夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

あぁ、驚いた  

2009年06月02日 22時57分38秒 | 芸術・文化
         ごめんね、昨日、今日って写真を撮っていないので昔アップしたものの再掲ですよ~


オランダにいるスイス人の音楽家からひょっこりメールが入ってきた。彼女のスイスの友達が、アーティストのコミュニティみたいなものをやっていて、それを閉めて、今度は日本でやりたいのだけど相談に乗って欲しいとのこと。
あなたはきっと彼らのことが気に入るだろうって付け加えてありました。

添付された資料を読んでいると、名古屋や京都あたりから2時間程度でいけるところにそのスペースが欲しいということ。
私も退職してからは、アートとは無縁な生活を送っているし、当時の関係者の多くも退職しているのだけど、彼らが希望しているところなら、三国か、砺波には知り合いがいるから、話してみてもいいのでもう少し具体的な資料を送って欲しいと返事を返した。

そして、ブログに来て見たら、なんとその砺波の知り合いからコメントが入っていた、それも、、、「因果は巡る」なんて日記にね。そして彼のコメントからもう一人の三国の知人が本を出したよってことでした、、、、

彼のことを思いながら、「希望の場所に近いところに利賀の国際演劇祭を始めるときの地元側のキーパーソンだったし、現代美術館を夏だけ、廃業した工場のビルでやってみたりしている人がいる」なんてオランダの彼女に書いているときに、彼も私の「因果は巡る」に返事を書いていたんだって思うと、その偶然にあっと驚いてひっくり返っちゃった。

      

そして今、スイスのアーティストからの手紙が来たけど、その中に彼のコミュニティはアーティストインレジデンスではないって書いてある。
私も1970年に、おそらく日本で最初のアーティストインレジデンスをオランダのアーティストのために佐渡でやっていただいた。
この関係では最初の人間だと思っているのだけど、その後、まだ名前も知られてなかったこの活動形態を紹介するために、ほとんど毎年あちこちの町や市でやっていただいた。



私の場合は常に一匹狼でやっていたので、役所がこれに乗り出してたのが私の活動が成果を上げたなんてことは思わないけど、これである部分は理想的な活動ができるかと思ったら、規則規則でがんじがらめになってしまって、これならサロンとか、アーティストのコミュニティみたいなものをやったほうがいいな~って思いなおしていた。

いや、仕事をやっていたころにも、コミュニティの企画をやりたいと思っていたし、ヨーロッパの友人達がそれを実際にやりだしているのをみていたこともあるので、彼がそのような企画をしていたのだとすると、非常に私の考えに近いものを持っているんだな~って、、、

そんな人を紹介してくれたオランダの友人には感謝。
でも果たして日本でこれが認知されていくだろうかというのは次の問題だけどね~
そして、またまたネゴの毎日が続くとなると、それに対応できる体力があるのだろうか、もしかしたらまっさかさまに失墜するんじゃないかな~って、、、これは最大の問題ね。