誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 見つけた
めかくし鬼さん 手のなる方へ
すましたお耳に かすかにしみた
呼んでる口笛 もずの声
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
こんな不思議な歌はない、といつも思う。今頃の季節になると必ず思い出して、正確な意味を探ろうとするが、いつもよく分からないまま過ごす。
第一に、小さい秋とはどんな秋だろう。別に大きい秋があってそれと比べて言っているのだろうかと思ったりするが、そんなことではないらしい。今頃の季節になると思いだす、と書いたように私には「小さい秋」は初秋に思える。初めて秋が来たんだなあと実感する最初の瞬間のような気がする。しかし、三番の歌詞に「はぜの葉赤くて入日色」とあるので、晩秋なのかとも思う。
私が思うように初秋とか晩秋とか時節によるものではなく、小さい秋というのは作者サトウハチロー特有の感性がとらえた秋なのだろう。
もう一つ「誰かさん」とは誰だろう、といつも思う。作者自身ではないかという説もあるが、普通にとらえれば誰かさんなんだから本人ではないのではないかと聞こえる。自分では定かにとらえきれなかった「何か特別な秋」を誰かさんが見つけてくれた…、という感じもある。そしてその感じが「小さい」という言葉と響きあう。
いずれにせよ「小さい秋」という言葉は日本的ではないか? 外国にこのような表現があるだろうか? 日本人特有の季節感がそこにはにじんでいる。サトウハチローは子供のころは不良少年で、警察や感化院などにお世話になりっぱなしであったといわれている。そのような様々な体験を通して培った常人にない感性がとらえた感覚であろう。
それに中田喜直が、何とも切ないさびしげな曲をつけた。サトウハチローは中田喜直を心から信頼し、自分の詩のほとんどを中田に作曲させたといわれており、二人だけに通い合う絶妙な詩情がこの名曲を作り上げたのだろう。
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