書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○写真もろもろ。

2018年12月31日 22時27分33秒 | 写真
工事現場の警告灯のLEDが紫色なんだが

紫外線LEDではないのかと心配になる



スーパーの駐輪場で後ろから突如犬に吠えられてビビった


まだ幼いらしい




江北橋


岩淵水門の脇にある小さな坂


荒川ロックゲートに登ってみた







PLフィルター コントラスト:+4


ちょっと不思議な雲



街灯の光でホワイトバランスを採ってみた

最近35㎜(56㎜相当)ばかり使っている



Ende;
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○意味があるという錯覚。

2018年12月31日 15時46分33秒 | 意識論関連
憲法で世の中が良くなると思っている奴がいるらしいが

「法の下の平等」などというのは一種の神話とか妄想の類でしかない

法手続きというのは あくまで法の趣旨に基づいて運用されてこその価値になるのであって

誰にも被害が出ていないのに「飲食店内で客が踊っていたから店長を問答無用で逮捕」のような警察権力の暴走を招くこともある

憲法においても 第9条文で永久に武力放棄と書かれているにも関わらず 解釈を捩曲げて事実上の戦略航空母艦を保有するというふざけた運用も可能なのである

法というのは 所詮道具に過ぎず 道具の使い方を間違えればいくらでも間違った脱法は可能なのである

では 何が最も重要なのかと言えば それは道具を使う「ヒト」の人間性や倫理モラルであり

人間性や倫理モラルの源は 自律的論理検証性という本質的意識である

凡人の多くは 自分では何も考えず 何も判断せずとも 多数派に迎合同調さえしておけば常に自動的に正しい選択へと導かれるかのような妄想錯覚を抱いているらしいのだが

こうした妄想ゆえに福島第一原発の津波に対する脆弱性は放置されたのである

制度としての民主主義さえ導入しておけば 全ては常に正しい結果が得られるわけではない

ナチス政権による独裁であっても民主的に選ばれたものだったという



ヒトは 形式外見が9割である

これは すなはち無意識が9割であるが故に形式外見につられた判断をしがちだからである

金儲けなどの世間的成功を得るためには 形式外見を取り繕うことが有効ではあるが

世間的成功が人間性や倫理の論証になるわけではなく 形式外見を信奉するというのは拝金主義に基づいた薄っぺらな判断しかしていないからである



「カッコイイ相手に服従したい」という感情は 幼児が大人に求める観念であり ヤクザや暴力団に服従迎合する糞DQNが後を絶たないのは ヒトという種の生物には暴力者に対する恐怖心と畏敬の混同によって暴力組織への服従迎合を促す先天的習性があるからである

学校におけるイジメであっても 暴力者集団に逆らわず むしろ積極的に同調迎合しておいた方が気分的に安心であり 利己的には生存にとって有利であるという「結果」に対し 無意識に流されることしか出来ない幼稚さ故の行動である

野犬の集団においても より暴力的な個体への服従迎合性があるからこそ ボス以外の個体が集団組織的な協調性を発揮出来るのであり これは理性によってもたらされる行動ではなく むしろ先天的行動バイアスとして進化的に「生存にとって有利だった結果」としての習性だからである

独裁的な服従統率というのは 理性的な人物の集団においては生じることはなく

むしろ暴力団だのポルポト政権だのナチス政権といった 権威(暴力)的で形式外見的に「カッコイイ」からこそ 幼稚な大衆からの多数人気を得ることが可能となるのである

日本人の感覚からすると 権威と暴力は別ものだと認識されがちだが ドイツ語では権力と暴力は同じ言葉が用いられるのである

*:Gewalt [品詞]   ①権力・支配力 ②(複数 なし)暴力 ③猛威・激しさ [複数]

集団統率的服従迎合というのは 個人の主体的で自律的な判断を不具にし 独裁暴走を助長する先天的なヒトの習性であり

それゆえナチス政権だのポルポト政権だのISILだのヤクザだの暴力団や振り込め詐欺集団といった利己的暴力集団程強力に集団統率的協調性が発揮されるのである

「結果的に生存価にとって有利」だからこそ 先天的習性として遺伝的に遺ったのであって ヒトという種の生物が生き残る過程において「進化(変異と淘汰圧力の結果)」的に組み込まれているのが社会形成習性なのである

例えて言うなれば ハロウィンの夜に渋谷で暴れていた酔っ払いのようなサル集団が生き残る上において有利な行動が ヒトという種の生物には先天的に組み込まれているのである

