旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

行く春ややぶれかぶれの迎酒  子規

2012-03-29 20:03:21 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 気が付けば3月も終わる。4月は俳句の世界では暮春である。今年は寒い冬が長く続いたので、春の実感がまだない。しかし、もう暮春を迎える。そういえば昨日から急に温度が上がり、明日は4月下旬の気温とか報じられているので、一足飛びに暮春が来たのかもしれない。

 4月は桜花咲きにおう季節、続く5月は陽光きらめいて明るく、歓びと希望に満ち満ちた時節のようだが、反面、暗く重たい季節でもある。学校は新入生を迎え会社は新入社員を迎えるが、同時に卒業や転勤など別れの季節でもある。3月はいわゆる期末で、4月以降その整理に追われる。この不景気ではいずこも好決算は望めずやりくりに苦心惨憺、やれ決算処理ややれ来期事業計画やとサラリーマンにとっても決していい季節ではない。やぶれかぶれとまではいかなくとも、酒でも飲まなければやってられない季節かもしれない。
 そのようなことを考えていたら、掲題の子規の句を思い出した。私がこの句に触れたのは、2006年4月に松山の子規記念博物館を訪ねた時だ。驚いたことにこの句が、広壮な記念館の正面に大垂れ幕で掲げられていたのである。この大垂れ幕は月毎に取り換えられその月の句が書かれるようで、この句は4月の句として掲げられていたのである。
 私は従来から4月をむしろいい季節と思っていたので、「やぶれかぶれ」という言葉にいささか驚いたが、よく考えれば前述のとおりそれほどいい季節ではないのかもしれない。子規も「迎酒をするほどやけになっていたかどうか定かでないが、春は転勤など別れの季節で、こうした季節に抱きうる気持ちを、春の終わりを惜しむ気持ちに重ねて詠んだのかもしれない」というのが、記念館解説員の説明であった。
 花見の宴は一見華やかであるが、その陰には遠き別れや予期せぬ決別を強いられた悲しみが、惜春の情と重なり合って渦巻いているのかもしれない

   


投票ボタン

blogram投票ボタン