夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

中国の詩を口ずさむ

2006年09月11日 14時51分28秒 | 芸術・文化
日本の詩は与えられたものそのままを受け止めるしかないけど、外国語である中国の詩は自分なりに訳を付けて遊ぶことができる。原文のままだと意味を取るのも難しいけど、この遊びが結構面白いし、詩の情景をもっとフレキシブルに楽しめる。
先日の中国の詩を自分なりに訳をした日記にレスをつけてくださった方が、口ずさむことができればとおっしゃっていた。
私も中国の詩をきちんと口ずさむことができればこんなにすばらしいことはないとは思うけど、正確に口ずさむということは厳密に言えばとても難しい。

古詩の自由な流れは四声を踏まえた韻の規則によって縛られてきて、それ以降の詩はこの韻を踏まなければ詩の構成を見ることも口ずさむこともできない。
しかも、字の発声は時代時代で変化しているのだから、今私たちが知っている音、あるいは中国の人が使っている音であっても、それが作られたときの音とは違うことがたくさんある。
詩を詠むこと、口ずさむことがもうすでにかなり大変なことだとすると、それに曲をつけたものを歌うということはそれ以上に大変なんだろうと思う。

中国詩をその当時の社会状況を理解しながらきちんと内容もわかり、その美的な価値もわかり、そしてそれをきちんと口ずさむ、本当にやってみたいことではあるけど、夢のまた夢。
それ以上に楽譜をそのもともとの意味合いの歌詞としてではなく、詩としてだけしか受け止められないとすれば、本来の評価とは異なる評価を与えているのだと思う。楽譜は本来は歌えなければ評価できないものだろう。

その辺で中国の人が下す評価と、私たちの評価が違うことがあるかもしれない。
以前お茶の道具は道具としての価値が最初にあるってことを書いた。美術館に収めるのはもともとの作られた理由を無視して、美術品としての評価を与えるもの。お茶の世界の評価と、美術品としてだけ見たときの評価が違うことも出てくるだろう。

長崎には唐の曲(というと唐の終わりごろのものだろうか)を楽しむグループが江戸時代から連綿と続けられていると聞いたことがある。たしか高校の漢文の先生がそのお仲間だったと思うけど。

糠漬け 後日談

2006年09月11日 11時39分38秒 |  食べるために生きる
先日糠漬けを漬け始めたことを書いたけど、
茄子はなかなか難しい。ぱりっとした浅漬けで、でも中まで漬かっているというのが未だになかなかできない。どうも中は漬からないままか、古漬けになってしまう。
塩もみしても駄目だし、水茄子というのは近所では見当たらない。
これはこれからの研究課題。
でもこれ以外は比較的簡単にできた。
胡瓜もまあまあ。
人参や大根はとても楽にできる。
ピーマンや茗荷は試しにやってみたのだけど、これが意外といける。
人に教えてもらったオクラもいけるし、間違いがない。

昨日スーパーで一番漬けてみたかった蕪が出てたので、これを漬けてみたけど大成功って感じで、これからしばらくは蕪を漬けよう。

糠床も少し手を入れなければならないだろう。

でも一番漬かったのは私の手。
糠みそ臭い主夫になっちゃった。
どうしよう。

淡雪 大作戦 失敗

2006年09月10日 23時11分45秒 |  食べるために生きる




先日ご紹介した淡雪
せっかくレシピも手に入ったので自分でも作ってみようと思い立ちました。

で、結局のところ失敗。
原因のその一
メレンゲを固く作れというアドバイスを頂いていたのですが砂糖が少なすぎて硬くなりませんでした。
その二
メレンゲに寒天を入れればよかったのに、反対にしました。

次回の作戦行動の際は十分留意して行動すること!

