昨日からテレビは御嶽山の噴火の惨状を報じ続けている。紅葉が絶好の季節、しかも登山者の多い正午に突如起こった噴火は、想像以上の人々を巻き込みテレビ画面を通じても恐怖を誘う。
実は私は、昨年5月、二泊三日で木曽路を下った。木曽福島出身のH氏の案内で、手作りの内容豊かな旅であった。思い返せばその旅は、御嶽山を見る旅ででもあった。H氏はあらゆる角度からこの山を紹介し、それが木曽の人々にとっていかに「心のふるさと」、「父なる山」であるか、また「心の安らぎと勇気を与えてくれる山」であるかを語った。
私たちは毎日、朝も夕も御嶽山を眺めた。そして木曽の人々とこの山の深い結びつぎに思いをはせた。まだ残雪をいただく御嶽山の美しい姿は今も瞼に残っている。
あの美しい山が、何に怒ってこのような惨事を引き起こしたのだろうかと心が痛む。今年も異常気象が続き、土砂災害などこれまた想像を超える惨事が起こっている。人類は、何か大きな過ちを咎められているのではないか? かくいう私も、あの風光明媚と美食に浸った「豊かな木曽路」を味わって一年数か月後の事だけに胸が痛む。
思い起こせば、2010年秋に「三陸の旅」に出かけた。久慈に始まり北山崎、浄土ヶ浜、碁石海岸、気仙沼などその美しさに酔い、また三食とも豊かな海の幸を味わい美味しい酒を飲んだ。その半年後、その地を大震災と津波が襲いすべてを壊滅させた。
あの時の思いが再び過る。何か悪いことをしたような後ろめたい思いが…。
噴火の片鱗も見せなかった美しい御嶽山(2013年5月10日撮影)