書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

環境適応

2022年02月27日 19時43分53秒 | 意識論関連

生物進化において「環境に適応するために進化を選んだ」といった「説明」を良く耳にするのだが

これは遠藤秀紀の言う「典型的な間違い」に基づいた「説明」の一つである

 

「環境に適応するため」といった目的に沿って能動的に「進化した」のではなく 環境に適応できた個体種が生き残った結果が進化というものなのである

変異自体は常に起きているものであり 環境変化があろうがなかろうが変異は起きている

環境変化が起きた場合には環境に適応することが出来ている変異だけが生き残り それ以外が全て死ぬことで結果的に進化として現れる

だが 環境変化がほとんど起きない環境においては むしろ変化しない環境に適応している個体は生き残り 変異した個体が全て死滅することによって 結果的に何億年でも同じ形質を維持することもある

急激な環境変動によって変異による環境適応が追いつかない場合には絶滅する

遺伝的進化というものは そういう単なる自然現象の結果に過ぎず 意図目的といった能動的選択可能性が介在する余地はない

「進化をしよう」とか「環境に適応しよう」といった意図目的戦略に基づいて能動的に選択することなど構造原理的に不可能であり「環境に適応するために進化を選んだ」といった「説明」は科学的に大間違いなのである

 

大衆の大半や生物学者の大半は こうした「典型的な間違い」に対して何の疑問も持たないようだが それは論理科学的検証思考が働いていない頭の悪さによる錯覚が原因である

 

 


Ende;

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2スト2軸クランクVツイン

2022年02月25日 20時25分13秒 | 日記

水冷2スト2軸クランク90度V型ツイン75馬力/11700rpm 乾燥重量105kg

レース仕様車3万3000ユーロ (日本円で430万円相当)

公道で乗ったらうるさいだろうな

サーキットで乗ったら楽しいだろうけど

ヨーロッパの排ガス規制「ユーロ5」に適合できるんだとか

ヤマハのSDR復活できないのかな

↗【VINS MOTORS DUECINQUANTA STRADA|PROTOTYPE】 -ヤングマシン

「ヤング」って…

 

 

 

Ende;

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ブースター接種(3回目)

2022年02月25日 12時17分51秒 | 日記

若年層でモデルナ製ワクチンの副反応が酷くて多くの若者がファイザーを希望しているという話なので

55のハゲオヲヤヂ的には免疫が劣化しているからモデルナでも大丈夫だろうと近所の集団接種会場を予約

大手町の自衛隊集団接種会場の方が早いらしいんだけど ちょっと遠い上に自転車置き場がないという 電車乗るのも怖いし

 

予約当日午前11時3分に接種 15分間の待機後に家に戻る

当日の午後は何の副反応もなく 注射した左肩が痛い以外は何もなく普通に過ごすことができて 体温は37.2℃ 微熱って感じだけど 体調に変化はなかった

ところが 夜中に寝てたら全身がムズムズしてきて何か眠れない 何かカフェインの摂りすぎで眠れない時みたいにちょっと脈が早いような気がする

そしたら徐々に体中が痛くなってきて 呼吸するだけで腹筋とか横隔膜が地味に痛い

寝返りなんぞすると首からスネまで全身痛いんだけど 寝返りしないのも地獄なので痛いの我慢しながら寝返りうったりしてたら寝れない寝れない

まあ夜が長いこと 全然朝にならない

朝になって痛みは若干収まってきた感じがするが あんまり寝てないせいか頭痛がする

体温測ったら37.4℃ あんまり上がってない

ファイザー2回目の時は翌日37.8℃まで上がったので 意外と体温は上がっていない

問診の時のお医者さんが言うには「熱が出たらトンプクを飲んでも良いですよ」と話だったが 鎮痛剤として飲もうかどうか考え中

3回目のブースター接種では副反応はファイザー2回目と同じくらいという話だったんだけど ファイザーとモデルナだと副反応の質が違う感じ

 


あと ネットで話題になってたんだけど ワクチンの有効期限が切れているのを打たれたというのだが

厚生労働省が2021年11月までにファイザーとモデルナ社製ワクチンの有効期限を「6カ月」から「9カ月」に延長したんだそうな

そういうの ちゃんと説明しといてくれないとね

 

こうやって書いている右手の掌も何だか痛いわ

 

 

ファイザー1回目と2回目

 

 ◇追記:13時10分に測ったら38.0℃あった

18:30に夕飯を食べてから体温測ったら38.1℃

熱があるためか冷たいヨーグルトがおいちぃ

オイラは食欲はなくならなかったけど 食欲が失せた場合を想定して冷たいヨーグルトとかゼリー飲料とかプリンとかアイスクリームを用意しておいた方が良いと思う

夕方になったら筋肉の痛みは少なくなってきた

今夜は眠れそう

東京の新規感染確認者数は11,125人

減らないね

誰がどこで感染しているんだろう

 

 ◇:接種から3日目 9:00に36.5℃ 平熱に戻った

体の痛みも引き 局所的に右手中指の付け根が痛いなどのわけのわからぬ残り方はしているが 注射した左肩もほとんど痛みはなくなった

腕もぐるぐる回せる

当日の夜によく眠れなかったこともあって よく眠れて一瞬で朝が来た

ワクチンの副反応って人によってかなり症状が違うそうで あくまでオイラの個人的症状として参考にしてもらえれば良いと思う

 

 


Ende;

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野村商店

2022年02月20日 13時12分35秒 | 日記

新木場 野村商店 第2土曜日 10:00~12:00

氷温熟成肉等卸売

シャトーブリアン 100グラム ¥480

次は3月12日

 

 ↗野村商店

 

 

Ende;

