犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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おみくじ飯と反省文

2019年01月10日 | たべもののみもの

反省している。
毎日反省している気がする。
反省ノートでも書くか。
夢ノートを書くと数日前に書いたな、両方やるのか。
普通に日記を書けばいいんじゃないのか。

反省すべき事が起きたら、しっかり反省すべきだ。
どうしてそうなったのか、何が問題なのか、
そして同じ事を繰り返さないためにはどうすると良いのか。
最後の点まで考えて、反省は成立する。

そこまでやらないと、
「どうして私はこんなイカんことやっちゃうんだ!?」
で終わる。
これでは、自己嫌悪である。

反省すべき事が立て続けに起きると、
反省が間に合わなくなる。
最後の「次からはこうするから大丈夫。」に到達しないまま、
反省案件が畳みかけてくる。
そうなったら、ずっぽり自己嫌悪だ。

毎日トラブルが有ると、そういう精神状態になりがちだ。
私の正月はそこに陥りかけていたが、
一日二万歩分、散歩に時間をかけることで回避した。
三が日で六万歩が、自己嫌悪に陥らないために必要だった。
鍛えられるなあ。何かが。



なんだっけ。
ああ、反省事項。

本の感想は、最後まで読んでからにしないといけませんな。

先日、図書館でおみくじを引いて、当たった本を読んだ。
https://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/396e88a4da8dfd1f7a916eca9032d9b5
その感想を早速ここに書いたのだが、タイトルで迷った。
図書館でおみくじ、ということを表すタイトルにするか、
本の題名をタイトルにするか。

少し迷って、後者にした。

そして、感想を少し書いた。
短編集6話のうち、まだ1話しか読んでいないのに、だ。
しかも、「胸糞悪いエピソード」と書いた。
感じ悪いったら。



胸糞悪いのは本当だ。
厳しい現実の日常生活を忘れさせるくらい胸糞悪いという意味ではファンタジック、
と書いた。
本当だ。

私は、反省に時間を費やす代わりに、『教場』の続きを読んだ。
実に、胸糞悪いエピソードが続出する。
こんなに胸糞悪いエピソードを考えつくとは、作者は一体どういう精神構造を持っているのだ、
とさえ思いながら、続きを読んだ。

が、5話目を読むあたりに差し掛かる頃、おや?と思った。
そして6話を読み、エピローグを読み、読了。
反省。

本の感想は、最後まで読んでから書くべきである。
友達に「今この本読んでんだけど、胸糞悪くってさあ」とこぼすくらいならまだいい。
ウェブ上に文字の残る、ブログに書くのはいかがなものか。

つまり、その胸糞悪いエピソードには、意味が有った。
胸糞悪さは、最後まで読むことによって、きちんと昇華されていた。

というのが、長岡弘樹『教場』を読み終えての感想である。
『教場2』も読んでみたいと思う。



図書館で引いた大吉のおみくじには、学校が吉、
学生じゃない人は学食で食べろ、と書いてあった。

今日は本郷三丁目に用事なので、ついでに東大の学食へ。
あ、食べる前に写真撮るの、忘れたわ。
アジの大葉フライ 287
ほうれん草ゴマあえ 71
(小)麦ご飯 77
豆腐とわかめの味噌汁 35
計 470円

ごっつぁんした。


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