犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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もっとラリー

2012年03月05日 | 日々
ラリーのお別れ会が済んだ。


もう少し、思い出したり書き忘れていた逸話や昨日のことをいくつか。


Ebony-Bの時に姪ッ子さんを連れて来たことが有った。
5つか、それくらいだったかな。叔父のラリーのことを"わたるちゃん"と呼んでいた。
「トイザらス行く?」「行くー!」「女の子が簡単にイクなんて言っちゃいけません!」
ばかラリーばか教えてんじゃねえよ!

ピアノのリュウタロウさんは古くからラリーと演奏している。
喧嘩してラリーに歯を折られてたっけ。
どこか不安定そうな笑顔とどこか定まらない目の持ち主だが、
昨日はいつになく人間的な様子で、さびしそうだった。
リュウタロウさんも私に音楽の仕事をくれる人。そういう人なんだけどね。

10年くらい前に、ラリーはやたらと結婚したがっていて、
もう少し!という話も有ったんだがうまくいかなかった。
その前か後か忘れたが、私にすら「すやま、オレと結婚しないか?」と言う
ほどであった。

Sly&the family Stone の"Family affair"を
「家庭の事情~~♪」と歌っていた。

クレイジーキャッツのタイトルなんだっけ、
「しーびれちゃったしーびれちゃったしーびれちゃったよー」も
よく歌ってた。

牛丼はつゆだくは嫌いだった。

痛風だがビールをよく飲み海老をよく食った。
昨日聞いた話では、30年前から痛風で足をひきずっていたそうだ。
ってことは20代前半で既に。。

最期まで演奏していたそうだ。
3月もブッキング入れていたって。
今、ラリーの代わりのベースを探すので、関係者はあたふたしているだろう。
ほれやっぱり死んでも迷惑だ。

よく迷彩柄の服を着ていた。
うちの一着が、棺の上に置いてあった。

デブのご多分に漏れず汗っかきだったから、ヘアバンドをしていた。
洗濯好きだったので、臭くはなかった。
一時期付き合っていた女性がワキガ持ちで、参っていた。

ライブのブッキングを任せると、うまく交渉するが、
契約内容は店側から他のメンバーが再確認しておくことと
終わってからの挨拶は他のメンバーが先に行くことが必須であった。
でないとギャラは消える。

死に顔もやっぱり赤ちゃんのようだった。

座右の銘は「人生、志半ば」。
で、どうだったんだろう???

ジャニーズの仕事が来た時もあった。
Ebony-Bのリハを始めようとしてんのにいつまでもその仕事の譜面を
広げて見ていて、ヨースケに怒られていた。
嬉しかったんだろう。

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