歴史書を読めば 独裁による暴力迷惑行為がほとんど全部といって良い程記述されている それは何故かといえば ヒトという種の生物は先天的にそういう欠陥が存在するからである

多少の個体差はあれ ヒト全てに先天的欠陥があることを前提にすれば 欠陥を補うのは何かと言えば 自律的論理検証性という本質的意識であり それによって人間性や倫理モラルによる抑制が働くようになるのである



紛争の原因として 地勢学的リスクが最大の要因であるかのように錯覚しがちだが 地勢学的リスクというのは環境要因であって それなら平和な現代日本では虐殺が絶対に生じないかと言えば そういう短絡的なものではない

むしろ 環境依存的に紛争を引き起こしてしまうヒトの条件反射的な無意識性こそが あらゆる暴力紛争の根本的原因なのである

生物学における先天的習性の全ては あくまで特定環境下における「結果」の抽出であって 環境が異なれば必ずしも特定の目的にとって合理的な行動を促す保証は全くないのである

哺乳類の遺伝的進化が促されるためには 数十万年以上が必要であるとされており 数十万年の間一定の環境が保たれていたからこそ遺伝的に進化することが可能であり 逆に数十万年に渡って組み込まれてしまった遺伝的進化というのは 急激な環境変化には対応出来ずに簡単に絶滅の原因になることも非常に多い

中世から現代における暴力戦争という淘汰圧力が ヒトという種の生物の遺伝的性質に影響を与えたのかと言えば より統率的協調性を発揮し他者集団を淘汰絶滅させられた集団だけへと「進化」した可能性は否定出来ない

もう少し身近な例を挙げれば イジメや差別で生き残る集団とは 一体どのような集団であろうか

社会安全性や持続可能性に基づき 差別のない平和で平等な社会を望む理性的な人が イジメ差別や紛争暴力を集団統率的に扇動するであろうか?

差別排除というのは ヒトという種の生物にとって快楽である

共通の「敵」を暴力的に排除してさえおけば 全てが解決すると短絡的に錯覚することで 味方同士の仲間意識という快楽を得ることが出来るように先天的に出来ているのである

梅沢富美男が凶悪殺人犯に対して「こんな奴は死刑にしちまえ」と怒鳴り散らしておけば 同じように短絡的な多数大衆から共感や人気を得ることが可能である

共通の「敵」に対する暴力的排除差別を行うことで 共感や人気を得ることが出来るよう ヒトという種の生物は先天的に出来ているのである

それは 祖先がそうした差別排除を繰り返すことで生き残ったことが原因だからである

ヒトという種の生物は 差別排除によって他の集団から資源を略奪することが生存にとって有利だったからこそ 差別排除の習性が遺伝的に遺ったのである

チンパンジーが自分の子供に対してのみ利他的行動を採ることを証明したとしても それが差別排除を一切しないことの科学的論証には全くならない

ヒトが子犬や子猫にエサを与える習性を立証しても ヒトが先天的に暴力的差別排除を行わない論証にはならないのと同じことである

ヒトが子犬や子猫を欲しがっても 大人になったイヌやネコを棄てる習性は否定のしようがないのである

これは 先天的本能習性には合理性がないことの一例である

そもそも先天的本能習性というのは環境依存性から逃れることは出来ず 自律的な社会的責任判断とは無関係であり 先天的本能習性から人間性を証明することは構造原理的に最初から不可能なのである



喉が渇いたので また来年



Ende;
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○藪を漕ぐ。

2018年12月30日 16時10分58秒 | 意識論関連
 福岡市東区箱崎6丁目の九州大箱崎キャンパスで7日朝
に研究室を焼いた火災で、福岡東署は15日、焼け跡から
見つかった遺体は研究室に出入りしていた同区の職業不詳
の男性(46)と発表した。署によると、死因はやけどに
よる火傷死。男性が放火、自殺したとみて調べている。
 -西日本新聞

↑この話に対して同情的な報道がやたらとされているんだけど オイラ的にはちょっと違和感がある

記事の中には以下の記述もある

 男性と長年交流のあった元九大教授の木佐茂男弁護士は、男性の心中をこう推し量る。「彼は純粋
に研究する場が欲しかったはず。労働と研究の両立が困難で、思いあまったのかもしれない。(学舎
と)一緒に灰になってもいいと思っていたのではないか