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メディア・リテラシー

2022年02月19日 14時03分41秒 | 意識論関連

ネコは鏡に映る自分の姿を自分だとは認識できず 他のネコだと錯覚したまま威嚇し続ける

ヒトが錯覚を錯覚だと認識できるのは ヒトの論理客観的思考によるものであって ネコにはそれが充分に働かないから錯覚を自覚できないのである

 

それなら ヒトでありさえすればあらゆる錯覚を錯覚だと認識区別可能かと言えば そうとは限らない

振り込め詐欺師の電話であっても 「話し方が丁寧だった」という主観的印象だけでも簡単に詐欺師であることを認識できなくなることもある

たとえ学力偏差値の高い東大医学部の学生であっても カルト宗教に騙されて毒ガステロをやらかすようにもなることがある

 

ヒトの感覚による主観的印象というものは 論理客観的根拠に基づいた真実とは異なるものにリアリティを「感じ」てしまう可能性が存在しており これは「ヒトという種の生物」である以上は避けることができない先天的な認知上の欠陥である

ヒト すなはち自分の脳は自分で選んでなどおらず その認知システム構造もまた自分の選択の介在しない遺伝的進化という自然現象の「結果」でしかないため 主観的印象によって錯覚が生じること自体も避けることができない

錯覚とは ヒトの脳の先天的なハードウェア的な欠陥であって これは後天的にソフトウェア的に修正することは可能である

 

見通しの良い畑の真ん中の十字路で 時折衝突事故が起きることがある

偶然同じ速度で十字路に向かって互いの車が走行していると 横から走ってくる車が背景に溶け込んで見えなくなる錯覚が生ずるためである

これは航空機でも起きることがあって 低空で飛行しているヘリコプター同士が衝突することがあるという

視野の中に確実に「見えて」いるにも関わらず それを認識できなくなる錯覚が存在しているのである

だが こうした錯覚が存在していることを踏まえておけば 錯覚による事故を避けるための対策は可能である

 

錯覚というものはヒトの認知上の様々な欠陥から生ずるものであり 簡単に錯覚として認識できるものから 自覚することが困難なものまで様々にあり 困難であるからこそヒトは実証不能の観念を振り回し他人に多大な迷惑をかけ続け 絶滅破綻への暴走をやめることができないのである

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における「絶対に知覚することのできない叡智界」などという実証不能の妄想ファンタジーを鵜呑みにし 「近代哲学の最高峰」などと錯覚しているのも ヒトの認知上の欠陥から生ずるのである

「なぜ知覚することができないのか」についての論理客観的根拠も示されていなければ 「なぜ人間は叡智界に属している」と言えるのかについても論理客観的根拠は示されておらず 結局イマヌエル:カントの勝手な決め付けに多くの衆愚(「哲学者」共も含む)は主観的満足感を短絡的に真理や「哲学」だと勝手に錯覚しているだけなのである

これは 言うなれば錬金術を科学だと言い張っているようなものであり トンチンカンにも程がある

フリードリヒ:ニーチェが言う「信念は真理の最大の敵だ」という話も 実証不能の観念を振り回してテロ行為を行うことだけを論拠に正当化する論説は山ほど出てくるが 主体的石としての信念なくして真理なんぞ識別することはできないのであって 信念に論理客観的根拠が伴うかどうかこそが重要なのであり 短絡的に信念の全てが「真理の敵だ」という話にはならない

一面的論証だけを鵜呑みにし あたかもそれ以外の論証が存在しないかのように錯覚するのは 自分の頭で物事を考え検証していないからである

こうした一面的論証だけを鵜呑みにする頭の悪さは マルクス:ガブリエルの言う「ファウストは自然科学ではインクの粒しか対象にしない」という決め付け論法でも見られるものである

フィクションや芸術というものを自然科学的に検証するとすれば なぜフィクションや芸術というものをヒトが求めるのか その脳や欲望の構造を検証することも可能であり 決してフィクションや芸術を自然科学では扱えないわけではない

マルクス:ガブリエルは主観的なリアリティ(現実感覚)と論理客観的真理(現実そのもの)を区別できておらず 自分の主観的印象に過ぎぬリアリティを短絡的にリアル(現実)として扱うトンチンカンな論説に過ぎない

それは振り込め詐欺師の電話にリアリティを「感じ」ているのと同じであって 頭が悪いにも程がある

「ボン大学教授」という肩書権威に対し ヒトの多くは宗教のように盲目的信頼感を抱くことによって 荒唐無稽なファンタジー妄想であっても簡単に鵜呑みにし 誰も疑いを持たなくなるからである

京都大学霊長類研究所の松沢哲郎による文化功労賞も 養老孟司の東京大学名誉教授という肩書や衆愚人気も科学的根拠にはならないし

マイケル:サンデルがハーバード大学の学生から多数人気を集めていても 多数であることが論理客観的に真理であることの論証にもならない

人気が出ていさえすれば ヒトは多数によって内容が保証されているものだという勝手な安心感を抱くことで 内容の論理客観的検証を誰も全くしなくなることで 嘘やデマが大学でも通用してしまうことに陥るのである

 

自己の主観的満足感を客観的真理と錯覚しているからこそ 論理客観的には根拠のない妄想ファンタジーを「哲学」だと勘違いすることになるのである

哲学というのは「考える」ことである

「考える」とは すなはち論理客観的に「本当の話」か「本当の話ではないか」を区別することを意味する

決して主観的に満足することが「哲学」ではない

ところがヒトの多くは主観的「悩み」を解消するために都合の良い話をこじつけて満足することを「哲学」だと勘違いし 基準の曖昧なフリードリヒ:ニーチェなんぞを「カッコイイ」だの「センター性がある」などという主観的印象や感想だけで個人的好き嫌いだけで「哲学」だと勘違いするのである