おかげで本当にやわらかい淡雪と寒天の二層のお菓子ができました。
味? 味はよかったですよ。

題を「庭の夕暮れ」とつけました。

あはれしりて誰か分けこむ山里の雪降り埋む庭の夕暮れ
                  西行



クイズ

2006年09月09日 17時27分58秒 | ジョーズなジョーク 
お約束のクイズ。
でもあまり文部省ご推薦をもらえそうもないですね。

洋物を和風にリライトしたものです。

昔お彼岸の法要が盛大に行われていました。
ある恐妻家の旦那さんと奥さんも出席していました。
退屈な法要が延々と続く中で、旦那さんも奥さんもこっくり、こっくりと眠ってしまいました。
そして旦那さんが気が付くと、素晴らしい美女が旦那さんを見てにっこりと微笑んでいるではありませんか。
隣で寝ている奥さんに気づかれないようにそっと抜け出した旦那さんは、その美女と手を取って町に出かけ、お酒をたらふく召し上がって、法要が終わる前に二人でお寺へ戻ろうとしましたが、帰りしなに温泉が湧き出ているネオンのところで一休みしました。
そしてベッドのなかで、彼女の輝くばかりに美しい体に手をかけたときに、隣の部屋から毛むくじゃらな男が
「俺の女に手を出したな」ってまさかりを振り上げて入ってきました。
まさかりは天上から一直線に旦那さんの首に振り下ろされました。

そのとき隣で寝ていた奥さんが目を覚まし、大切な法要で居眠りをしている旦那さんをみて、首を扇子で「ぽん」と叩きました。
旦那さんはそのショックで心臓発作を起こして死んでしまいましたとさ。


何かへん?

答えは下のコメントをみて。


中秋の名月  波乱万丈?

2006年09月09日 15時32分16秒 |  姥捨て山は大騒ぎ


9月9日の月。
陰暦の重陽は10月30日になるそう。



このところ中秋の名月に友人たちの話題が集まっている。
今年は閏月だったのでいつもよりちょっとおそく10月8日のようだ。
その話を聞きながら、今年も名月を見れそうだとちょっとした感慨にふけっている。

誕生日の日記にも書いたけど、昨年一年は波乱万丈だった。
でもそれにも書かなかったけど、ほんとうは昨年の中秋の名月もみれないのだろうと諦めていた時期もあった。
もともと原爆症がいつ発症するかわからないという気持ちで子供のときから生きてきたし、胃潰瘍で血を吐いたときにも親からもう一度吐いたら命はないだろうっていわれたりして、生きていること事態が付録みたいにして生きてきたので、苦しむさいごでなければどうでもいいというような考えができるのだけど。

昨年春の終わりにヨーロッパから帰国したころからものすごい不調、これではもうあとがないだろうと観念してしまった。
仕事はいずれにしろ8月一杯で辞めることにしていたので、そのほかの手がけていた仕事や、関係を半ば強引に辞めたり、姿を消すようなことをしていった。それに対して非難が起こっていたことも知っていたけど、いちいち理由を説明する気にもなれなかった。人を非難する分後の人が結束していくだろうくらいの気持ちを持てた。

仕事をやめ、引越しし、荷物をやっと解いたと思ったら母の上京という急な理由でまた引越しし。

体調不良を疑う理由であった昏倒も、昨年の春、7月、そしてことしの3月と相変わらずつづいている。一瞬で意識がなくなるので車を運転するのも怖い。周りの皆にはとても迷惑と心配をかけている。
でも昨年の春の昏倒のあと、弟が心臓の不調ということでそちらにかかりきりになり、7月の昏倒のあとも、8月の頭には弟の手術に付き合い。その後のごたごたで退院させてくれた医者との約束だった精密検査は未だに受けていない。その気もなくなってしまった。心配してくれた友人たちの中にはそんな私に呆れ果てて絶交して行った人もいる。
検査を受けて、それで結果が悪くてもどうするの? いまさら手術だ、入院だなんてやっても上京してくる母親は誰が面倒をみるの、弟だって本調子じゃないのにって感じ。
知らん顔してそのまますごして、それで昏倒、一巻の終わりならそれで仕方がないでしょうーそんな気持ちで毎日を過ごしている。

