夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

VR 70-300EDの実力は?

2009年09月09日 22時44分07秒 |  デジカメ練習帖

先日購入したと書きました、ニッコールの手ブレ補正つきのレンズ、VR70-300 ED。
実力のほどはと、先ほど月を撮ってみました。

D300
Nikkor AF-S VR 70-300ED 300ミリにセット
ISO 800
F.5.6 1/10
もちろん手持ち撮影です。

こちらはオリジナルのファイルをリサイズしたもの。そのほかの現像処理は何も加えていません。



そしてこちらは、その部分をトリミングしたもの。



トップはオリジナルの写真の一部をトリミング。リサイズはしておりません。


300ミリ、10分の1秒の手持ち撮影。
以前のVRなしのレンズで300ミリ、10分の1では完全の手ブレを起こしていると思います。VRの効き目は絶大ですね。それに解像力もかなりいいみたいです。
これなら使えますでしょうか。

また、フィールドに出して、テストを繰り返してみます。


ところで、先日、1000ミリレフレックスに1.4倍のテレコンバーターをつけたもので満月を撮っていましたね。何度も書いていますけど、このレンズはたまたまそのままではカメラに装着できない製品番号にあたっていますので、テレコンバーターをつけてごまかしてあります。こちらはもちろん三脚使用。ミラーアップまではしておりませんが、多少参考になりますでしょうか。

焦点

2009年09月09日 14時07分21秒 | 芸術・文化


写真に限ったことではないけど、焦点というのは何事にも必要ですね。
撮りたいものに向けてカメラを構える。その撮りたいものをどこにおくのか、中心なのか、それともわざとオフセットするのか。
もちろん、普通の場合にはとりたいものにピントを合わせます。でもほかをどれだけぼかしていくかも、その主題を明確にしていく必要な技術。

主題を浮き上がらせるのは、必ずしもピントだけではないですね、色や形が区別できればそれでもいいのですけど。

私はどうかすると、墨を流したような写真を撮りたがります。だから主題を明確にするって私が言うのはおかしいのかもしれませんけど、これはその主題になるものが私の心にすでに分かっているから、ただの墨流し写真でも私だけには意味があるのです。あくまで個人的な写真。だからこのような写真はPCにアップした段階で、削除してしまいますけど。それでもその墨流し写真でも、主題になるものにはピンとは合っているのです。そうでなければなんの意味もない色の流れだけになってしまいますからね。
ピントがあり、ぶれのない主題、、、、
そのピントやブレもブログ用にリサイズしたものではわからないかもしれません。でも、オリジナルの画面でよくよく見ると微妙にピントがずれていたり、にじみのようなブレが合ったり、、、、
このような写真をリサイズしても、実はどこかが甘いのです。
人間の微小な差を判断する力って実に凄いものがあります。
そんなことをなんどか書いたこともありましたね。

全体にピントが合っている写真というのがあります。でも全体のフレーミングや、色、形などをよく見ると、ほんとうはその何かに収斂するように、撮られているはずなのですね。

それがブログであれ、コンテストであれ、人に見せる写真は自分だけが分かっているものでは駄目、(なんていいながら、自分の作品はあまりにも自分本位のものですけどね~ 私は写真家ではないし、私の技術が及ばないだけの話なんですけど)見る人の目、心が、あなたの思っている主題に自然に流れ込んでくればそれは大成功なのでしょうね。

前にも述べたように、これは写真だけのことではありません。
あなたが作家であれば、作品を考えるときに心のどこかで考えていることでしょうし、私の以前の仕事であれば、展覧会を考えるときに、何の主題で、何を持ってきて、どこまでが目玉を集めて、あとはどのようなものをつけていくのか。
全てが超目玉級で構成、学芸員はそれを望むでしょうけど、お金ばかりがかかって、主題もぼけてしまう。けっして勧められるやり方ではないのですね。
でも、これは人に話をしたり、ごくごく日常の生活の中でも普通にあること。
ちょっと話題を変えて、考えてみれば、あなたもやっていることでしかないのですよ。


後は、その主題が、ほんとうにあなたが表現したかったものか、すべきものなのか、作品を作ったり、アートマネージメントをやったりするときの醍醐味はそこなのでしょう。主題をどう取り上げるか、展開するかなんてことはほんとうはたんなる技術的な問題にしか過ぎませんから。でもこれはあくまであなたの個人的なもの。学問としてのアートマネージメントでは取り上げられない問題ですね。
多少ともその後ろ盾になってくれそうなのが美学なのでしょうけど、これだって本当の意味でのあなたの手助けにはなりません。

ある学校から企画論を教えて欲しいと頼まれました。企画論とアートマネージメント、ある意味、技術的な部分はほとんど同じなのです。でもお断りしました。私のやっていることのベースはアートであり、その学校では美学の講座がなかったのです。たとえ美学が助けにならないとしても、ベースをまるで欠いた環境では無理ですからね。

