旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

猫の老々介護

2009-06-09 21:07:53 | 時局雑感

 隣家の猫の死を報じた。ところが、我が家にも老齢な猫がいるのだ。
 ムゼッタという、名前だけからすれば贅沢すぎる名前の猫だ。(ご承知のとおり、オペラ「ボエーム」の主役の一人であるムゼッタを名づけられた猫である) しかしこの猫は「身体障害猫」である。生まれて間もなく交通事故に遭い(もちろん人間の起こした事故)、左足の第二関節以下が不自由で、ただ引きずって歩くだけだ。
 動物病院に運ばれたその猫は、やがて処分されることになっていたが、それを見るに忍びず、そこにアルバイトとして勤めていた娘が引き取ってきたのだ。今から17年前(1992年)のことと記憶している。

 猫は一年で20歳となり、その後一年ごとに4歳年取ると聞いている。とすればムゼッタは84歳になるのではないか? 最近はヨボヨボ歩いて、見るからに心細い。
 そのムゼッタに、これも年老いた(68歳か?)我がワイフが三度三度の餌をやり、身の回りの世話をする
。断っておくが、ワイフは年老いたとはいえ未だ美しく、カルメン、ヴィオレッタとまでは行かなくとも、ムゼッタの相手としては引けを取らない。
 ただ、双方とも老齢であることは確かである。
 84歳の猫を介護する68歳の老人間・・・日本の世相の一端を示すこの「老々看護」は何時まで続くのであろうか?
                   


猫の通夜

2009-06-07 15:51:06 | 時局雑感

 わが家と庭続きに義姉家族が住んでいる。ワイフの姉夫婦である。うちの子供たちはその夫婦にかわいがられて育った。ところが義兄は10年前、義姉は2年前に亡くなり、今はその息子(つまり甥)が、両親の形見のような猫と一緒に住んでいる。トラという猫だ。
 そのトラが昨夜死んだ。一番そのトラを可愛いがっていた私の長女は、知らせを聞いて悲しみに打ちひしがれたようで
、出演していたオペラ(コーラス隊)が終わるや否や駆けつけ、ついに昨夜は我が家に泊まり「猫の通夜」となった。

 人間なら80か90歳くらいの猫らしいので、正に天寿を全うしたのであろうが、それだけに家族の一員となっていた。甥はとうとう一人暮らしになってしまった。
 両親が亡くなり、その形見のような猫も逝った。何か一世代が去ったような感情が、「猫の通夜」の席を流れた。
                    
                   


ムハマド・ユヌス氏と「グラミン銀行」、「ソシアル・ビジネス」

2009-06-06 21:15:00 | 政治経済

 11日のNHK「未来への提言」で、バングラデシュのノーベル平和賞受賞者ムハマド・ユヌス氏の業績が報じられた。その一つ「グラミン銀行」については、元銀行員として一度詳しく知りたいと思っていたので、強い関心を持って番組を見た。

 アメリカに留学して経済学を学んだユヌス氏は、バングラデシュの独立を機に帰国する。しかしそこには「一日の生活費平均2ドル(200円)」という貧困層が生きていた。彼らは足りない生活費を高利貸に借りるが、農作業や民芸品作りなどで生み出す価値は高利に奪われ、いくら働いても何も残らない。
 ユヌス氏は、当初ポケットマネーで彼らに「一人27ドル」を貸す。もちろん無担保。彼らはその資金で物つくりに励み、高利を奪われることなく貧困から抜け出していった。しかし最貧困層に無担保で貸して何故回収できたのか? その秘密は5人を一組にして互いに連帯保証とし、相互の励ましを基盤としたこと。結果は98%の返済率を維持しているという。今や世界から資金を集め「グラミン銀行」として多くの貧困を救っている。

