オーストラリアの植民地化に乗り出したのは、コロンブスでもオランダでもなく英国王室であった。ご存知キャプテン・クックの物語である。彼は1770年4月29日、シドニー郊外に上陸し、さらに北上して、オーストラリア東岸部の「英王室領有権」を宣言したとされている。
考えてみればひどい話である。勝手に人の国に上り込み、ユニオンジャックを押し立てて自分の土地だと宣言し、しかも数万年前から住みついていた先住民アボリジニ族に不法占拠者のレッテルを張ったというのだ。そしてこの植民地に最初に英本土から送り込んだのは、囚人780人と海兵隊と家族1200人であった(1788年1月)。つまりオーストラリアは、イギリスの囚人の国としてスタートしたのだ。もちろん、私は囚人を悪い人間などとは言わない。政治犯など、囚人の中にはむしろ立派な人間も数多い。
まあしかし、英国本土にとっては都合の悪い人間を遠くオーストラリアに流したのであろう。ところが、それから200年余で、オーストラリアは「世界一住みやすい国」に成長したのだ。英国『エコノミスト』誌によれば、「世界一住みやすい都市ベスト10」に、2位メルボルン、7位シドニー、8位パース、9位アデレードとオーストラリアから4都市も選ばれている。メルボルンはこれまで2回も1位になったというのだから、オーストラリアを、“世界一住みやすい国”と言っても文句は出ないだろう。
そういえば、昼夜を問わず街を歩いて不安を感じることはなかった。行きかう人々は肩の力が抜けていた。けばけばしくはないが垢抜けしていた。そして郊外に出ると、どこまでも広い平原があり、土地はいくらでもある、と言っているかに見えた。空は高く、純白の雲が浮かび、果てしない平原に牛や羊がゆったりと群れていた。
やはり彼らは、イギリスという最先端の国から、その良いところだけを持って来て、この広大な地に最上の国を築いてきたのだ。
シドニー湾に突き出たオペラハウス
メルボルン 大聖堂
メルボルン フリンダースストリート駅