夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

天神祭  いすみ市岬町長者

2009年09月25日 23時46分14秒 |  岬な日々

さて、先ほどの日記でもご紹介したような朝ごはんを軽く食べて、ぐずぐずと時間をつぶしておりましたが、お腹がすいてまいりました。
お昼でもと思いましたが、時間を見るともう3時。
いすみのレストランはお昼の時間帯が終わると、夜まで店を閉めるところが多いのです。
仕方ない、今日もマックかと家を出ました。
途中のカワセミのポイントでカワセミやセキレイを見て、長者方向へ、
「あれっ? なんだか変ですよ?」って思いながら車を走らせると、目の前に神輿。
なんと、今日は長者の天神社のお祭りだったのです。
しらなかった~
考えてみれば、今日は25日、天神祭の日なのですね~
(ただし、大阪の天満宮では6月から7月25日まで行われます)
天神さんは私の氏神様。
それに九州の家らしく、家にも道真の子孫なんたらいう、多分に訳の分からない言い伝えがあったりして、だから家の家紋は梅鉢なんです。
家の瓦の一つ一つに梅鉢の略紋が入っていて、それを宣伝しておりましたがな。。。
でも、それが本当なら、私ももう少し頭のいいDNAを持っているはずなのだけど、、、自分の頭の悪さを思うと、この説は簡単には頷けないですな~  泣


なんてことは別にして、たしかに、大原の裸祭りなどの有名なお祭りは市役所のHPにも出ていますので、情報が取れますが、ローカルなものはここに住んでいないと入手が困難。
私のような二束の草鞋人種って結構いるのでしょうけど、皆さんはどうしているのでしょうね~ なんて思いながら、車を止めて、お祭りをちょっとだけスナップしました。

神輿の先導を勤めていた踊りのグループ。



いかにも、ローカルで、味がありましたよ。。。
なまじ、プロだと、こちらも構えてなんだらかんだら言いたくなるけど、、、
楽しきゃいいじゃないですかねぇ



近くの神社からのお神輿、子供神輿などかなりの数の神輿が繰り出して通りを練り歩いておりました。




いや、ほんと秋ですね~



キセキレイとセグロセキレイ

2009年09月25日 23時17分06秒 |  岬な日々


いつものカワセミのスポットへ参りました。
カワセミは、私の車が止まったのを見ると、さっと逃げ出し、
「また、逃げられた~」ってがっかりしていると、人の前をこれ見よがしにさっと戻ってきて、反対方向へ隠れてしまいました。
毎度のことで、こちらも諦めております。まあ、カワセミちゃんの元気な姿が見れるだけでもよろしいじゃありませんか。
ということで、帰ろうと思いましたら、ひょっこりセグロセキレイが現れました。
多摩川などにいる子たちとは違って、いすみの鳥はとても人見知り。
間合いがすごく遠いのです。
人の気配だけで、飛んでいってしまいます。
写真はなかなか難しい。



ところで、この場所、セグロセキレイのほかにハクセキレイや、キセキレイもおります。
普通、住み分けをするって言われています。キセキレイはもっと山の上のほうのはずですけど、ここでは一緒に生活しているようですね。珍しいのかな?
キセキレイはしばらく見かけませんでしたので、どこかへ住処を移したのかと思いましたが、今日見かけました。
やはり、ここに住んでいたのですね。
よかった。



物憂い秋の朝は  祭りの幻想

2009年09月25日 09時59分43秒 |  岬な日々


物憂い秋の朝は朝食を作るのもけだるい。
ぼんやりと庭を眺めながら、それでも秋の朝のすがすがしい風が肌をさするのを感じている。
これが私の魂を埋める土地なのだろうか?
終の棲家ってなんなのでしょうね。

秋風引    劉禹錫

何処秋風至
蕭蕭送雁群
朝来入庭樹
孤客最先聞

  風にも秋の匂いがしてきた
  空の風は雁の群れを送ってる
  朝の庭の木立の中にも秋は沁みてきた
  寂しさ一杯のうちん心んなかにも
       2006年9月3日の日記からの転載。前後関係は日記を見てね。

慣れしんだ人や物に囲まれた生まれ故郷ははるか遠く、どこか遠くの記憶にあるだけ。
仕事で過ごした場所は、頭では知っているけど、どこまでいってもよそよそしさを感じてしまう場所。
思い定めて、移り住もうとしているのがこのいすみ市の森の中。でも、自然自然といいながらも、どこかで大都会のありがたさに慣れすぎてしまっている私。


