あの3月11日を迎えようとしている。一年が過ぎて報道されているものは、進まぬがれき処理や仮設住宅の生活、故郷に帰れず避難生活を送る人々の姿ばかりだ。もちろん、苦難を乗り越えて明るく前向きに復興の道を歩き始めた姿もたくさんあるが、全体の動きは「活力を失った日本」を浮き彫りにしているかに見える。
中でも気が重いのが福島原発事故だ。ようやく事故発生当時の記録が明らかにされつつあるが、それを見るほどに危機管理の脆弱さと、それを招いた為政者、東電経営陣の驕(おご)りの姿が浮き彫りになる。事故直後、かなり献身的な活動とその報告が逐次上げられていたようであるが、上層部による黙殺や驕慢な判断により報告が生かされなかった姿が浮かぶ。国も企業も、原子力という未知の分野を多く内包する物体を使用する資格を全く持っていなかったのではないか?
そもそも福島原発事故は冷却装置への送電能力を失ったことによるようだ。「電気屋のくせに電気を失って事故を起こした」なんて笑い話の水準だ。
田坂広志著『官邸から見た原発事故の真実』を読むと、人類は原子力を使う能力なんてとても持っていなかったということを思い知らされる。たとえば使用済み燃料プールの容量にしても、「2010年の段階で、全国の原発のプールの貯蔵率は70%弱で、貯蔵は限界に近づいている」(同著)という。そのため作った青森県六ケ所村の再処理工場もうまくいかない。それがうまくいって再処理ができたとしても、その先に発生する「高レベル放射性物質の最終処分」という問題がある。
その処理は、30~50年長期貯蔵して、最終的には地中深く埋めて処分するしかないという。今度の事故で、そのような長期貯蔵を引き受ける場所などいよいよなくなってくるだろうし、地中に埋める場所なんてどこにあるのだろう。福島原発は廃炉にするが、まさにその「高レベル放射性物質」そのもので、健全な原子炉でも廃炉に30年かかるというのに、前例のない事故の福島原発は廃炉に何年かかるか想像もつかないという。
何とも絶望的な話である。