物憂い秋の朝は朝食を作るのもけだるい。
ぼんやりと庭を眺めながら、それでも秋の朝のすがすがしい風が肌をさするのを感じている。
これが私の魂を埋める土地なのだろうか?
終の棲家ってなんなのでしょうね。
秋風引 劉禹錫
何処秋風至
蕭蕭送雁群
朝来入庭樹
孤客最先聞
風にも秋の匂いがしてきた
空の風は雁の群れを送ってる
朝の庭の木立の中にも秋は沁みてきた
寂しさ一杯のうちん心んなかにも
2006年9月3日の日記からの転載。前後関係は日記を見てね。
慣れしんだ人や物に囲まれた生まれ故郷ははるか遠く、どこか遠くの記憶にあるだけ。
仕事で過ごした場所は、頭では知っているけど、どこまでいってもよそよそしさを感じてしまう場所。
思い定めて、移り住もうとしているのがこのいすみ市の森の中。でも、自然自然といいながらも、どこかで大都会のありがたさに慣れすぎてしまっている私。
私の最初の上司がそうだった。
両親ともにオランダ人で、パリ育ち。そして人生のほとんどを日本で過ごした人だったので、帰属する所をなくしてしまった。パリに行ってもエトランジェ。オランダに戻っても、パン屋で「オランダのパンをください」って言って笑われる始末。だいたいオランダ語もうまくないって陰口を言われていた人だったから。あきらめて、日本に帰ってきたけど、これまたどこまで行っても外国人でしかなかったんですよね。日本のことは理解している程度でしかなかったから。
亡くなったとも聞いたけど、晩年の思いはどうだったんだろう。
ヨーロッパにいる日本人の知人達も退職して、お迎えを待つころになると無性に日本が恋しくなるみたい。でも、彼らの思っている日本はもう心の中にしか存在しないことも知っているのですよね。
行き場のない身、安住を求める心。
23,24日は大原の裸祭り。23日にちょっとだけ近くまで行ってみましたけど、大渋滞でとても近づけるような雰囲気ではないのですね。ということで24日もお祭り方向は遠慮して、なんとなく一宮方向をさまよっておりました。
本当は昨日で終わっているはずの、神輿の行列。
これを書いていると、家の下を通っています。
いつもそうらしいのです。
夕方に終わるはずの一日の予定が、真夜中にも神輿が行きかっている。
担ぎ手もふらふら、、、町のあちこちで寝てたりするんです。
今朝もその名残なのでしょうか。
なんだか、掛け声がやけのやんぱ、、、、それでも悲壮感もないし、、、悲壮になるほどの意識も残っていないのでしょうね。 とにかく薄れた気力で担いで、出ない声を張り出しているのが見え見え、、、、
でも、自分の住処、巣、故郷なんてのはこんなところから生まれてくるのでしょうね。
昔々、ある左翼系の作家が、車に子供を乗せて日本中を旅行して回っていました。
インテリゲンチュアの典型みたいな彼、そして彼の子供にとって、こんな血縁社会の有象無象はばかげたこととしか写らなかったかもしれません。でも理知的に働く部分と、感情的な部分はうまくバランスを取っていないと、あとあと身の置き所がなくなってしまう、、、、当たり前のこと、誰でも知っていることですけど、、、、若いうちは仕事があるから、やることがあるから、忘れがちなんですよね。
それが身にしみる歳になったってことかな、、、、、
なんてことを思いながら、ふと珍しく小腹がすいているのを感じて、朝食は食べなきゃいけないんだよねって思いだしました。
昨夜のご飯は残っているけど、ご飯を食べるとするとおかずの用意。
それはとてもとても面倒。
パンはないけど、リッツがあるからあれでカナッペにしようかと思うけど、冷蔵庫の中をあれやこれやと探索しているうちに冷蔵庫の中で餓死してもみっともない。
何にしようと思い悩みながら、何も思いつかないときの定番、バナナシェークの用意をする。
うまくいけばこれでお腹をだまし、昼まで怠惰な時間を過ごそうという魂胆。
さて、牛乳をいれ、卵をいれ、バナナをいれ、蜂蜜をいれ、さてスイッチを入れようとして思い出した。
オートミールがあったんだ。
でも、牛乳はバナナシェークで使い果たしちゃったし、生クリームだけで作るのはちょっと怖いものがある。
この間の、牛乳多少多めのクリーム入りオートミールでもかなり濃厚な味になっていたから。コッツウォルズのスワンという有名ホテルの朝食には生クリームで仕上げたオートミールがついていますけど、あれではメタボ推進協議会のご推薦になってしまうかもしれない。
ということで、これは取りやめ。
先日の、渋皮煮は買ってきた栗を使ったのですけど、家の栗がぽたぽたとベランダに落ちてきては存在を主張しているのですよ。
彼らも食べてあげなきゃねって少しだけ拾ってきて、昨夜煮ておりましたのがあるんですよね。これをデザート、、、、パン代わり?、、、にバナナシェークで今日の朝は終わり。
さて、物憂いほどの平穏な朝。
今日も神様は空におられるのでしょうか。
皆様が今日もまた、よい日を過ごされますように。