あまりにバカ過ぎて説明しているこっちが恥ずかしくなるのだが

ヒトの多くは「哲学とは そういうものだ」という盲目性を発揮し 問題だとすら「思って」いないのである

いわゆる「問題盲」というやつであろう

危険工学において刑法を一時停止させて徹底的に原因究明をするのも ヒトの多くが「刑法懲罰で解決だ」という「そういうものだ」感で満足したがる先天的な認知上の欠陥を補うためのメソッドである

見通しの良い十字路で 相手の車が見えなくなる錯覚による事故が起きた場合に 一時停止を怠った方に罰を与えておけば事故の再発防止になるわけではないし 通り魔事件が起きる度に通り魔を死刑にしても通り魔事件の再発防止にもならない

にも関わらず ヒトの多くは「刑法懲罰で解決した」という報復感情を満たすことしか意識の俎上には乗らない盲目性によって非合理な刑法に頼る以上の何もしたがらないのである

刑罰とは 要するに暴力的抑圧である

「嫌な奴を殴って満足する」 それだけの話に過ぎず 刑法はこれを手続き的に社会制度に仕立て上げた大衆迎合に過ぎず 論理客観的な再発防止策にはほとんどならない

酔っぱらい運転で何人被害が出ようとも 酔っぱらい運転をするような無責任なバカには如何なる厳罰化も効果がないのである

たとえ取り締まりで捕まったとしても バカは「運が悪かった」程度にしか「思って」おらず 「バレなければ俺に損はない」としか「思って」いないのである

こうした自覚の欠落というものは 本人に主体的意思や自発的な「考え」が働いていない意識の欠落によるものである

「意識」のない奴に「自覚」なんぞあるわけがないのである

「へずまりゅう」が「迷惑者はザラにいる」ことを論拠に自己の迷惑行為を正当化できているかのように言い張るのも 一面的論証をあたかも反証不能の絶対的論証であるかのように錯覚しているからである

 

ファンタジーの多くでは 暴力的報復による「解決」が普遍的に見られる

それは 暴力的報復こそが完全無欠の絶対的「解決」だというヒトの先天的感覚による快楽をもたらすからである

アイアンマンがテロリストを虐殺殲滅するのも それで全てが解決したかのような感覚を観客に与えるからである

バットマンに登場するジョーカーが暴力破壊に邁進するのも 世間に対する方向性のない報復感情を満たすためだけであって 具体的に何かの役に立つ建設的な「解決」に至る話ではない

フォートナイトという殺人ゲームに人気があるのも 暴力破壊に対する満足感や 協調的統率行動への満足感が得られるからであって それが何かの役に立つわけではない

サッカーやベースボールで「勝って」も オリンピックで金メダルを獲っても それが具体的に社会の安全性や公平性に役立つわけではなく むしろ政治的な国威発揚などに利用されるものでもある

「勝つ」などの「順位評価」というものは あくまでルールの上における抽象化された脳への報酬に過ぎず 学力偏差値が本質的な知能の論証にならないのと一緒で 主観的満足感だけが目的の中毒に過ぎない

ファンタジーや芸術で脳が気持ちよくなることは ヒトの先天的な本能習性であり 欲望の産物である

欲望とは ヒトの脳に先天的に組み込まれた行動バイアスであり これは環境適応による繁殖の継続以上の遺伝的進化の結果以上には意味がない

ヒトにまで進化する以前では 暴力は生存や繁殖の継続において適していた結果であって どんなに強く「思って」も暴力は合理的な「解決」にはならない

 

ヒトは誰も自らの意思でこの世に産まれてきた者などいない

自分の遺伝子は自分では選んでおらず 祖先の生息環境によってっ組み込まれた本能習性も自分では選択不可能な動物的行動バイアスに過ぎない

しかも 生育環境によって刷り込み学習されたあらゆる「常識」もまた自分では選んでおらず 論理客観的な根拠が伴うとも限らないものである

「お茶くみは女性社員の仕事」という「常識」が長い間通用していたのも 誰も自分の頭で「これは合理性がないのではないか」という自分の頭で考えなかった頭の悪さに起因するものである

有名大学の哲学教授でありさえすれば 言っている内容が正しいはずだ 論理客観的根拠が伴うはずだという勝手な思い込み(錯覚)によって ヒトは簡単にバカになる

そして一度信じ込んだ既成事実を正当化し 認知的不協和という気分の悪さを回避するために反論の全てを無視し 意識から外し 「なかったこと」にして満足するのである

その満足感を多数で共有しておけば ヒトはバカのままで変わらずに済むことで 主観的な満足感を持続させ続ける中毒に陥るのである

 

ファンタジーは脳の産物である

脳は自然科学の対象であり 宇宙の一部に過ぎない

決してマルクス:ガブリエルが言うように「自然科学は芸術やファンタジーを研究対象として扱えない」わけでもなければ 自然科学の宇宙の外に芸術やファンタジーが存在しているわけでもない

だからといって養老孟司のように物体としての脳だけ「担ぎ出して」きても何の論証にもならない

脳の機能 脳がどのような働きを持っているのかを検証しなければ 真実と嘘の区別はつかないのである

養老孟司はこう述べた

「わからないなりに わかったとする そういうわかり方もあるのかと思って頂ければ幸いである」と

一体何が「幸い」なのか 何にも論理的根拠が示されていない話を多くの衆愚は鵜呑みにしたのである

しかも そんなオカルト野郎が東大では名誉教授扱いされているのである

その東大には税金や生徒の授業料が注ぎ込まれているのであり 不適切にも程がある

世間を「おちょくっている」としか言いようがない

NHKもマイケル:サンデルだのマルクス:ガブリエルだの養老孟司だのを鵜呑みにし ただ漫然と垂れ流すだけの無責任さを存分に発揮し 一面的な社会的効用だけを根拠に高額な受信料を徴収し続けるというふざけたことを平気で続けているのである

