夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

スイーツドリーム 心を打つものとは?

2006年10月25日 13時56分13秒 | 芸術・文化
スイーツドリームというドラマがテレビで再放送されていた。
このところの展開は、一流ホテルからのオーダーだったり、パティシエなら誰でも憧れるコンテストへの出場ということで舞い上がってしまった主人公が素晴らしいものを作るということに目を奪われすぎてしまっていた。
ホテルからはこれは貴女のケーキではない、テクニックで作るのなら、もっと素晴らしいパティシェはいくらでもいるといわれ、ライバルの恋人からは貴女の作ったものは二度と口にしたくないとまで言われ、なんとしてもいいものを作るって気持ちに更に拍車をかけていた。そこへ彼女の父親が現れ、職人が心を込めなければ菓子なんて空っぽだよって言われてはたと気がつく。
彼女がいつも口にしていた、スイーツでみんなの気持ちを幸福にするということを彼女が忘れていたことを。

美味しいお菓子に暖かさを感じられるのかどうか、その辺はどうもお菓子のことがわからないのでなんともいえない。

でも私はアーティストを紹介する仕事をずっとやってきて、その作品を通じて、作家の気持ちに触れたいと思っていた。その気持ちが出ている作品、そしてその気持ちが素晴らしいものであると自分に確信できるものが自分が取り上げたい作家であって、それが絵画であれ、彫刻であれ、あるいは音楽や、ステージであっても、それはたんなる表現の道具。
こちらが求めていたものはその道具を通じての作家のメッセージに心を動かせるかどうかだった。

お菓子を専門にする人がお菓子に同じことを見て、感じたとしても不思議ではないと思う。

作家は作品は自己表現の道具だという。
そして、その作品の中に気持ちを込められる人は非常に少ない。多くは単に技術的に綺麗な作品、驚きを与える作品を作っているだけ。

でも何人かの作家はその気持ちを作品に込めていて、それが読み取れる人もいる。
ならその自己をどれだけ真剣に詰めているのだろう。ただ上っ面の感激、イメージが出ていたとしても、それを見る人にどれだけ感銘を与えられるのだろう。
しかし上っ面の感激であることや、自分の本心にすら気がつかないで作品を作って、逆に見る人に反吐を吐くような作品を作っている作家もいる。

気持ちのこもった作品、それさえ作るのは大変なのに、さらにその気持ちが見ている人の気持ちを豊かにできるものであることも求められているとすれば作家の活動というのはとても大変なこと。

だからこそ、そんな作家に少しでも手を差し伸べたいと思うのは、アートに携わっている人間として当たり前のことだとおもう。
幸いにも私の場合には、売れなくても食べていける制度の中に自分を置いていたので、何もないけど名前だけはある、その企画さえ持っていけばどこでもやってくれるような売れるって作品、作家を遠ざけ、自分が本当にすごいと思う作家だけを扱えるという稀有な人生を歩くことができた。

その才能がある人が、自分では気がつかないで、毎日の目の前の出来事で、才能をすり減らし、人としての尊厳をすり減らしているのを見るのはつらい。