作品作りに関しては私は門外漢。でもその作品を集めての展覧会なら、、
コンセプトを決め、主題となる主要作品を選び、話の流れを作っていく。
ほんと、この段階が楽しくって、三日やったら足抜けなんかできなくなります。
でも、それが上手くいったとしても、それはそれから何年も続く苦労の発端なのですけど。

私の仕事場はお金も、会場もありませんでしたから、その企画を新聞やテレビに持っていく。そしてスポンサードや会場を見つけてもらう、、、
名義主催料なんてものも払うお金もありませんから、仲間内で、相手の自主企画ということにしてもらうのですね。もちろんそうなれば私は終始黒子。本業の部分で表舞台に立ったことは一度もありません。でも、それでも自分のやりたいものができればいいじゃないですか。

でも、自分の仕事を振り返って、自分は幸運だったし、面白かったって今でも思えます。幸福ですね、、、、


なんて、またまた、常になく昔を振り返りました。
やはり、あのレジデンスのお話が私の気持ちに波を立てたのでしょうか。
それとも、お呼びが近いのでしょうか?

時は残酷

2009年09月09日 10時07分52秒 |  姥捨て山は大騒ぎ


先日、私の昔々のブログの記事を見て、共感するところが多いのでとコメントをくださった方があった。
そうねぇ、あのころはまだ娑婆っ気が抜けなくて、アートマネージメントとか、アーティスト・イン・レジデンスだとか、芸術ってなんてとか、いろいろ書いていたのですよ。

その方とメールを交換していると、知人のところで研修をされているということ。
ブログでは名前を出していないので、メールで初めて私の名前をご覧になり、私にもあったことがありますとのこと。あら、私ってそんなにセレブだったかしら、なんて思ったのですけど、その後、この方の腰が引けちゃったみたいね。ぐすん。
友人がヨーロッパを訪れ、たまたま知人のオフイスにも訪問されるので、それを機会にラウンドテーブルみたいな企画を立ち上げられているようなので、お返事を友人にもccで出しておりました。

友人にはもう何年ぶりかの連絡だったけど、すぐにお返事を頂いて、この企画でそろそろ引退しようかと思うって書かれてあった。

あのアマゾネス軍団に候補生として紹介しようかと思っていた方(と、言っても普段はものすごく優しい女性的な人ですからお間違えのないように。仕事に立ち向かうときはほんとにアマゾネス。あの粘り腰は男じゃ真似できないですよ)でもそうか~って感無量。

私の周りの猛女さんたちも、最近はほとんど噂を聞かなくなった。どうされているのでしょうね~ 猛女さんたちでお分かりにならない方は、こちらをご覧くださいね。

以前からブログを読んでくださっている方にはお分かりの、京都のあの「名前を言ってはいけない」お方。なんせ「猛女」のレッテルを貼ったのが痛くお気に召さなかったのですよ、、、、、 でも、私の乏しい語彙では「猛女」以外の形容を知らないのでね~。 孟女って言ったら、もっと叱られたでしょうね、、、、「そんな歳じゃないわよ!」 そりゃそうだ、孟女だったら完全に化け物だもんね~ やはりご機嫌伺いをしておかなきゃね~ 
それにあの女優さん、最近、劇などもおやりになってないみたい、ちょっと心配ですね~

最初のお方には、「私は爺捨て山で仙人修行をしております」ってお返事を返しました。



でも、若いころには、なぜこの世には姥捨て山しかないのだろうって思っておりましたが、最近になってやっと分かりました。
姥さんたちには、塀の中に入ってもらわないと困るのです。だって、元気元気で毎晩酒池肉林の大騒ぎは姥さんたちの独占。

爺さんたちは、満月になって煙突に登ろうにも、手足が萎えて無理。声を張り上げようにも、喘息ぜいぜいではそれまた無理。

若いころは、お中元にU20が来たら、理想の淑女に育て上げ、、、、(って、変な顔をしないでくださいよ。これって私だけの夢ではないんですから。西洋の活動写真にもそんなのがありましたよね、、、、あのロンドンの下町言葉、新鮮でしたね~)なんて思っていたのですけど。
でも、つい最近まで気がつきませんでした。どこかのお家元。光源氏さんは彼の祖先だったんですね。それを知っていれば、いろいろとノウハウを、、、、なんて。でもそれを知ったときには、もう手遅れでしたね~
時は残酷。


まあ、爺さんたちは、婆さんたちと違って、周りに迷惑をかけるほどの元気は残っていない。日本の介護サービスで放っておけば、すぐに死にますって。。。


秋なれや
 空の蒼さに
   しみる風
     風車

もう、自棄のやんぱちの何百回目かの 大統領!!!!
だって、今まで誰も褒めてくれないんだもん。


それにしても、とりとめもない愚痴ともつかない、、、変なもの
こんなのを書き出すってのは、もうあまり先がないのかな~

一月ほど夜になると微熱が続いて、もしかしてやっと更年期に入ったかって喜んでいたのに。


写真は友禅菊。
D300+MacroNikkor 55mm
F11 2sec.
ISO 400

都忘れなんかのほうが名前的には相応しいのかな~なんて思いながら、今の時期にはないもんね、お許しあれ。