「純粋に研究する場が欲しかった」のであれば どうして研究室を燃やしたりするのだろうか

NHKの番組では ラーメン屋の店員が長時間「話を聞いて欲しかったようだ」というインタビュー証言もあった

ラーメン屋の店員に愚痴っている暇があんのかと思うと そんなに純粋に研究していたとは言えないのではないか

本当に純粋に研究がしたいのであれば 別に大学の研究室でなければならない理由はない

ましてや憲法についての研究なら物理工学のように実証実験が必要なわけでもなく 研究室が必要であるとは言えないだろう

文献が必要なら図書館で済むのではなかろうか

生活に困窮したからというのであれば 一時的に労働に専念して生活の安定を図ってから再開すれば良いだろうし

評価されることに焦りすぎたからこそ放火という迷惑行為に走ったのではなかろうか

学術権威から認められないというケースは そんなに珍しいことではない アルベルト:アインシュタインも大学での職が得られずに特許局勤めで相対性理論を書いたという

爬虫類学者の加藤英明は 厳寒のウズベキスタンの砂漠の真ん中まで行って 日がな一日中穴掘りをし お目当てのオオグチトカゲを発見出来なくても「ここを掘った人は今まで誰もいないじゃないですか それだけで楽しい」と言っていた

昆虫の研究で有名なファーブルも 日がな一日中ミツバチの観察をしていたという

純粋に真理を知りたいと思う人であれば 無駄とも思える徒労をいくらでも重ねることが出来るものである

ノーベル賞受賞者の田中耕一も 上手くいかなかった実験であっても「このやり方では上手くいかないことがわかっただけでも意味がある」と述べていた

更に言えば ガリレオ:ガリレイが地動説を説いた時には火炙りにされかけた

遺伝子の研究で有名なメンデルも 生前は評価が全くなかったが 生涯を研究に捧げた

本当に純粋な真理を追求するということは 他人からの評価承認には一切依存してはならないのである

研究が他人から認められるかどうかに関わらず 自律的探究に人生を賭ける覚悟が必要である

覚悟というと大袈裟かも知れないが 要は「個人的に熱中出来る」からこそ 他人からの評価を後回しに出来るのである

「それなら研究職はブラック企業と一緒じゃないか」と思われるだろうが

そもそも研究というのはギャンブルである リターンが得られるかどうかが全くわからない映画制作みたいなもんで

「研究で食えない」ことを嘆いている暇があるなら 辞めちまえば良いのである

食えなくてもやる 身体がボロボロになってでもやる 上手くいかなくてもやり続ける それが「純粋な真理の追求」なのである

平凡な生活が欲しいのであれば 研究職などというギャンブルなどしなければ良いのである

平凡な生活を求めている凡人の「かわいそう」などという形容詞は 研究職にはあてはまらない なぜなら本人が主体的に好きでやらせて貰うのが研究職だからである

研究職というのは何を研究するのかを自分で決められるものであって 一般の職種のように仕事が割り当てられているわけではない

それとも何か? 競馬でスッカラカンになった奴を「かわいそう」などと言えるのだろうか

競馬でなくてもスポーツ競技で成績が上がらなくてもそれは自己責任

自業自得というものであろう



Ende;
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○胆石(激痛)のリスク。

2018年12月28日 11時50分30秒 | 日記
食事と食事の間が12時間以上空くと胆石のリスクが高まるそうな

所ジョージは朝飯と昼飯を抜いて 夕食と夜食しか食べない生活をしていたそうなんだけど 胆石(激痛)になったそうな

12時間という間隔を考えると 昼飯は抜いても朝はお菓子であろうと何がしかを食べておいた方が良いってことなんだろう

胆石は胆嚢癌の原因にもなるという

こわゆす…

死ぬのは仕方ないけど 痛いのは嫌だな



Ende;
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○今年の水道凍結対策。

2018年12月28日 10時54分27秒 | 日記


before(事前)状態を撮り損ねたので 一体何の写真かわからんかも知れんが 水道の蛇口なのよ

去年はウレタンシート的なものをグルグル巻きにしてたんだけど

今年は発泡スチレンの箱を嵌め込んでみた

発泡スチレンを切断するとクズがボロボロ出てくるので 風で飛んでってマイクロプラスチックになっちゃうもんだから 粘着テープでペタペタ回収すんのが結構大変

ノコギリでギコギコやると粉が激しいんだけど

カッターで切るようにすればクズが出にくい



Ende;
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○ハイデガー。

2018年12月27日 23時56分10秒 | 意識論関連
マルティン:ハイデガーの落とし穴とは

「自己は必ずいつか死ぬ」という客観的事実に対して 主観的感覚としての恐怖心を自己の意識の主体だと間違えている点である

主観的感覚自体が既に客観的事実の範疇ではないにも関わらず これをごちゃまぜにしているからナチス政権に迎合してみたり 交番の警官を殺害して拳銃を奪ったりするようになる

