夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

彼岸花

2008年09月24日 21時32分49秒 |  あなたの鼓動、華

9月20日に彼岸花はアップしたばかりですけど、再度アップしてみます。あの時は「彼岸花  壱師(いちし)なのかな?」ということで万葉集から引用しましたけど、今回はなし。だって彼岸花ってどういうわけか万葉集にもほとんどなく、古今、新古今にも見たことがないのですね。こんなに目立つ花なのに、やはり不思議でなりません。
白秋の彼岸花の詩もずいぶん前に使ってしまったし、、、、種切れ。あぁ、彼岸花には種はないのです。


下は白花の彼岸花。写真が変なのではなく、家の近くの崖から水平に延びて花を咲かせているものです。




写真を撮っていると「何をしているんだろう」って家の方が出てきましたけど、近所に住んでいるのがわかると、「お茶でも飲んでいけば」なんてことになりました。
地元の人は、外から来た人に胸を開かないということを、地元の人もよく言いますけど、必ずしもそうではない。
胡散臭さがないと分かれば、打ち解けて話をしてくれます。
ただしお年寄りには、やはり方言があって、ちょっと聞きづらいこともあります。
やっぱり、こちらも親しみを持たなければ、相手もガードしますよね。

秋の夕べを心にぞとふ

2008年09月24日 17時41分27秒 |  気になる詩、言葉


思ふことさしてそれとはなきものを    
        秋の夕べを心にぞとふ
             新古今集
             宮内卿

思い悩むようなことはなにもないのに、秋の夕べはそれでも心に沁みいってくる


後鳥羽院宮内卿は若くしてなくなった詩の天才。
悲しいことがあるから、鬱積したものがあるから秋が悲しいのではなく、屈託のない心にさえ秋の寂しさ、悲しさが伝わる。秋の夕べの情景が見事に表されていますね。宮内卿はあまりにも詩に心血を注ぎすぎて早くなくなってしまったとさえ言われている人。たしかに、素晴らしいものが多いですね。
一つだけ彼女の代表作をあげておきましょう。

うすくこき野辺のみどりの若草に
        跡までみゆる雪のむら消え
             新古今集

露草  月草に衣はすらむあさ露に

2008年09月24日 17時09分16秒 |  気になる詩、言葉

まあ、たぶんそんな方はいらっしゃらないと思いますけど、今日のタイトルを見てあれって思われた方はないですよね~

実は9月の5日の日記「露草   月草のうつろひやすく思へかも」に万葉集の詩

月草に衣ぞ染むる君がため、斑の衣、摺らむと思ひて

をご紹介しているのです。ここでは同じ万葉集の

月草のうつろひやすく思へかも、我が思ふ人の言も告げ来ぬ

というのもご紹介しています。


今日のタイトルは「月草に衣はすらむあさ露に」になっていますので、間違いかななんて思ってくださる方が一人でもいらっしゃれば嬉しいけど、、、、
まぁ、高望みはやめましょうね。

月草に衣はすらむあさ露に
   ぬれてののちはうつろひぬとも
        古今集
        詠み人知らず
 

こちらは古今集の詩。
もちろん最初にあげた万葉集を念頭においての詩ですね。

私の衣を月草で染めよう
朝露に濡れて、色が失せてしまっても 

貴方の気持が変わってしまうとしても私は貴方と添いたい
そんな気持を詠った詩。なんとも羨ましい、「この色男めっ」ですよね~

前の日記でも書いていますけど、昔は衣を月草(つまり今で言う露草ですよね)で染めたのですけど、これは水に濡れるとすぐに色が落ちてしまいます。下絵を描くのに使うくらいですから。そこから移ろう、褪せる、、、、というようなニュアンスが生まれてくるのですね。

でも、万葉集や、古今、新古今も含めて、大和詩にはこの、儚さ、移ろいを嘆く詩がいかに多いか、、、特に日本人が醒めやすいとは思えないのです。それを特筆するのが日本人の特性なのか、、、感性がウエットなのか、、、、たぶんそうなんでしょうね~


蜘蛛の振舞ひ かねてしるしも

2008年09月24日 13時48分50秒 |  気になる詩、言葉


わが背子が来べきよひ也
    ささがにの蜘蛛の振舞ひ
           かねてしるしも
            古今和歌集 

私のいとしい方が今夜はきっと訪れるはず
    蜘蛛の動きがそのことをあらかじめ知らせてくれている

この詩の起源はずいぶんと古いのです。
允恭天皇が妻の忍坂大中姫(おしさかおほなかつひめ)の妹の弟姫(おとひめ)のところへこっそりと通っていったら、彼女がこの詩を詠っていたので、ぐっと来て妻に隠れて茅渟宮をつくり、足繁く通ったというのです。
弟姫はまた、衣通郎姫(そとほしのいらつめ)とも呼ばれ、絶世の美女だったのだそうです。

この詩の、ささがに(ささがね)は笹の根とする説と、ささがねは蜘蛛の異称で蜘蛛の枕詞として使われているという説があるようです。

ところで、衣通というのは薄物を指すという説があります。衣を通して美しい肌が見え隠れする。チャバレー、「織姫」なんちゃって、、、そのほうがエロティックだという人も多かったりして。(あぁ、またお下品になりました。どうも本性が見え隠れする)今で言う絽や紗のようなシースルーなのかな?

一番の問題は「蜘蛛の振舞ひ」なのですけど、これも古い中国の俗説に、蜘蛛が糸を張ると、親しい人が訪ねてくるというのがあるのだそうです。
でも、これは眉唾。
だって、もしこれがほんとうなら、岬の家には親しい人が引きも切らさずって状態になるでしょうけど、蜘蛛の巣だらけの割りに、誰も来ないですからね。