夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

自然の音

2006年10月22日 01時09分43秒 | 芸術・文化



私はなかなか寝付けなくて、眠ってもちょっとした音で目がさめたりする。

でも、岬にいると虫の声を聞きながら熟睡している。
風の音、虫の声、蛙の鳴き声などがかなり大きくても平気、というよりむしろそれで安心しているようなのだ。
おそらく川のせせらぎや、海の波の音でもそうなのかもしれない。一度慣れてしまえば、平気になるだろうと思う。
もちろん、それが危険を警告するような鳴き声や異常な波や風の音であれば、別だろうけど。

学者はf分の1の揺らぎとか、いろんな説明をしてくれるかもしれない。

でも私は、それが種として生きてきたなかで、DNAのなかに危険なものではないと言うことが刷り込まれているからじゃないかなって想像している。
普通の範囲の自然な音は、それがかなり大きな音であっても、人の本能に安心感を与えているのだと思う。
だからそれよりも小さな車の音とか、その他の人工的な音がするとふっと目がさめる。

ところが都会の中で育って、自然の中での音を知らない子供たちは、逆に車の音のほうが眠れる。虫の声が煩いから、怖いから眠れないってこぼす。
とすると、DNAに刷り込まれたというのはちょっとおかしいのかな。
この安心感というのは生得的に産まれるものだろうか?

作家が何かを表現するときに、自分が当たり前だと感じていること、そして自分の表現にその当たり前を使おうとするときに、それが自分だけの方言であるのか、本当にそれが共通概念として通用するのか、その辺はちょっと考えなければ、他の人に通じないものになってしまうかも。