客観的事実としての「自分は必ずいつか死ぬ」という認識を その文面通りに客観的に理解する以上のことをしようとするから 主観が混入してしまうのである

そもそも 死ぬことが怖いのは 脳内物質ドーパミンが持つ常習性が作り出した主観的感覚に過ぎず 客観的には「怖がる」ことには論理客観的には何ら意味がないのである

脳の大脳辺縁系というものは 先天的行動習性を促すことで結果的に生き残った種に存在している行動バイアスを作り出すのだが

その先天的行動バイアスには 何ら合理的保障がない

ヒトという種の生物は 神などの誰かが綿密に設計して動作保証された製品ではなく 単なる自然界の淘汰圧力の結果として生き残っただけなので 先天的行動バイアスに従って行動しても生存の保証もなければ 人間性や倫理の保証など一切ないのである

大多数の大衆にとっては こうした科学的事実認識すらも恐怖の源になり得るらしいのだが その恐怖自体が主観であって客観的事実とは無関係なものであると理解分別することが必要となる

宗教では 「全ての人は運命的に産まれて来たことに意味がある」などと言う論理的根拠のない妄想を主張するのだが こうした主張が多数の大衆にとっては自己存在の意味になるとでも錯覚するらしく 多数派から人気を得て盲目的に信頼を獲得することも可能となる

盲目である時点で既に自律的論理検証性という主体的意思や意識を喪失しているわけだが その方が先天的本能習性にとっては気分的に「楽」になれるため その気分的感覚が促す錯覚によって自分が自律的論理検証をしなくなっている危険性を一切自覚しなくなるのである



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○義憤。

2018年12月26日 16時06分48秒 | 意識論関連
私憤であろうと義憤であろうと 憤慨しているというのは主観の範疇の話であって 客観的には意味がない

例えばである 凶悪な無差別殺人のような事件が発生して 加害者に対して憤慨しても それは主観的に憤慨しているだけであって 客観的には再発防止のための原因の究明には何らつながらない

社会全体における公共益から考えれば なぜ凶悪事件の加害者になったのかという原因まで追求することで 初めて再発防止への具体的道筋が見えてくるのであって

それに対して刑法懲罰というのは義憤という主観的観念の満足安心だけで話が終わって「解決」ということになってしまう

社会防衛の観点からは とりあえず凶悪な人物を拘束して被害の拡大を防ぐ必要性はあるが 懲役刑や死刑にしたところで根本的な原因究明や具体的再発防止策にはつながらないのである



相模原障害者施設虐殺事件の植松聖に対し どんなに憤慨したからといって厳罰に処したところで 「どうして幼稚な観念に基づいて凶悪事件を引き起こすようになったのか?」という根本的原因の解明には一切ならない



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○「従順な臣民」の構造。

2018年12月25日 21時51分07秒 | 意識論関連
2018年9月に起きた東海道新幹線無差別殺傷事件の小島一朗は「社会に恨みがあった」と述べているという

社会という茫漠とした対象に向かって恨みを持つというのはなぜか

それは 社会という茫漠とした対象に対して盲目的信頼を勝手に抱いていたからであろう

社会というのは混沌である

だから糞野郎もいれば 聖人みたいな人もいる

何も考えずに無責任なことしか言わないバカもいれば 深い考えに基づいて言う人もいる

誰の言っていることが本当に正しいのかを 自律的に論理検証し 自己の純粋な好奇心に従い主体的に選択していれば 「社会に対する恨み」などというのは出てこない

なぜなら 自分で主体的に選択したことが上手くいかなくても それは「自分のせい」だったり「運が悪かった」程度の話で済むからだ

ところが 主体的に選択せず 世間の多数や 多数が認証した権威の命令にただ服従迎合しているだけだからこそ 「社会に対する恨み」につながってしまうのである

世間の多数派に迎合し ただ漫然と目先の権威に服従しているだけであれば 思ったように世間的に評価承認が得られないと 「悪いのは社会だ」という茫漠とした合理性のない恨みを抱くことになるのである

