この暮れも押し迫ったときに広島に行って来た。1977年暮れから6年近く過ごした広島を離れ、既に30年近くになる。私はその後1、2度行ったので、最後の訪問から は20年ぶりくらいであるが、ワイフは1981年に広島を離れたので正に“30年ぶりの広島”となった。
実に楽しい旅であった。ワイフの「30年来の友」に囲まれ毎夜宴を張り、寸暇を惜しんで懐かしい広島を歩き、また広島を食べた。当時の友人たち(それは小、中、高の学校に通った3人の子供の父兄会であり、近所付き合いの隣組の人たち)は、30年前と全く変わりなく、3日間をフルに付き合ってくれて、「広島を観せ、かつ食べさせて」くれた。
広島名物「お好み焼き」を食べた。毎日「牡蠣」を食べた。畑から今とってきたという「広島菜」を食べた。宮島に行って「アナゴ飯」と「もみじ饅頭」を食べた。露店の「焼き牡蠣」を食べながら宮島の街を久しぶりにゆっくり歩いた。自慢の水族館でペンギンと写真を撮った。
平和公園を歩き峠三吉や原民喜の碑に、これこそ30年ぶりにふれた。比治山の大木惇夫の碑も30年ぶりだ。黄金山に登り広島と、中でも東洋工業を全望した。縮景園を歩き浅野の歴史を思い、茶屋で甘酒も飲んだ。夜は流川、薬研堀を歩いた。
驚いたのは、呉に息子の嫁の両親を訪ねたところ、両親が音戸の瀬戸の130年の歴史を持つ料亭「戸田本店」に案内してくれて、“山本五十六が愛用したといわれる部屋”でご馳走になった。2時間半に及ぶ料理コースは、その味は絶品、たっぷり時間をかけたもてないしは、海軍の街“呉”の歴史に思いを致すに十二分のものがあった。音戸の酒「華鳩」の上品な味とともに忘れられない。部屋から見下ろす瀬戸を、ゆっくりと「瀬戸の渡し船」が渡っていた。
これらの事をわずか3日で体験できたのは、「30年来の広島の旧知」が、その友情を惜しみなく与えてくれたからであった。今度の旅ほど「友のありがたさ」を感じた旅はなかった。
海水に浮かぶ宮島の厳島神社
縮景園の静かな佇まい
130年の歴史を誇る山本五十六愛用の料亭「戸田本店」
毎日食べた「牡蠣」