一昨年レジデンスのマネージャーやオーナーたちを集めて、トランスアーティストの理事長とのラウンドテーブルをやり、その引き続きで昨年ベルリンであったレザルティスの会議の日本側の出席者をオランダのレジデンスを訪問し、意見交換する機会を作った。これは知人が活動しているAIRのネットワークをもっと拡大、活発化して東京にセンターを作り、地方のレジデンスへきたアーティストが東京でのネットワーキングをしたり、展示をする場所を提供するという最終目的のために動いていたのだけど。またそのために千代田区の遊休施設の借り上げを議会の識者に働きかけをしてもらっていた。

自分でも埼玉や、千葉、愛知でレジデンスの候補地がありそこをどう動かせるのかこれから検討したいと思っていたのだけど。

これからもずっと動ければいいと思うけど、それに自信がない今、誰かが私の動きをサポートし、私が欠けてもそのままフォローできる人が欲しい。箱は手に入るかもしれない。でも問題は箱じゃなくて、その箱の運営なんだから、自分がそれに責任をもてなくて、これからの活動を続けていくことはむしろもっとまずい結果を生み出すことになるだろうとも思う。
でもそこまでやると今度はそのスタッフへの責任が出てくる。

昨年さまざま関係を切ってきたように、今も手持ちの活動を切っていかなければならないのだろうか。
今すごく悩んでいる。


アートマネージメント 地域の活性化

2006年09月08日 14時58分02秒 | 芸術・文化
今アートマネージメントのコミュで一つの話題がでている。少し書き込みをしたので、これ以上書き込むとまずいかなって言うことで傍観している。
問題は地域の活性化ということがもう古すぎるトピックなのかどうかということ。

メセナの担当者がそういっていたという意見もあるし、アーティストから自分の作品を作っていれば、付帯して活性化につながればいいのじゃないかという意見も出されていた。

確かに東京サイドで申請書を受け付ける立場の人たちからは、もうこのトピックは使い古されたから別な何かがないだろうかとの話も出るだろう。でもそれは助成を付けるほうが自分の目線で見たときの意見。

それを地方自治体などが受ける場合にはどこまでいっても自分たちが支払うお金、労力、リスクに見合うだけのものが得られるかどうかが最終的な評価としてある。

またアーティストとしてはあくまで自分の望む作品が作成できることを願っているだろう。

お金を出すところ、労力や場所を提供するところ、そして作品を作るアーティスト、それぞれがそれぞれの立場、メリットで動くわけで、それをどう調整するかがマネージャー、プロデューサーの考え、腕の見せ所になるのだと思う。

以前にアーティスト・イン・レジデンスの講演会で、私は日本にはいいディレクターはたくさんいる、でもアーティストの希望(これが根源にあるのだけど)それをきちんと把握して、かかわってくるすべての望みを踏まえながら、全体をプロデュースできる人が少ないということを言ったけど、これもまったく同じことをここでも言いたい。

アーティスト・イン・レジデンス

2006年09月08日 12時59分19秒 | 芸術・文化

スイス人の音楽家が11月に来日する。本当は来年アーティスト・イン・レジデンスで来日するときの下調べということなんだけど、友人のうちを紹介しそちらを定宿にしてあちこち旅行するみたい。
このような施設が東京にもあり、私がギャランティしてくれれば、空いていればいつでもいいよって言ってくれるし、企画のスペースもキュレーションをやってくれれば使わせるっていうのだけど、一応こちらは代金をとるので、貧乏なアーティストにはちょっと無理かもしれない。
地方には旅費から滞在費、制作費などをもつこのような施設がある。
ネットワークや情報収集で来日するアーティストは東京での滞在を希望する人が多いのだけど、東京やその近郊にはとても少ない。
地方に行ったアーティストも東京のシーンを見ておきたいし、東京でも発表したい希望もある。
恒久的にこのような施設が欲しい。

