夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

中秋月

2006年10月02日 23時45分46秒 |  漢詩を長崎弁で


萬里清光不可思
添愁益恨繞天涯
誰人隴外久征戍
何處庭前新別離
失寵故姬歸院夜
沒蕃老將上樓時
照他幾許人腸斷
玉兔銀蟾遠不知
   中秋月
   白居易
     http://www.xysa.com/quantangshi/t-439.htm


なげけとて月やは物を思はする
    かこちがほなる我が涙かな
          西行

もう帰らぬ恋人よ、
冷たく白い月の光は
無心に心をかき乱す



月は無心に清い光を万里に投げかけている
見る人の愁いを添え、恨みをましながら、天空を巡ぐる

遠く隴外に遠征して故郷や妻や子を思い出す兵士がいる
どこかの庭先では新しい別れに涙している人を照らす
帝の寵を無くし宿下がりをしている女官を照らし
敵の捕虜となった老将が高い楼に登るのを照らす

月はさまざまな場所で人の悲しみを照らしている
それでも月には遠すぎてわからない




お月さんは遠くから綺麗か光を万物に投げかけている
見る人の怨みやつらみを光に加えて空を巡っている
遠征して妻や子供を思い出している兵士もおる
どっかの庭先じゃ別れに涙している恋人たちもおる
帝の愛をなくして宿下がりしている女官もいる
捕虜になった兵士も照らしている

いろんなところで月の光はさまざまな人の悲しみを照らしとる
でも月にはあまり遠すぎてその悲しみが届かんちゃ

今井友輝

2006年10月02日 13時03分09秒 | 日記
今日のテレビで今井友輝君がランドセルをしょって、学校へ行けるようになったということが紹介されていた。

今井友輝君のことは何度もブログで紹介してきた。
心臓に欠陥があり、移植手術をしなければ命がない。でも日本では法律的にできないので、アメリカで移植手術をすることになったが、その手術の費用が捻出できないとネットで紹介され、あっという間にその費用が集まり、アメリカで手術、帰国した。
その直後にももう一人の子供がやはり心臓移植でアメリカへ渡った。その費用も彼と同じようにネットでカンパされた。

子供への心臓移植を禁じている日本の法律、そのために100人以上の子供たちが助かったかもしれない命をなくしている現実。そしてそれらの子供を救うために他の国のドナーや、手術を待っている人々の厚意を当てにしなければならない現実。
それはもっと考えられなければならないことだろうと思う。

ただ、このまったく知らない人同士がネットで知り合い、助け合う、そのような力を集められるこのネットの力。そしてそれを支えることができる善意の人々がこれだけいるということ。本当に凄いと思うし、社会も、人間も捨てたもんじゃないと嬉しくなる。

私も、知人からこの話を聞き、本当にわずかばかりだけど募金をした。彼に必要なお金からすれば、塵にも満たないお金だったけど、そうやってたくさんの人が彼のことを応援し、見守っているというのもネットのおかげだと思う。本当によかった。
友輝君がこれからの一生を大切に生きていけることを願うばかり。
そして、友輝君と同じようなトラブルに直面している子供たちや、その親に何らかの救いがもたらされるような社会になって欲しい。




2005年11月13日のブログからの転載;
千葉から岬町へ行く途中に茂原という町がある。
この町に住む今井友輝君という6歳の少年が心臓に欠陥があり、心臓を移植しなければならないことが判った。
日本では子供に対する臓器移植が認められていないので、アメリカに行って手術を受けることになったのだけど、6000千万という個人では到底無理な金額が必要になる。
そこで千葉や茂原の人々が立ち上がり、その手術費を集めていた。
このことは久米仙人氏のブログでも紹介されていたけど、支援者によるカンパが8400万も集まり、友輝君は3日にアメリカに旅立った。

友輝君にとっては、これからドナーを見つけ、手術をすることになり、その第一歩を踏み出しただけ。術後のこともあり、まだまだ大変なことを乗り越えていかなければならないのだけど、でもみんなの力でその一歩が踏み出せたという段階。でもよかった。

ただ、自分のことだけで精一杯という今の世間の風潮の中で、こんなにも短い時間に彼を救うためにたくさんの人が立ち上がり、援助も当初の目標であった6000万以上が集まるということは、世間もまんざら捨てたもんじゃないと、ちょっと嬉しくなるニュースではあった。


