旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

今年を振り返る … オーストラリア旅行①

2011-12-09 11:00:53 | 

 

 一昨日の「気がつけば年の瀬…」で、今年はいろいろとあったと書いたが、何と言っても最大の事件は東日本大震災であろう。そして私は、その最中にこともあろうにオーストラリアを旅していたのである。
 実は当初の計画は「オーストラリア・ニュージーランドの旅」であったが、出発の20日ほど前にニュージーランドを大地震が襲い、現地の合唱団とジョイントコンサートを行う予定であったクライストチャーチの大聖堂が倒壊した。急遽クライストチャーチを取りやめて、シドニーとメルボルンの日程に変えたのだ。そして3月9日東京を発ったところ、その2日後にあの大震災が東日本を襲った。つまり私は、20日の差でニュージーランド地震を避け、2日の差でわが東京の震度5を含む東日本地震を避けたのだ。
 これは、幸運といえばそれまでだが、特に日本の震災を避けたのは胸が痛む。何か逃げ回って自分だけがいい目にあったようで心の痛みは消えない。といっても仕方のないことでもあり、シドニーでもメルボルンでも、朝から晩まで日本震災のニュースを見ながら不安を共にした旅であったので、それで許してもらうしかない。もちろん、不安を抱きながらも旅は楽しんだ。初めて赤道を越えたオーストラリアは実に魅力に富んだ国であったから…。

 この旅は、前述したように現地の合唱団とジョイントコンサートをやる合唱ツアーであった。私はサポート隊の一員に過ぎないが、歌を通して現地の人々と触れ合うのは何とも楽しい。クライストチャーチがダメになったので、シドニーの南の都市ウーロンゴン市のコンサートだけになったが、これはいいコンサートであった。相手の合唱団は男声合唱団で、その名が「ランプライターズLamp Lighters]」。“灯をともす人たち”とでもいうのだろうか…。かなりの高齢の方々であったが、この街の人の心に長く「灯をともし続けてきた」のであろう。500人の会場は満員で、もちろんわが合唱団への拍手も含め、会場は熱い拍手に包まれた。終わってアフターヌーンティは相互の交流会となり、いつまでも名残尽きない交流が続いた。オーストラリアの歴史は未だ200年に過ぎないが、彼らはイギリスの悪いところ(宗教的しがらみとか階級制など)は捨て、いいところ(民主主義とか高い文化など)だけを持って、広大な土地に新天地を作ったのかもしれない。実に大らかな気持ちの良い人々であった。
 ただ、ちょうどその交流会の最中に日本を地震が襲ったのだが…。

  
 後列「ランプライターズ」、前列「登戸合唱団」の女性群


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