私の最初の上司がそうだった。
両親ともにオランダ人で、パリ育ち。そして人生のほとんどを日本で過ごした人だったので、帰属する所をなくしてしまった。パリに行ってもエトランジェ。オランダに戻っても、パン屋で「オランダのパンをください」って言って笑われる始末。だいたいオランダ語もうまくないって陰口を言われていた人だったから。あきらめて、日本に帰ってきたけど、これまたどこまで行っても外国人でしかなかったんですよね。日本のことは理解している程度でしかなかったから。
亡くなったとも聞いたけど、晩年の思いはどうだったんだろう。

ヨーロッパにいる日本人の知人達も退職して、お迎えを待つころになると無性に日本が恋しくなるみたい。でも、彼らの思っている日本はもう心の中にしか存在しないことも知っているのですよね。
行き場のない身、安住を求める心。


23,24日は大原の裸祭り。23日にちょっとだけ近くまで行ってみましたけど、大渋滞でとても近づけるような雰囲気ではないのですね。ということで24日もお祭り方向は遠慮して、なんとなく一宮方向をさまよっておりました。
本当は昨日で終わっているはずの、神輿の行列。
これを書いていると、家の下を通っています。
いつもそうらしいのです。
夕方に終わるはずの一日の予定が、真夜中にも神輿が行きかっている。
担ぎ手もふらふら、、、町のあちこちで寝てたりするんです。
今朝もその名残なのでしょうか。
なんだか、掛け声がやけのやんぱ、、、、それでも悲壮感もないし、、、悲壮になるほどの意識も残っていないのでしょうね。 とにかく薄れた気力で担いで、出ない声を張り出しているのが見え見え、、、、
でも、自分の住処、巣、故郷なんてのはこんなところから生まれてくるのでしょうね。


昔々、ある左翼系の作家が、車に子供を乗せて日本中を旅行して回っていました。
インテリゲンチュアの典型みたいな彼、そして彼の子供にとって、こんな血縁社会の有象無象はばかげたこととしか写らなかったかもしれません。でも理知的に働く部分と、感情的な部分はうまくバランスを取っていないと、あとあと身の置き所がなくなってしまう、、、、当たり前のこと、誰でも知っていることですけど、、、、若いうちは仕事があるから、やることがあるから、忘れがちなんですよね。
それが身にしみる歳になったってことかな、、、、、




なんてことを思いながら、ふと珍しく小腹がすいているのを感じて、朝食は食べなきゃいけないんだよねって思いだしました。

昨夜のご飯は残っているけど、ご飯を食べるとするとおかずの用意。
それはとてもとても面倒。

パンはないけど、リッツがあるからあれでカナッペにしようかと思うけど、冷蔵庫の中をあれやこれやと探索しているうちに冷蔵庫の中で餓死してもみっともない。

何にしようと思い悩みながら、何も思いつかないときの定番、バナナシェークの用意をする。
うまくいけばこれでお腹をだまし、昼まで怠惰な時間を過ごそうという魂胆。

さて、牛乳をいれ、卵をいれ、バナナをいれ、蜂蜜をいれ、さてスイッチを入れようとして思い出した。
オートミールがあったんだ。
でも、牛乳はバナナシェークで使い果たしちゃったし、生クリームだけで作るのはちょっと怖いものがある。
この間の、牛乳多少多めのクリーム入りオートミールでもかなり濃厚な味になっていたから。コッツウォルズのスワンという有名ホテルの朝食には生クリームで仕上げたオートミールがついていますけど、あれではメタボ推進協議会のご推薦になってしまうかもしれない。
ということで、これは取りやめ。

先日の、渋皮煮は買ってきた栗を使ったのですけど、家の栗がぽたぽたとベランダに落ちてきては存在を主張しているのですよ。
彼らも食べてあげなきゃねって少しだけ拾ってきて、昨夜煮ておりましたのがあるんですよね。これをデザート、、、、パン代わり?、、、にバナナシェークで今日の朝は終わり。



さて、物憂いほどの平穏な朝。
今日も神様は空におられるのでしょうか。
皆様が今日もまた、よい日を過ごされますように。