世間的評価や成功というものは 人間としての価値とは無関係である ナチズムに反対して命を落としてでも正しいことを貫くのが本当の人間性であり 世間的評価や成功を得ようとしている時点で 既に「アメとムチ」の「アメ」欲しさに自発的に選んでいない「ムチ」を無為に受け入れ続けていたという自発性の欠落の証明でもある

純粋に自発的に選択したことであれば 世間的評価などあろうがなかろうが関係がない

爬虫類学者の加藤英明のように 他人から見れば過酷で危険な行為であっても 加藤本人的には「好きだからやっている」ことであって 別に世間的評価などなくても危険で過酷なことを積極的にやろうとするのである

権威に対して忠誠忠実であることを 大衆観念的には「素直」だと形容するが 権威に対して従順なだけなら自律的な社会的責任判断はしなくても良いのである

それは ナチスのアウシュビッツ ユダヤ人絶滅収容所の吏官アドルフ:アイヒマンの政権に対する「真面目さ」や「従順さ」と同じものである

目先の多数派や権威を盲目的に信頼し 自分が所属する集団組織からの評価承認ばかりを求めているからこそ 自律的には社会的責任判断を放棄するようになるのである

それは 物理学者のアルベルト:アインシュタインが懸念した「従順な臣民」である

「従順な臣民」という言葉に対して 大衆の多くは「権威に逆らわない小市民」のような印象を持つであろうが これは大間違いで 権威からの評価や承認が得られない場合にはナチスやISILやオウム真理教のようなカルト集団へと簡単に傾倒し 平気で人を殺すことが出来るのである

通り魔の類は特定の集団組織 宗教やイデオロギーには拠らないが そもそも個人的に「社会に対する恨み」を解消するために特定の集団組織に便乗しているのがテロリズムなだけであって 単独犯行であっても構造は同じである



Ende;
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○幼稚。

2018年12月24日 15時29分06秒 | 意識論関連
ヒトなどの生体の脳というのは理性よりも情動の方が優先されるように出来ているため 目先の情動という主観的感覚によって論理思考が停止することで自律的論理検証性を喪失し 頭がバカになる

あらゆるヒトの引き起こす暴走とは 頭がバカになることが原因であって 「理性の暴走」などという論理的に意味のない観念にいつまでも囚われている頭の悪さ故に哲学が実用的に役に立たないのである

大衆マスコミの多くは 養老孟司やマイケル:サンデルやジャレド:ダイアモンドの言っていることには論理的な意味が存在すると勝手に妄想するという頭の悪さがあるのだが

その原因を論理的に理解していないからこそ 次々と似たような論理的には意味のない観念を信じ込もうとし続けることに陥るのである

「理性の暴走」だと信じ込まれている事柄の全ては 根源が情動本能によるものであり 外見上理性「的」にどんなに見えるとしても それらは論理的根拠のない大衆観念による妄想錯覚に過ぎない

カントの純粋理性批判というのは そもそも批判の前提自体が間違っているのであって 間違った前提に対してアプローチだけ変えても論理的には不毛なことに違いなどない

そもそも大衆人気という多数決というのは 大抵の場合科学論理的根拠に基づいた合理的解決策ではなく 単に大衆の多くが観念的に「役に立ちそうな感じがして 安心満足感が得られる」だけの場合がほとんどである

だから京都大学学長の山極寿一が「ヒトのほとんどは戦争をしていないことを知れば 戦争はなくなる」などという わけのわからぬ 何の合理性も根拠もない妄想で気分的に安心満足することで 短絡的に鵜呑みにするようにもなるのである

ヒトの多くは その場限りに気分的に安心満足さえ出来れば 内容に合理的意味があろうがなかろうがどうでも良い

大衆の多くが養老孟司の著作に意味があると錯覚し マイケル:サンデルが提示するトロッコ問題には倫理の本質が存在しないことにも気付かず ジャレド:ダイアモンドの知識のひけらかしだけでピュリッツア賞が獲得出来るのである

ところが 自分達の頭の悪さ故に間違いに気付かなかったことを認めることが気分的に嫌なため ヒトの多くは自分達の頭の悪さを論理的に認識理解せず 次々と科学論理的には全く意味のない観念論を鵜呑みにすることで その場限りの気分的安心満足ばかりを追求し続け 結果的に具体的な安全性への対策を逸し続けるのである

