「米国人は悪魔でなかった」脱北6人、亡命の心境語るhttp://j.people.com.cn/2004/01/10/jp20040110_35732.html
【ワシントン=坂元隆】米国に今月亡命した北朝鮮の脱出住民(脱北者)6人が、ワシントンで読売新聞と会見し、「(北朝鮮で)悪魔だと教えられてきた米国人は、本当は親切だ」「もう、逃げ隠れしなくて済む」など、現在の心境を明らかにした。
6人は、米国で2004年に施行された北朝鮮人権法に沿った初の亡命認定者。全員で報道機関と会見するのは初めて。
男性2人と女性4人で、20~30歳代。いずれも北朝鮮の金正日政権の抑圧や食糧難を逃れて中国に密入国。ほとんどが北朝鮮または中国の拘置施設の収容経験がある。女性は中国で人身売買や性的虐待の被害を受けたという。<略>
ほかの脱北者からも口々に、「国民を飢えさせている金正日政権は許せない」と、金正日政権の人権弾圧を糾弾する声が上がった。(2006年5月22日3時7分 読売新聞)
◇
この国の主要産業は「麻薬・偽札・誘拐」の三点セット。
おまけに自国民は飢えさせる。
北朝鮮が世界でも名だたる人権無視国家である事は最早誰も疑う事のできない事実となった。
最後まで北朝鮮を擁護した社民党党首・土井たか子も既に政界を去り、北朝鮮のチュチェ思想を擁護する金日生主義者の最後の聖地は沖縄になった。
沖縄の「反基地運動」が一連の「平和運動」と連動している事は県民なら誰でも承知している。
そして、それが多少左傾していても、ある程度はやむを得ないと思う県民も多い。
だが、これらの運動のリーダーが「平和運動」の領域を越えて極左思想に偏り、遂には北朝鮮のチュチェ思想にまで取り込まれ、金正日に操られる形で「基地全面撤去」や「沖縄独立」を唱えている事実を、果たして何人の「平和運動家」が知っているだろうか。
◇
2002 年6月 24 日。
那覇市内の某所でラテンアメリカ・チュチェ思想研究所書記長・アルバ・チャベス氏を囲む会合が行われた。
「心かよわすチュチェのなかま―エクアドルと沖縄を結ぶ自主の志向―」と題するこの会合の出席者は、
佐久川政一(沖縄大学教授・チュチェ思想研究会全国連絡会会長・「沖縄県平和資料館」建設委員長)
米盛 裕二(沖縄大学教授)
吉元 政矩(沖縄県元副知事)
石川 元平(沖縄県教組元委員長)
仲村 芳信(沖縄大学教授)
尾上 健一(チュチェ思想国際研究所事務局長)
(司会)玉城 勉(連合沖縄事務局次長)
と,何れも沖縄の「反基地」及び「平和運動」のリーダーだが単なる反基地・平和運動ではなく北朝鮮のチュチェ思想の信奉者という極左グループだ。
金正日が拉致を認めて以来、日本でチュチェ思想を標榜し難くなったチュチェ主義者達は沖縄を活動の本拠にしつつある。
当日の主役アルバ・チャベス氏はスリランカから12時間かけてそ日の昼、成田に到着。
東京を経ないでそのまま沖縄に直行した。
僅かな日本滞在日の半分を沖縄に来て基地をみたり、交流したと云う。
それほど現在の沖縄は極左勢力にとって日本最後の聖地になっている。
これは昨日触れたドゥドゥ・ディエン氏の沖縄講演とその招聘者がチュチェ思想主義者・武者小路公秀だったことと構図が重なってくる。
当日の会談の中から沖縄側出席者と発言を拾ってみよう。
佐久川:アルバ・チャベス先生の論文を読んでまいりました。長い論文で、私より何倍も勉強しておられると思いました。しかも私は共和国(筆者注:北朝鮮)には七回しか行っていませんが、先生は倍の一四回も行かれています。キムイルソン主席とキムジョンイル総書記の著作もかなり深く読んでおられるようで敬意を表したいと思います。
<中略>・・その後沖縄の説明ガ続く・・・。
日本に併合されたのが明治12 年(1879 年)ですが、沖縄はそのときから日本の一部になりました。琉球王国は昔、東南アジア諸国、中国、朝鮮との交易が盛んで、軍隊のない、戦争をしない平和な国だったと言われています。
しかし日本に併合されてからは、国内における植民地のように処遇されてきました。いわゆる日本に同化する政策がとられ、琉球の言語や文化は差別をうけました。
とくに天皇中心の皇民化教育により、天皇の臣民として教育されてきました。
<中略>
