親父の50回忌から、時ならぬ「貧困論争」になった。それにしても、日本で貧困を問題にする時代はもう来ないのではないかと思っていたが、貧困が日常のテーマとなってきた。どうしてこんなことになったのだろう? 壮大な中流社会を生み出して、真面目に働けばみんなが食っていける社会になったと信じていたのであるが、様相は変わってきた。
貧困率という指標があり、日本は世界で5番目の貧困国になったというデータがある。一国の所得者を最高から最低額者まで並べ、その真ん中を取った「中位数」(一部大金持ちがいるため平均所得よりも低い数値となる)の「半分以下の所得」の層が占める割合を示す数値が貧困率ということだ。2005年2月に0ECD(経済協力開発機構)が発表した報告によると、貧困率の順位は以下の通り。
一位 メキシコ 20.3% 、二位アメリカ 17.1%、
三位 トルコ、 四位アイルランド、
そして、五位がめでたく日本で15.3%という。
10年前は 8.0%であったというから、この間倍近く貧困が増加したことになる。ちょうど「小泉・竹中路線」で新資本主義の競争原理、格差政策が吹き荒れた時期である。
競争をあおることにより成長が促され、富は増加すると宣伝されたが、国民は総じて貧しくなったのである。一部のエリート(竹中平蔵など)は富を得たのであろうが。
貧困層の最たるものは「ワーキングプア」と言われる層だ。働かない奴はまだしも、一生懸命働いて「食っていけない」層があるとすれば、それは少なくとも先進国とはいえない。もっとも太田弘子経済財政担当大臣が「日本は最早経済一流国ではない」と白状したので、日本は今や先進国ではないのであろうが、それにしても、そのような国に導いた竹中平蔵、小泉元総理の責任は問うべきではないか?