 もう一つ、そうして集めた資金で国民の生活を支えるさまざまな事業を興した。ただ、資金提供者には配当は無いことを条件にし、儲けは全て次の事業にまわし貧困層の救済に当てた。事業の採算は厳しくチェックし利益を追求したが、利益を個人のものとしないで貧困救済の次の事業に回す。ユヌス氏はそれを「ソシアル・ビジネス」と呼ぶ。
 一般企業の社長の年次報告は「いくら儲かったか」であるが、ソシアル・ビジネスの社長は「何人の貧困者を救ったか」を報告、来期計画は「何人救うか」を目標にする、

 ユヌス氏は、「人間は多様だ。自分の儲けだけを追及する人もいるが、“社会のために役立ちたい、そのために資金を出したい”という人も多くいる。そこに依拠すればこの事業は必ず成功し返済も確実に行い、やがて世界から貧困はなくなる」と断言した。
 また、人類は高い技術水準に達している。それを社会が最も必要とする事業に向け、且つその儲けを一部のものが独り占めすることなく次の事業に投じていく(これを氏は“新しい資本主義”と呼んだ)ならば、貧困を救うソシアル・ビジネスは必ず成功する、と強調した。

 最後に「近い将来、貧困は博物館だけで見ることが出来る社会が来るだろう」と結んだ。
  この高邁な思想が、単なる理論や提言でなく現実に行われれていることに、心の震える思いがした。
                   

 


24節気の酒 ・・・ 芒種

2009-06-05 10:49:04 | 

 今日は芒種。稲や麦のように穂先に芒(のぎ)のある穀物の種を蒔く時節で、今日6月5日または、今日から次の24節気である夏至までの期間を言う。
 つまり種蒔く時のことだ。もっといえば田植えの時節だ。先月長崎を旅したが、佐賀平野は黄金に実った一面の麦畑であった。生まれ育った九州では、冬に麦を植え夏に米を植える輪作であったが、5月に冬に植えた麦を刈り、6月が秋の実りに向けた田植えであった。

 酒造界にも種蒔く人は多くいる。造る人(蔵元)、運ぶ人(酒販店)、飲ませる人(料飲店)また飲む人(消費者)の各分野に、ひたすら日本酒の発展を願って「種を蒔き続けている人」を多く知っている。
 その中で、近時、この時期になると思い浮かべるのが中野繁氏だ。氏は酒に関するイベントや出版を業とするフルネット社を主宰、10年前から純米酒普及推進委員会の中心として、年3回の純米酒フェスティバルを大成功に導いてきている。私もその委員の末席を穢させてもらっているが、その運営はほとんど氏の手による。

 もう一つ氏の功績は、各地の小さい蔵を親身になって育てていることである。氏は自らを日本酒プロデューサーと名乗るように、小蔵の酒を掘り起こし新たな命名をして、新たな視点で売り出している。その第1号が「飛露喜」である。平成9年のことであるが、10年を経て今や全国銘柄ともいえる有名酒となった。その後、「天明」、「富美川」、弥久」、「山吹極」、「星自慢」、「加茂金秀」など次々とヒットさせた。いくつか未販売のものもあるが、11番目の命名「一白水成」(秋田、福禄寿)も人気上昇中で、蔵も発奮して命名(平成18年)3年後の今年は全国新酒鑑評会で金賞を取る蔵に成長。

 そして12番目の命名が「仙鳴卿」(神奈川、井上酒造箱根山)。中野さんに「是非ぬる燗で飲んでくれ」と戴いた。昨夜愛用のお燗器(写真)で飲んだが、米の味と甘みが豊かに膨らみ、飲むというより食べる酒というにふさわしく、私の好きな酒であった。
 種蒔く人の「種が実った酒」というべきであろう。
                    

 


ディミトリー・ホロストフスキー

2009-06-03 17:05:18 | 文化(音楽、絵画、映画)