1972 年に沖縄は復帰し、日本の一県にもどりました。しかし復帰したにもかかわらず、米軍基地はそのまま残り今日に至っています。
沖縄県の面積は日本全国の0.6%ですが、全国の米軍基地の 75%が存在します。
一番大きい島は沖縄本島ですが、その20%を米軍基地が占めています。
アメリカ兵が2万6千人駐留しており、そのために事件、事故がひじょうに多く起こっています。婦女子にたいする暴行事件がたびたび起こります。
私がチュチェ思想に関心をもつようになったのは、チュチェ思想が人間中心の哲学であるからです。
チュチェ思想は、人間の本性が自主性、創造性、意識性であることを明らかにし、自分の足場をしっかりかためて自立して生きていくことを求める思想です。
そういう意味では、チュチェ思想は沖縄の自立化のためにも思想、理論、実践において活用すべきものだと思います。
沖縄には訪朝者がたくさんいます。吉元先生が副知事のときには、大田知事を団長にして125 人が訪朝し、日朝友好を促進するうえで大きな意義がありました。
若い人たちも沖縄の自主を求めています。また日本の沖縄政策にたいして独立した方が良いという人も少なからずいます。<中略>
・・・・・・・・・・・
沖縄が日本に復帰していなければ、沖縄は独自の権限と立場で、直接アメリカと交渉することができたでしょう。
アメリカの占領下にあっても、復帰前の沖縄がそうであったように、沖縄が独自の政府をもって、自主的に内政・外交を行うことができたなら、沖縄は日本の犠牲にならずに、自らが進むべき道を、自らが望む方向へ歩むことができたはずです。
<中略>
今日ここに沖縄県の元副知事が参加しておられますが、元副知事がよく承知しておられるように、沖縄からアメリカに行って、直接アメリカと交渉しようとしても、なぜ日本の外務省を通してこないのかと言われるだけで、アメリカ政府は沖縄を交渉相手とは考えていません。
沖縄は経済的には少々苦しくても、自主自立の精神をもって、日本から独立すべきであったと思います。
沖縄が独立国であったら、沖縄は日本とアジア近隣諸国との平和友好の架け橋にもなり得たと思います。
チュチェ思想を学び信念をもって生きる
米盛:アルバ・チャベス先生の朝鮮民主主義人民共和国の印象記を読みましたが、たいへん参考になりました。<略>
佐久川:チュチェ思想、チュチェ哲学を大学でどういう形で教えているのですか。チュチェ哲学という一つの学科目があるのですか。そのなかでチュチェ思想を教えているのですか。それともチュチェ思想に関心のある教授がチュチェ思想の本をつかってチュチェ思想を教えているのですか。
チャベス:いま私が中心になって7名の訪朝経験者と、どのようなカリキュラムをつくるのか相談しています。グアヤキル大学には哲学科があり、そこでどのようにチュチェ思想を教えるのかについて7名でプログラムをつくります。
最初はチュチェ思想ということばを使いません。
教材として『哲学の使命』を使用しています。哲学の使命とは何ぞやから教えます。
そしてだんだん理解を深めていくにつれて、ディスカッションしながらチュチェ思想、チュチェ哲学ということばを伝えていくのです。
哲学の使命とは何かという項目のなかにマルクス・レーニン主義の使命とは何か、チュチェ思想の使命とは何かという項目もあり、これらを対比しながら教えています。哲学の歴史を簡単に述べてから哲学の使命に入るようにしています。
<以下略>
当ブログが常日頃警鐘を鳴らしている通り、沖縄は地元二紙が独占し、それを一握りの極左インテリが動かしている。
こうして見ると沖縄の大学がチュチェ思想の巣窟と化しつつあるのが判る。
上記会談でも沖縄側のリーダー的発言をしていた佐久川氏の言動は特に注目すべきだ。
佐久川氏は沖縄大学の学長も経験した沖縄の著名人であり、沖縄県内で展開される反基地運動の思想的リーダーでもある。
その同じ人物が、チュチェ思想を確立した黄書記の“沖縄版”と言っても過言ではない程の北朝鮮・金正日崇拝者だと言う事を何人の「平和運動家」が知って彼に従っているだろうか。
ところで「チュチェ思想」って何?http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E4%BD%93%E6%80%9D%E6%83%B3