NHKは公共料金であり 情報というものは必要なものでもあるが

だからといってデマや嘘まで真実や「哲学」であるかのように垂れ流すというのは 水道に糞や毒を混入させているようなものであり 許されるべきものではない

とっとと訂正し 真実を公表し 謝罪した上で一定の受信料減額なり返還なりをすべきであって 郵政事業と結託して金を集めることばかりに頭を使うのは あまりに利己的で身勝手というものである

組織が腐敗する原因とは 組織を構成する個人が組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わないからである

組織内部の多数によって 個人の責任が薄まるという「感覚」こそが 組織腐敗の温床となる根本的原因であり 本来視聴率に依存しなくて良いはずのNHKが視聴率稼ぎにマイケル:サンデルなんぞを垂れ流しているというのは 一体何のために受信料を徴収しているのか意味がわからない

 

 

 

Ende;

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口先だけの「反省」

2022年02月18日 13時57分48秒 | 意識論関連

ヒトは主観的感覚によって作り出されるリアリティに惑わされ 非合理な行動を採ることがある

だからこそ合理的で客観的根拠に基づいて真実か真実ではないかを区別するために哲学や自然科学がある

フィクションや芸術といった主観的好き嫌いの範疇のものと 論理客観的な真実を区別するのは 認識における区別であって フィクションや芸術が哲学や自然科学における世界(宇宙)と区別できるようなものではない

フィクションや芸術はヒトの脳の認識の中での区別であって 脳自体は世界(宇宙)の一部に過ぎない

 

マルクス:ガブリエルは「自然科学で『ファウスト』を研究するとしたら紙やインクの粒子の性質を対象にする他ない。ゆえに自然科学が対象領域とする宇宙は、世界全体より小さいことになる。」と述べたが フィクションや芸術を自然科学的に研究対象とする場合にインクの粒子や性質以外が研究対象にならない理屈は存在しない

自然科学はフィクションや芸術というものを求めるヒトの脳を研究対象にしても構わないものであって 「自然科学が対象領域とする宇宙は、世界全体より小さいことになる。」というマルクス:ガブリエルの論説はfalse(偽)である

フィクションや芸術というのはヒトの脳の中の認識の中に存在するものであって ヒトの脳自体は自然科学の研究対象に該当するものであり 「自然科学が対象領域とする宇宙が世界全体よりも小さい」などというのはマルクス:ガブリエルの勝手な決め付けこじつけ妄想に過ぎない

ヒトの脳は自然科学の研究対象領域とする宇宙の一部に過ぎない

 

ヒトの認識の中には論理客観的根拠に基づいた真実の認識と 主観的感覚によって促されるフィクションや芸術を分類することが可能であるが これは個人的な好き嫌いと社会的安全性とを区別するためのものであって 世界自体がフィクションや芸術と自然科学に分類できるわけではない

哲学とは 本来妖怪悪霊といったデマや嘘に惑わされて非合理な行動に陥らないために真実との区別をするための論理客観的「考え」に基づくものである

ところが衆愚や「哲学者」共は主観的感覚こそが意識の絶対的な本質であると錯覚し その錯覚にとって都合の良いデマをでっち上げて衆愚人気を得ることだと勘違いしているフシがある

「哲学者」の多くが「悩み」などという主観によって促される不安を解消するための手段として都合の良いこじつけ論法によって衆愚のご機嫌取りに終始しているのも 論理客観的な「考え」を哲学として捉えていないからである

マイケル:サンデルによる「倫理の話」も 実際には「悩ましい」だけの命題を提示しているだけであって どちらを選んだとしても倫理的責任を問われるような話ではなく 単に主観的気分として「悩ましい」だけの話で「悩んだ」ことを あたかも論理客観的な「考え」であるかのように錯覚させているに過ぎない

死んだ人数だけで倫理が問われるわけではなく 誰も死んでいなくても 誰にも危害が及ばなくても 危険性を放置している時点で倫理的責任は問われるのである

酔っぱらい運転をしても事故を起こしていなければ倫理的責任が問われないという話にはならないのである

 

マルクス:ガブリエルを読んで主観的に満足するのは 自分の頭が良くなったような感覚(錯覚)が促されるからであろう

養老孟司だの読書猿も同様である

ヒトは主観的に気分が良くなる信じたい話を鵜呑みにし「自分の頭が良くなった」と勘違いすることで満足する習性がある

そして 多数人気がありさえすれば あたかも多数によって内容の真偽が保証されているかのような勝手な勘違いをすることで 何の疑いも持とうとはしなくなる

「多数=正常」だと勘違いする錯覚によって ヒトは真実を見失うのである

こうした認知上の欠陥によってヒトはバカになるのである

バカならマルクス:ガブリエルの嘘(或いは間違い)を見抜くことはできない

認知上の欠陥というのは 先天的なものであり 祖先の生息環境において繁殖の継続に適したという結果的なものである

ヒトは遺伝的進化さえ起これば全てが「成功」するものだと錯覚しているが 実際の遺伝的進化というものは膨大な「失敗」の果てに偶発的に起こる自然現象に過ぎず 環境適応と繁殖の継続以外に何ももたらすことはなく 進化の果てに何か目的のようなものや 究極の到達点のようなものが存在するかのように錯覚するのは 現存生物という遺伝的進化の「結果」以外を何も見ていないからである

実際の遺伝的進化というものは 過去に幾度もの大絶滅を引き起こしているものでもあり 進化は常に進行中の自然現象であって ヒトが進化の果てに絶滅しても誰も責任は取ってくれないのである

 

