永六輔さんが、奈良市の音楽療法士である荒井敦子さんと
講演会の中で対談したものが『歌の力』という本になっている。
(PHP研究所)
荒井さんの現場での豊富な経験と、永さんの受け皿(いや受け口か)の
デカさで、話は面白くふくらむ。
三波春夫さんとの思い出を語った部分がある。
引用しますよん。
※
永 あのね、話は変わるけどね、三波春夫っていう歌手、大嫌いでした
(会場吹き出す)。男なんだから粋な着物はいくらもありそうなのに、
桜の花びらは散ってるわ、それでにっこり笑って、日の丸のついた
扇で。もう大嫌い(笑)。
大嫌いだけど、あの人は貴重な戦争体験をしてるから、一番最初に
「三波さん、実はあなたが好きではありません。でも、あなたの体験は
ぜひ聞かせてください」って言った時に、あの笑顔で「いいですよ」
って聞かせてくれました。なんていい人だろうと思いましたね。
大好きになりました(笑)。
三波春夫さんは晩年、ボランティア活動も随分一緒にしてくれたん
です。それで、戦争体験を話しましょう、歌わなくて結構ですから
戦争体験を話しましょうなんていうことを言いながらご一緒しました。
(略)
お年寄りの集まっている施設に行って、歌を歌う会をやりましょうよ
っている話になったの。で、その準備をしたの。した時に、
おばあちゃんたちのほうが歌う歌をたくさん持ってたんですよ。
それは昔の数え歌だのなんだの。それを何気なく皆さん歌って
いらっしゃるの。
それを聞いた時に三波春夫さんがやったのは、自分の歌はもうやめ。
おばあちゃんと一緒に昔ながらの数え歌だったり、
「(♪)一番はじめは一の宮」に始まって、いろいろあった。
次から次に歌うと、三波春夫さんも次から次に歌うんですよ、一緒に。
荒井 ええ、あの時は本当に私、ピアノの前に座って、三波さんの歌に
合わせながら即興で弾かせていただいて、一緒に見せていただいて、
感激しました。「私の育ったところではこんなふうに歌うんですけど、
ああそうですか、おばあちゃんのお里ではそんなふうに歌われる
んですか」ってね、おひとりおひとりに合わせてくださって、
次から次へといろんな方に声をおかけになって、ずーっと相手の歌を
引き出していかれて。
この方はすごい人や、とほんとに思いました。
永 そう、それでね、その帰り道に、近鉄に乗ってから三波さんが
「永さん、われわれは傲慢でしたね。皆さん歌う歌を持って
らっしゃるじゃないですか。歌いに行って私の歌を聞かせて
あげましょうと思ったのがとても傲慢だった。とても恥ずかしい。
おじいちゃんもおばあちゃんも、自分の歌を持っていらっしゃる。
その歌を一緒に歌わせていただいたおかげで、どれだけ
歌手として目が覚めたか」って言われたの。
(略)
もう一つは元興寺で、荒井さんとこの奈良市シルバーコーラスの
皆さんが歌ってたんですよ、舞台で。その舞台袖で三波春夫さんが
聞いてたんです。三波さんの奥さんが隣にいてね、その隣に僕が
いたの。奥さんが、シルバーコーラスの歌ってる最中に三波春夫さんを
突っつくんですよ。
「どうしてこういうふうに歌えないんだよ。こうやって歌うんだよ、
歌ってものは。どうしてこうやって歌えないんだよ。皆さんは
素直に歌ってるじゃないの。おまえが歌うとどうして毒々しくなる
んだ」。すごいなと、この奥さんは(笑)。だけど、それをそばで
聞いてて、いいところを聞いちゃったと思いました、僕は。
この奥さんはなんて優れたプロデューサーなんだろう。
ああいうふうに普通のおじいさんが普通に歌ってるように
何でおまえは歌えないんだと。
ご主人に対して「おまえは」っていうような口調は、奥さんが
三味線弾きだからなんです。
浪花節の世界っていうのは三味線のほうが偉いの。圧倒的に偉いの、
楽屋でも何でも。三味線弾きのほうが偉いから、だから、突っついて、
おまえはこうやって何で歌えないんだって奥さんが言う気持ちも
よくわかるし、それで、そうか、そうかって、普通のシルバーコーラス
の皆さんが歌ってる歌を一生懸命どうしたらこうやって自然に
歌えるんだと聴き入っていた三波春夫さん。その二つの三波春夫さんが
僕は忘れられません。
(略)
※
なるほどなるほど~。
以下、ついでのオマケ。
※
永 お年寄りの中でね、本当に全て忘れちゃった、何も感じなく
なっちゃってる方っていらっしゃるんですね。その中の一人で、
何も反応を起こさないんだけど三波春夫って言うととても
恥ずかしそうに笑う人がいるのよ。とても照れくさそうに笑う
人がいる。つまりその場合の三波春夫っていう言葉は、彼の歌
じゃなくて、三波春夫っていうだけで、ふとなんか取り戻すものが
あるとすればすごいことだと思うんですよね、それは。
荒井 (略)で、施設のみんなが集まるスペースのところに三波さんが
来られた時に、車椅子に座ってるそのおばあちゃんの背筋がのびて
ポッとなってはったのには、もう目が点になりましたよね。
ウワーッと。
だから、もう歌を歌わはる前から音楽療法が始まってるんですよ。
私はまさにそう思いました。声を聞いてじゃないんです。
パッと見るやいなや。
永 元気だったらあの人、老人ホームを回らせればあちこちの
おじいちゃん、おばあちゃんが元気になったんだよね。
"三波春夫療法"といって(笑)。
※
良さそう~
老人施設は、もっと有名人のポスターなんかバンバン貼ったらきっといいね。
