昨夜のNHK衛星第一放送「スポーツ大陸」(23時10分より)で朝原宣治が採り上げられた。私は北京オリンピックの総結集を見る思いがして、実にさわやかな感動を受けた。
18歳で同志社大学に入学、以降18年間、「オリンピック100mのファイナリストになること」、「同400mリレーでメダルを取ること」を追い続け、幾度も引退の瀬戸際に立たされながらそれを乗り越え、ついに36歳にしてその夢を実現する。
その姿は、とりもなおさず日本スプリント界の鑑(かがみ)であり、今の水準に引き上げてきたリーダーであり、既に彼を飛び越えてメダルを手にした末続も為末も彼の背中を追い続けての成果であったという。その陰に史子夫人の愛と支援があった話も美しい。
朝原は、「あと50センチまで迫りながら」も、100mファイナリストの夢は実現できなかった。しかし、最も日本人的な(と私には思える)リレーで、その夢を実現する。つまり協同作業で事をなす、という点でリレーは日本人の力を発揮するに最もふさわしい競技と思える。
それを成し遂げた4人の表情には、何人も近寄れないような美しさがあった。同時に私が感動したのは、朝原の二つの言葉であった。
「技術だけでは勝てない。人間としての総合力みたいなも
のを高めないとオリンピックでは勝てない。」
「リレーは、それぞれを最高速度にもって行きながらバト
ンを狂いなく渡す競技。それが完成する確率はきわめて
低い。それがどうしてあの場で出来たのか?・・・、それ
は神に聞いてみるしかない。」
朝原は、当然のことながら高い技術力を磨いてきた、と同時に、われわれの理解をはるかに超える高い「人間としての総合力」を身につけてきたのだ。
それが「朝原18年の到達点」なのであろう。
一点だけ蛇足しておく。
日本のメダルは、アメリカなど有力チームのバトンミスによる幸運によるもの、という指摘がある。しかし、リレーはまさにバトンをつなぐ競技なのだ。そのつなぎ方で勝敗は分かれる。そこでミスッた者が敗れていく。
それを完成させるかどうかは、幸運などという甘いものでないことは、朝原の言葉で十分理解できる。