不思議な縁で古く長き付き合いを重ねたM君が亡くなった。享年52歳。私たち夫婦が媒酌人を務めたので、友というより後輩とでもいうのかもしれない。実はM君のお父さんが銀行の先輩で、これこそ長きお付き合いで、こちらには私たちの媒酌の労をお願いした仲だ。そのご恩返しにご長男M君の媒酌人を務めたような関係だ。だから「古く長い」のだ。
M君は9年前に、病名は忘れたが肺や横隔膜周辺を犯すガンに侵された。特殊なガンで進行が緩慢なため、何とかこれを克服すべく仕事をつづけながら病と闘った。2年後ぐらいに勤務会社(大手電機メーカー)の欧州会社社長の任命を受け彼は悩んだ。しかし医者の「5年はもつことを保証する」という言葉を受けて、彼は家族(夫人と子供二人)を引き連れてドイツに渡った。以降、月に一度は報告のために日本に帰ることも含めた激務をつづけながら闘病生活を送った。
このガンは確かに進行は遅かったが、しかし確実に進行した。5年の社長任期を終えて3年前に帰国した時には、あらゆる新薬を使い果たしていた。しかし彼は、二人の子供を立派な国際人に育て上げた。長男を本人の希望する国立海洋大学に今年入学させ、高3の二男は英会話部の活躍で海外派遣の栄誉を国から受けた。その矢先、「緩慢だが確実に進行した」ガンは、9年間の闘病生活から52歳の命を奪った。
通夜と告別式で、二人のご子息がそれぞれ父を語った。いずれも共通したことは「思うことを断固やりぬく姿勢を父に学んだ」ということであった。技術者の彼は、技術を身に着ける尊さと困難さを、子供に自ら示し語り続けたようだ。
そういえば思い起こすことがある。まだ彼が元気であった頃、彼に求められて「酒が出来るまでの工程」を語ったところ、彼は米の精米のために研磨機を自ら作り、酒造好適米の山田錦を購入して、精米から始めてどぶろくまでを造り上げた。精米してもらった米や麹を買ってきて酒をつった人間はたくさん知っているが、精米のための研磨機から作った人間は見たことがなく、とても常人とは思えなかった、。
しかし、彼の生き様は、二人のご子息の中に確実に生きている。