旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

ワシントン

2007-06-08 23:15:54 | 

 

  シカゴからワシントンに着くと、そこはガイドブイックにあるとおりの「白亜の建物としたたる緑」の町であった。。
 したたる緑は、ザ・モールと呼ばれる公共地――国会議事堂から西に向かってポトマック川まで2.4キロの緑地――に象徴され、その周辺に白亜の建物が配置され、それぞれにアメリカ民主主義を築き上げた巨人たちが奉られていた。
 すなわち、ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、アブラハム・リンカーン、ジョン・F・ケネディなどなど・・・。
 先ずは、ワシントンに行った以上はその名に敬意を表してジョージ・ワシントンについて・・・、

 ワシントン・モニュメント
 アメリカ独立の英雄を称える塔。モールの中心に位置し首都を一望する。1888年完成、高さ169.3メートル、重量82.405mトン。毎年7月4日の独立記念日に、ワシントンっ子は、この塔の下の芝生でピクニックをはる。
 この塔を中心に、東に国会議事堂、北にホワイトハウス、西にリンカーン・メモリアル、南にジェファーソン・メモリアルが」配置され、いずれも白亜の大殿堂で、かつ全てこの塔に向いている。
 もっと素晴らしいことは、二つのメモリアル館のなかにいる巨人が、一方は立ち(ジェファーソン)、一方は座しているが(リンカーン)、いずれもその眼は、館正面の円柱を通してこの塔に注がれていることであった。
 私はそこに、国家への求心力、連邦への希求を感じたのであった。
                             


奴隷貿易とアメリカ民主主義

2007-06-06 22:01:58 | 

 

 五月の中旬よりアメリカの旅を回想し、最南端のニューオルリーンズにたどり着いて、かなりもたもたした。いや、この街は何年間ももたもたしたい不思議な魅力を持つ町だ。
 当然のこととしてラム酒に行き着き、その裏面史である奴隷貿易についてまで書くことになった。奴隷制度--この人間史上最大の恥辱に一応の終止符を打つには、人類はリンカーンの登場を待たねばならなかった。
 アメリカには、奴隷の血で血塗られた富の蓄積という「汚辱の歴史」とともに、世界に最も先駆けた「自由と民主主義」を確立してきた歴史が共存する。二度目のアメリカ訪問(1989年)で私は、シカゴからワシントンを訪れ、かのリンカーンをはじめ、自由と民主主義のために戦った巨人たちの実績に触れた。そこで得た実感も素直に書き残しておく必要があろう。

 ニューオルリーンズについては、トムソーヤーに思いをはせたミシシッピー・クルージングナッチェス号の思い出や、緑の街中を走る欲望と言う名の電車など、まだ書きたいことは山ほどある。特に欲望と言う名の電車は、わが青春のシンボルヴィヴィアン・リ-を想起させ、彼女の出た数限りない映画・・・とくに『哀愁』など、想いの連鎖は絶ちがたい。
 しかしセンチメンタリズムには一先ず区切りを付けて、話をワシントン--アメリカ民主主義の源流、に移す。
                             


ラム酒にまつわる悲しい話ーー三角貿易(奴隷貿易)

2007-06-03 12:37:00 | 

 

 ラムは明るいニューオルリーンズの雰囲気に合う、と書いた。しかし明るく華やかなものには、必ず暗い話がつきまとうのも世の常である。大英帝国が植民地政策の中で巨万の富を築いた奴隷貿易にも、このラムが介在する。

 イギリスはスコッチウィスキーを生み出し蒸留技術には卓抜したものを持っていた。また、ヨーロッパ国民は砂糖を望んでおり、これの輸入だけでも儲かった。イギリスは砂糖とともにその搾りかすの糖蜜などを運んでいくらでも良いラムを造ることができた。
 彼らはそのラムを船に満載し西アフリカに運び、その売却代金で奴隷を買い込み、ラムを売って空になった船に奴隷を積み込み西インド諸島に運ぶ。そのサトーキビプランテーションに奴隷を売却し、その代金で砂糖を買って、空になった船に満載し本国へ運ぶ。その砂糖の売却代金で再びラムを買って西アフリカに向かうという繰り返し・・・。
 後にアメリカ資本も、「アフリカの黒人を砂糖きび畑の労働者(奴隷)として西インド諸島に運び、空になった船には糖蜜を積んでアメリカのニューイングランドに運ぶ。ここにはラムの工場が多数あって、原料の糖蜜を降ろしたら、これに今度はラムを積みアフリカに戻る。そこでこのラムは黒人を買う代金にあてられ・・・」(小泉武夫「酒の話」75頁)を繰り返して富を挙げた。
 これが歴史に名高い三角貿易(奴隷貿易)である。
 いずれにせよ、西アフリカからサトウキビプランテーションに運ばれた奴隷たちは、自らの仲間や子孫が奴隷として買われる元手となるサトウキビを、死ぬまで作り続けたのである。