講演会の中で対談したものが『歌の力』という本になっている。
(PHP研究所)
荒井さんの現場での豊富な経験と、永さんの受け皿(いや受け口か)の
デカさで、話は面白くふくらむ。
三波春夫さんとの思い出を語った部分がある。
引用しますよん。
※
永 あのね、話は変わるけどね、三波春夫っていう歌手、大嫌いでした
(会場吹き出す)。男なんだから粋な着物はいくらもありそうなのに、
桜の花びらは散ってるわ、それでにっこり笑って、日の丸のついた
扇で。もう大嫌い(笑)。
大嫌いだけど、あの人は貴重な戦争体験をしてるから、一番最初に
「三波さん、実はあなたが好きではありません。でも、あなたの体験は
ぜひ聞かせてください」って言った時に、あの笑顔で「いいですよ」
って聞かせてくれました。なんていい人だろうと思いましたね。
大好きになりました(笑)。
三波春夫さんは晩年、ボランティア活動も随分一緒にしてくれたん
です。それで、戦争体験を話しましょう、歌わなくて結構ですから
戦争体験を話しましょうなんていうことを言いながらご一緒しました。
(略)
お年寄りの集まっている施設に行って、歌を歌う会をやりましょうよ
っている話になったの。で、その準備をしたの。した時に、
おばあちゃんたちのほうが歌う歌をたくさん持ってたんですよ。
それは昔の数え歌だのなんだの。それを何気なく皆さん歌って
いらっしゃるの。
それを聞いた時に三波春夫さんがやったのは、自分の歌はもうやめ。
おばあちゃんと一緒に昔ながらの数え歌だったり、
「(♪)一番はじめは一の宮」に始まって、いろいろあった。
次から次に歌うと、三波春夫さんも次から次に歌うんですよ、一緒に。
荒井 ええ、あの時は本当に私、ピアノの前に座って、三波さんの歌に
合わせながら即興で弾かせていただいて、一緒に見せていただいて、
感激しました。「私の育ったところではこんなふうに歌うんですけど、
ああそうですか、おばあちゃんのお里ではそんなふうに歌われる
んですか」ってね、おひとりおひとりに合わせてくださって、
次から次へといろんな方に声をおかけになって、ずーっと相手の歌を
引き出していかれて。
この方はすごい人や、とほんとに思いました。
永 そう、それでね、その帰り道に、近鉄に乗ってから三波さんが
「永さん、われわれは傲慢でしたね。皆さん歌う歌を持って
らっしゃるじゃないですか。歌いに行って私の歌を聞かせて
あげましょうと思ったのがとても傲慢だった。とても恥ずかしい。
おじいちゃんもおばあちゃんも、自分の歌を持っていらっしゃる。
その歌を一緒に歌わせていただいたおかげで、どれだけ
歌手として目が覚めたか」って言われたの。
(略)
もう一つは元興寺で、荒井さんとこの奈良市シルバーコーラスの
皆さんが歌ってたんですよ、舞台で。その舞台袖で三波春夫さんが
聞いてたんです。三波さんの奥さんが隣にいてね、その隣に僕が
いたの。奥さんが、シルバーコーラスの歌ってる最中に三波春夫さんを
突っつくんですよ。
「どうしてこういうふうに歌えないんだよ。こうやって歌うんだよ、
歌ってものは。どうしてこうやって歌えないんだよ。皆さんは
素直に歌ってるじゃないの。おまえが歌うとどうして毒々しくなる
んだ」。すごいなと、この奥さんは(笑)。だけど、それをそばで
聞いてて、いいところを聞いちゃったと思いました、僕は。
この奥さんはなんて優れたプロデューサーなんだろう。
ああいうふうに普通のおじいさんが普通に歌ってるように
何でおまえは歌えないんだと。
ご主人に対して「おまえは」っていうような口調は、奥さんが
三味線弾きだからなんです。
浪花節の世界っていうのは三味線のほうが偉いの。圧倒的に偉いの、
楽屋でも何でも。三味線弾きのほうが偉いから、だから、突っついて、
おまえはこうやって何で歌えないんだって奥さんが言う気持ちも
よくわかるし、それで、そうか、そうかって、普通のシルバーコーラス
の皆さんが歌ってる歌を一生懸命どうしたらこうやって自然に
歌えるんだと聴き入っていた三波春夫さん。その二つの三波春夫さんが
僕は忘れられません。
(略)
※
なるほどなるほど~。
以下、ついでのオマケ。
※
永 お年寄りの中でね、本当に全て忘れちゃった、何も感じなく
なっちゃってる方っていらっしゃるんですね。その中の一人で、
何も反応を起こさないんだけど三波春夫って言うととても
恥ずかしそうに笑う人がいるのよ。とても照れくさそうに笑う
人がいる。つまりその場合の三波春夫っていう言葉は、彼の歌
じゃなくて、三波春夫っていうだけで、ふとなんか取り戻すものが
あるとすればすごいことだと思うんですよね、それは。
荒井 (略)で、施設のみんなが集まるスペースのところに三波さんが
来られた時に、車椅子に座ってるそのおばあちゃんの背筋がのびて
ポッとなってはったのには、もう目が点になりましたよね。
ウワーッと。
だから、もう歌を歌わはる前から音楽療法が始まってるんですよ。
私はまさにそう思いました。声を聞いてじゃないんです。
パッと見るやいなや。
永 元気だったらあの人、老人ホームを回らせればあちこちの
おじいちゃん、おばあちゃんが元気になったんだよね。
"三波春夫療法"といって(笑)。
※
良さそう~
老人施設は、もっと有名人のポスターなんかバンバン貼ったらきっといいね。
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