春の酒といえば、すぐ思い出すのが日野草城の「妻も飲むあまくつめたき春の酒」という句である。私の妻は酒を飲まない。にもかかわらずこの句を思い出す。春を伝えるひびきが心地よいからだろう。
この句に詠われた春の酒というのはどんな酒だろう。「あまくつめたき」というところから、お雛様に供える白酒だろうと一般的には思える。白酒というのは、もち米と味醂でつくるドロドロした酒で、確かに甘いがアルコール分など極めて低いのだろう。酒として飲んだ記憶はあまりない。ただ、「あまくつめたき」という言葉が、未だ寒さを残す季節の分かれ目(「あまく」が春の暖かさ、「つめたき」が冬の寒さ)を表現しているようでなんとも心に残る。
今年はとうとうお雛様も飾らなかった。娘が嫁に行ったあとも毎年飾っていたが、年寄り二人では、だんだん雛は似つかわしくなくなったと言うべきだろう。もちろん昔も、人形は飾っていたが白酒はあまり造らなかったようだ。私が毎晩清酒を飲み、いわゆる酒飲みの家風であるので酒はいつも家にあり、わざわざ白酒を造ることもなかったのかもしれない。
しかしこの年になって、逆に、「甘く冷たき」白酒を妻と飲んでみたいなどと思う。
季節の行事が、別の観点から懐かしくなる年域に入ったのかもしれない。