 昨夜、サントリー・ホールで、今や世界一のバリトン歌手であろうホロストフスキーを聴いた。この、声や風貌は頭にこびりついているが名前の覚えにくい歌手については、わが家で度々話題になっていた。そしてその都度、ニューヨーク・メトロポリタンのガラコンサートのビデオをかけて、同じ場面の歌(「ドン・カルロ」のロドリーゴ役)を聞いてきたので、「声と風貌が頭にこびりついて」いたのである。
 その憧れの声を昨夜聞くことができた。「これだけは何としても・・・」とワイフが、2階の9列目の席を3枚購入(一枚1万2千円)、娘と3人で出かけた次第。声楽をやる娘によれば、「この席は“良い声”なら一番良く聞こえる席」ということだ。
 正確には『スミ・ジョー&ディミトリー・ホロストフスキー』というジョイントコンサートであるが、われわれのお目当ては全てホロストフスキー! 特に娘とワイフがスミ・ジョーをあまり好きでないようで、会場にもなんとなくホロストフスキーに拍手が傾く空気があって、スミ・ジョーには気の毒なコンサートであった。しかし相手が相手だけに彼女も覚悟していたであろう。
 彼女も、線の細さは否めないが、高い細い声は素晴らしくきれいであった。しかし、一曲でも多くホロストフスキーを聴きたいという願望と、最大の不満であったドン・カルロがプログラムに無かったことが、彼の単独コンサートなら組まれたのではないか、という勝手な憶測まで加わって、スミ・ジョーの美しい声は不当に評価されたのではないかと思った。

 それにしてもこの大バリトン歌手の歌唱力は素晴らしい。野太い、鋼鉄のような鋭い声はロシア人にしかないものではないか? 単に声だけではなく、そこに醸し出される芸術性も、これはロシアが長年にわたって築き上げてきた独特の文化の上に立っているのであろう。それぞれの国に、それぞれの声も芸も生まれるのであろう。
 その点、韓国人スミ・ジョーの声は東洋的繊細さを持っていると思った。両者を際立たせた点にも狙いがあったとすれば、このジョイントは成功したのであろう。私のような素人には分からない、はるかに高い水準で計画されたものであったのかもしれない。
                             


ライン川下りの名所「ローレライ渓谷」に橋・・・?

2009-06-01 13:57:44 | 

 516日付日経新聞夕刊に、次の記事が載っていた。
「ローレライ伝説で知られるドイツ西部のライン渓谷に橋を建設する計画が浮上し、一帯がユネスコの世界遺産登録を抹消されるのではないかと懸念されている」
 これにはいささかがっかりした。というのは、一昨年ドイツを訪問してライン下りをやり、その景観もさることながら、ラインという大河の観光メイン部分に、橋が架けられていないことに感動すら覚えたからである。

 ライン下りのメインは「ロマンティック・ライン」と呼ばれる“マインツ――コブレンツ”間である。ライン川とマイン川の合流点マインツと、モーゼル川の合流点コブレンツはいずれも大都市で、ここには当然橋が架けられている。しかし両市の間を流れる約90kmに及ぶライン川には、どこにも橋は架けられてない。川幅は狭いところでも100m、広い川幅は300mを越すが、一本の橋もない。それは景観を守るためと聞いて、さすがドイツ、と感動していたのである。
 私は、ライン川にせり出した“ローレライの岸壁”を仰ぎながら、頭上に橋の架かった情景は想像もしなかった。それは、何千年前からこの様であったであろう、と思わせる情景であった。もし橋が架かれば、別のローレライを見ることになるのであろう。

  ただ、両岸に住む人たちの経済的要求からするならば、橋を望む声は大きいであろう。このロマンティック・ラインと呼ばれる90km間でも、ライン川の両岸に鉄道が走っており次々と町が並ぶ。しかもその後背には大きな経済圏を控えているのだから、それらの経済人たちは橋を期待しつづけているだろう。前掲新聞記事も、「橋による経済活性化がその背景にある」と記している。

  経済的発展をとるか、世界遺産としての大自然をそのまま残すか・・・ドイツ人はそのいずれを選ぶのだろうか?
 私などは、「これまで橋をかけることなく、ドイツは戦後の世界をリードする経済発展を遂げたのだから、今更これ以上の経済を求めなくてもいいではないか」と言いたいのだが、「よそ者に何がわかる」と一喝されれば、それ以上は黙るしかないのであろうか。
                                                 


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