母が死んだという夢を見た。
タイトルに「正夢」と入れておいてこう書き出すのも穏やかでないが、
見たもんは見たんである。
※
通夜なのか、家に遺体が寝かせてあって、近所の人が集まって飲み食いしている。
遅くなって、ほとんどの人は帰ったが、Sさんが座って飲み続けており、
しかしこれは迷惑とかではなく、優しさから居てくれている、
そして台所ではTさんが立ち働いてくれている。
その人たちも帰って一人になった。
遺体の方を見てみると、こっちを見ている。
部屋の反対側へ行って、また見てみると、やっぱりこっちを見ている。
うらめしい思いが伝わる。
手術をしたのに失敗して死んでしまった。医者のミスだ。
と、声というより、思いが伝わってくる。
私は、生きている時と同じように、医師はリスクについても説明したし、
最善を尽くしてくれたし、手術を選択したのは自分だし、
うらむようなミスも医師はしていない、と懇々と説明した。
納得したような様子だが、どうだろう。
私も寝るかと布団を出そうと押し入れを開ける。
襖を開けたはずなのに、襖が閉まっている。
開けても開けても、閉まった襖がまた有るのだ。
やばい。おかしい。
このままだと、この部屋からこの家から出られなくなるかもしれない。
外からも入れなくなるかもしれない。
中の様子が外に伝わらなくなるかもしれない。
私はどうにかフェイントをかけて、外に出る扉を開けた。
意外とすんなり脱出することができた。
通りがかりの近所の人に話しかけた。
あやかしではないかという不安が有ったが、本人だった。
(犬の散歩で知り合った、信頼できる人を三人足し合わせた人物像のようだ。)
周囲は湖畔の風光明媚な場所だったのが、
いつの間にか町中に変わっている。
家は変わっていない。
そして数日経っている。
一年前に死んだはずの隣家のおばちゃんが、
正月は旅行に行っていて、お母さんが亡くなったのを今、帰って来てから聞いた、
と詫びてくれる。
自分が死んでいるのに、わざわざ弔いに来てくれたとは、と感謝する。
家の二階にいる。
西日が差し込んでいる。
大正時代の商家らしい建物だ。
表は電線が見える。片側2車線の幹線道路に面しているのだ。
こんな家を遺されて、文化的に価値が有るから手離すでもないし、
でも私は(深大寺のような)小鳥の声が聞こえてくるような所に住みたいのに。
と思う。
※
ってな夢だった。
書道博物館から、長い陸橋でJRの線路を越え、谷中の墓地を抜け、
細い路地を本郷の方へ向けて行く。
谷中道という道だった。案内板が有った。
文化財になっている大正時代の町家を使った串カツ屋のわきに出た。
西側は不忍通りに面している。片側2車線だ。
まるで夢の中に出てきた家にそっくりの状況だ。
※
5歳まで大塚に住んでいた。
大正時代に建てた家だという。
不忍通りからちょっと引っ込んだ所だ。
そういう記憶が、夢に出てくるのだろう。
タイトルに「正夢」と入れておいてこう書き出すのも穏やかでないが、
見たもんは見たんである。
※
通夜なのか、家に遺体が寝かせてあって、近所の人が集まって飲み食いしている。
遅くなって、ほとんどの人は帰ったが、Sさんが座って飲み続けており、
しかしこれは迷惑とかではなく、優しさから居てくれている、
そして台所ではTさんが立ち働いてくれている。
その人たちも帰って一人になった。
遺体の方を見てみると、こっちを見ている。
部屋の反対側へ行って、また見てみると、やっぱりこっちを見ている。
うらめしい思いが伝わる。
手術をしたのに失敗して死んでしまった。医者のミスだ。
と、声というより、思いが伝わってくる。
私は、生きている時と同じように、医師はリスクについても説明したし、
最善を尽くしてくれたし、手術を選択したのは自分だし、
うらむようなミスも医師はしていない、と懇々と説明した。
納得したような様子だが、どうだろう。
私も寝るかと布団を出そうと押し入れを開ける。
襖を開けたはずなのに、襖が閉まっている。
開けても開けても、閉まった襖がまた有るのだ。
やばい。おかしい。
このままだと、この部屋からこの家から出られなくなるかもしれない。
外からも入れなくなるかもしれない。
中の様子が外に伝わらなくなるかもしれない。
私はどうにかフェイントをかけて、外に出る扉を開けた。
意外とすんなり脱出することができた。
通りがかりの近所の人に話しかけた。
あやかしではないかという不安が有ったが、本人だった。
(犬の散歩で知り合った、信頼できる人を三人足し合わせた人物像のようだ。)
周囲は湖畔の風光明媚な場所だったのが、
いつの間にか町中に変わっている。
家は変わっていない。
そして数日経っている。
一年前に死んだはずの隣家のおばちゃんが、
正月は旅行に行っていて、お母さんが亡くなったのを今、帰って来てから聞いた、
と詫びてくれる。
自分が死んでいるのに、わざわざ弔いに来てくれたとは、と感謝する。
家の二階にいる。
西日が差し込んでいる。
大正時代の商家らしい建物だ。
表は電線が見える。片側2車線の幹線道路に面しているのだ。
こんな家を遺されて、文化的に価値が有るから手離すでもないし、
でも私は(深大寺のような)小鳥の声が聞こえてくるような所に住みたいのに。
と思う。
※
ってな夢だった。
書道博物館から、長い陸橋でJRの線路を越え、谷中の墓地を抜け、
細い路地を本郷の方へ向けて行く。
谷中道という道だった。案内板が有った。
文化財になっている大正時代の町家を使った串カツ屋のわきに出た。
西側は不忍通りに面している。片側2車線だ。
まるで夢の中に出てきた家にそっくりの状況だ。
※
5歳まで大塚に住んでいた。
大正時代に建てた家だという。
不忍通りからちょっと引っ込んだ所だ。
そういう記憶が、夢に出てくるのだろう。
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