旧東海道松並木 (静岡県浜松市舞阪町舞阪)
平成2年(1990)頃に東京日本橋から東海道を歩いた。その日は日本橋から品川駅まで歩いた。何日か後に品川駅から川崎駅まで歩いた。それの繰り返しで静岡駅まで歩いた。旧東海道の資料なぞなかったので、国道15号線、国道1号線を中心に歩いた。だから薩埵峠(さった峠)も歩いていない。
静岡到着後は10年位そのままだったが、平成13年(2001)は東海道400年という事で、各地で催しがあったりと盛りあがっていた。東海道は律令時代には五畿七道として整備されおり、400年どころではないが、江戸時代の五街道として、征夷大将軍徳川家康公が慶長6年(1601)に宿場・伝馬制度が定めて400年という。この盛りあがりに乗じて、静岡駅から浜松駅までを、やはり何度かに分けて歩いた。旧東海道に関する本も入手してなるべく旧道を歩いたが、それでも違う道を歩いた箇所もあった。
浜松到着後は5年くらいそのままだったが、今年になってNHKで街道を歩くテレビ番組が放送され、あっさりと東京日本橋から京都三条大橋までを歩ききった。自分は15年経っても京都に到着しないのは考え物である。久しぶりに東海道を歩く旅を再開する事にした。
平成18年8月27日日曜日。5年振りに旅を再開する。浜松駅から前回の中断地点、浜松宿梅屋本陣跡に移動する。5年振りの浜松の街。大きな百貨店が閉店している。
浜松宿梅屋本陣跡 (静岡県浜松市伝馬町)
12時40分に梅屋本陣跡から歩き始める。天気も良くて、非常に暑い。汗が流れ出る。手ぬぐいは持ってきたが、帽子は用意していない。日射病(熱中症?)が心配である。日影を求めるように歩く。一部は旧道と分れていたが、気づかずに国道257号線をそのまま歩く。
若林一里塚跡 (静岡県浜松市東若林町)
13時12分、若林一里塚跡に到着。説明文には「昭和五十三年八月 可美村教育委員会 可美村文化財保護審議会」とある。ここは平成3年(1991)までは静岡県浜名郡可美村だったが、浜松市に編入されている。かつて東海道本線高塚駅の駅名標には可美村の文字があった。旧可美村は周りを完全に浜松市に囲まれていて、広島県安芸郡府中町を思わせる。旧可美村にはスズキ株式会社があり、安芸郡府中町にはマツダ株式会社があるのも似ている。
国道257号線と分れる (静岡県浜松市篠原町)
交通量が多くて埃っぽい国道が左に分かれてゆく。これで歩きやすくなるかと思うが、歩道がないので、車には気をつけなければならない。サークルKで便所を使わせてもらい、缶コーヒーとお菓子を買って小休止。ただし立ったまま。
篠原一里塚跡 (静岡県浜松市篠原町)
14時16分、篠原一里塚跡に到着。一里歩くのに1時間以上かかっているが、休憩をしているのでこんなものだろう。15時16分、舞坂の松並木。並木を抜けたところに小公園があり、清掃の行き届いた公衆便所があった。歩き旅にはありがたい。公園内には浪小僧という像があった。
浪小僧 (静岡県浜松市舞阪町浜田)
一里塚跡 (静岡県浜松市舞阪町舞阪)
国道1号線と交差すると、舞坂宿に入ってきた。15時31分、舞坂の一里塚跡。一里歩く速度が落ちてきている。今日は舞坂宿までで止めておく。
舞坂宿本陣跡 (静岡県浜松市舞阪町舞阪)
舞坂宿脇本陣 (静岡県浜松市舞阪町舞阪)
北雁木跡 (静岡県浜松市舞阪町舞阪)
東海道は浜名湖に突き当たるところで途切れている。昔はこの先の海上一里を船で渡っていた。今は橋などで道がつながっている。かつての船着場の北雁木跡に15時44分到着。今日の東海道の旅はここまでだが、帰宅すべく東海道本線弁天島駅まで行く。近くの海浜公園には海水浴する人が沢山来ていた。キヨスクで買った缶ビールを飲みながらプラットフォームで列車を待っていると、並行する東海道・山陽新幹線を何本もの列車が高速で通過していった。 (つづく)