 私は、明るく陽気なニューオルリーンズの街でラムを飲み歩きながら、この暗い歴史にも思いをいたさずにはおれなかった。
                            


ラム酒について

2007-06-02 18:15:22 | 

 

 ハリケーンというカクテルは、バーボンなどのスピリッツをベースにミントやレモンを入れて作られたものの総称のようであるが、ニューオルリーンズのハリケーンは、ベースはラムである。
 ラム・・・、これこそカリブ海やメキシコ湾を想起させ、ニューオルリーンズの明るい雰囲気にピッタリだ。なにせ「砂糖の搾りかすの糖蜜やサトウキビの搾り汁」を原料とする酒だから・・・。

 成美堂出版の「おいしい洋酒の事典」によると、ラムは
ヘビー・ラム――上記の原料を酸醗酵により自然発酵させ、単式蒸留器で蒸留し、バーボンなどと同じく内側を焦がしたオーク樽で3年以上熟成する。
ライト・ラム――原料を純粋培養酵母で短期醗酵し、連続蒸留器で95度未満まで蒸留、加水後、焦がしてない樽で熟成、濾過する。活性炭処理をしたものがホワイト・ラム
ミディアム・ラム――醗酵は自然発酵によるが、ヘビーとライトを混ぜたり、カラメルで着色したりしたもの。
 の三種類に大別される。

 つまり私は、日本の焼酎で言えば、ヘビー・ラムが乙類焼酎(本格焼酎)で、ライト・ラムは甲類焼酎(工業食品)と思っている。

 ニューオルリーンズ最後の晩、とあるレストランでフィレ・ステーキなどを食べながらハリケーンを注文し、運んできたウェイターに「このハリケーンには何種類のスピリッツが入っているのか?」と、たどたどしい英語で訊ねた。すると、かのウェイターは胸を張って、
 「Three kinds of spirits
、three rums・・・(三種類のラムが入っている)」
と答え、よくぞ聞いてくれたとばかりに、自店のハリケーンについて自慢を始めた。私の英語力では、その全てを理解することは到底できなかったが、とにかく、それぞれの店が独特の調合をしておらがハリケーンをつくっていること、また、この地の人たちがラムに限りない誇りを持っていることが聞き取れた。

 酒はやはりその地のものである。
                            
                                        


ガンボ・スープ、ポーボーイ、ハリケーン・・・

2007-06-01 12:00:47 | 

 

 ニューオルリーンズはアメリカ南部料理の宝庫といわれる。スペイン系とフランス系移民が生み出したクレオール料理、カナダから来たフランス系の人が作ったケイジャン料理、黒人たちが生み出したソウル・フードなどなど・・・。
 私もこれらをレストランなどで能書きを聞きながら食べたが、印象に残っているのは、酒場や屋台で食べたガンボ・スープとポー・ボーイ・・・そして、左手にはいつもハリケーンがあった。

 ガンボ・スープ(Gumbo)は、日本で言えば《ごった煮汁》というようなもので、魚介やチキン、玉ねぎなどの野菜を香辛料で煮込んだ濃厚なスープ。庶民が何でもあるものを入れて作ったのであろうと思っていた。ところが、最近「カメルーン料理教室スコラチカ」というホームページを見ていたら、「・・・フランス系移民のブイヤベース、スペイン系移民のスパイス、アフリカ系移民のオクラ、インディアンがサッサラスの木の葉、お米の産地であるルイジアナのお米が混じりガンボスープができた」とあるので、大変な料理であると驚いた。私が、酒場や、道端の屋台で食べたものはもっと素朴なものに感じたが。
 ポー・ボーイ(Po‐Boy)は、フルネームをポーボーイ・サンドウィッチというように、フランスパンを裂いてその間にカキやカニなど魚介類やローストビーフなどを挟んだもの。PoはPoorの略で、文字通り貧しい少年が腹を満たすために、それこそ側にあるものを何でもパンにはさんで食べたのであろう。
 私は、ミシシッピー河岸の屋台でポー・ボーイと紙コップに入ったハリケーンを買い、それをちびちび飲りながら肖像画を描いてもらった。20年前の思い出の肖像画は今も私の書斎に掲げられて、その時の不思議な味を想起させる。ポー・ボーイはけっこう重厚で、決して貧しい感じはなかったし、ハリケーンはラム酒の甘さが心地よく効いた。
 次回はそのハリケーンとラム酒について。
                            


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