世はデジタル化、Web化の波に覆われ、特に今年は iPad、iPhoneの波に洗われた年であった。生みの親たるスティーブ・ジョブズが死んでいっそう広まったのではないか? まさに「死して皮を残した」感さえある。私ですら、最近視力を失いつつあるので、指先一本で読む字体を拡大できる魅力から購入を考えているほどだ。
わが社も、年末の大掃除を兼ねて部屋の模様替えを断行した。つまり、すべてデジタル化に対応してペーパーレスに取り組み、いわば「机の上はコンピューターのみ」という仕組みだ。それどころか、事務室に3個掛かっていた文字盤時計も一個にし、カレンダーなどは掛けないこととなりそうだ。つまり、各人CPやiPad、携帯などでスケジュール管理もできるので、時計やカレンダーなど要らないという想定のようだ。確かにそうかもしれない。これで十分やってはいけるだろう。
反面、かつてのアナログ世界の良さはすべて失われることになる。
アナログ世界の良さ、とは何か? それは文字盤時計や、様々な紙ベースのカレンダーの中にある。あの丸い文字盤時計には、一日の半分である12時間の動きがある。長針と短針が時間と分を刻んでいく。そこには何とも言えない「時の移ろい」がある。月々のカレンダーには「ひと月の広がり」がある。曜日や祭日、行事の移ろいが見て取れる。年間カレンダーでは一年を全貌できる。それこそ四季の移ろいが一目でわかり、それぞれに夢を誘う。
時の移ろいを示す最高の器具が柱時計だ。文字盤を二つの針が「チクタク、チクタク…」と音を立てて進む。音を聞いているだけで時の動きを感じる。その時が来ると「ボーン、ボーン…」と時を告げる。「ああ、もう何時か…、急がなきゃあ…」なんて生活のリズムを調整する。つまり、三次元世界に時間軸が加わった四次元世界とも思われ、これがアナログ世界の良さ、と私は思っている。
もう一つのすぐれもの“日めくりカレンダー”とともに、あの“大きなのっぽの古時計”が姿を消して既に久しい。(我が家にはまだあるが) そして今、文字盤時計や月々や年間を示すカレンダーも失われようとしている。私の愛する四次元世界は失われようとしている。しかしこうして社会は進歩していくのであろう。アナログ人間にとってはさびしいことだが、その中でまた、豊かな人間性を育む“新たな何か”を見つけ出していくのであろう。