旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

大震災から一年③…希望の光を求めて

2012-03-12 11:05:11 | 時局雑感

 

 原発事故の処理、膨大ながれき処理(福島県内の除染に伴う廃棄物だけでも東京ドーム23杯分!)、また日々放映される仮設住宅の生活状況などを見ると絶望的な気持ちに襲われる。しかし、その中にもたくましく生きる、希望に満ちた姿も数多くある。
 中でも、この震災を機に子供たちの向学心が向上したという例がいくつも報告されている。女川町では、仮設住宅で勉強部屋のない児童の勉強意欲を充足するため、放課後も別の学校を開いているという。子供って何て素晴らしいのだろう。この苦難の中で、だれに教わることなく「自ら勉強して将来役立つ人になろう」という意欲に芽生えているのである。この子たちがいる限り「未来は明るい!」と思った。
 復興には10年を要する、という被災地の方々には申し訳ない数字も並ぶ。国の対応にしても、がれき処理を引き受ける他県が少ない現状にもイライラが募るが、しかし、被災地の人には申し訳ないが、ここは「長期間かけても高度な質の高い復興」を目指すべきかもしれない。それが10年であろうが20年であろうが、むしろそこにこそ夢と希望を託して「国を挙げた密度の濃い復興」を追い求めるべきかもしれない。震災一年を期して全国民が誓うべきは、「その意識を被災地の人々と共有する」ということではないか。

 震災を機に多くの外国人は日本を離れた。反面、これを機に日本に帰化したドナルド・キーン氏のような方もいる。氏は昨日の日経新聞「3.11と私」欄で次のように語っている。
 「私は戦後の東京を見たとき、この街がこれから良くなっていくとはとても思えなかったが、今では戦前の何倍もの巨大な都市になっている。これから10年後、東京がよみがえったように東北が発展している可能性はあるだろう」

 実はフランスの友セルジュ君が来月、幼い子供3人を引き連れ家族5人で来日する。その訪問予定先に恒例の浅草や鎌倉流鏑馬などとともに茨城県笠間の笠間焼窯も入っている。彼は豊かな経験を持つ科学的な男であるが、福島に隣接する茨城を躊躇することなく選んでいる。日本文化に対する評価と愛着は、決して捨てられることはない。


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