夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

Sunday Walk

2006年10月29日 22時27分22秒 |  多摩川散歩


今日もまた多摩川の堤の散歩をしてきました。

自然の美しさにはほんと、驚かされることばかりです。


ただの雑草、でもジュエリーアートの傑作でもかなわない。










屏風絵




そして





ところで、同じ場所を散策して、画像をアップされている方がいます。
密かにこの方の写真や文章に追いつけることを心に誓っています。
一度ご覧になることをお勧めします。

高等学校の履修不足について

2006年10月29日 11時25分33秒 | 日記
高校の履修不足の問題をMixiで日記に書いた。

「こんなことを言うと生徒にかわいそうだけど、じゃ生徒には責任がないからって受けたことにすれば、今度は普通に履修させられてきた生徒たちが不公平になるかもしれない。

これはもう何年もやられてきたことなのだそうだけど、厳密に言えば必須科目を履修しないで大学生になっている、あるいは大学を卒業した子達は、高校を卒業できていないのだから、大学入学資格を取り消される、あるいは大学の卒業単位を剥奪されるってこともありうるわけですよね。現実にはないかもしれないけど、その危険性について学校長はどう考えてきたのだろう。

公文書に虚偽の記載をした学校長の責任はどうなる? 子供のためにっていうような理屈は通らないのは当たり前だし。

最後に、全国これだけの学校が、何年も、このようなことをやっていて、それを見抜けなかった教育委員会、そして文部省の責任は? 責任の擦りつけ合いしているけど、いずれにしろ監督責任からは逃れられないはずなのだけど」

さまざまなレスがついてきたけど、一つのレスに私はこのように答えました。

「学校長や親は高校に大学入試の結果を求めている。
だって東大現役何名合格はそく数字になり、それが高い評価を生むことになるのだから。全人教育なんてなんにも数字として現れないし、親や、仲間、教育委員会からの評価は得られ難い。
だから、教育委員会や、文部省でも、必須科目を履修させてないかもしれないって思っても、チェックを入れるとせっかくの大学入試の業績がふいになるし、自分たちにも監督責任が降りかかってくるから、藪は突っつかないようにしておこうと思う。
(少なくとも教育委員会は教師経験者がたくさんいるし、日本の官僚は専門家集団ですから知らなかったということはないと、私は思いますよ)

大学は高校の全人教育の成果で見るのではなく、あくまで自分の欲しい才能だけで見る。

高校が進学予備校化するのは、殆ど必然じゃないでしょうか。
立派な学校長が、全人教育をして、大学進学率が落ちてしまったら、学校長は首になるかもしれないし、親はそんなことは望んでいない人が多い。

問題を悪い悪いって口にしている親であっても、学校をそういう風に追い込んだ責任の一端は自分たちの希望なんだと自覚しなければ何にも治りませんね。
政府がこれに対処してもおそらく小手先の問題だけを直すだけ、
本当は教育とはどうあるべきかについての、コンセンサスを求めて大きな議論が必要。それが一つにまとまる必要はないけど、さまざまな意見、希望を表に出すことが必要なんだと思います。

これは教育界の問題でもあるけど、親の子育ての目線をどこに置くかの問題なんです」


もう一つのレスに対する返事も載せておきます。

「XXさんは教えていらっしゃる。
他の親よりも、教える経験もある。
それでも悩んでいらっしゃる、でもそれが普通だと思います。

どんなベテランでも悩まない人はいないでしょう。
しつけとか、ものの考え方とか、そんな大きな問題を親はクリアーしなければならない。
その上で、学校の技術的なことも。

オランダではカリキュラムがありません。
学校はその学校がいいと思う授業をやる。
親は自分の教育方針で学校を選べる。
でも、現実、結局通学に便利だからというような理由が学校を選ぶ一番の理由だったりするんです。

それに子供に自分の考えを押し付けていいものかってのも常に付きまとう問題だし、押し付けても、自分なりの考えを持つ子もいれば、親の言うまま、それ以上をやらない子もいます。親も子もさまざまなんですよね。
言えることは子供の教育の最終責任者は学校ではなく親だということ」


どう思われます?