旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

大震災から一年…進まぬ災害処理、絶望的な原発事故

2012-03-07 13:47:09 | 時局雑感

 

 あの3月11日を迎えようとしている。一年が過ぎて報道されているものは、進まぬがれき処理や仮設住宅の生活、故郷に帰れず避難生活を送る人々の姿ばかりだ。もちろん、苦難を乗り越えて明るく前向きに復興の道を歩き始めた姿もたくさんあるが、全体の動きは「活力を失った日本」を浮き彫りにしているかに見える。
 中でも気が重いのが福島原発事故だ。ようやく事故発生当時の記録が明らかにされつつあるが、それを見るほどに危機管理の脆弱さと、それを招いた為政者、東電経営陣の驕(おご)りの姿が浮き彫りになる。事故直後、かなり献身的な活動とその報告が逐次上げられていたようであるが、上層部による黙殺や驕慢な判断により報告が生かされなかった姿が浮かぶ。国も企業も、原子力という未知の分野を多く内包する物体を使用する資格を全く持っていなかったのではないか?
 そもそも福島原発事故は冷却装置への送電能力を失ったことによるようだ。「電気屋のくせに電気を失って事故を起こした」なんて笑い話の水準だ。
 田坂広志著『官邸から見た原発事故の真実』を読むと、人類は原子力を使う能力なんてとても持っていなかったということを思い知らされる。たとえば使用済み燃料プールの容量にしても、「2010年の段階で、全国の原発のプールの貯蔵率は70%弱で、貯蔵は限界に近づいている」(同著)という。そのため作った青森県六ケ所村の再処理工場もうまくいかない。それがうまくいって再処理ができたとしても、その先に発生する「高レベル放射性物質の最終処分」という問題がある。
 その処理は、30~50年長期貯蔵して、最終的には地中深く埋めて処分するしかないという。今度の事故で、そのような長期貯蔵を引き受ける場所などいよいよなくなってくるだろうし、地中に埋める場所なんてどこにあるのだろう。福島原発は廃炉にするが、まさにその「高レベル放射性物質」そのもので、健全な原子炉でも廃炉に30年かかるというのに、前例のない事故の福島原発は廃炉に何年かかるか想像もつかないという。
 何とも絶望的な話である。


オリンピックへ行きたいという気力 … 琵琶湖マラソンを見て

2012-03-04 15:19:00 | スポーツ

 

 ロンドンオリンピックのマラソン代表選考最後のレース琵琶湖マラソンは、文字通り「オリンピックに行きたい」という気力が様々に交錯し合ったレースであった。
 最有力視されていた堀瑞選手(旭化成)は、昨夏の世界選手権7位(日本人トップ)を機に成長著しいと宣伝され、旭化成ファンの私も全面的な期待を寄せていたが、その重圧に負けたのか30キロを過ぎてペースを落とし、最後は11位と惨敗してゴールに倒れ込んだ。
 その堀端を38
キロで抜いたのが中本健太郎(安川電機)。一時は堀端に30秒ぐらい遅れていたので、快調に堀端を抜くペースにロンドン行きを確信したが、これを追っかけた山本亮(佐川急便)という一般参加選手が、最後の競技場トラックレースで中本を追い抜いた。記録は2時間8分44秒。これまでの自己ベストが2時間12分台というので、失礼ではあるがノーマークであった。しかし、今日の琵琶湖の悪コンディション、そのレース運び、加えてこの記録ならロンドン行は確定だろう。
 レース後のインタビューで山本は、「ただ、オリンピックに行きたい、オリンピックに行きたいとだけ思って走った」と語っていた。「オリンピックに行きたい」と思えば一挙に8分台を出して日本人トップになれるのなら、誰でもそう思って走るだろうが、そう思えば誰でも勝てるというわけにはまいるまい。相応の資質や練習による実力がなければ出せる記録ではない。山本はその力を持っていたのであろうが、、なぜ彼の「オリンピックに行きたい」という気力が他を上回ったのだろうか?
 みんなオリンピックを目指した。堀端にはそれが重圧となり、これまで堀端に勝てなかった中本は初めて堀端を抜いて、「オリンピックを手にした」という一瞬のゆるみが生じたのかも知れない。 その点山本のオリンピックを求める気持ちは、もっとも純粋であったのかもしれない。
 勝負の機微ほど分からないものはない。


久しぶりの居酒屋「浅草一文」

2012-03-02 20:33:00 | 

 

 何年ぶりかで (ひょっとすると10年ぶりかもしれない)「浅草一文」に行った。江戸風といわれる佇まいの居酒屋で、昔はよく出かけたがこのところ遠ざかっていた。ひょんなことから会社の若者たちと出向くことになった。以前と変わらぬ風情で、よく飲みよく食べて楽しい一夜であった。
 店に上がるとまずその日の飲み料を見計らう現金を払って「木札」を購入する。この店では注文した料理や酒代を、この一文、五文、十文などの木札で支払う。木札がなくなると一滴の酒も飲めないので補充するしかない。「少々公的資金を注入するか…」とか言いながら、年長者や高収入者が円を取り出し木札を購入する。それでも足りなくなると全員に増資を呼び掛け、一律に何円かを拠出して木札を補充する。いよいよ金がなくなればそこでオシマイ。すごすごと帰るしかない。

     

 江戸っ子は宵越しの金はもたぬとか言っていたが、これは、所詮は大した金はもっていなかったことを示していたにすぎず、なけなしの金を払って飲みつくしていたに違いない。この日は総勢7名、まず一人3千円を投じ、その後私とT女史が公的資金と称して各1万円を投じ、これで十分に酔いかつ食べた。公的資金とか言っても会社の金など一切使わず、力に応じて金を出し合っているところにこの会の誇りがある。

 マグロを注文すると、骨つきマグロをハマグリの貝殻でそぎ落としながらタレに浸して食べるという凝りようで、料理は一般に人気があったが、最高の人気は「ネギま鍋」。マグロの切り身と千寿ネギを主な材料とした鍋で、当店独特のどす黒いだし汁で煮る。最初は3人前ぐらいを頼んでみんなでつついていたが、どんどん追加してかなり食った。




 
  当店独特のだし汁

 それにつれて酒も飲んだ。浅草には一般に良い酒を置いた店が少ないといわれているがこの店の酒はよいとされている。ただ、本醸造中心で一合(正味は一合ないだろう)6百円から9百円は高いと思った。おそらく原価の4,5倍とっているだろうが、もう少しコストパフォーマンスを考えてほしい。立派な料理で相応の金をとっているのだから、仕入れて売るだけの酒は原価の2.3倍の値段にならないかというのが私の持論だ。
 まあしかし、久しぶりに大満足した浅草の一夜であった。 


 


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