夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

お正月雑感 1,2,3,4、 もうたくさん すごく長文 注意

2007年01月01日 23時20分59秒 | 日記
少し前のブログで、1,2、3,4、5 もうたくさんって日記を書いたことがあります。
1,2、3,4、5っていうのは真理って言うのは何処にでもあるんだよ。本のなかに書いてあったり、人の話にでてくるものじゃなくて、ここにある、あそこにもあるって、あることを気がつくことが修行なんだっていうことですよね。
でも、私にとっての1,2,3,4,5は、片手で1,2,3,4,5って数えて、それ以上はもうたくさん。もう指が足りないから。自分の理解の範囲を超えているから。というような書き出しでした。

今日はちょっと違う、でも根本は同じことを書いています。



世の中にはとてつもない才能を持った人がいる。
皆さんだったら、アインシュタインとかフーコーとかって言うのでしょうね。
私にはそんな大人向け(?)の研究成果しか発表していない人のものは読んでも判らないので、判断がつかない。それは私にとってはもうたくさんの世界。
だから私は難しいことを易しく説明してくれている人の話じゃないと理解できない。それが判っているから、真理(ってそこまで大きく出ることはないのですけど)は単純なもののはずって固く信じているのです。

そんな私がすごいな~って思う人は、例えば「ソフィーの世界」ってベストセラーを出したヨースタイン・ゴルデル。ほんとうはとても難しい哲学の話を私にも面白いって思わせながら説明している。
もう一人、そして今日の話に関係してくるのが、子供のころに夢中になっていたガモフ。数学者です(多分) 
例えばAとBという点があってその1対1の内分点といううとAとBを結んだ半分のところ。2対1だったら線分ABを3等分して2対1のところ。これは判る。
それなら2対1の外分点は、っていうと線分ABの延長上にABの長さと等しい点を打てばそこが2対1の外分点になります。
ここまでは小学校の算数。
では、最初の1対1の外分点はどこになりますか?
これがガモフの世界。
答えはABを通る半径無限大の円の中心とABの内分点を結んで、それをさらに伸ばしていって、反対側の円周との交差点が1対1の外分点。つまり、半径無限大の円の円周は直線であるっていうのです。
(ほんとうは無限大の概念ってそんな簡単なものじゃないみたいだけど、それは「もうたくさん」だから知らないことにしましょう)
古典数学;ここでは点ABを通る直線は無数にひけるってことから発しています。
このガモフさんがちょっと後で出てきますので覚えておいてください。



夜空を飾る無数の星。それを見上げる私の足元に広がるこの地球は、太陽系の一つの惑星にしか過ぎない。太陽系を含む星団が作り出した銀河系宇宙が目の前の星。
銀河系宇宙、あるいは銀河星団はもしかしたらさらに大きな宇宙を構成しているのかもしれない。
そしてその宇宙は膨張しているということだ。
地球がどうして生まれた、宇宙がどうして生まれたか、そしてどうして膨張しているのかについては天文学者がいろいろと説明を加えている。
古くなった説であるかもしれないが例えばガモフのビッグバン。
最初に爆発があって、今飛び散っている最中なんだそうだ。
でもそのビッグバンによって拡散された元のものものはなんだったのだろうか。

宇宙の果てはどこにあるのだろう。宇宙とはわれわれが認識できる最大の大きさなのだそうだ。宇宙が膨張している速度は光速。「だから相対性理論が説明しているように私たちからはその外側は認識できない」って言われても私にはちんぷんかんぷん。
見えないからそこには何もないのだろうか? 
5本しか指がないから5本以上の世界はないのですよ、「たくさん」ですよっていわれているような気がする。
でも、もしかして、もっと違う次元から見れば、6本目もあるかもしれないとおもうのだけど。



宇宙がどうやってできたか、どうなっていくのだろうかといったこととは別に、それが存在し、その中の辺境の小さな惑星に生命を生み出す環境ができ、そしてそこにお約束のように生物が発生し、それもたまたま偶発的に一つだけ発生し、それだけで終わったのではなく、発生した生命が、分裂し広がっていき、さらに環境に適応するためにさまざまな種類を作り出してきたことはいかなる奇跡によるものだろうか。
夜空を飾る星の数にも劣らないような数の生物が私たちの周りを取り囲み、それぞれが生殖を繰り返し、その種を発展させている。花も木も、身近な猫や犬も、そして今吸った空気のなかにさえ生物、あるいは生物とはいえないような原始的な生物が含まれている。私も、貴方もこの宇宙、そして地球がはぐくんだ生命の一つ。
自分が存在していること自体が目まいがするほどの奇跡の結果だと思う。



そしてその自分、貴方、そして周りの生物や無生物、この恒星、そして宇宙を作り上げてい原子や電子核。
ねぇ、もしかして電子核の一つが地球だったりして。そしてその電子核の上に私たちが生息していたりして、、、
原子の上の生物からは、原子までは見えても、それが構成している私は見えないよね。「もうたくさん」のレベルだから。

そうやって、地球という電子核が構成する電子、太陽系、宇宙が出来上がっていたりして。
人間に相当する宇宙が構成するものが成長しているので宇宙も膨張していたりして、、、
なんて、お酒の飲みすぎによる春の夜の妄想なのでしょうね。

でも、こんな考えは私には合っている。
今日の日記、春季(杜甫)のコメントにも書いていましたが、

物の道理なんちゃ判らんちゃ
天命なんぞはもっと判らん
じゃけん、頭ば上げて、神様に聞いてみる
でも、そこには青空が広がっているだけっちゃ
しょうがなか、酒でも造って
酔っ払うしかなかとね~
      白楽天
      效陶潜體詩十六首の最後のやつ


このブログのタイトル;無限泡影はこの世は夢幻のようなものってことですけど、
原爆直後に爆心地に入ったため、物心ついてから原爆症の患者たちの長い苦しみの果ての死を見ながら自分にもいつかあのようなことが起こると思ってきました。
自分を前に出し、人や物事を積極的に絡ませていくようなことを極力避けてきました。
補助をすること、素晴らしい才能を見出せればそれを助けることが私に課せられた使命だと思ってきました。
自分がやりたいこと、やれることもたくさんあったのに。
だから、自分の世は夢、まぼろし、そう思って、諦めてきました。

知人が還暦の茶会を開くって騒いでいます。まだまだずっと先のことですけど。
でも、私も還暦を過ぎてしまったのですね。
そしてまだぴんぴんとして生きているのですね。
思いもかねかかった付録の人生をどう生きていくのでしょうか。
今までやれなかった、壷の中から社会に出て行くことを考えるのでしょうか。
でも、もう後がないから、やはり壷の中で大人しくしているのがいいのでしょうか。
夢、幻、、そんな人生があまりにも身につきすぎた私にはこれ以上は、「もうたくさん」でいいのかな。
お酒を飲みながら、木々の季節の移ろいを愛でながら、、、
今が夢、それとも夢が真実?

謹賀新年

2007年01月01日 00時00分19秒 | 日記

あけましておめでとうございます。

皆様のご多幸をお祈りいたします。

今年もよろしくお願いいたします。





       山里は冬ぞ寂しさまさりける
         人目も草もかれぬと思へば
       でっか?
       ちゃう、ちゃう。2007年の初日の出ジャン
       なんて、今年も変わり映えしません。