その結果 回避可能性があった失敗や惨劇が繰り返されても 自分達には一切の落ち度がないと勘違いし続けるのである

制度上民主主義を導入していても 国民の多数がバカならバカ主義にしか陥らない

 ◇

「利己的利益追求」や「生存」「種の保存」などといった目的に基づいた理性的行動の全ては 根源が情動であって どんなにその過程に理性が介入していても それは「理性の暴走」ではなく あくまで「情動の暴走」なのである

科学的な真理の追求においては 純粋に「本当のことを知りたい」という知的欲求に基づいて 「情動という主観」と「理性に基づく客観性」との区別が必要不可欠である

目先の気分的満足や安心に囚われることなく 純粋に真理を追求するためには 区別が重要となる

区別とは分類のことだが 分類自体が間違っていれば 間違いに基づいた理論しか立てることは出来ず 分類という思考の基礎が間違っていれば その上に構築されたあらゆる理論は無意味な屁理屈や言葉遊びにしかならない

脳はドーパミンが持つ常習性によって 安心か不安かで分類を作り出すのだが 分類に論理的根拠や客観的事実が伴わなければ主観的好き嫌いの範疇にしかなず 客観的には意味がない

客観的に意味のない主観的観念に基づいた行動しかしなければ 当然「安全」は蔑ろにされることになる

その場限りに気分的「安心」満足ばかりを追求するというのは 脳が幼稚だからである



従来の生物学においては 「生物の目的は生存や種の保存である」とされてきたが 生存も種の保存も結果でこそあれ 誰の合理的目的意識選択も介在しておらず 「生物の目的」などというものは最初から存在していないのである

生物とは 「結果的に生存していた物を生物と分類しただけ」に過ぎないのだが

ヒトは主観的に「死にたくない」という情動主観の強度程度が優先してしまうために あたかも「生存こそが目的」という非科学的妄想観念に囚われ 主観に基づいて客観的事実を捩曲げて解釈してしまう習性がある

フランシス:ゴルトンの優生学は こうした生物学全体の基本的な間違いに基づいて構築された屁理屈であり 優生学というのは天文学における天動説のような根本的大間違いなのである

たとえ医学の進歩によって永遠に生きられるようになったとしても 生きる目的そのものがないまま ただ漫然と生き続けることに一体何の意味があろうか

別に「何年生き延びられるか」を他人と競争することを目的にしているわけでもなければ 金儲けや多数からの人気取りが人間としての存在価値になるわけでもない

仏教における「執着」とは ドーパミンによって作られる常習性や中毒のことであり 特定の主観的観念に囚われることによってヒトは客観的事実の追求をするための自律的論理検証性を喪失するのである

ところがヒトの多くは 多数派によって作り出された価値観というものを 論理的根拠もなく短絡的に鵜呑みにしている方が気分的に安心で満足感が得られる習性があるため 少数異端であるというだけで短絡的に排除差別を平気で行うようにもなる

マイクロソフト社のTwitterAIがヘイトスピーチを始めたのは Twitter上では多数がヘイトスピーチを占めていたために AIはヘイトスピーチに同調したのであり 少なくともTwitter上ではヘイトスピーチが多数であることの証明でもある

いや 言い換えよう「差別排除を平気で行う」のではなく むしろ「必死になって差別排除に邁進する」のである それが中毒というものである

ヒトが 何に執着し 中毒になるのかは わからない

それはどこに何の植物が生えるのかを予測するようなものであり 傾向性くらいは予測出来ても 完全には予測不可能である

別の話に例えれば どのニワトリやブタからH7N9鳥インフルエンザウイルスがヒトからヒトへ感染するよう変異するのかを正確に予測することが出来ないのと同じである

「人類の救済」だの「天皇陛下の御為」だの「人類の遺伝的進化のため」などといった大義を振りかざすことによって ヒトは今まで他人に多大な暴走迷惑をかけてきた

誰がどのようなバカに陥るのかなど 不確定要素が多過ぎて特定不可能なのである

警察による「テロ対策」などと称した逮捕ゴッゴなど 実際にテロが発生してからの対応にしかならず 「なぜヒトがテロリストや通り魔になるのか」という根源的原因を究明しないことには具体的再発防止対策には全くならない

ましてや「テロを準備したから懲罰」などという法律は テロリストの頭の悪さを強化してしまう可能性の方が圧倒的に高く 逆効果である

もちろん危険な行為の可能性があるのなら監視や行動拘束は必要な措置ではあろうが 罰というのは感情論であり 合理性がない

そもそもテロや通り魔というのは 主観的報復感情の暴走に起因するものであって これは刑法罰と同じものである

客観的事実究明に基づいて安全性を追求していないという点においてはテロも刑罰も同じものなのである

テロや通り魔が「身勝手」というのであれば 刑法懲罰も所詮は「身勝手の多数決」にしかなっておらず 具体的な原因究明や再発防止対策には全くつながらないという客観的事実を無視する原因でもある

