前記したように、チューリップはもともとトルコの原野に野生していた花であった。われわれを案内してくれた日置さん(この人は記憶に残る名ガイドであった!)によれば、最初にトルコからチューリップの球根をヨーロッパに持ち帰ったのはオーストリアの王様であった。しかしこれがなかなか育たないので、王様はオランダのライデン大学植物科に育成を依頼した。それでもなかなか育たず、一輪でも咲けばそれは大変高く売れた。そのため農家は、こぞってチューリップつくりに励み、その球根は飛ぶように売れた。それがやがてバブル経済に発展するまでになったのである。
新潮社の『世界の歴史と文化 オランダ・ベルギー』は、その実態を次のように書いている。
「異常な球根の投機熱がオランダ中を襲ったのは、1630年中ごろである。一つの球根が家屋敷や広大な土地、宝石や何十頭の牛馬と交換されるという事態は、日常茶飯事だった。しかし、貴族、商人、市民すべてを巻き込んださしもの狂騒も、1638年の価格の大暴落で幕を閉じることになる。かつては一夜にして億万長者となった人たちが、今度は一夜にして家、財産をすべて失い、自殺したり、借金とりを恐れて夜逃げしたりという悲喜劇が繰り広げられたという」(同書287頁)
まったくつい最近日本が経験してきた事態と同じである。取引を有利に導くためには饗応は常識であり、こじれれば刃傷沙汰も辞さない、というような状況であったらしいので、この点も今の日本と同じだ。
日本の歴史の中で、このバブル期ほど悪が露呈したことはなかった。しかも政、官、財のトップ層で、想像を絶する悪が日常化していたことは驚きであった。
人類はいつまでこのようなことを繰り返すのだろうか?
そんなことを考えながら、キューケンコフ公園を歩いたのを思い出す。
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