生まれ変わりというのは有るようだ。
現代では、中国のどこぞの村に何度も聴き取りに通い、
人々の経験談を著書にまとめた日本人がいる。
森田健の『生まれ変わりの村』シリーズである。
前世の記憶を持つ人がいる。
以前は〇〇という村で〇〇という名前でどんな職業に就いていた、
きょうだいに会いたいとかお母さんに会いたいとか、語る。
ただ、その前世の話をすると、とても体調が悪くなる。
聴き取りは手短に行う必要が有る。
子どものうちに死んでしまった人は、
前世の親がまだ生きていたりする。
前世の仕事の技術をおぼえている人もいる。
性別が変わる人もいる。
何年も経て生まれ変わる人もいれば、数日で生まれ変わる人もいる。
とても近くに生まれ変わる場合も有れば、百㎞単位で遠い所に生まれ変わる場合も有る。
※
なぜ、中国のどこぞの村でよく聞かれるかと言えば、
それは、文化的に「生まれ変わり」が受け入れられているからだろう。
「そんなことは有り得ない」という文化の中だったら、
気違い扱いされるだけだろう。
※
前世記憶や、胎内記憶といったものは有るようだ。
自分が産まれた時の記憶を持つ子どももいる。
「狭い所を通り抜ける時とても苦しかったんだ」などと
お産の様子を表現したりするという。
ただ、忘れてしまうらしい。
子どもが幼いうちに聞いてやると語ってくれるが、
長じていくうちに、聞いても忘れてしまっている、ということになる。
このくらいの話だと、身近にちょこちょこ有る。
同級生の子どもや、私とバンドをやっているやまちゃんも、
産まれた時の記憶が有ったという。
身近に有るけれどあまり一般的に知られていないように思う。
それは、あまり話題にしないからではないだろうか。
こういう話をすると、「ちょっとおかしいひと」と思われるような
そんな風潮が、今の日本の世の中に有るんではないか。
ふん、もったいないね。
※
森田健が聴き取りをした中国の村々では、
忘却のスープなるものが言い伝えられている。
死ぬと、霊体のようなものになる。
この世のようでこの世ではない所をずっと歩いていく。
スープを勧められる。
実は、これを飲むと前世の記憶を失い、飲まなければ前世の記憶は残る。
憶えていることが喜びになるか、苦しみになるか、
それは人それぞれだ。
前世での経験がツラいものだったり、今のほうが苦しい人生だったり、
過去を振り返りがちな性格であったり、今に生きるタイプだったり、
色々な条件が有るので、人によってものごとの受けとめ方が様々になる。
※
調べてみると、私が住んでいる東京都調布市から近い所にも、
生まれ変わりの話は有った。
およそ200年前のこと、現在の八王子市東中野(中央大学多摩キャンパス周辺)に暮らす少年
勝五郎は、自分は以前、別の村の少年だった、と言い始める。
現在の日野市程久保(多摩動物公園近辺)に住む藤蔵だった、と言うのだ。
当時、この話は江戸に広く知れ渡ったようだ。
http://umarekawari.org/story/
※
犬の寿命は15年前後だ。
大型犬だと10年程度、小型犬では20年の長生きをするものもいる。
人より短い。
犬が好きで犬を飼う人は、必ずその犬の死に目にあう。
犬は言葉を話さないから、飼い主は自分の飼い犬が幸せだったかを懸念する。
本当に自分が飼っていて幸せだったか。
もう一度会いたい。
そう思う犬好きは、多い。
そんな犬好きでお困りの方に吉報。
また会いたいなら、あなたの飼い犬によーく言って聞かせるのです。
「死んであの世に行っても、忘却のスープを飲むんじゃないよ」と。
でも、よその人からオヤツを差し出されてももらわない犬に育てていないと無理でしょうね。
かなり厳しい訓練をしておかないとね。
※
毎月一日には法螺を書いている。
今日の話よりも本当っぽい昨日の話は、最後のとこだけウソである。
今回引き取った保護犬ウーゴが、
以前飼っていた犬カバサが死んだのとちょうど同じ頃に生まれたのは、
本当のことだ。
これを「ただの偶然」と呼ぶか、
「生まれ変わり」なのか、
「すばらしいめぐり合わせ」と捉えるか。
カバサはメス犬で、いばりんぼで独占欲が強かった。
ウーゴはオス犬で、控え目な甘えんぼだ。
似ているかと言ったら似ていない。
ウーゴがカバサの生まれ変わりだという確証は無いし、
確証を欲しいとも思わないし、
生まれ変わりであったら面白いけれど、
そうでなかったら残念ということも無い。
私はただ、なんだかとても良い引き合わせだな、と思う。
私のもとに来るべくして来られたのなら、
ウーゴ、良かったね。
現代では、中国のどこぞの村に何度も聴き取りに通い、