ネコは鏡に映る自分の姿を 自分だとは認識できずに威嚇し続ける

それは ヒトが武力威圧や懲罰報復によって何かが解決するという錯覚と同じであり 論理客観的合理性は何もないばかりか むしろ環境破壊によって自分達の首を絞める原因でもある

ヒトの脳は主観的満足を求めているだけであって 別に論理客観的真実を識別するようにはできていない

ヒトとは 先天的に動物の一種であって 脳が肥大した結果として論理客観的真実の識別可能性「も」獲得してはいるものの それはあくまで自分の頭で物事を「考え」検証しなければ真実を識別することはできない

学力偏差値というものが知能の本質とは無関係であることが認知科学的にも立証されているが 大衆にとっては「学力偏差値が高い=頭が良い」という観念に基づいた判断しかされることはなく 学力偏差値が高いだけの高学歴なバカ共によって大企業や官公庁による不祥事は繰り返されるのである

自律的な社会的責任判断選択というものは あくまで「自分の頭で考え 社会の安全性を担保しようとする意思」によって促されるものであって 厳罰化や法手続きの整備という他人からの抑圧によって促される「他律」とは全く正反対のものである

バカは嘘でもデマでも鵜呑みにし 自律的判断というものを全くしようとはしないものである

多数人気さえあれば多数によって内容が担保されていると勝手に錯覚し 真偽の判断責任は多数他人に丸投げできるとでも「思って」いるのであろう

そうした「思い」こそが自己過信であり 慢心であり 思考の怠慢に他ならない

 

養老孟司も「客観的事実などない」と断言し人気を得た

マルクス:ガブリエルも「世界は存在しない」などと断言して衆愚人気を得ている

読書猿もまた「実害があります」などと宣言しておきながら 実際には具体的根拠や証拠も示さずに「かもしれません」などという勝手な予測をでっち上げて人気を集めている

現代人の多くは「科学を信じている」と言うが 実際には「科学的権威という肩書を信じている」だけであって 自分の頭で真偽を検証するという「考え」は誰も持たないのである

だから「進化で月経の痛みがなくならないのかしら」などという荒唐無稽な話を平気でするのである

 

修士学位を持った「哲学者」のほぼ全員は イマヌエル:カントの「純粋理性批判」には論理客観的根拠が示されていないことには全く言及しておらず 未だに「近代哲学の最高峰」などという形容詞を鵜呑みにしているバカしかいないのである

マルクス:ガブリエルも例外ではない

それなら物理工学天文学の研究者によってツッコミが入れられそうなものだが 「専門外」という縦割り「タコツボ化」によって傍観放置されているのが現状である

こうした「タコツボ」からタコ野郎を引っ張り出すのが哲学やリベラルアーツ(一般常識)の役割なのだが その哲学界が自分の頭で物事を考えないバカの巣窟であるから始末に負えない

 

ヒトは 荒唐無稽なデマや嘘の方を面白がり 主観的に面白いことが革新的か何かだと勝手に勘違いして多数人気で満足しようとする

しかし 論理客観的検証に基づいた論説というのは「面白く」はない

むしろ従来の「常識」から逸脱した本当に革新的論説は主観的不安や恐怖を及ぼし むしろ「自分の頭の悪さを自覚させられる」という恐怖から逃避する形で意識から外し 無視し 「なかったこと」にすることで主観的納得や満足することしかしたがらないものである

それはあたかもカルト宗教の信者が「お前の信じている教祖はキチガイだぞ」と言われて拒絶するのと同じであり 認知的不協和を解消する形で洗脳状態へと自ら陥っていくというヒトの先天的な認知的欠陥が原因である

ヒトは先天的にバカである

自分の脳が先天的にバカだという前提において 自分の主観的感覚を疑うことで 自己過信による錯覚を錯覚だと認識することが可能となるのである

振り込め詐欺師に騙される被害者の大半が「自分だけは絶対に大丈夫だ」と思っているのも 「自分だけは絶対に騙されることはない」という慢心があるからこそ騙されるのである

フリードリヒ:ニーチェも イマヌエル:カントも マイケル:サンデルも マルクス:ガブリエルも 全て論理客観的根拠を欠いたデマである

自分の頭でちょっと考えればわかるデマでありながら 現実には誰も自分の頭では考え検証することはない

それは「ボン大学教授」などといった「肩書」権威に対する盲目性によるものであり ヒトは宗教に限らず盲目的に何かを信じ込むことで主観的満足だけ得て思考停止に陥るという先天的な頭の悪さを持っているのである

京都大学霊長類研究所の松沢哲郎が文化功労賞を獲ったからといっても そもそも11億もの研究費を不正流用するような嘘つきが「チンパンジーの行動習性から人間としての社会性を立証できる」わけがないのである

 

ヒトが先天的に求めているのは 信じたい話や対象であって 何を信じるべきかを自分の頭で検証して「考える」ようには先天的にはできていない

だから科学や哲学によってtrue(真)かfalse(偽)かを区別する必要がある

にも関わらず哲学界が率先して嘘を信じ込んでいるというのは 社会的にあまりに無責任であり 不適切にも程がある 

これをNHKも含めてマスコミの誰も認識していないが これもまた権威に対する盲目性が原因である

「過去の反省を踏まえて」などと殊勝なことを言っているものの 実際には気分的に「反省したような感覚」になっているだけであって 論理客観的根拠に基づいた再発防止のための策が具体的にあるわけではない

要は「口先だけ」であって 具体的に実効性のある中身はないのである

そういう嘘ならいくらでも言えるだろう

 

 

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世界は存在する

2022年02月18日 01時30分00秒 | 意識論関連

自然科学(もっぱら物理学)では自然科学で捉えられる対象領域を世界と見ているが、それは宇宙と呼ばれるべきものである。自然科学で研究されるもののなかにフィクションにおける存在や芸術の価値は含まれないであろう。自然科学で『ファウスト』を研究するとしたら紙やインクの粒子の性質を対象にする他ない。ゆえに自然科学が対象領域とする宇宙は、世界全体より小さいことになる。