司法裁判が形式に異常にこだわるのは そこに客観的事実に基づく論理的根拠が存在しないが故に 外見上尊大な風味を醸しておかなければならないのである

裁判所が過剰に豪華な法廷をしつらえ 裁判官は如何にも偉そうな服を身につけ あたかも刑罰こそが唯一絶対の根本的対策であるかのように装っているのは 本当は単なる法律制度に基づいた単なる役所の手続きに過ぎないという薄っぺらな因習を事後正当化するための演出に過ぎない

司法裁判というのは 大衆にとってはあたかも理性的に見えるのかも知れないが 刑法の根本が被害者や社会的報復感情である以上 それは論理的根拠には一切ならない



Ende;
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○暴走の原因は理性ではない。

2018年12月24日 01時26分37秒 | 意識論関連
「理性の暴走」なんてもんは存在しません

暴走するのは先天的に組み込まれた本能欲望行動バイアスであって

理性は構造原理的に暴走しません

よく言われている話に「理性には利己的利益追求の側面がある。」というのがありますが

利己的利益追求は理性ではなく欲望です

欲望を実現するための手段として論理性が用いられることはありますが これは根源が欲望なので「理性の暴走」には該当しないのです

そもそも理性というものは追求などしません

例え科学的真理の追求であっても これは純粋な好奇心という欲望に拠るものであって 論理的真理を求めるのは理性ではないのです

 ◇

大体において大衆人気が得られる話というのは 気分的に安心満足出来る話に過ぎない場合がほとんど全てであって

先天的な本能習性に起因する気分的安心満足が促す錯覚によって思考が拘束停止されることにより 論理的真理の追求が放棄され 脳がバカになることで暴走というものが生ずるのです

暴走というものはバカが起こすものであり バカでなければ暴走はしません



Ende;
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○ローソンの謎。

2018年12月23日 17時44分06秒 | 日記
ローソンのホットフードはオメガ3系脂肪酸で調理しているって話なんだけど

オメガ3系脂肪酸って加熱すると逆に身体に悪い脂に変質しちゃうって聞いたことあるぞ

どうなんだ? 大丈夫なのか?

Lチキ買って来ちゃったよ…




 ◇追記:やっぱ「酸化するから加熱調理に向いてない」って注意書きがあったよ

アマニ油 -日清オイリオ

やらかしやがったなローソン

って思ったんだけど 青魚のEPAとかDHAだと加熱が悪いとは書いてない

どうなんだろう

結局謎

具体的に何油を用いているのかがわからんと判定出来ないわ

あちこち読んでみたけど 加熱などで酸化しちゃうと効果がなくなるだけで 取り立てて害になるというわけではないらしい



Ende;
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○冬至の満月。

2018年12月22日 16時44分17秒 | 日記
今日満月だったけど

雨雲に隠れてしまった





Ende;
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○接着タイプのファスナーテープ。

2018年12月22日 13時12分58秒 | 日記
カメラバッグの蓋が面ファスナー式なんだけど

これが2年程使ったらくっつかなくなってしまった

面ファスナーのループ側のループが全部ちぎれてしまったらしいのだ

なので100均でファスナーテープを買いに行ったら 接着タイプと縫合タイプの2種類があって 価格が同じ

糸で縫うとしても粘着剤がついている方が仮固定されて縫うのに楽なんじゃなかろうかと思って接着タイプを買ったんだけど

これが大失敗

針を通すと粘着剤が針にベッタリくっついちゃって とても縫い続けられる状態ではない

接着タイプとは言っても あくまで仮留め程度の接着力しかないので 結構簡単に剥がれてしまう

一気に「バリッ」っと剥がす時は剥がれないんだけど

ゆっくり応力がかかっているといつの間にか剥がれている

あと 実際に縫ってみてわかったんだけど カメラバッグって中に衝撃緩衝材的なものが入っているので 針を通すのが結構しんどい

 ◇追記:以前布用接着剤ってのを買ってあったの思い出して接着してみたらナントカなった 布用接着剤って乾くまで一晩くらいかかるんだけど結構強力で 今のところ剥がれる気配はない

