素晴らしい秋の空になりましたね。
風も爽やかでもう言うこともない。
一日を過ごすのが嬉しいと思えるような日。
今日は、夕方からライブにいってこようと決めました。
先日来、マイミクさんや友人のライブを都合で失礼してしまったこともあるので、それの代償行動なのでしょうかね。
ブログについている足跡のウィジェットを見ているととても面白い。
こちらに来られ、それにつれてお伺いして面白そうと何度もお訪ねしているサイトがあるのですけど、それに音楽の人が多いのに気がつきました。
そしてこの方たちが、すぐそばでライブやコンサートをおやりになっている。
すぐに因縁を感じてしまう私ですけど、でもこの偶然は何故なのでしょうね?
仕事を辞めてから、仕事がらみのことからは離れてしまった。
もともと専門はビジュアルアート、それに多少の音楽や、ダンスなどをマネージするのがメインだったけど、仕事を離れたとたんに全く白紙になってしまった。情報も入らなくなったことが理由だけど、自分から進んで情報を取りに行こうと思えばいくらでもネットワークはあるのだけどそれをやる気がない。
仮に、これは絶対に紹介すべき作品だとか、作家だという人が現れても、岬の平穏な生活を犠牲にしても、それをやるだろうかと思うと、もうたぶんそんなことはしないだろうと、思えてしまう。
本来私は芸術が判るような人間じゃなかったのだろうって思う。
特にビジュアルアートは、「メインです」なんて言ってきた割に、展覧会の告知を見ても、「あら、たいへんですね~」くらいの他人事にしか見えないし、画廊のコンテンポラリーな作品を見ても、最近はゴミにしか見えなくなってきた。
その辺、音楽はまだ自分から聴こうとする気持があるからいくらかましなのでしょうね。私の付き合いとしては、音楽が一番長かったから、それに回帰しているのでしょうか。でも、今までの人生ではクラッシック一辺倒だったのが、今、周りで起こっていることはポピュラーやジャズが多いのはどうしたことだろう?
太陽に向いて咲く向日葵なんていうけど、実は向日葵はそんなに頭を動かすことはない。いい作品、いい作家がいて、それに追従できるのは愛好家。マネージャーは自分の夢、理想の作品がこころにあれば常にそちらに向いているもの。あるいはその作家が目指すものへどうすれば近づけるかを考える人。
周りがどれだけ熱狂していても、白けていられる人なんですよね。
アートマネージメントの話をするときに、本来は、その価値評価が最初で、最後の話であってもいいのだけど、そんな切り口を誰も与えてくれなかった。
数知れぬ作家の中から誰を取り上げる。何故取り上げる?
その作家、作品としての評価、受け入れ側としての価値、マネージする側としての効果。。。。
学問ではないと言われるかもしれないけど、アートマネージメントそのものが果たして学問かって、私は疑問を持っているから、どうでもいいじゃないですか、そんなこと。
クラスの後の学生との飲み会でも、もっと生臭い話はでても、その発端の話をする機会は一度もなかった。
とても残念。