世界は存在しない -デイリーポータルZ(藤原浩一)

⇨フィクションはフィクションであって事実(現実・世界)ではない 芸術も主観的好き嫌いであって論理客観的根拠は必要がない

主観には必ず錯覚や誤謬が伴う可能性があり これを避けるために論理客観的根拠に基づいた「真実」を見極めるための「考え」が「哲学」である

錯覚を含む主観まで含めて「世界」だとみなし 客観的事実に基づいた自然科学には含まれないと言い張るマルクス:ガブリエルの論説は論理的に支離滅裂である

自然科学における宇宙の中にヒトの主観や錯覚が内包されるのであって 主観を客観的事実と同列に扱うというのは無理なこじつけに過ぎない

主観は世界を認識するが 主観の全てが論理客観的根拠が伴う真実ではない

主観は真実「も」認識可能ではあるが 同時に事実ではないもの「も」事実だと錯覚する可能性が含まれている

哲学 すなはち「考え」とは あくまで論理客観的根拠に基づいて真実か真実ではないものを区別することを指すのであって 自然科学と芸術を同列に扱い「世界に内包する」という理屈は成立しない

こうした成立しない理屈を 多くの衆愚(哲学者も含む)は鵜呑みにしているのである

ヒトは主観を意識の本質だと錯覚する習性があり だからこそ簡単にデマや嘘を鵜呑みにしてしまうのである

フィクションや芸術というのは主観の世界であり 個人の内部にのみ存在するものである

個人の脳は世界に内包されるものであって 自然科学における宇宙の外側に存在するものではない

論理客観的には根拠のない話であっても 多くのヒトがリアリティを「感じ」ることは可能である

リアル すなはち現実・事実というものは「感じ」さえすれば立証されるものではなく あくまで論理客観的根拠に基づいて判別するべきものである

自然科学における立証というものは 時に主観的感覚から乖離することがあり リアリティを「感じ」られないことも存在するのである

赤道が地球の自転によってマッハ4.9の超音速で回転しているとは「感じ」ることができないが 地球一周4万キロを24時間で割ればそれこそが事実である

一般相対性理論によれば 光の速度こそが一定で 空間や時間の方が歪むという話も 主観的感覚から乖離するものである

ヒトの感覚器は多くの事象を「感じ」ることができるものの その全てが合理的で意味のあるものである保証はない

ヒトが報復的刑罰を「解決」だと「感じ」るのも それが進化の過程において生存や繁殖の継続において有利に働いた結果的感覚(錯覚)に過ぎず こうした錯覚に惑わされることなく論理客観的根拠に基づいて合理的な再発防止を優先するための考え方が危険工学や失敗学や上流思考というものである

ヒトは遺伝的進化というものを まるで完璧な願望器のように錯覚したがる性質があるが これは現存生物種だけから導き出した遺伝的進化の結果に対するこじつけ妄想に他ならない

遺伝的進化というものは常に現在進行中であり その果てに何か「合理性のある目的のようなものが存在している」はずだという根拠のない妄想観念によって 優生学などというオカルト観念が130年以上も温存され続け その上養老孟司だのマルクス:ガブリエルだのといったオカルト観念を鵜呑みにするというバカの上塗りを繰り返し続けるというのは 頭が悪いにも程がある

遺伝的進化によって組み込まれた形質や習性というものは あくまで環境適応による繁殖の継続以上の意味を持たない

遺伝的進化というものは 自然現象であって 目的も到達点も存在しないのである

従って主観的にどんなにリアリティを「感じ」たとしても その主観には何の客観的保証もないのである

カルト宗教の信者は 教祖の言っている内容にリアリティを「感じ」 それこそが真理であるという錯覚によって無意味な破壊行為も出来るようになるのであり 通り魔のリアリティも同様である

そのリアリティとは 梅沢富美男による「死刑にしちまぇ!」という短絡的感情論に同調する衆愚の主観も同じであり 通り魔が出る度に死刑にしても通り魔事件自体は何度でも繰り返すことになるのである

論理客観的根拠に基づき合理的に実効性のある対策にまで言及しなかったことによって 避けられた可能性のある被害を避けられなかったという無責任性の罪は 衆愚の多数決によって薄められるようなものではない

ヒトが暴力破壊によって何かが解決するという感覚によって 人類は今まで実証不能の観念を鵜呑みにし他人に多大な迷惑をかけてきたのである

ヒトとは そういうものである

そういう欠陥を前提にして どのようにして実証不能の観念と論理客観的事実とを区別するべきかを「考え」るのが哲学の役割である

自分の主観的感覚を過信し 感覚的に「信じたい話」だけを多数決的に鵜呑みにしているのはバカの発想である

どんなにマルクス:ガブリエルの多数人気を「立証」しても それが論理客観的根拠に基づいた真実の論証にはならない

科学的真理が多数決ではないのと同時に 哲学的真理もまた多数決で決まるものではない

哲学 すなはち「考える」というのは あくまで論理客観的根拠に基づいて真実かどうかを見極めてこその「考え」であって 嘘やデマを鵜呑みにし 多数人気で安心しているのは哲学でも何でもない ただの大衆迎合に過ぎず 到底哲学とは言えないのである







Ende;

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菊水健史(麻布大学)

2022年02月14日 00時02分51秒 | 意識論関連

NHK Eテレ「サイエンスZERO」において「30万年前に初期ホもサピエンスが仲間と協調行動を採ることを選んだ」と説明していたが

先天的な本能習性は主体的に「選ぶ」ことはできず あくまで変異の中で淘汰圧力による収斂の結果でしかない

 

