
行き当たりばったりの車旅。
地図を眺めていて、興味を引くものがあれば、寄ってみる。
十和田湖畔の店で、ヒメマスの漬け丼を食べた。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/652ca9d98b2e0ea199d9bfd66a34f294
先人が苦心して放流に成功し、その後も十和田湖の特産となっている。
厳しい気候と闘いながら、何年もかけて開拓していくその苦労譚には
胸を打たれる。
十和田湖から弘前の方へ向かうべく、国道102号を走る。
地図を見ると、国道から少し入ったところに「マリア清水」と書いてある。
湧き水があれば汲む。
この後も渾神(こんしん)の清水というところで水を汲んだし、
午前中も田子町の国道104号沿いで、大きなカツラの木の下の湧き水を汲んだ。
ことにこのカツラの水はうまかった。
カツラは渓流や湧き水の近くに生えるそうだ。
落ち葉からはカラメルのような甘い香りがする。
その甘さを思わせるような、うまい水だった。
102号からマリア清水へ向かう道の入り口には、
「善光寺平」という標識があった。
カーブの道を行くと、ほどなく左手に湧き水があった。
道路わきに引いたパイプの先から水が汲みやすくしてある。
水が湧いているのは斜面のずっと上のようで、
そのさらに上には、控えめな大きさのマリア像が立っていた。
右手に案内板があったようだが、鉄製の枠だけが残るばかりであった。
この道を戻る予定なので、ペットボトルにうまく水が入るように置き、
もう少し先まで行ってみることにした。
するとほどなく、高原に出た。
なるほど、善光寺平とはここのことか。
高原は農地になっており、道沿いに数軒の農家があるばかりだ。
南八甲田山系が眺められる。
美しい場所だ。
※
後で帰宅してからインターネットで調べてみると、
案内板が生きていた頃の写真が見付かった。
http://blogs.yahoo.co.jp/sadisticyuki10/9662262.html
この中に、「善光寺平に信仰の種を撒いた川村郁先生」と、
さらりと書いてあるが、これがまた調べてみるとたいへんな人物であった。
http://www.city.kuroishi.aomori.jp/Culture/Cul_30_11_kurara01.html
川村郁は、昭和2年(1927)生まれ、善光寺平から30kmあまりの黒石市に育ち、
弘前高等女学校を卒業し教員になった。
しかし、開拓地である善光寺平に教員のいないことを知り、
反対する母親を何年もかけて説得し、赴任する。
若い娘が山奥の学校に移るとは、何があったのかと勘ぐられる、と
母親は世間体を気にするのだ。
住まいも兼ねた校舎を建て、村人は「おなご先生」を歓迎したという。
オルガンを見るのも聞くのも、子どもたちは初めてでびっくりした。
全学年を一人で教えるには、丸一日かかった。
しかし10年も経たぬうちに病に伏し、教員としては退職する。
それでも、カトリック教会の「善光寺平保育所」にその後も勤め、
開拓地の生活に貢献した。
※
案内板が再建されるといいですね。
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