先日、マイミクさんの日記で漢字ゲームの「膃肭臍」が読めなかったって嘆いておられた。日本ではオットセイ。でもオリジナルでは膃肭だけでオットセイを表すのではなかったかな? 膃肭でなんとなくオットだけの発音とみて、臍でセイで、オットセイ、、、?(あくまで素人の感じですから、本気にしないで) でも臍はへそ、あるいはへその緒、、膃肭臍は漢方薬なんですよ。
えっ、何に使う? その~、もう私では手遅れだから知らん。
このマイミクさんからは今朝も饕餮(とうてつ、、中国の人面獣ね)なんて言葉が私の日記のコメントの中に普通に飛び出す人だから、学識のある方のお話をフォローするのは頭が痛い。
そういいながら私の最近の日記、大団円、、、、これだって結構間違って覚えられている言葉でしょ。、
私の日記を読んでくださる方には分かっていただいているかもしれないけど、漢詩を長崎弁でとか、気になる詩なんてカテゴリーを作って大和詩なんかを載せている、おまけに仕事が芸術関係の催事をやることだから、伝統とか文化には基本的に文化庁と同じような保存派なんですけどね。
でも、文化の保存って問題ありだとつくづく思います。博物館や美術館などの保存は別にして、っていうのは、あれは死に態での保存だから。
たとえば、日本では雅楽なんて、本国ではとっくに廃れたような伝統が今でも息づいている。オリジナルをきちんと残しておく、それはとても大切なことだと思うけど、その反面、社会の進歩、変革に応じて、変わっていくこともその文化が生き続けるためにまた必要なんですよね。
オリジナルの文化を保存することは難しい。特に言葉はもっと難しい。それは言葉は日常の生活に強く結びついているからなんですよね。
万葉や古今、新古今などの詩にでてくる言葉が専門家以外では廃れてしまったり、意味が変わってしまっているなんてのは、古文を勉強されたときにその意味を調べるとすぐにお分かりだと思うのです。
トップの写真。ササガニ、ササガネ? とっくに廃れた言葉ですね。
それ以上に身近な花の名前や上のオットセイの例みたいに、日本にその言葉が輸入された時点ですでに間違って入ってしまった言葉だってたくさんある。
情緒、病膏肓なんて言葉は意味は変わらなくても、発音が変わる、、、こんな例は山ほどあります。
オリジナルの変えたくない部分、残したい部分、そして時代に合わせて変わっていってもしかたのない部分、その辺の見極めを考えるというのも秋の夜長にはいいトピックかも。それによって日本の文化や、その進展、変容が分かるかもしれないし。
ただ、文化庁あたりではその辺は100も承知のことだと思うのだけど、何を残すべきと考えているのかな~って時々思うこともあるんですよね。
「破天荒」は豪快で大胆?=40代以下、7割超が誤解-文化庁・国語世論調査(時事通信) - goo ニュース