細かい話ではあるが 科学である以上厳密さは必要である



 


Ende;

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柿の木外傷

2022年02月13日 19時55分44秒 | 日記

ダッシュ島で柿の木に登ってたんだけど

柿は前触れなくいきなり折れるので登ってはいけません

毎年のように事故があるそうです

学校で教えておけよ

 

 


Ende;

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誹謗中傷と批判の違い

2022年02月11日 17時50分34秒 | 意識論関連

高梨沙羅のメイクが濃いって話があるんだけど

実際には写真のコントラストが高いためにメイクが濃く見えるだけで 高梨のメイク自体は別にとりたてて濃くはない

 

若新雄純が「何でネット上で誹謗中傷をするのか訊いた」そうで その答えが「弱い者イジメをしてはいけないから 強い(自分よりも上)相手をイジメている」という

殴り返せない所から殴っている時点で「弱い者イジメ」だし

たとえ強者であっても根拠のない誹謗中傷が許されるわけがない

結局「誰かを殴りたい」という主観的欲望が間違いで

「殴りたい」という欲望を満たすためという利己的な動機だから人間としての「心」が失われる

世間的評価が得られないからといって根拠のない誹謗中傷で満足しようとするのは卑劣というものである

批判精神は必要だが 論理客観的な根拠に基づいた嘘や間違いを指摘すべきであり 主観的好き嫌いで誹謗中傷することこそが「嘘」であり人間として「間違い」である

 

誹謗中傷をされている方も 根拠のない誹謗中傷であれば気に病む必要性は全くなく ただの「世間的弱者の独り言」なんぞ「可哀想な人だな」とでも思っておけば良い

 

 


Ende;

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必然的結果

2022年02月10日 12時05分07秒 | 意識論関連

ヒトという種の生物は 論理客観的根拠に基づいた真実と主観的安心満足との区別がつかない性質がある

主観的に安心満足してしまえば論理客観的根拠が伴うのかどうかには意識が働かなくなるからである

だから嘘やデマにも簡単に騙される

 

「リアルを感じられる」とは 「感じ」である以上は主観である

論理客観的根拠の伴わぬ実証不能の観念や感覚であっても 主観的に「リアルを感じられる」ことはあり だからこそヒトは騙されるのである

マルクス:ガブリエルは「不安がリアルを歪める」と言っているが 現実には安心満足こそが論理客観的事実を見失わせる原因である

カルト宗教の信者は主観的に安心だからこそ自分のやっていることを疑わないのであり 不安か安心かという主観的感覚を自分の意識の本質や中核だと「思って」いることそのものが根本的に間違いなのである

 

バカだとすぐに「じゃあ 一体何を信じたら良いの」などと感情的に怒り出すものだが 「信じたい」という主観的欲求を満たすために哲学があるのではなく 「信じる」に価する真実かどうかを自分の頭で「考える」ことが「哲学」なのである

真実か それとも嘘やデマや根拠のない観念なのかを区別するために必要なのが論理客観的検証性であり 「考え(哲学)」によって真偽の判定が可能となるのである

ヒトは主観的感覚が優先し 主観的に「信じたい話」ばかりを信用したがる先天的習性がある

進化の過程において 祖先の生息環境に適応できた本能習性への収斂進化の結果として 主観的安心満足に頼った行動だけでも一定の安全性は確保できるものの それは決して万能ではない

遺伝的進化によって収斂した本能習性というものは あくまで「繁殖の継続」以上の何ももたらさない「結果」でしかなく 殺し合いだろうが騙し合いだろうが絶滅していなければ「遺伝的進化の成功」なのであり 「遺伝的進化の成功」もあくまで現状における暫定的なものであって 進化の果てに絶滅しても誰も責任は取ってくれないのである

遺伝的進化というものは いわば「自然に起きている品種改良」のようなものに過ぎず 環境適応以上の何ももたらすことはない

ヒトが未だに殺し合いをするのも ヒトという種の生物は殺し合いによる環境資源の奪い合い競争を勝ち抜いた動物の子孫だからであり ヒトにまで進化してからは数万年程度しか経過していないのである

ましてや民主主義的平等を求め出してからは数百年程度であり 社会持続可能性に至っては数十年程度しか経過していないのである

そんな「ヒト」という種の生物が 先天的本能習性によって社会持続可能性や公平性という「人間としての社会性」を発揮できる保証など何も根拠がないのである

ところが残念なことに ヒトという種の生物は「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという科学的根拠のないデマばかりを信じたがり 論理客観的根拠が伴っていないことには誰も問題意識を持つことはないのである

 

主観的な「リアルを感じられる」話さえしておけば 衆愚は簡単にマルクス:ガブリエルでもイマヌエル:カントでもフリードリヒ:ニーチェでも養老孟司でも鵜呑みにするものである

主観的に「感じ」られさえすれば 嘘でもデマでも安心満足さえすれば簡単に鵜呑みにする それが「ヒト」という種の生物の先天的な認知的欠陥である

 

