暴力的/感情的なまでに他人に自分の価値観や観念を押し付けてくる人っていうのは、自分の気分感情というものを短絡的に自分の意識の本質とか意志だと錯覚しているから起きるものであって、

それ以外の人においても、特定個人が感情的に何かを強制してくると、気分的に嫌なので無意識に同調してイジメ的な事態に発展してしまう

ストーカーにせよイジメにせよ、これらの行動というものには合理性が全くなく、徹頭徹尾無意識な行動バイアスに流された「結果」でしかありません

現在の義務教育では、個人的な気分感情というものが意識や意志ではないという論理的事実を教えることはない上に。学力成績という抽象化された脳への報酬をエサに強迫観念的に競争や差別意識ばかりが刷り込み学習されてしまっているために、たとえどんなに論理思考の成績が良くても、自分の行動や思考を自律的に論理検証することのない「偏差値の高いバカ」が大量生産されてしまっているのが現状です。







アダムスミスが主張した「欲望」というものは、あくまで統合的な論理検証的選択という本質的意識が働いた上での社会持続可能性とか安全性を優先するという、本質的な意志が働いた状態での人間性が宿った「欲望」を指すのであって。短絡的に目先の欲望だの固定観念のままに利益追求だけしておけば社会が良くなるというものではない。

人間性を欠いたケダモノが利益の奪い合いをしていて社会が良くなるわけがないのは当たり前の話であって、人間としての「欲望」なしに自由市場経済なんぞ成立することはあり得ない。





人間性がなくても「生存」は可能である。実際野生生物の全てには人間性などなく、目先の欲望のままに行動しても死ななかった種に淘汰された「結果」としての自然界の調和に至っているに過ぎない。

自律的な論理検証に基づいた、人間性や倫理に鑑みた「欲望」の選択があってこその、人間としての「目的」であって。それを先天本能習性に求めること自体意味が全くない。

先天的に人間性が組み込まれていることが立証されたとして、それで戦争や犯罪が起きなくなるわけでもなく。

先天的に人間性が存在しないことが立証されたとしても、それで人間としての倫理的選択をしなくても良くなるわけでもない。

衆人環視などの特定環境下においてしか発揮されうることのない「人間性」であれば、そんなものに自律は存在していないので、本質的には人間性でも何でもないその場限りの現象「結果」でしかなく。自律的に目的行動選択されてこその人間性であって、無意識な本能習性の行動「結果」をどんなにたくさん陳列枚挙しても本質的な人間性を立証したことには全くならないのである。

つまり、先天的な行動習性と人間としての倫理は何の関係もないものであって。人間性や倫理というものは先天的な行動習性という無意識性から解放された、自律的論理検証選択された「欲望」にこそ宿るのであって。これは理性が本能を制御した状態でしか発揮されることはない。

以前にも述べたが純粋理性というのは人畜無害なものであって、それだけでは何の行動選択にもつながることはない。

あくまで徹底的且つ自律的に論理検証的選択をされた上での「欲望」にこそ人間性が宿るのであって。

欲望自体は勝手に働くものであるが、理性(論理検証)は意識的に働かせなければならないものなのであり。よって理性こそが人間性を司るものなのであり、先天的本能習性が司るようなものでは最初からない。

にも関わらず、進化生物学者の大多数は未だに「先天的本能習性によって人間性が発揮されるはずだ。」という訳のわからぬ観念に取り憑かれており。また、文科系マスコミ大衆の大多数も何の疑念も抱かないというバカのスパイラルから抜け出すことが出来ないでいる。

これはストーカーやイジメ、果てはISILや暴力団などの行動心理分析を妨げるオカルトであって、それ自体が愚かしい犯罪的行為であるという自覚を持つべきである。




「理性には利己的利益追求の側面がある。」などという寝言を言い出すバカが絶えないので一応述べておくが、利己的利益追求自体が欲望本能であって、利己的利益追求に陥ること自体が理性の偏った使い方であり。利己的利益追求というのは理性の側面などではなく、あくまで欲望の暴走結果に過ぎないのである。

利己的利益追求というものが社会安全性や持続可能性に反する選択であるという理性が働いていない時点で、それは理性主導の行動選択ではなく。欲望本能主導の選択なのである。

こんな当たり前の理論すら自発的には気付かないバカが多すぎて悲しくなるわ。




Ende;

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