旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

臼杵にいます

2008-03-29 20:51:35 | 

 

 大分県臼杵市にいる。「いる」というより「帰っている」と言うべきだろう。前回書いたように親父の50回忌で親族、近しい友ども集まっている。

 私は昭和10(1935)年臼杵に生まれ、33年大分大学(経済学部)を卒業するまで臼杵で育った。臼杵は戦国時代は大友宗麟が18年にわたって治め、ローマに少年使節団を送るなど先見的な時代を開いた。それを知ってか最初のオランダ船「リーフデ(慈愛)号]
が漂着したのも臼杵であった。
 その乗組員の一人がイギリス人航海士ウィリアム・アダムスで、彼は三浦按針と名乗って長く日本外交のために尽くした。もう一人のオランダ人パイロット、ヤン・ヨーステンは、和田蔵門外の堀端に住み耶揚子と名乗り、その地は「ヤ・
ヨース・・・ヤエス」と呼ばれ現在の八重洲となった。その二人を臼杵湾で救い丁重に取り扱って徳川家康につないだのは、大友宗麟の二代あとの臼杵城主太田一吉であった。私はこれら先人にひそかな誇りを抱いている。
 臼杵はまた、経済人としては山本達雄(第五代日銀総裁)、荘田平五郎(三菱財閥の前身三菱商会の大番頭)、中根貞彦(三和銀行の創立者)などを輩出し、文学の世界でも『早春賦』の吉丸一昌や『迷路』などの野上弥生子を生んだ。
 その人たちの足跡の残る臼杵公園を歩いた。まだ桜は五分咲きであったが…。
 その後の50回忌の状況については、酔っ払ったので、後に機会を見て記すことにする。極めてすばらしい会であったことだけを記しておく。
                              
                                    


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