客観的事実というものは 時に主観的感覚とは乖離することがある

私も未だに一般相対性理論における「同時性の崩壊」が感覚的に理解できず わけがわからない

わからないのだが 重力波の計測が可能であるということは客観的には信用するしかないので信用しているのである

重力加速度によって空間の方が歪むという現象は重力レンズ現象などでも観測されており 疑う余地が今の所ない

だが 私は日常生活において同時性に基づいて物事を判断して行動しているので 感覚的にどうしてもついていけないのである

これは錯覚である

相対性理論だと専門性が高すぎてわかりづらいだろうが 「盲点」なら誰でも体験可能であろう

ヒトの視野の中には見えていない点が存在しているのだが 「見えていない」こと自体が「見えない」ようになっている

右目の視野の中心から少し右側に 「見えていない領域」が存在しているのだが 「見えていない領域」が存在していることを私達は普段知覚することができない

左目の視野にも中心から少し左側に同様の盲点が存在しているのだが 両目で物を見ている場合には盲点を補い合うことで日常生活には支障をきたすことはない

だが 片目で物を見ても 「盲点」は知覚できないのである

全部が見えているような感覚がある

他にも錯視というものはたくさんあって 様々な錯覚によって客観的事実とは異なる現象を「感じ」るものなのである

手足を事故などで失った人が 失ったはずの手足に痛みを感じる「ファントムリム(幻の手足)」現象や

脳の視覚野を損傷した人が視野の片方を認識できなくなる「半側無視」という現象も主観によって作り出される錯覚によるものである

それと同じでデマや嘘を信じ込んでしまう現象も 主観的感覚による錯覚を 錯覚だと認識する客観性が働かないことによる認知上の欠陥が原因である

紙に印刷された図形が動くはずはないことは 客観的に誰でも理解しているからこそ錯視図形は錯覚だと認識できるのだが 学術権威の言っている内容に論理客観的根拠が伴っていないことには多くのヒトは気付かない

「理性や人智を超越した叡智」だの 「絶対に知覚することのできない叡智界」だのといった論理客観的根拠を伴わぬファンタジー妄想であっても 修士や学位を持った「哲学者」という肩書さえあれば ヒトは誰も疑わなくなるものなのである

東大などの国立大学であっても 一般教養課程では未だにイマヌエル:カントの「純粋理性批判」を「近代哲学の最高峰」などと称して教え込んでおり 批判も訂正も何もしていない

フリードリヒ:ニーチェなんぞ基準自体が曖昧で 読み手がどうにでも都合良く解釈可能な話であるにも関わらず まるで論理客観的根拠を伴う「哲学(考え)」であるかのように取り扱っているのである

大学というのは税金から交付金が支給され 更に学生から授業料まで徴収しているのであって 嘘や間違いを教え込んでいたら大問題なはずだが それは大多数によって傍観放置され続けているのである

生徒の大半は就職のために学歴を目的としているだけであって 教えられた内容が真実かどうかは興味がない

それで「社会の諸問題が解決しない」のは もはや必然でしかないのである

 

 

 

 

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丸山俊一

2022年02月10日 10時49分35秒 | 意識論関連

丸山俊一って誰だと思ってググってみたら

「 NHKエンタープライズ番組開発エグゼクティブプロデューサー」という肩書が出てきた

NHKで金支払って雇っているらしい

マルクス:ガブリエルなんぞを「哲学」だと思っている時点でかなりイカれているので こんな奴を雇っているNHKに受信料なんぞ支払うべきではない

NHKは番組の内容を訂正し 謝罪した上で一定の受信料の返還もすべきである

 ◇

「哲学」というものは 「考える」ことである

「考える」とは何かと言えば 論理客観的に正しいか間違いかを「考える」ことを言う

マルクス:ガブリエルというのは言っている内容に論理客観的根拠が伴っておらず 到底「真理」であることの論拠が全く立証されていない上に

「世界は存在しない」だの「時間は無限に分割すればなくなる」などという支離滅裂なことを言い出すオカルト野郎である

こんなオカルトがまかり通っている現状の哲学界も問題だが それを鵜呑みにしているNHKにも重大な問題がある

 

 

 

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怯えまくってショットガンが手番せないJK

2022年02月07日 13時57分05秒 | 日記

コンパウンドボウ女子

1/12Scaleレジンキット

税込み15,048円

 

1/35Scaleレジンキット

税込み3,030円

 


ショットガンJK

1/16Scaleレジンキット

税込み7128円

 

1/35Scaleレジンキット

税込み2,277円

 

ちょっと巨乳過ぎて違和感あるんだけど 服着てるから許せる的な


1/12Scaleでも結構な無理ゲーなのに 1/35Scaleとか色なんか塗れないだろ

何かインクジェットプリンターの技術を応用して塗装まで機械化できないのかしら

スカートのタータンチェックとか筆塗りできるやついんのかね ラインデカール的なものを重ね貼りするとか?

 


ナッツプラネット -ホビーサーチ通販

 

 

 


Ende;

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モルヌピラビルとパクスロビド

2022年02月06日 19時43分54秒 | 日記

モルヌピラビルはコロナウイルスの遺伝子コードにエラーを起こす仕組み。安全上の潜在的な問題を避けるため、利用時には男女ともに適切な避妊を行うよう指示される。

パクスロビドは、ウイルスの増殖に必要なプロテアーゼと呼ばれる酵素の生産を阻害する。既存の抗HIV薬、リトナビルを含む2種類の錠剤を使う治療法で、リトナビルは有効性を高める一方、患者が使用中の他の医薬品に影響を及ぼす場合がある。


出典:https://jp.reuters.com/article/merck-us-idJPKBN2K62HH

 

「作用機序」が違うんだそうな

 


Ende;

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正解データ

2022年02月05日 13時54分56秒 | 意識論関連
オイラは生まれつき記憶力が悪いのだが

逆に記憶力の良い人ってのは 学術権威とか既存の制度や規則や因習や常識に疑問を持たずに鵜呑みにする傾向が強いので

どっちがバカなのかよくわからない

多分どっちもそれなりにバカで 補い合えば良い結果になるのかも知れんが

記憶力の良い奴ってのは「自分は頭が良いんだ」と盲目的に信じ込んでいるもんだから他人の話を理解しようとすらしない

世間的には「記憶力が良い=頭が良い」とされているために 世間的多数決を短絡的に「正しい」ことだと鵜呑みにして何の疑問も持たないので厄介である





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