昨日はエリート議員の没落について書いた。
忘れては困るとの思惑か、昨夜、もう一人の嘗ての大物エリート議員が密かに動いた。
昨夜10日の夕刻、都内某所で加藤紘一がYKKと云われた嘗ての盟友山崎拓と「加藤の乱」以来悪化していた関係を修復すべく会食をした。 二人が不信任をあらわにした元総理の森喜朗もその場に同席したと言うから「大人の付き合い」はよく判らない。
ところで「加藤の乱」って?
「去るものは日々に疎し」の例えどおり、記憶は日々に薄くなる。
・・・が、あの頃(平成12年11月)は連日テレビ画面には、悔しそうに口をへの字に曲げて眼鏡の奥で涙を見せる加藤紘一の顔が連日流されていた記憶がいまだに鮮明に残る。
「加藤の乱」の詳しい経緯は兎も角、お公家様とも呼ばれた「エリート議員」のひ弱さを国民に晒した事になった。
「加藤の乱」の詳細は検索に譲るとしてhttp://www.nasu-net.or.jp/~yoshimi/mas/kato1.html、簡単にいえば『麻呂(加藤)のご乱心』で、将軍・森を倒すつもりが優柔不断の結果自ら墓穴を掘った。 その際、盟友と信じた山崎拓にも裏切られた。 その時現将軍の小泉が森将軍を支えた。 その結果がYKKの分解。 まーこんなところでしょう。
事実のみ列挙すると、平成12年11月21日、森内閣不信任案決議。
『加藤紘一と山崎拓の逃亡などにより、賛成190、反対237、棄権1、欠席51(うち病欠2、退場1含む)で否決された。』
森内閣を不信任しようとして腰砕けになったというお粗末な結末。
加藤紘一。
そのきらびやかな経歴を逐次列挙するには当日記はスペースが無いのでポイントだけを抜書きしても、東京大学法学部卒、外務省、ハーバード大学留学そして国会議員。
絵に描いたような「エリート議員だ。
時期総理候補とも言われた加藤紘一は「ご乱心」で政治生命を棒に振ってしまったが最近動きが激しい。
一昨日もみのもんたの「朝ズバ!」に生出演して「次期首相は靖国参拝をしない人がなるべきだ」、と従来からの持論を繰り返していた。
まるで中国皇帝の勅命を伝えるように。
この男は「政界で一番頭のいい男」で通っていたが、ますます「エリート議員」に対する民意を悪化させる言動が目立つ今日この頃、
・・・消える前のローソクの火の輝きなのか。
◇
◆日本経済新聞 2006年5月11日
自民の森氏、加藤氏と山崎氏と会談
自民党の森喜朗前首相は10日夜、都内で加藤紘一元幹事長、山崎拓前副総裁と会談し、9月の自民党総裁選などへの対応を巡り意見交換した。政策重視の総裁選を実施すべきだとの認識で一致。対中政策を軸とするアジア外交や過度な市場原理主義の是非に関しても協議したもようだ。
加藤、山崎両氏は2000年11月に当時首相だった森氏への内閣不信任決議案に同調する動きを見せた「加藤の乱」で森氏との関係が悪化していた。会談には河村建夫元文部科学相も同席し、教育基本法改正案の扱いなども話し合った。 (07:02)