千代田区なんかでも遊休施設の運用なんて議会筋でもいろいろ調べているのだけど、なかなか実効的なプランが生まれない。

パーティジョーク

2006年09月08日 10時00分58秒 | ジョーズなジョーク 
昨日の難波船の話はパーティジョークですよね。

この手には;


泥棒に入られた女優がテレビのインタビュアーの泥棒のことをどう思いますかっていう質問に答えて、
「厳罰にしてもらいたいわ」
「そうでしょうね、大金やたくさんの宝石を盗まれたんですものね」
「とんでもない、そんなものは保険がかかっているからいいの。
私が目の前にいるのに、お金や宝石を盗んだだけで逃げていったのが許せないの」

なんてのがありますけど、

次回からはもう少し文部省推薦のものにしましょう。

Reminds me of an episode of "Lost"

2006年09月07日 09時56分31秒 | ジョーズなジョーク 
またまたうちの会長からのメール。
今回は訳はなし。




I suppose I "should" be ashamed of myself for laughing out loud at this .... but I'm not ....



A man was washed up on a beach after a terrible shipwreck. Only a sheep and a sheepdog were washed up with him. After looking around, he realized that they were stranded on a deserted island. After being there a while, he got into the habit of taking his two animal companions to the beach every evening to watch the sun set.

One particular evening, the sky was a fiery red with beautiful cirrus clouds, the breeze was warm and gentle - a perfect night for romance. As they sat there, the sheep started looking better and better to the lonely man.

Soon, he leaned over to the sheep and put his arm around it. But the sheepdog, ever protective of the sheep, growled fiercely until the man took his arm from around the sheep. After that, the three of them continued to enjoy the sunsets together, but there was no more cuddling.

A few weeks passed by and, lo and behold, there was another shipwreck. The only survivor was Hillary Clinton.

That evening, the man introduced Hillary to the evening beach ritual. It was another beautiful evening - red sky, cirrus clouds, a warm and gentle breeze - perfect for a night of romance. Pretty soon, the man started to get "those feelings" again.

He fought the urges as long as he could, but he finally gave in and leaned over to Hillary, cautiously, and whispered in her ear..."Would you mind taking the dog for a walk?"

ピアニストという蛮族がいる

2006年09月06日 11時07分57秒 | 芸術・文化
私の友人たちにはとても多彩な人が多い。ろくろと格闘している陶芸家の癖にグールド命なんて(内股に刺青まではしてないよな)のたまわりながらピアノを弾いている人。娘1、娘2ってどこかの置屋のお上みたいな母親がルービンスタイン大好きだったり、なんて話が飛び交うとピアノは本棚ですっていう占い師が現れたり、友人以外にも手を広げるとピアノだけでもあきれるほど人がいる。
その友人の一人が、ちょうど昨日ピアニストの話をしていてこの本を思い出した。

このところ私の友人たちの日記を賑わしているピアニストたちのことがほとんど出ている。裏話、結構面白い。

私はルービンスタイン派でホロビッツは義理の父の七光りで出てきた人位にしか考えていないけど、この二人の確執が最初の話題。抱腹絶頂でもその笑いの中にピアニストのイメージがきちんと捉えられているというのが見事だなって思う。
この調子でラフマニノフやランドフスカヤ、コルトー、パデレフスキーなどの巨匠たちやグールド、ミケランジェリなどの逸話を紹介している。

ところでホロビッツ。私の最初のレコードがなぜかルービンスタインではなくホロビッツだった。そして彼の最後のさよなら、これはブログにも書いたけど、ミスタッチが些細なこととして気にならないほどに気持ちのあふれた素晴らしい演奏だった。招待券を2枚もくれたK音楽事務所に感謝。


ピアニストという蛮族がいる

文藝春秋

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