田園まさに荒れんとす

2006年10月02日 12時45分21秒 |  姥捨て山は大騒ぎ
岬の生活は私にとって理想の生活。
でも一つだけ心残りがある。

長崎に年老いた母親が一人で住んでいる。
何度こちらに来るようにと言っても、この歳で知らない街に住むのは嫌だと来なかった。母親が私に気兼ねをしているのは重々わかっていたけど、今までは私が長崎に住むことは不可能だった。仕事も特殊だし、長崎では生活ができない。

でも時間が自由になり、いつでも長崎に行けるようになっても、親不孝な私はさまざまな理由にかこつけて、一度も行っていない。
気丈な母親も、最近はさまざま体の不調を電話で言ってくる。「おじさんが貴方がこちらに来ないことを怒っている。でも私は貴方には貴方の理由があるのだから、そんなことを言うべきじゃない。」って話したなどと、口にしている。来て欲しいのだろうと思う。

その母も体の不調や先行きを考えると、嫌でも上京しなければならないと決心をしたようだ。一度に引越しするのは心理的な負担が大きすぎると思い、何度か上京して気持ちの整理をつけることを奨め、母も一度は上京した。でも二回目はまたさまざまな理由をつけてそのままにしている。

私に負担をかけることを気にしているのはわかるのだけど、でも親子なんだしもっとわがままに振舞って欲しいとも思う。

自分でも一人で生活する寂しさは重々理解しているつもり。
なのに、一番大切な人の気持ちを思いやれない自分が悲しい。

長崎へ帰るべきか。


3005年11月2日にアップしたものにちょっとだけ加筆しました。

2006年10月02日 12時36分33秒 | 芸術・文化




緑を基調にして作品を作っている作家があったとする。その作家がある日赤を多用した作品を作ったとして、でもその作家のメッセージ、制作の気持ちが変ってなければそれは単なる技術の変化だけで私には取るに足らない変容としか見えない。
私には、その作品がどういう形態をしているのかということよりも、その作家が作品を通じて何を言いたいのか、その心を知りたいというのが作品を見るときの基本だから。
作品の形、色などは単なるメッセージを伝達する道具でしかないと思っている。

作家もまた、作品は技術の集大成ではなく、自分の心を表したものだと言う。


ある作家が一つのイメージを追い続けている。そのイメージを形作るのは技術的にはそれほど大変なことではないかもしれないと私は思っている。でもそのイメージに託して彼は何を言いたいのか、それが私には判らない。だから私はただ見ているだけ。
彼はそれを見た人が何かを感じてくれればいい、それが自分のイメージしたものと近いものであれば嬉しいし、、、などと言っているけど、でも、ちょっと待ってください、仮にそのイメージを完全に再現して、それを見た人が、作家と同じイメージを持てたとして、それが一体何なんだろう。

その作家の個人的な琴線に触れるものを、他の人が感じられる。それはまだ技術の問題ではないだろうか。

その琴線が一体なんで、それを表すことが一体何の意味があるのか、作家がわからなければ、見ている人も何も判らない。
ともすれば作家は自分の心に大きく占めるイメージや、感動を無上のものとして捕らえる。でも本当に作品が自分の心の表現であるのなら、その心、そのイメージを突き詰めて考えたことがあるのだろうか。
卑近な例で言えば、誰かを好きになる。相手のことが寝てもさめても心から離れない。相手のことが心一杯を占めている。だから相手を好き。判りました。でもちょっともう少し覚めた気持ちで自分のことを考えてみたら、貴方は去年も、今年の初めも同じことを別な相手に感じていなかった? ただ空き家でいることがいやだから、優しい言葉をかけてきたり、ほんのちょっとしたことで好きだよってことになってしまっているのでは。もしかしたら明日には別な人のことを同じように好きだといっているのではない? 小さな薬缶がちょっとした火ですぐに沸騰するように、その気持ちは心の浅いところから発してはないだろうか?
貴方が本当に言いたいこと、貴方が限られた自分の一生の中で本当は何をしたい、何を表したいのか、奥の置くまできちんと足をつけて考えることが本当の意味での貴方の心を表すということじゃないだろうか。



でもどこへいっても小手先ばかりの浅い感興から生まれてしまった作品が多すぎるし、むしろそれが評価されすぎているよね。


だから現代アートってつまらない。



2005年11月2日にアップしたものにちょっと手を加えました。