やっぱ新しいの買おうかなと思ってカメラ屋に行ってみたんだけど

あんまり良いのが見つからない

タミヤのミニ4駆動用のポシェットって横開きなので 開けた時にカメラを落っことしそうな気もする

他にないかなと探してみたらボックスショルダーバッグってのがあんじゃん

大きさがわかんないんだけどウエストバッグってのもある

いつもカメラをレジ袋に包んでからバッグに入れてるんだけど巾着袋ってのもあった

フル装備のミニ四駆とミラーレスカメラの大きさが近いので応用できそうな気もするが

多分カメラバッグみたいに緩衝材は入ってなさそうではある

あと ボックスショルダーバッグはまだしもウエストバッグは耐荷重が低そうにも見える

ミニ四駆って軽いからなぁ…



Ende;
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○バカシークエンスの発動機構。

2018年12月22日 10時43分29秒 | 意識論関連
誤差逆伝播が生体の脳にはないという

言われてみれば 確かにドーパミンを放出する側と受け取る側は一方通行で 逆方向に信号を送る機構は見られない

でもさ 生体の脳って使わない回路は常に減ってゆくようになってるよね

「忘れる」ってニューラルネットワークにはないからね

ニューラルネットワークで例えるなら 逆伝播をしない代わりに時間単位で回路全体を常に一定の割合で弱めることで 使う回路だけが強化されるようになっているって考えられる

オラそっちの専門家じゃないので 回路全体を一定の割合で弱めるなんてAIプログラミングは多分誰もやったことないんじゃないかな

 ◇

AIの場合は間違いを出力側からも回路に訂正を加えることが出来るってことなんだろうけど

生体の脳の場合はそれが出来ない

だから一回バカになるとバカが治らない

自分の頭の悪さを訂正する機構がハードウェアレベルでは実装されてない

むしろ バカを事後正当化するための言い訳 言い逃れ 取り繕い はぐらかし 嘘 開き直り という一連のバカシーケンスが発動して地動説を火炙りにしてみたりする

そうしておけば気分的には楽だからね



Ende;
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○小林康夫と松尾豊。

2018年12月20日 23時33分58秒 | 意識論関連
「人間らしさ」という概念の定義自体があやふや過ぎる

「らしい」かどうかは主観であって 客観的定義に結びつかない

「欲望を求め闘争する」「共感をAIから学ぶ」(小林康夫)

「コニュニティを作り闘争する」(松尾豊)ことが「人間らしさ」だと述べているが

松尾や小林の主観がどうして客観的事実にすり替えることができるのであろうか

こいつらバカじゃねぇか



「いままでずっとそうだった」という結果を どんなにたくさん陳列枚挙したところで 結果が結果以上の目的に変換することが出来るわけではない

これはカール:ライムンド:ポパーの「白いSwan」の拡張概念である

「白いSwan」というのは「大量の結果」であり 結果をどんなに大量に集めてきても合理性のある目的行動選択であることの論証にはならない

科学の目的は客観的事実認識であり 結果をどんなに大量に抽出してきても科学的論理証明には全くならず 単に結果の多数抽出だけで目的だと言い張ることは出来ない

それは ヒトがどんなに生活習慣病に陥るという結果を抽出してきても「ヒトは生活習慣病になることが目的である」ことの論理証明には一切ならないのと同じことである

結果の多数を目的にすり替えるという ヒトの脳の頭の悪さが先天的に存在していることを認識していれば こうした間違いに陥ることはない

どんなにたくさんのバカを集めてきたところで 「ヒトの全ては永遠にバカである」ことの論理証明にはならない

「バカとは何か」を理解認識することができれば ヒトはバカから脱することが可能であり 科学哲学の役割はそこにある

ところが現状の哲学者と呼ばれている奴らは「哲学は研究をしない」などと言い出す始末であり それが哲学界における多数派常識であることを論拠に怠慢を正当化しようとしており

極めて無責任で雑な屁理屈である



ヒトという種の生物が 今までずっと「コミュニティー集団を形成し差別排除という闘争を繰り返してきた」という結果をどんなに大量に抽出してきても

「ヒトという種の生物が永遠に差別排除という闘争をやめることが絶対に不可能である」ことの論証にはならない

養老孟司も「ヒトは今まで実証不能の観念を振り回し他人に多大な迷惑をかけてきた。ヒトとはそういうものである。」と勝手に決め付けたのと同じで 何も考えていないバカ特有の思考停止のシーケンスに囚われているに過ぎない



Ende;
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