臺灣鐵路管理局 縦貫線 臺北車站 (台北市中正區)
民國95年11月28日星期二(火曜日)。旅の最終日、雨の朝を迎える。食堂で朝食。ここには新聞、雑誌が置いてあるが、PCも何台か置いてあり、食後に頼んで使わせてもらう。料金は要らなかった。Emailを読んだ後、友人のブログを見てみると紅葉の京都を訪れている。さっそくコメントをするが、和文の入力方法が解らない。ローマ字で入力してみるが、大変読みづらい。1時間くらいPCを使っているうちに、欧米人のグループが朝食に来ていた。部屋に戻り、中華航空に電話する。Reconfirmをしていない。搭乗当日に電話しても遅いが、予約は問題ないそうで安心する。
冷蔵庫、電話代を精算してチェックアウトする。いい宿だった。表の雨は結構激しい。7-ELEVENでビニール傘(60元)を購入する。もう財布には10元未満の小銭しかない。民権西路の駅近くの玉山銀行に入り、1万円を両替する。玉山(3,952m)は台湾最高峰。富士山(3,776m)より高いので、日本統治時代は新高山。さしあたっては台湾の富士銀行というところか。担当する女性行員のほかに数人の行員もやってきてかまってくれる。暇なのか?待つ間にお茶も出される。なかなかサービスが良い。用紙に宿泊先の電話番号を書くよう言われる。もうチェックアウトしていて、今日は帰国するのだと説明するが、必要事項らしい。ホテルの領収書を見ながら記入し、ようやく台湾元を手にする。捷運で民権西路から台北車站へ。電車賃(20元)も無かったのだ。
台鐵の切符売り場の上の時刻表を見る。出掛けたくなるが、もうどこにも出掛けられない。まだ乗っていない路線が沢山ある。また改めて乗りに来ようと思う。駅構内の郵便局で絵葉書を差出す。日本まで航空便で10元。コインロッカー(50元)に手荷物を預けて身軽になる。捷運で台北車站から古亭へ(20元)。淡水線完乗を目論んだが、後日調べてみると、中正紀念堂-古亭間は新店線で、淡水線完乗は新北投へ降り立った25日に達成していた事になる。
中正紀念堂 (台北市中正區)
古亭で地上に出る。傘を差して中正紀念堂まで歩いてみる。ほとんどの建物が新しいが、中には随分年季の入った木造建築もある。戦前からの物か。雨の中、古い木造店舗の前に列が出来ている。麵を食べさせる食堂で、さぞかし旨いのだろう。地図を見ずに見当をつけて歩いていたが、無事に中正紀念堂に到着した。裏門と思しき位置であるが。
友好の桜 (中正紀念堂)
いずれも民國95年11月28日撮影
表へ回るべく公園内を急ぎ歩いていると、友好の桜という石碑に目に留まる。揮毫は海部俊樹元内閣総理大臣。こんなところで水玉ネクタイ宰相の名を目にするとは。桜の木は植樹したばかりのようで若い。 (つづく)