人々の経験談を著書にまとめた日本人がいる。
森田健の『生まれ変わりの村』シリーズである。
前世の記憶を持つ人がいる。
以前は〇〇という村で〇〇という名前でどんな職業に就いていた、
きょうだいに会いたいとかお母さんに会いたいとか、語る。
ただ、その前世の話をすると、とても体調が悪くなる。
聴き取りは手短に行う必要が有る。
子どものうちに死んでしまった人は、
前世の親がまだ生きていたりする。
前世の仕事の技術をおぼえている人もいる。
性別が変わる人もいる。
何年も経て生まれ変わる人もいれば、数日で生まれ変わる人もいる。
とても近くに生まれ変わる場合も有れば、百㎞単位で遠い所に生まれ変わる場合も有る。
※
なぜ、中国のどこぞの村でよく聞かれるかと言えば、
それは、文化的に「生まれ変わり」が受け入れられているからだろう。
「そんなことは有り得ない」という文化の中だったら、
気違い扱いされるだけだろう。
※
前世記憶や、胎内記憶といったものは有るようだ。
自分が産まれた時の記憶を持つ子どももいる。
「狭い所を通り抜ける時とても苦しかったんだ」などと
お産の様子を表現したりするという。
ただ、忘れてしまうらしい。
子どもが幼いうちに聞いてやると語ってくれるが、
長じていくうちに、聞いても忘れてしまっている、ということになる。
このくらいの話だと、身近にちょこちょこ有る。
同級生の子どもや、私とバンドをやっているやまちゃんも、
産まれた時の記憶が有ったという。
身近に有るけれどあまり一般的に知られていないように思う。
それは、あまり話題にしないからではないだろうか。
こういう話をすると、「ちょっとおかしいひと」と思われるような
そんな風潮が、今の日本の世の中に有るんではないか。
ふん、もったいないね。
※
森田健が聴き取りをした中国の村々では、
忘却のスープなるものが言い伝えられている。
死ぬと、霊体のようなものになる。
この世のようでこの世ではない所をずっと歩いていく。
スープを勧められる。
実は、これを飲むと前世の記憶を失い、飲まなければ前世の記憶は残る。
憶えていることが喜びになるか、苦しみになるか、
それは人それぞれだ。
前世での経験がツラいものだったり、今のほうが苦しい人生だったり、
過去を振り返りがちな性格であったり、今に生きるタイプだったり、
色々な条件が有るので、人によってものごとの受けとめ方が様々になる。
※
調べてみると、私が住んでいる東京都調布市から近い所にも、
生まれ変わりの話は有った。
およそ200年前のこと、現在の八王子市東中野(中央大学多摩キャンパス周辺)に暮らす少年
勝五郎は、自分は以前、別の村の少年だった、と言い始める。
現在の日野市程久保(多摩動物公園近辺)に住む藤蔵だった、と言うのだ。
当時、この話は江戸に広く知れ渡ったようだ。
http://umarekawari.org/story/
※
犬の寿命は15年前後だ。
大型犬だと10年程度、小型犬では20年の長生きをするものもいる。
人より短い。
犬が好きで犬を飼う人は、必ずその犬の死に目にあう。
犬は言葉を話さないから、飼い主は自分の飼い犬が幸せだったかを懸念する。
本当に自分が飼っていて幸せだったか。
もう一度会いたい。
そう思う犬好きは、多い。
そんな犬好きでお困りの方に吉報。
また会いたいなら、あなたの飼い犬によーく言って聞かせるのです。
「死んであの世に行っても、忘却のスープを飲むんじゃないよ」と。
でも、よその人からオヤツを差し出されてももらわない犬に育てていないと無理でしょうね。
かなり厳しい訓練をしておかないとね。
※
毎月一日には法螺を書いている。
今日の話よりも本当っぽい昨日の話は、最後のとこだけウソである。
今回引き取った保護犬ウーゴが、
以前飼っていた犬カバサが死んだのとちょうど同じ頃に生まれたのは、
本当のことだ。
これを「ただの偶然」と呼ぶか、
「生まれ変わり」なのか、
「すばらしいめぐり合わせ」と捉えるか。
カバサはメス犬で、いばりんぼで独占欲が強かった。
ウーゴはオス犬で、控え目な甘えんぼだ。
似ているかと言ったら似ていない。
ウーゴがカバサの生まれ変わりだという確証は無いし、
確証を欲しいとも思わないし、
生まれ変わりであったら面白いけれど、
そうでなかったら残念ということも無い。
私はただ、なんだかとても良い引き合わせだな、と思う。
私のもとに来るべくして来られたのなら、
ウーゴ、良かったね。
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